『プロポーズ』:1999、アメリカ

ジミー・シャノンは独身主義者で、自由な生活を奪う結婚に対する意欲は全く無い。そんな彼は、そろそろ結婚の2文字が見え始めた恋人に、レストランで別れを告げる。その直後、彼は後ろの席に座っていたアンと知り合い、すぐに親しくなった。
それから3年後、ジミーとアンの幸せな恋人関係は続いていた。しかし、ジミーが恐れていたことが起きた。友人マルコの結婚式で、アンが花嫁の投げたブーケを受け取ってしまったのだ。ジミーはアンにプロポーズするが、つい本音が出て失言を繰り返してしまう。ジミーに結婚の意志が無いことを察知したアンは、怒って帰ってしまった。
アンにフラれた直後、ジミーの祖父が亡くなった。祖父は遺言ビデオで、ジミーに一億ドルの遺産を譲ると告げていた。ただし、ジミーが遺産を相続するためには、30歳の誕生日の午後6時までに結婚していることが条件だ。そして30歳の誕生日は、翌日だった。
ジミーは株式仲買人のオデールや弁護士のグルックマンからアドバイスを受け、マルコと神父を引き連れて、仕事でアテネへ向かうアンの元へ向かう。だが、またもジミーは本当は結婚したくない気持ちを見透かされ、アンはヘリコプターで飛び立ってしまう。彼女はすぐに引き返し、妹と共に実家に行ったのだが、もちろんジミーが知るはずもない。
タイムリミットが確実に迫る中、ジミーは過去に付き合った女性に会いに行き、結婚相手を探すことにした。だが、証券取引所で仕事をするステイシー、ブティックで働くゾーイ、オペラ歌手のアラナ、万年女子大生のキャロリン、刑事のダフネ、コックのモニークと、ジミーは次々にアプローチするものの、ことごとく失敗に終わってしまう。
最後に残ったクールで打算的な女性バックリーは、1億ドルの遺産が手に入ると聞いて、結婚を承諾した。だが、同居や出産に関する厳しい付加条件を聞き、立ち去ってしまう。そこでマルコはジミーに教会へ行くよう告げて、新聞に花嫁募集の広告を出した。やがて、新聞を見た1000人の女性が、花嫁姿で教会に押し寄せる…。

監督はゲイリー・シニョール、脚本はスティーヴ・コーエン、製作はロイド・セーガン&ビング・ホーウェンスタイン、共同製作はレオン・デュードヴォア&スティーヴン・ホロッカー、製作総指揮はマイケル・デ・ルーカ&クリス・オドネル&ドナ・ラングリー、撮影はサイモン・アーチャー、編集はロバート・レイターノ、美術はクレイグ・スターンズ、衣装はテリー・ドレスバック、音楽はデヴィッド・A・ヒューズ&ジョン・マーフィー。
出演はクリス・オドネル、レニー・ゼルウィガー、ハル・ホルブルック、ジェームズ・クロムウェル、アーティー・ラング、エドワード・アスナー、マーリー・シェルトン、ピーター・ユスティノフ、サラ・シルヴァーマン、ステイシー・エドワーズ、レベッカ・クロス、ジェニファー・エスポジート、キャサリン・タウン、マライア・キャリー、ブルック・シールズ他。


主演のクリス・オドネルが製作総指揮にも携わった作品。
ジミーをクリス・オドネル、アンをレニー・ゼルウィガー、オデールをハル・ホルブルック、神父をジェームズ・クロムウェル、マルコをアーティ・ラング、グルックマンをエドワード・アスナー、アンの妹ナタリーをマーリー・シェルトン、ジミーの祖父をピーター・ユスティノフが演じている。他にアラナ役でマライア・キャリー、バックリー役でブルック・シールズが出演している。

キャスティングとしては、ヒロインにレニー・ゼルウィガーを持ってきたのはどうかと思う。
レニー・ゼルウィガーの魅力は、普通っぽさにあると思うのだ。
にも関わらず、ジミーが今までに見たことも無い美人にでも会ったかのような惚れ方をしているのは妙だ。

バスター・キートンが主演した1925年の作品『セブン・チャンス』をリメイクした作品だ。
ただし、忠実に再現するというのではなく、当然といえば当然だが、改変が行われている。
しかし、その変更は残念ながら、ことごとく「改悪」になってしまったようだ。

まず、主人公のキャラクター設定が変更されている。
『セブン・チャンス』では、主人公は恋人と結婚したいのだが、口下手なので上手く言えずに怒らせるという男だった。
だが、この作品では、独身主義者で恋人との結婚を考えていない男になっている。
それにより、主人公が無責任で身勝手で好感の持てない男に成り下がってしまった。

どうも、動きよりもストーリー展開や言葉で笑いを取ろうとしている意識が強く感じられる。
さらに、たっぷりとした間合いを取りながら、恋愛とは何か、結婚とは何かということを語ろうとしている。そんなことは、どうでもいいのに。
あと、オフビートなコメディーにしたかったのかもしれないが、この素材に必要なのはストレートなビートだろう。

中盤では、ジミーがアプローチする過去の女性達のキャラクターを見せたり、アンとナタリーの様子を見せたりしているが、ただ単に、60分だったオリジナルの内容を102分の上映時間に引き伸ばすためだけの処置にしか感じられない。

基本的にナンセンスな話なのに、中途半端に意味を持たせようとしているからギクシャクする。
例えば、「アンがブーケをキャッチしたからプロポーズしなきゃ」とジミーが考えるのは、スラップスティックの範囲では疑問を挟む余地が無いが、他の部分で意味を持たせる作業をしているために、そこで「なんで」と引っ掛かってしまうことになる。
最悪なのは、ドタバタ喜劇になるべき素材なのに、完全に調理方法を間違えたことだ。
『セブン・チャンス』はスラップスティック・コメディーだったが、この映画は狙ったのか結果的にそうなったのかは分からないが、恋愛コメディーになっている。
それが、致命的な失敗だった。
『セブン・チャンス』をリメイクするなら、恋愛要素を強くすべきではなかった。

『セブン・チャンス』の面白さは、ストーリーにあったのではない。
主人公が本当の愛に気付くという展開にあったのでもない。
あの映画で面白かったのは、バスター・キートンのアクションなのだ。
大勢の花嫁達から必死で逃げるキートンの姿、ひたすら走り続ける無表情のキートンの動きが、あの映画の持つ面白さの、ほぼ全てなのだ。

つまり、『セブン・チャンス』をリメイクするというのに、アクションらしいアクションが皆無に等しいというのは、オリジナルの面白さを全く抽出できていないということになる。
ただし、それをやろうとすれば、キートンと同じぐらい激しく動ける役者が必要になる。
クリス・オドネルに、キートンに負けない動きを求めるというのは無理な話だろう。

すなわち、何を映画のセールスポイントにするのかという着眼点も間違っているし、キャスティングも間違っているのだ。
『セブン・チャンス』をリメイクするなら、ドタバタ・アクション喜劇として作り、例えばジャッキー・チェン辺りを主演に持って来るべきだった。
『セブン・チャンス』は、このような形でリメイクすべき作品ではなかったのだ。

たとえ『セブン・チャンス』のリメイクではなく、独立した1本の映画として考えても、やはり面白くない。
何よりテンポが致命的に悪い。
基本的にゆっくりとしたテンポで進むのは、緩急を付けているつもりかもしれないが、いちいち落ち着いてしまう。
この話は、ジェットコースター的にスピーディーに進めた方が良かったと思う。


第22回スティンカーズ最悪映画賞

ノミネート:【最悪のリメイク】部門

 

*ポンコツ映画愛護協会