『バベル』:2006、フランス&アメリカ&メキシコ

モロッコ。アブドゥラという男はジャッカル退治のため、知人のハッサンから一挺の猟銃を購入した。ハッサンは、ある男から、その猟銃 を貰い受けていた。猟銃は高額だったが、アブドゥラは山羊を付けることで半額にしてもらう。彼は息子のアフメッドと弟ユセフに猟銃を 渡し、出掛けて行った。兄弟は山に登り、試し打ちをしてみた。先にアフメッドが走っている車を撃つが、命中しない。続いてユセフは、 観光バスに目掛けて発砲した。観光バスが停止したため、兄弟はその場から逃げ出した。
アメリカ。メキシコ人の乳母アメリアは、リチャードとスーザンのジョーンズ夫妻が旅行している間、夫妻の息子マイクと娘デビーを 預かっていた。しかしリチャードから、スーザンが重傷を負って戻れないと連絡が入った。アメリアは息子ルイスの結婚式に出席する予定 があるため、何とか子供たちの面倒を見てくれる人間を探すが見つからない。仕方なく彼女は、マイクとデビーを連れてメキシコへ向かう ことにした。甥のサンチャゴが車で迎えに来たので、アメリアは子供たちを乗せた。
リチャードとスーザンは赤ん坊を亡くしたことで夫婦関係が悪化し、それを修復するためにモロッコへの観光ツアーに参加していた。だが 、リチャードが話し合いを求めても、スーザンは激しく突っ掛かってばかりだった。2人がバスに乗っている時、ユセフの放った弾丸が スーザンに命中した。日本。会社員のヤスジローは、聾唖である高校生の娘チエコが出場するバレーボールの試合を観戦していた。チエコ は審判に激しく抗議したため、退場になった。彼女はチームメイトから、「アンタのせいで負けた」と非難された。
試合の後、ヤスジローはチエコを車に乗せ、昼食に出掛けようとする。だが、チエコはJ-POPという店で仲間と会う予定を告げ、「死んだ 母さんは分かってくれた」とヤスジローに反発する態度を示した。店に赴いたチエコは、聾唖の仲間と会った。二枚目の男を見たチエコは 、彼のことを意識した。ゲームセンターで遊んでいると、その青年がナンパしてきた。しかしチエコたちが聾唖だと知ると、動揺した態度 を示して立ち去った。
家に戻ったアブドゥラは、妻と子供たちの前で「観光バスのアメリカ人がテロリストに撃たれて死んだらしい。警察が犯人を捜している」 と述べた。アメリアは故郷に到着し、ルイスと再会した。サンチャゴはマイクとデビーに、同年代の少年ルシオと一緒に遊ぶよう促した。 サンチャゴは子供たちを集め、鶏を捕まえるゲームをさせた。リチャードはスーザンが撃たれた後、通り掛かった車を停めて助けを求めた 。しかし言葉が通じず、運転手は走り去ってしまった。
リチャードはガイドのアンウォーに、病院への搬送を求めた。しかし近くに病院が無いため、アンウォーは自分の村へ連れて行くことを 提案した。リチャードは義妹のレイチェルに電話を掛けて事情を説明し、大使館への連絡を頼んだ。スーザンを診察した医者は、「この ままでは大量出血で死ぬ」と言い、傷口を縫うことにした。リチャードは嫌がるスーザンを押さえ、医者に縫合してもらった。
チエコがマンションに戻ると、警視庁の刑事マミヤとハマノが来ていた。彼らはチエコに、ヤスジローの居場所を尋ねた。チエコが首を 横に振ると、マミヤは名刺を渡して「お父さんに連絡が欲しいことを伝えて」と告げた。スーザンが撃たれた事件を調べていた警部は、山 の上で4発の薬莢を発見した。警察はハッサンと彼の妻を拘束し、アブドゥラにライフルを撃ったという証言を得た。
道を歩いていたアフメッドとユセフは、車にのった警部からアブドゥラの家の尋ねられた。ユセフは「山の向こう」と嘘をついた。兄弟は 急いで家に戻り、アブドゥラに事情を説明した。ルイスと新婦パトリシアの結婚式は、大いに盛り上がった。観光ツアーの乗客たちは、村 での駐留を余儀なくされていた。しかし暑さで参る老人や戻って薬を飲まなければならない人間もいるため、代表者はリチャードに「もう 出発する」と告げる。リチャードは「救急車が到着するまで待ってくれ」と頼み、30分の猶予を貰った。
遊びに出掛けたチエコは仲間たちと合流し、そこで手話の出来る健常者の若者ハルキとタケシを紹介された。チエコたちは一緒に遊び、夜 はクラブへ繰り出した。チエコはハルキとタケシが仲間とキスしているのを目撃し、寂しく一人で店を去った。マンションに戻った彼女は ドアマンに頼み、マミヤを呼び出してもらった。ハッサンは警察に、日本人のハンターからライフルを貰ったことを告げた。彼が見せた 写真に写っていたライフルの所有者はヤスジローだった。
警部たちはハッサンの妻に案内させ、アブドゥラの家へ向かう。アブドゥラ、アフメッド、ユセフは、山を歩いて逃げる途中だった。それ を見つけた警部たちが発砲したため、岩陰に隠れた。アフメッドは岩陰から飛び出して移動しようとするが、弾丸を脚部に受けて負傷した 。それを見たユセフは猟銃に弾丸を装填し、警察に反撃した。アブドゥラが止めてもユセフは発砲し、警官を撃った。
夜遅くになり、アメリアはマイクとデビーを連れてアメリカへ戻ることにした。酔っ払ったサンチャゴに運転してもらい、一行は国境へ 向かう。検問の警官からマイクたちの委任状を提示するよう求められ、アメリアは困り果てた。警官はサンチャゴが飲酒していることに 気付き、第二検問所への移動を指示した。過去にも飲酒運転で捕まっているサンチャゴは、車を暴走させて検問を突破した。彼は道を 外れ、荒地で3人を降ろして逃走した。
観光ツアーの客たちは我慢できなくなり、リチャードに「もう出発する」と告げる。リチャードは激昂し、代表者に掴み掛かった。しかし リチャードが電話を掛けている間に、バスは出発してしまった。マミヤをマンションに呼んだチエコは、母親がベランダから飛び降りて 自殺したことを紙に書いた。マミヤは彼女に、ある事件でヤスジローの猟銃が使用されたことを説明する。ヤスジローが立ち去ろうとする と、チエコは彼を呼び止めて全裸になった…。

