『ファイティング×ガール』:2004、アメリカ&ドイツ

1972年。ジャッキー・カレンは父のピートが経営するボクシングジムに入り浸っていた。ピートの弟でボクサーのレイがスパーリングをしている様子を見学し、ジャッキーはトレーナーのように世話をしようとする。だが、ピートは「引っ込んでろ。リングに上がるな」とジャッキーを邪魔者扱いした。寂しそうにしているジャッキーを見て、レイは「お前は俺のお気に入りだ。真珠だ」と励ました。
クリーブランド、現在。ジャッキーはボクシング会場であるクリーブランド・コロシアムで、広告宣伝を担当するアーヴィン・エイベル部長の部下として働いている。試合の宣伝用パネルが完成したので、ジャッキーは大物プロモーターのサム・ラロッカに見せる。しかし承諾していたはずのラロッカは、「作り直せ」と偉そうな態度で命じた。ジャッキーはエイベルにラロッカに対する不満を、同僚で親友のレネイに漏らす。するとレニーは、「自分の位置を考えたら?出口は上にしか無いのよ」と告げた。
その夜、ラロッカの抱えているデヴォン・グリーンが、ペドロ・ヘルナンデスとの試合で惨敗した。試合後、クラブに赴いたジャッキーは、キャスターのギャヴィン・リースと出会って会話を交わす。ジャッキーがラロッカに呼ばれてテーブルへ行くと、彼はペドロを祝福していた。ラロッカは「グリーンはお払い箱だ。奴は怠けていたから負けた」と語るが、ジャッキーは「敗因は他にあります。セコンドとの信頼関係が上手く行っていなかった」と指摘した。
「お前にボクシングの何が分かる」と見下す態度を示したラロッカに、彼女は「ボクシングの知識なら同じ程度にあります」と冷静な口調で告げた。ラロッカが「選手がいれば私と同じことが出来るのか」と尋ねると、ジャッキーは「ええ」と答える。するとラロッカは、グリーンを1ドルで売り払うと持ち掛ける。ジャッキーが「お金を持っていません」と告げて帰ろうとすると、それを見ていたリースが「俺が払おう」と1ドルを出した。
次の日、出社したジャッキーはエイベルに「本気じゃありません。侮辱されて、ついキレてしまって」と弁明する。しかし「サムに謝れ。女だから大目に見てくれる」と言われると、「正論を言っただけです」と反発した。その夜、リースは自分の番組で、バーでのやり取りを取り上げた。次の日、ジャッキーはレネイに同行してもらい、デヴォンのアパートを訪れた。部屋に入ったジャッキーは、彼がドラッグを常用していると知った。
すぐに立ち去ろうとしたジャッキーは、麻薬ディーラーのルーサー・ショーがデヴォンや彼の仲間と争いになる現場を目撃した。急いで逃げ出したジャッキーだが、ルーサーのボクシング能力の高さは気になった。アパートに戻った彼女は、ルーサーが警官に捕まって連行される姿を目にした。ルーサーにボクシング経験があると睨んだジャッキーは保釈金を支払い、プロとして自分と契約しないかと提案する。ルーサーは「電話するかもな。気長に待ちな」と告げ、その場を後にした。
ジャッキーは脳卒中で引退した名トレーナーのフェリックス・レイノルズを訪ね、復帰するよう持ち掛けた。乗り気ではないフェリックスだが、ジャッキーがルーサーの優れた才能を説明すると、彼と会ってみることにした。ルーサーのスパーリングを見たフェリックスは、「肉体よりも精神面の鍛錬が必要だ」と告げた。ジャッキーはルーサーとフェリックスに、「3年間に渡って週に250ドルを支払い、後に賞金で補填する。利益が出始めたら私の取り分は3分の1」という契約を説明した。
ジャッキーは質店で所持品を売り払い、当面の費用を捻出した。フェリックスはルーサーに名カットマンのケヴィン・キーズを紹介し、ジャッキーは練習相手としてセドリック・ムケテンディーという選手を用意した。休憩に入ったセドリックにルーサーがいきなりパンチを浴びせたので、フェリックスは激しく叱責した。ジャッキーはルーサーを自宅に招き、レイがタイトル戦の1年後に死んだことを話す。「父親にボクシングを習ったの?」とジャッキーが訊くと、ルーサーは「施設だ。父親は死んだ。母親はどこにいるか分からない」と言う。福祉員がフィラデルフィアに移した兄が1人いて、たまに会っているという。
