『バリー・リンドン』:1975、イギリス&アメリカ

[第1部 レイモンド・バリーはいかにしてバリー・リンドンの称号と暮らしを得るに至ったか]
レイモンド・バリーの父は法律を学んだが、馬の売買を巡る決闘で命を落とした。母は大勢の男たちからの求婚を全て断り、夫の思い出と息子のためだけに生きると決めた。バリーは従姉のノラ・ブレイディーに恋心を抱き、彼女に誘惑されて接吻を交わした。当時はフランスによる侵略の脅威を受け、貴族や豪族は忠誠を示すため兵の育成に励んだ。バリーは軍服に憧れ、ノラの町ではクイン大尉が率いる部隊を送り出した。ノラはクインに関心を示し、バリーは嫉妬心を抱いた。
ノラはクインから求婚され、兄たちは彼の豊かな収入に関心を示した。ノラがクインと会っているところへバリーが現れ、かつて彼女から貰ったリボンを差し出した。ノラが二股を掛けていると感じたクインは憤慨し、兄たちに「貸した金は返してもらう。結婚の申し込みは取り消す」と告げた。クインはブレイディー家の抱える多額の負債を肩代わりしていたのだ。ノラの父はクインを取り成して、娘との結婚を決める。バリーは食事の席でクインにグラスを投げ付け、決闘を要求した。
バリーは友人のグローガンから翻意するよう説得されるが、怒りの気持ちは全く揺るがなかった。グローガンは決闘の段取りを引き受け、バリーはクインを射殺する。バリーはグローガンたちから、警察が来る前に逃げるよう促された。彼は母から餞別を受け取り、ダブリンへ向かう。しかし追い剥ぎのフィーニーと息子のシェーマスに拳銃で脅され、金と馬を奪われた。バリーが村に着くと、チャールズ・ゲール中佐の歩兵部隊が補充兵を募っていた。採用者には1ギニー半が与えられると聞き、バリーは入隊することにした。
バリーはお坊ちゃま暮らしの癖が抜けず、先輩の兵士からバカにされる。腹を立てた彼は侮辱する台詞を浴びせ、先輩と拳闘で対決する。バリーは先輩をノックアウトし、部隊の仲間たちから喝采を浴びた。バリーの連隊は兵力を増強し、フランスとの戦闘に備えた。そんな中、グローガンが大尉として現れ、バリーに気付いた。バリーがノラについて訊くと、彼はクインと結婚したことを教える。決闘はノラの父や兄たちがバリーを追い払うために利用した計画で、使われた弾丸は殺傷能力の無い麻製だったのだ。
連隊の初陣はフランス軍との小規模な戦闘だったが、グローガンが銃弾を浴びて死亡する。バリーは残り6年の兵役から逃れることを考え始め、水浴びをしている将校の服や身分証を盗んで脱走した。中立国のオランダへ向かった彼は通り掛かったリシェンという女性に声を掛け、家で食事を御馳走になった。リシェンは赤ん坊と2人で暮らしており、夫は戦地へ行っていた。バリーはリシェンと肉体関係を持ち、家を後にした。
開戦から5年が経過し、プロイセン軍は疲弊していた。補充兵は強奪を繰り返し、それによって軍が保たれていた。ポツドルフ大尉の連隊に遭遇したバリーは身分を偽り、ブレーメンへ行くことを告げた。ポツドルフは同じ方角だと言い、食事と宿を任せてほしいと申し出た。ポツドルフはバリーに幾つか質問し、脱走兵だと見抜いた。「我が軍に入るか、処刑を待つか」と選択を迫られたバリーは、入隊を余儀なくされた。プロイセン軍は英国軍より遥かに過酷な環境で、兵卒は将校から些細なことで罰せられた。
