『バロン』:1988、イギリス&西ドイツ

18世紀のドイツは、トルコ王サルタンに包囲されていた。水曜日は休戦という協定が結ばれていたが、トルコ軍は海岸沿いの小さな町に 攻め込んだ。戦火の中でも、町の劇場では芝居が上演され、観客が集まっていた。上演されていたのはヘンリー・ソルトが脚本を執筆した 『ほら吹き男爵の冒険』だ。ヘンリーの娘サリーも、舞台に上がっている。
だが、そこへ1人の老人が乱入し、「デタラメで侮辱的だ」と騒ぎ始めた。老人は舞台に上がり、俳優や上演許可を与えた政治家 ジャクソンの前で、自分が本物のミュンヒハウゼン男爵だと主張した。さらに彼は、この戦争のきっかけが自分にあるとも言い出した。 彼は幕前に立ち、観客に向かって自分の冒険を語り始めた。
ミュンヒハウゼンはトルコを訪れた時、サルタンに歓迎された。ある時、彼はサルタンに賭けを持ち掛けた。遥か遠方のウィーンの貯蔵庫 から、1時間以内に酒を持って来ることが出来るかどうかという賭けだ。ミュンヒハウゼンが勝てば力持ちが運べるだけの宝を宝物庫から 持って行き、負ければ斬首されるということで賭けは成立した。
ミュンヒハウゼンは、4人の家来を連れていた。世界一の俊足バートホールド、鉄砲の名手で千里眼のアドルフォス、怪力の巨人 アルブレヒト、地獄耳で強力な肺を持つグスタヴァスの4人だ。ミュンヒハウゼンはバートホールドにウィーン皇后への手紙を託し、 猛スピードで走らせた。帰りを待つ間、サルタンは悪趣味な音楽演奏を聞かせた。
残り3分半になっても、バートホールドは戻らなかった。ミュンヒハウゼンは残る3人の家来に調べさせ、バートホールドが途中で眠って いることを知る。アドルフォスの砲撃で目を覚ましたバートホールドは、ギリギリで戻ってきた。ミュンヒハウゼンはアルブレヒトに 宝を担がせるが、宝物庫は空っぽになってしまった。怒ったサルタンは、ミュンヒハウゼンらを捕まえようとした。それ以来、サルタンは ミュンヒハウゼンを憎んでいるのだという。
さらに話を続けようとしたミュンヒハウゼンだが、砲撃によって劇場が崩れ始めたため、全員が避難した。「この世に飽きた」と称して 死のうとしたミュンヒハウゼンに、サリーが「物語の続きを聞かせて」と話し掛けて来た。ミュンヒハウゼンは大砲の弾丸に乗って空を 飛び、途中でトルコ軍の弾丸に乗り換えて劇場へと戻ってきた。
ミュンヒハウゼンはトルコ軍を倒すため、かつての家来を探しに出掛けることにした。ご婦人方の下着を集めて気球を作り、彼は空へと 浮かび上がる。密かにサリーが忍び込んでいたため、彼女も連れて行くことになった。2人は月へ行き、月の王様と面会する。王様は、 頭の部分と体の部分が分かれている。頭部は優しくて穏やかだが、体の部分は荒っぽい。 月の王様は、皇后アリアドネがミュンヒハウゼンに惚れているのを知り、激怒した。王様はミュンヒハウゼンとサリーを牢に閉じ込める。 牢の下には、記憶を失ったバートホールドがいた。3人はアリアドネの協力で、牢獄から脱出した。バートホールドは記憶を取り戻した。 3人は月から地球へ降りようとするが、真っ逆さまに転落してしまう。
ミュンヒハウゼンたちが落ちたのは、地底の神ヴァルカンの住む活火山だった。ヴァルカンの家では、召使いとしてアルブレヒトが働いて いた。しかしアルブレヒトは昔と違い、か弱い男になっていた。彼は「望んでいた自分になれた」と言い、ミュンヒハウゼンへの協力を 拒んだ。ミュンヒハウゼンはヴァルカンの妻ヴィーナスに惹かれ、ダンスを踊ってキスをする。怒ったヴァルカンは、ミュンヒハウゼン、 アルブレヒト、バートホールド、サリーを渦潮へと放り込んだ。
ミュンヒハウゼン達が渦潮を抜けると、そこは大海原だった。そこへ巨大な魚の怪物が出現し、一行は飲み込まれてしまう。怪物の腹の 中で、ミュンヒハウゼンはアドルフォスとグスタヴァスに再会した。さらに、どこからか愛馬ブーケファラスが飛び込んできた。一行は 怪物にクシャミをさせて脱出し、海岸沿いの町へと戻る。ちょうど町では、ジャクソンとサルタンが調停を結ぼうとしていたところだった。 そこへミュンヒハウゼンが駆け付けるが、サルタンによって斬首刑にされそうになる・・・。