ジャッキーはルーサーに、感情をコントロールするよう説いた。フェリックスは逆スタンスでもジャブが出せるようにするため、ルーサーの腰にロープを巻いてトレーニング・バッグを打たせた。ルーサーがジムでは敵無しの状態だと知ったラロッカは、試合が出来ないようにするため、地元のボクシング関係者に圧力を掛けた。そのため、ジャッキーが試合を組もうと電話を掛けても、全て断られた。
ジャッキーは幼い頃に父のジムで働いていたクリスコと連絡を取ろうとするが、電話を掛けても無視された。そこで彼女はバッファローまで赴き、ストリップクラブでクリスコを見つける。ジャッキーはルーサーの試合を組むよう要求し、断るクリスコに「ストリップのことを奥さんに言うわよ。叩けば誇りの出る体でしょ」と脅しを掛けて承諾させた。ジャッキーは仮病で休暇を取ろうとするが、エイベルの耳には情報が入っていた。「バカな副業を辞めないとクビだぞ」と脅されたジャッキーは、会社を辞めることにした。
ルーサーは前座試合で楽々とKO勝利し、すぐにクリスコは次の試合を持ち掛けようとする。ジャッキーは割って入り、「マネージャーは私よ。話なら私を通して」と毅然とした態度で要求した。彼女はギャヴィンと会い、ルーサーを番組で取り上げるよう求めた。ギャヴィンが「君とラロッカの対立は有名だ。あまり深入りするな」と言うと、ジャッキーは「男の世界だから?」と問い掛ける。「それが現実だ」とギャヴィンは告げたが、あと1勝したら番組で取り上げてほしいというジャッキーの頼みを承諾した。
ルーサーはマティアスという選手との対戦が決まり、計量と記者会見が行われた。ジャッキーは薬を混入したジュースを飲ませようとする相手陣営の策略を見抜いており、その罠を回避する。逆に彼女は、そのジュースをマティアスに飲ませることに成功した。マティアスは体調を崩し、ルーサーは完勝した。その後もルーサーは連勝し、次期王者と目されるほどの存在になった。ジャッキーは自前のジムを開設し、ルーサーに高級アパートを与えた。
ジャッキーはギャヴィンの番組でインタビューしてもらい、ルーサーの挑戦を受けるようペドロを挑発する。ペドロは腹を立ててルーサーとの試合を求めるが、ラロッカは却下した。ルーサーがレネイと付き合い始めたので、ジャッキーは困惑した。彼女はクラブでラロッカと会い、ペドロとの対戦を要求する。ラロッカは「次に勝てばペドロの前座だ。いずれタイトルマッチも用意する」と告げた。ジャッキーがトイレに行っている間に、ラロッカは同席していたルーサーに「世間の注目はお前より彼女だ。彼女ばかりが有名になる」と言う。しかしルーサーは余裕の態度で、「別にいいさ。俺は大丈夫だ」と述べた。
乱打戦の末にルーサーがKO勝利を収めた後、記者会見が開かれるが、記者の質問はジャッキーに集中した。ジャッキーはまんざらでもない様子で、饒舌にコメントする。それどころか、ルーサーが受けた質問にもジャッキーが割って入った。自分を馬鹿にするようなことをジャッキーが喋ったので、ルーサーは苛立ちを示した。レネイから抗議されたジャッキーは、冷笑して相手にしなかった。レネイは強い不快感を示し、その場を去った。
ルーサーが大事な試合を直前に控える中、ジャッキーがトークショーやサイン会などで忙しく動き回る。自分を取材する記者を引き連れて久々にジムを訪れた彼女に、ルーサーは怒りをぶつける。「宣伝活動のためよ」と釈明するジャッキーに、ルーサーは「次のサンズ戦は重要なんだ。落ち着かない。ずっと見ていてくれ」と不安を吐露する。ジャッキーは「試合までずっと付いてるわ」と約束した。
ジャッキーはHBOのダグ・ドハーティーから電話を受け、ルーサーとサンズの試合を特集したいと持ち掛けられる。「地元で最初の試合は、地元のテレビ局で独占してもらう約束なの」とジャッキーは告げるが、「こっちはHBOだ。ローカル局とは比較にならない。試合も中継する。クイーンになりたくないのか?王国への鍵は、ここにある。手を伸ばせば届くんだ。世間に伝えたくないかい、自分自身を。メインでHBOに出られるんだ」と持ち掛けられ、その話に乗った…。