バリーは戦場で危機に陥ったポツドルフを救出し、彼から気に入られた。戦後にベルリンで駐留した際、彼はポツドルフから伯父である警察長官を紹介された。バリーは除隊して警察で働くよう指示され、それを快諾する。ポツドルフはオーストリア宮廷に籍を置く賭博師のシェヴァリエがアイルランド人であること、スパイの容疑があることを説明し、従僕となって探るようバリーに命じた。シェヴァリエと会ったバリーは騙せないと感じ、全てを正直に打ち明けた。
バリーはシェヴァリエに関する当たり障りのない情報を、定期的にポツドルフと警察長官を訪ねて報告した。シェヴァリエがカードで勝負する際には、バリーは相手の手札を密かに盗み見て協力した。フリードリヒ大王の側近であるトルビンゲン公爵は負けが続いて多額の借金を背負うと、支払いを拒否した。彼は「支払いを要求するなら決闘だ」と言い放ち、その場を去った。シェヴァリエはバリーに、自分が決闘する覚悟だとポツドルフたちに伝えるよう指示した。
国王はシェヴァリエの追放を決め、ポツドルフと長官は馬車で出掛ける際に将校の護衛を付けて国境まで連行する計画を立てた。それはそれはシェヴァリエの狙い通りで、彼はバリーに一緒に国外へ連れ出すことを約束した。シェヴァリエは事前に国外へ脱出し、バリーは彼を装って馬車を待った。将校はトルビンゲン公爵が用意した金貨2千枚をバリーに渡し、馬車に乗せ国境まで連行した。こうして国外へ出たバリーとシェヴァリエはプロの賭博師としてコンビを組み、ヨーロッパ上流社会で人気を得た。
貴族たちはシェヴァリエとのカード対決に負けると、返済の誓約書に署名した。期限になるとバリーが貴族の元へ赴き、借金を回収した。彼の剣術の腕と度胸が、返済を確実なものにしていた。ラッド卿もバリーとフェンシングで立ち会うと、その腕前に圧倒されて借金を返済した。バリーとシェヴァリエは多くの富を得るが、外国を渡り歩く中で衣服と宝石に消えた。紳士として生きると決めたバリーは、金と身分のある女性との結婚を目指した。そんな中で彼が出会ったのが、ホノリア・リンドン女伯爵だった。
ホノリアはリチャード伯爵の妻で、ブリンドンという一人息子がいた。リチャードは多くの病気を抱え、車椅子で暮らしていた。専属牧師のラントは、ブリンドンの家庭教師も担当していた。ホノリアは賭博の席でバリーと出会い、あっという間に恋に落ちた。リチャードは妻の不貞に気付くが、バリーは彼から怒りを向けられても平然と対応した。バリーの挑発的な態度に興奮したリチャードは心臓発作を起こし、命を落とした。
[第2部 バリー・リンドンの身に降りかかった不幸と災難の数々]
バリーはホノリアと結婚し、リンドン伯爵の称号を得た。バリーにとってホノリアは、部屋に置かれた敷物や絵画と同様の優雅な背景と化した。ブリンドンはバリーが財産目当てだと見抜いており、ラントに「それを分からぬ母上が気の毒だ」と漏らした。結婚から1年後に息子のブライアン・パトリックが誕生すると、バリーはホノリアに彼の世話をしながら静かに暮らすよう指示した。そして自身は快楽を享受し、浮気も楽しんだ…。