監督&製作はアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ、原案はギジェルモ・アリアガ&アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ、脚本 はギジェルモ・アリアガ、製作はジョン・キリク&スティーヴ・ゴリン、共同製作はアン・ルアーク、撮影はロドリゴ・プリエト、編集は スティーヴン・ミリオン&ダグラス・クライズ、美術はブリジット・ブロック、衣装はマイケル・ウィルキンソン&ガブリエラ・ディアケ &小林身和子、音楽はグスターボ・サンタオラヤ。
出演はブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット、ガエル・ガルシア・ベルナル、役所広司、アドリアナ・バラーザ、菊地凛子、 サイード・タルカーニ、ブブケ・アイト・エル・カイド、エル・ファニング、ネイサン・ギャンブル、モハメッド・アクザム、ピーター・ ワイト、アブデルカデール・バラ、ムスタファ・ラシディー、ドリス・ルーケ、クリフトン・コリンズJr.、ロバート・エスキヴェル、 マイケル・ペーニャ、村田裕子、二階堂智ら。


カンヌ国際映画祭の監督賞、ゴールデン・グローブの作品賞(ドラマ部門)を受賞した作品。
『アモーレス・ペロス』『21グラム』の監督と脚本コンビによる映画。
リチャードをブラッド・ピット、スーザンをケイト・ブランシェット、サンチャゴをガエル・ガルシア・ベルナル 、アメリアをアドリアナ・バラーザ、デビーをエル・ファニング、マイクをネイサン・ギャンブル、ヤスジローを役所広司、チエコを 菊地凛子、マミヤを二階堂智、ユセフをブブケ・アイト・エル・カイドが演じている。

アフメッドとユセフ兄弟の話、ジョーンズ夫妻の話、アメリアと子供たちの話、チエコの話という4つの物語が交差しながら描かれていく 。
その構成は時系列に沿っておらず、例えばユセフが観光バスを撃った後、アメリアがリチャードから連絡を受けるシーンが先に来て、 その後でスーザンの撃たれるシーンが配置される。
ただ、時間軸をズラしている構成に、あまり意味を感じない。
むしろ順番通りに並べた方がいいように思える。
時系列をズラすことによって得られる効果は「物語の複雑化」だが、それがプラスだとは思えない。

この映画には、愚かしい人々がたくさん出て来る。
アフメッドとユセフ兄弟は、人が乗っている車やバスを平気で撃つという愚かしい行動を取る。
リチャードとスーザンは夫婦関係修復のため、子供たちを残して、なぜかモロッコ旅行に出掛ける。
夫婦関係を修復するためにモロッコへ行くというのは、『シェルタリング・スカイ』の影響でも受けたんだろうか。
そんなことよりカウンセリングでも受けた方が賢明な気がするが。

警部たちがアブドゥラ親子を撃つのはメチャクチャだ。
まず威嚇射撃ではなく、明らかに親子を狙って撃っている。
おとなしく出て来るよう促すのではなく、岩陰から出て来たら発砲するのだから、それは殺そうとしているってことにしか見えない。
とは言え、ユセフが猟銃で反撃するのは、殺してくれと言っているようなものだ。
まあ、ユセフも警察も、どっちも愚かしいということだ。

サンチャゴがベロベロに酔っ払っているのに、アメリアが彼に運転させて戻ろうとするのは愚かしい行為だ。
飲酒に気付いた検問の警官が、第二検問所まで車で移動するよう促すのも愚かしい。
普通、その場で降りるように命じるだろ。
あと、アメリアが検問で委任状の提示を求められて誘拐の疑惑を掛けられた時に、子供たちに証言してもらえば済んだんじゃないかと 思うんだが。