監督はチャールズ・S・ダットン、脚本はシェリル・エドワーズ、製作はロバート・W・コート&デヴィッド・マッデン、共同製作はマイク・ドレイク、製作協力はジャッキー・カレン、製作総指揮はスティーヴン・ロファー&ジョナサン・ピロット&スカーレット・レイシー、撮影はジャック・グリーン、編集はエリック・L・ビーソン、美術はサンドラ・キバルタス、衣装はルース・カーター、音楽はマイケル・ケイメン。
主演はメグ・ライアン、共演はオマー・エップス、トニー・シャルーブ、チャールズ・S・ダットン、ティム・デイリー、ケリー・ワシントン、ジョー・コーテス、ホルト・マッキャラニー、トリー・キトルズ、フアン・エルナンデス、スカイ・マッコール・バートシアク、ショーン・ベル、ディーン・マクダーモット、ジーン・マック、ボー・スター、ジャレッド・デュランド、ディエゴ・フエンテス、アンジェロ・トゥッチ、レグ・ドレジャー、アルトゥーロ・フレソローネ、ジェームズ・ジャーディン、ビッグ・ダディー・ウェイン他。


ボクシングの女性プロモーターとして大成功を収めたジャッキー・カレンの半生を描いた作品。
『セイブ・ザ・ラストダンス』のシェリル・エドワーズが脚本を執筆し、俳優のチャールズ・S・ダットンが映画初監督を務めている。
ジャッキーをメグ・ライアン、ルーサーをオマー・エップス、サムをトニー・シャルーブ、フェリックスをチャールズ・S・ダットン、ギャヴィンをティム・デイリー、レニーをケリー・ワシントン、エイベルをジョー・コーテス、ダグをホルト・マッキャラニー、デヴォンをトリー・キトルズ、ペドロをフアン・エルナンデス、少女時代のジャッキーをスカイ・マッコール・バートシアクが演じている。

描写の甘さや粗さが色々と気になる。
例えば、「デヴォン・グリーンというランキング上位のボクサーを1ドルで買った」ということはテレビでも取り上げられるほど話題性のある出来事だったはず。
それなのに、デヴォンがヤク中と分かるとジャッキーは彼への興味を失い、それ以降はデヴォンが全く出て来ないってのは、構成としてどうなのかと思う。
ジャッキーとラロッカとの因縁にもデヴォンは関わっているのに、ルーサーと遭遇させるための道具として使い捨てにするってのは、どうにもスッキリしない。

ルーサーはジャッキーから契約しないかと持ち掛けられて「電話するかもな。気長に待ちな」と告げるが、この時点では明らかに承諾する気など無かったはずだ。
しかし帰宅した彼は、鏡を見ながらシャドーボクシングを始める。つまり、戻って来た途端、もう前向きな気持ちが生じているわけだ。
そこにどんな心境の変化があったのか、何がきっかけだったのか、サッパリ分からない。
そこは「明るい未来の見えない現状を強く実感し、そこから抜け出すために賭けてみようと決意する」とか、「かつて本気だったボクシングへの情熱を思い出し、また頑張ってみようと思う」とか、そういう彼の心情を示すための分かりやすいきっかけが欲しいところだ。