脚本&製作&監督はスタンリー・キューブリック、原作はウィリアム・メイクピース・サッカレー、製作総指揮はヤン・ハーラン、製作協力はバーナード・ウィリアムズ、撮影はジョン・オルコット、美術はケン・アダム、美術はロイ・ウォーカー、編集はトニー・ローソン、衣装はウルラ=ブリット・ショダールンド&ミレーナ・カノネロ、編曲&指揮はレナード・ローゼンマン。
出演はライアン・オニール、マリサ・ベレンソン、パトリック・マギー、ハーディー・クリューガー、レオン・ヴィタリ、マリー・キーン、マーレイ・メルヴィン、スティーヴン・バーコフ、ゲイ・ハミルトン、ゴッドフリー・クイグリー、レナード・ロシター、フィリップ・ストーン、アンドレ・モレル、ダイアナ・コーナー、フランク・ミドルマス、アーサー・オサリヴァン他。
ナレーターはマイケル・ホーダーン。


ウィリアム・メイクピース・サッカレーの同名小説を基にした作品。
アカデミー賞で7部門にノミネートされ、 撮影賞&音楽(編曲・歌曲)賞&美術賞&衣装デザイン賞を受賞した。
脚本&製作&監督は『2001年宇宙の旅』『時計じかけのオレンジ』のスタンリー・キューブリック。
バリーをライアン・オニール、ホノリアをマリサ・ベレンソン、シェヴァリエをパトリック・マギー、ポツドルフをハーディー・クリューガー、ブリンドンをレオン・ヴィタリ、バリーの母をマリー・キーン、ラントをマーレイ・メルヴィン、ラッドをスティーヴン・バーコフ、ノラをゲイ・ハミルトン、グローガンをゴッドフリー・クイグリーが演じている。

完璧主義者のキューブリックが、決して演技力のある俳優とは言われていないライアン・オニールとマリサ・ベレンソンを主演に起用している。波乱万丈なはずのバリーの人生を、淡々としたタッチで平坦な物語の如く進めていく。
トントン拍子に成功者の階段を上がっていく前半はともかく、落ちぶれていく一方の後半はテンポを速くしてサクサクと進めちゃった方がいいのに、たっぷりと時間を使う。それにより、後半は退屈さが際立つ状態になっている。
嫌がらせのように、わざと面白くない映画を作ったんじゃないかと邪推してしまうほどだ。
だが、そこは物語としての面白さを度外視してでも、「前半と後半のシンメトリー」という様式美を重視しているんだろう。

この映画でスタンリー・キューブリックがこだわったのは、「18世紀の再現」だ。建物も、景色も、服装も、絵画も、音楽も、化粧も、何から何まで「18世紀そのもの」を再現しようと考えた。
それは残念ながら不可能だったが、出来る限り18世紀に近付けることをスタッフに要求した。彼は徹底的に文献を読み漁り、18世紀の人々の生活様式など細かい部分まで全て忠実に再現しようと考えた。
それだけでなく、「18世紀の光」をキューブリックは求めた。通常の映画撮影では照明を当てるが、「その明るさは18世紀に存在しない」ということで、蝋燭の火だけを使って屋内シーンの明るさを表現している。
それを通常のカメラで撮影すると何が何やら分からないような暗すぎる映像になってしまうので、特殊なレンズを調達して改造したカメラに取り付けた。

役者は18世紀の風景の中に配置された駒に過ぎないので、だから演技力は求めず「見た目が世界観に合うかどうか」だけで選んだのだろう。
バリーはアイルランド人なのにアメリカ人のライアン・オニールを起用しているが、そこはキューブリック監督にとって、どうでもいい問題だったようだ。
音楽に関しては、レナード・ローゼンマンに用意させた楽曲を基本的には使っているが、そこにキューブリックがシューベルトの『トリオno.2ホ単調作品100』を加えて重要なシーンに流している。
19世紀の作品なのでキューブリックのこだわりからすると外れているが、「条件との合致」よりも「雰囲気との合致」を重視したわけだ。

冒頭、ナレーションで「バリーの父親が決闘で死んだ」ってことが説明され、決闘の様子がロングショットで写し出される。
しかし、そのシーンを描写する意味が全く無い。そのことが、バリーの人生に大きな影響を及ぼしているわけではない。
ひょっとすると父親の決闘は、終盤に用意されているバリーの決闘と重ね合わせる狙いがあるのかもしれない。ただ、そうだとしても、狙いが成功しているとは言い難い。
続いてナレーションは「バリーの母親が求婚を全て断って云々」ってことを説明し、彼女がバリーと一緒に歩いている様子を写し出す。
だが、ここの説明も全く必要性を感じない。どうせバリーはすぐに故郷を離れるし、母親の存在意義は乏しいのでね。