監督はテリー・ギリアム、脚本はテリー・ギリアム&チャールズ・マッケオン、製作はトーマス・シューリー、共同製作はレイ・クーパー、 製作総指揮はジェイク・エバーツ、製作監修はストラットン・レオポルド、撮影はジュゼッペ・ロトゥンノ、編集はピーター・ハリウッド 、美術はダンテ・フェレッティー、衣装はガブリエラ・ペスクチ、特殊効果監修はアントニオ・パッラ&アドリアーノ・ピスキッタ、 音楽はエリック・アイドル&マイケル・ケイメン。
出演はジョン・ネヴィル、エリック・アイドル、サラ・ポーリー、オリヴァー・リード、チャールズ・マッケオン、ウィンストン・デニス 、ジャック・パーヴィス、ヴァレンティナ・コルテーゼ、ジョナサン・プライス、ビル・パターソン、ピーター・ジェフリー、ユマ・ サーマン、アリソン・ステッドマン、レイ・クーパー、ドン・ヘンダーソン、レイ・D・トゥット、スティング他。


18世紀のドイツの貴族カール・ミュンヒハウゼンが周囲の人々に話した冒険談は、ルドルフ・エリッヒ・ラスペやゴットフリート・ ビュルガーによって本として出版された。いわゆる『ほら吹き男爵の冒険』の元になったのが、それらの本だ。その『ほら吹き男爵の冒険』 をモチーフにした映画が、この『バロン』である。
ミュンヒハウゼンをジョン・ネヴィル、バートホールドをエリック・アイドル、サリーをサラ・ポーリー、ヴァルカンをオリヴァー・ リード、アドルファスをチャールズ・マッケオン、アルブレヒトをウィンストン・デニス、グスタヴァスをジャック・パーヴィス、 アリアドネ皇后をヴァレンティナ・コルテーゼ、ジャクソンをジョナサン・プライスが演じている。
他に、サラの父ヘンリーをビル・パターソン、サルタンをピーター・ジェフリー、ヴィーナスをユマ・サーマンが演じている。月の王様を 演じた俳優は「レイ・D・トゥット」と表記されるが、見れば一目瞭然、ロビン・ウィリアムズのことだ。また、ミュージシャンの スティングが、活躍する兵士の役でチョロッとだけ出演している。

この映画、4600万ドル以上(日本円で約76億円)の製作費を掛けて作った超大作だが、興行収入は800万ドル程度で大コケした。 この映画の失敗により、テリー・ギリアム監督はしばらくの間、自身の脚本による映画を作れなくなった。
だが、ここまで大赤字になった最大の原因は製作費が異常に膨れ上がったからであり、それはギリアムだけに責任があるわけではない。
最初のつまずきは、『未来世紀ブラジル』で組んだプロデューサーのアーノン・ミルチャンが、この企画から離れたことだった(ギリアム と険悪な関係になったらしい)。
それでも、後釜にマトモなプロデューサーが座っていれば、こんな事態にはならなかった。
しかし企画を受け継いだのはドイツの食わせ者、トーマス・シューリーだったのである。