それまで無名だった菊池凛子が本作品でアカデミー賞の助演女優賞にノミネートされ、時の人となった。
しかしハッキリ言って、彼女の演じたチエコというキャラが魅力的だとは思えない。
彼女が全裸になったことが「体当たり演技」として日本では話題となったのだが、チエコが全裸になる必要性が全く分からない。
「言葉が話せず、コミュニケーションが上手く取れないから、裸になって体で意思疎通を図ろう」という意図で脱がせたんだろうか。
しかし「言葉じゃ通じないから裸になろう」ってのが、ただのバカにしか見えない。

っていうか、まるで女子高生には見えないチエコ(菊池凛子は当時、26歳)に限らず、日本編は色々と引っ掛かる点が多い。
ヤスジローはハンティング目的で何度も旅行に出掛けていたらしいのだが、それで目的地がモロッコって変じゃないか。
あと、猟銃を持って飛行機に乗ることは不可能なんだが、向こうで購入したってことだろうか。
で、その猟銃を案内人のハッサンにあげて「それが何か?」と言うが、いやいや問題があるだろ。
大体、そんなに何度もモロッコへハンティングに出掛け、自宅に別の銃も所持していた(その銃で妻が自害したんだよな)ヤスジローって 、何の仕事をしているんだろうか。カタギの仕事じゃないだろ。

チエコの母親はベランダから飛び降りて自殺したのではなく、実際には銃で自害している設定だ。
しかし、日本の都会に住んでいる主婦が銃で自殺する可能性と言うのは、ほとんど無いだろう。
そりゃあ可能性がゼロなのかと言われれば、そうとは言えないかもしれない。
しかし少なくとも、そこにリアリティーを感じられないことは確かだ。
自宅に銃のある家庭って、日本だと異質でしょ。

マミヤとハマノはチエコにヤスジローの居場所を尋ね、知らないという返答を受けると、連絡を欲しがっていることを伝えるよう告げる。
だけど、その行動はおかしい。
ヤスジローは行方をくらましているわけじゃないので、会社に行けば会えるはずだ。
マンションに来て、彼の娘に居場所を尋ねるのは不自然だ。
最後、ヤスジローが帰宅するとチエコはベランダで全裸になっているが、裸になっている必要性が全く感じられないし、それを見た ヤスジローが抱き締めるのも違和感たっぷりだ。

っていうか、そもそも日本のエピソードって要らなくないか。
他の話は、「猟銃が引き金で悲劇が連鎖する」という繋がりがある。ユセフが猟銃を撃って、スーザンが重症を負う。彼女が入院したため にアメリアは子供たちを連れてメキシコへ行き、警察に捕まって不法就労がバレて強制送還になる。ユセフは警察に発砲され、アフメッド が死ぬ。
だけど、チエコの悲しみは猟銃がきっかけじゃないし。
まさか母親が猟銃で自害したんじゃないよね。
自殺に使用された銃なんて、モロッコに持って行けるはずが無いんだから。

タイトルが『バベル』なので、「異なる言語による意思疎通の断絶」というテーマで4つの物語を繋ぎ合わせているのかとも思ったが、 どうやら、そういうことでもなさそうだ。
リチャードとスーザンの夫婦は、同じ言語で話しているのに関係が悪化している。リチャードと観光客はバスの出発を巡って激しく対立し 、最終的にバスは去ってしまうが、やはり異なる言語を喋っているわけではない。
ジョーンズ夫妻のエピソードに関しては、「現地の人と言葉が通じない」という言葉の壁が存在する。チエコの物語については、聾唖の ために言いたいことが伝わらないという言葉の壁が存在する。
しかし、アフメッドとユセフの物語については、言葉の通じない相手は登場していない。
アメリアの物語に関しても、彼女はスペイン語も英語も話せるし理解できるので、言葉の壁は存在していない。

もう少し枠を広げて、「コミュニケーションの断絶」というところで考えてみる。
リチャードとスーザンは夫婦関係が悪化しており、狙撃事件があるまではマトモな話し合いも出来ない状態にある。チエコとヤスジローの 親子関係も、ギクシャクしたものになっている。
ただ、モロッコ編とメキシコ編に関しては、ちょっと別物になっているように思える。その2つの話に関しては、いずれも警察との間に 大きなトラブルが発生しているが、それは前者2つの「コミュニケーションの断絶」とは別問題だろう。
そこにあるのは偏見や差別意識であって、ちゃんとコミュニケーションが取れたところで解消されるような問題ではない。

人間関係の断絶を描こうとしているのだとすれば、ある意味で、それは成功していると言えなくも無い。
まず、その4つの話が上手く結び付いていないという意味で、「断絶」がある。
そして、もう1つ、監督の言わんとすることが観客まで伝わって来ないという意味での「断絶」もある。
この映画において、最もコミュニケーションが崩壊しているのは、監督と観客の関係なのかもしれない。

(観賞日:2011年5月31日)


第29回スティンカーズ最悪映画賞

受賞:【最も過大評価の映画】部門

 

*ポンコツ映画愛護協会