ノラとトランプをするシーンまで、バリーの顔がハッキリ分からない状態ってのは、主人公の見せ方として上手くない。母親と歩いているシーンが初登場だが、その時点では顔が良く分からないのだ。
しかも、そこは母親に関する説明のためのシーンだし。
バリーを紹介するための手順を省略して、いきなり「最初の恋は若者を変える」ってことでノラとトランプをする様子が写るのよね。
それ以前のバリーが全く描かれていないので、「若者を変える」と言われても「変わる前を知らないし」と言いたくなる。バリーに関する基本情報、初期設定を全く与えずに進めても、何のメリットも無い。

バリーが決闘でクインを殺すのは、実は仕組まれた物だ。クインは死んでおらず、ブレイディーの兄たちがバリーを遠ざけるために芝居を売ったのだ。
その事実は、なかなか明らかにされない。
しかし、それは決闘が行われた直後に、観客に明かした方がいい。そこを秘密にしたまま引っ張っても、大した意味は無いのだ。
かなり後になってから「実はこういうことでした」と種明かしをすれば、それなりの驚きを与えることは出来るかもしれないが、「驚いたとして、だから何なのか」と感じるのよね。

入隊したバリーは先輩兵からお坊ちゃまらしい振る舞いをバカにされ、ボクシング対決で圧勝して喝采を浴びる。
ただ、なぜお坊ちゃまのバリーがボクシングの能力に長けているのか、そこは何の説明も無いんだよね。
父親や母親に関する説明までナレーションで入れているくせに、そこはノーナレなのよね。
そういうシーンこそ、説明した方がいいでしょうに。無駄にナレーションが多いのに、必要性があるようなトコでは入れないのね。

大尉としてグローガンが現れて、初めて「決闘はノラとクインを結婚させるための策略だった」ってことが明らかにされる。
しかし、それを聞いたバリーがショックを引きずることも無いし、今すぐに脱走して故郷へ戻ろうとするわけでもない。グローガンは「君の伯父から口止め料をせしめた。一緒に使おう」と言うが、その金を2人で使うシーンも無い。
なので、それら全ての必要性からして疑問に思える。
グローガンの死さえも、あっさりと処理される。一応は「それが原因でバリーが脱走を考えるようになる」というトコへ繋げているけど、それって別にグローガンじゃなくて他の兵士の死を目撃しても成立しちゃうし。

英国軍ではスリや強奪が横行していたとか、プロイセン軍では補充兵による強奪が繰り返されていたってのは、ナレーションで簡単に処理されている。
そもそも、それが後の展開に影響を与えることなど皆無に等しい。
バリーとリシェンの関係さえ、あっさりと片付けられる。出会った直後にキスして、すぐに翌朝へカットが切り替わって別れている。
エピソードを膨らませる気なんて全く無い。
だったら、そんな手順を入れた意味は何なのかと思ってしまう。

バリーがシュヴァリエと初対面するシーンでは、「不覚にも相手の威厳と上品な物腰に圧倒され、騙せはしないと思った」とか、「同国人に会って感情が高ぶった」といったナレーションが入る。
しかし、こっちはシュヴァリエに対して威厳も上品さも全く感じないので、その説明に全く納得できない。
だからバリーが簡単に全てを白状するのが、唐突で理解不能な行動にしか思えない。
「同国人に会って感情が高ぶった」ってのも、「同じ境遇じゃないと分からないだろう」と補足するけど、「うん、分からんよ」と言いたくなる。

ホノリアがバリーに惹かれるトコも、ドラマなんて皆無。カードをやっているシーンで遭遇し、バルコニーに出ると、もうキスをしている。ナレーションが「こうして、出会って6時間で彼女は恋に落ちた」と説明するだけだ。用意されている段取りを粛々と事務的に片付けていくだけで、説得力なんて無視している。
とにかく淡白に話を進めていくし、ナレーションベースなので、登場人物の心情なんて全く掘り下げようとしない。
たまにナレーションで申し訳程度に触れることもあるが、そこに効果なんて何も無い。
登場人物は全て、様式美のための駒に過ぎないのだ。