トーマス・シューリーにとって、この映画は金を搾取するための美味しい企画だった。彼はイタリアのチネチッタでの撮影を主張し、 ギリアムを浮かれさせるためにフェリーニ組の撮影監督ジュゼッペ・ロトゥンノと美術監督ダンテ・フェレッティーを連れて来た。 こうして、チネチッタでの撮影が始まる、はずだった。
しかし予定の日になっても、撮影は始まらなかった。
なぜなら、セットも道具も全く出来ていなかったからだ。
トーマス・シューリーがチネチッタを撮影場所に指定したのは「その方が人件費が安いので製作費が抑えられる」ということだったが、それは大嘘だった。
むしろ、撮影が始まっていないのに、つまり全く働いていないのに、人件費だけは費やされていった。

トーマス・シューリーは詐欺師だったが、チネチッタも詐欺師の集団だった。彼らはセットや道具、衣装などの製作に、莫大な予算を要求 した。チネチッタにとって、この映画は「ネギがカモしょってやって来た」というモノだったのだ。
搾取することしか頭に無い連中のおかげもあって(天候の問題もあったようだが)、遅々として製作は前に進まなかった。
事態を解決すべきトーマス・シューリーは、計上した当初の予算を使い果たすことしか考えていなかった。
そもそも、配給権を売り渡したコロンビア・ピクチャーズに対して最初にトーマス・シューリーが提示した予算は、デタラメなものだった。彼自身、そんな予算で製作 できるとは全く思っていなかった。初めから、彼はコロンビアから追加融資を引き出す計画を立てていたのだ。
しかも、彼は映画のために予算を使い果たしたのではない。その多くを、自分でポッケナイナイしていた疑いが濃い。

しかしコロンビア・ピクチャーズは、「余分な金は出さん」という強硬な態度を示した。
結局、チネチッタでの撮影は中止になり、映画の製作そのものが中断された。
保険会社が介入することで、大幅に製作が遅れた映画は何とか完成に漕ぎ付けた。
で、そんな大掛かりな詐欺をやらかしたトーマス・シューリーだが、今も現役の映画プロデューサーとして活躍しており、2004年にはオリヴァー・ストーン監督 の大作『アレキサンダー』を手掛けている。
映画の世界は、かくも恐ろしい場所なのである。

さて、そんな風に、この映画は中身よりも製作を取り巻く状況の方が遥かに面白いのである。
そのスキャンダラスさに比べると、幻想的なセットを組んで頑張っているものの、やはり映画の中身は負けている。
それでも、頭のてっぺんから足のつま先までギリアム風味は たっぷりと詰め込まれているので、彼の熱烈なファンなら、それなりに楽しめるだろう。
ただし、興行的にはコケるのも然るべきと思わざるを得ないが。
ギリアム自身も、この映画のことは苦い思い出になっているみたいだし。

ミュンヒハウゼンが自分の冒険を語る部分と、仲間を探しに出掛ける冒険部分は、現実と非現実の境界が曖昧にしてある。
というのも、 劇場で出演しているバートホールドやアドルフォス役の役者は、全てミュンヒハウゼンが語る冒険物語に登場する本物の家来と同じ役者が 演じているのだ。また、気球を見送るご婦人方の仲には、ヴィーナスやアドリアネと同じ姿の女性もいる。
一応は冒険物語であり、「トルコ軍を倒すために家来を探す」という目的が設定されているが、すぐにミュンヒハウゼンは、そんなこと、 どうでも良くなってしまう。だから、行く先々で女を口説いたりノンビリしたりする。
ギリアムは、その場その場でとりあえず描きたいヴィジュアルを表現する。
さすがは幻想ヒネクレ魔人テリー・ギリアム、真っ直ぐな冒険劇なんて作らない。
そもそも、この人の映画で興行収入を期待するだけ無駄なんじゃないの。

 

*ポンコツ映画愛護協会