映画が始まってから1時間40分ほど経過すると第1部が終了し、インターミッションが入る。
第1部は発作を起こしたリチャードの死亡をナレーションが説明して終了するのだが、この時点では、まだバリーが正式にホノリアと結婚して伯爵の称号を得ていない。
しかし第1部のサブタイトルは、「レイモンド・バリーはいかにしてバリー・リンドンの称号と暮らしを得るに至ったか」なのよね。
だから、そこはハッキリとした形でバリーが成功者の座に登り詰めてから、インターミッションに入った方がいい。

第1部の終盤辺りから、バリーが分かりやすいほどのクズ野郎へと変貌している。ここの流れを、上手く作り出せていない。
「紳士として生きると決めたので、金と身分のある女性との結婚を目指した」ってことをナレーションが説明しているが、ちょっと何言ってんのか良く分からない。それって紳士でも何でもないし。
っていうか、なぜ彼が金と身分のある女性との結婚を目指すようになったのか、そこを納得させるための流れやきっかけが見当たらないし。
全てが薄っぺらい段取り芝居なので、バリーが変貌していく展開がギクシャク感たっぷりになっているのだ。

第2部に入ってしばらくすると、バリーの母親が再登場する。バリーの成り上がりに伴い、彼女も貴族のような格好で再登場する。
ただ、ずっと消えていた人なので完全に忘却の彼方だったし、わざわざ再登場させるほど意味があるようにも思えない。
一応はバリーが彼女から「ホノリアが死んだら財産は全てブリンドンに行くので、それを阻止するために貴族の称号を得なさい」と促されて行動するようになるというトコで、意味のある使い方をしている。ただ、そうなると「バリーだけじゃなくて母親もクズかよ。
っていうかバリーのクズっぷりは遺伝だったのか」と感じてしまう。
むしろバリーが財産を手に入れてブリンドンを排除するための計略を目論み、母親は「昔の息子からは大きく変貌してしまったので心配したり反対したりする」という形の方がいいんじゃないかと思ったりするぞ。
「バリーが母親に促される形で、財産目当てで貴族の称号を得るため躍起になる」という形を取ったところで、それで彼の印象が好転するわけでもないんだし。ただ単に、バリーの描き方が中途半端になっていると感じるだけだ。

終盤に入ると、バリーがブライアンに対して愛情を注ぐ様子を描いたり、それをナレーションでアピールしたりするが、焼け石に水。そこまでに、ホノリアの連れ子であるブリンドンを何度も折檻したり、激怒して暴力を振るったりする様子が描かれているんだし。
っていうか、そんなトコでバリーの好感度を変に上げようとすること自体、急に方針転換したように感じる。
落馬したブライアンが死んでバリーが嘆く展開なんかも、まるで要らんよ。そういう形の不幸じゃなくて、「バリーが財産や地位を得るために愚かな行動を繰り返し、自業自得で不幸になる」という、まるで同情できない類の転落劇を冷淡に描けばいいんじゃないかと。
なぜ終盤に入って、急にバリーへの同情を誘う方向へ舵を切るのか。

ある男の波乱万丈の半生を描いているはずなのだが、大河ドラマ的な壮大なスケール感は皆無。人間ドラマの面白さなど、これっぽっちも感じられない。
だったら、何のために「放浪者が成功者となり、そして落伍者になる」という人生を描いているのかと。
ある男の人生を描くために184分もの時間を使っているのだが、キューブリックはロマンにもドラマにも興味を示さず、美だけに固執する。
もはやトチ狂っているとしか思えないのだが、何しろキューブリックなので、もちろんトチ狂っているのである。

(観賞日:2018年5月15日)

 

*ポンコツ映画愛護協会