フェリックスは長年に渡って続けていたトレーナーの仕事を辞めて全く関係の無い仕事に就いているんだから、足を洗う際には、それなりの決心があったはずだ。しかし、ジャッキーから復帰を求められると、簡単に承諾している。
ジャッキーがプロモーター業を始めようとする時にしろ、ルーサーが彼女と契約しようとする時にしろ、フェリックスが復帰する時にしろ、あっさり風味が半端ない。そこには迷いや揺らぎも、強い覚悟や決意も、まるで存在しない。
そして、それは物語の淡白な印象に繋がっている。
ルーサーはすぐにジムで敵無し状態になり、その後もトントン拍子で勝ち続けるので、そこも淡白だ。

しかし、それらは本作品の抱える最大の問題点に比べれば、大したことは無い。
本作品の大きな問題は、ヒロインがちっとも魅力的に見えないってことだ。
実際のジャッキー・カレンは色々と問題の多い人物で、多くのチャンピオンを育てた一方で、徹底的に嫌われて喧嘩別れしたり訴訟を起こされたりしている。
しかし、さすがに「性格的に問題があったせいで育てたチャンピオンに逃げられ、プロモーターとしての成功はすっかり過去の物となってしまった」という否定的な描き方をするわけにもいかないので、「調子に乗って味方だった連中にも嫌われたけど、反省して云々」という展開を用意している。

あくまでも「実在の人物を基にしたフィクション」だし、個人的にはジャッキー・カレンという人物に詳しいわけでもなければ思い入れがあるわけでもないので、「実際の彼女と全く違う」という方向で本作品に否定的な見解を示すようなことは無い。
リアルなジャッキー・カレンと似ても似つかぬ別人に仕上がっていたとしても、映画のヒロインとして魅力的になっていれば、そこはOK。
実際の人物に出来る限り似せた結果として不愉快なキャラになってしまったら意味が無いし(そもそも、そんな人物だとしたら、映画化している時点で間違いだとは思うけど)。
で、前述したように、劇中のジャッキー・カレンは、ちっとも魅力的ではないのだ。

根本的な問題として、「当時のボクシング業界における女性のポジション」に関する描写が不足している。
序盤にジャッキーが女だからというだけでバカにされる様子が描写されているが、エイベルやラロッカが不愉快な人物として強く描写されているため、あくまでも彼ら個人の問題に見えてしまう。
そうじゃなくて、「ボクシング業界は男社会であり、どれだけ知識や能力があっても女は門外漢扱いされる」ということを序盤でキッチリと伝えておく必要があったんじゃないかと思うのよね。
そこが上手く表現できていない。

冒頭シーンで引っ掛かるのは、ピートにリングを追い出されたジャッキーが、一人で縄跳びを始めるという描写。
そういう描写にしてあると、「ジャッキーがボクサーに憧れを抱いている」という風に受け取れる。
だから「成長したジャッキーがボクサーになろうとする」という展開にした方がスムーズじゃないかと思ってしまうんだよね。
でも実際はボクサーじゃなくてプロモーターになるわけで、「いつの間に、夢や目標がボクサーからプロモーターへ移り変わったんだろう」と思ってしまうのだ。

もちろん、そもそもジャッキーは幼い頃から、ボクサーになることを夢見ていたわけではなく、「ボクシングの世界」に憧れを抱いていただけだ。
だからプロモーターになるってのは、自然な流れだと解釈すべきなのかもしれない。
しかし、そうだとしても、まだ気持ちの引っ掛かりが完全に解消されるわけではない。
成長したジャッキーはボクシング関係の仕事に携わっているので、幼い頃からの情熱は変わらずに持ち続けているんだろうとは思うけど、それがイマイチ伝わって来ない。

ジャッキーはラロッカから「バービー人形の講釈か。重役秘書は上司のケツ拭き係だ」とバカにされると、「ボクシングの知識なら貴方と同じ程度に持っている」と反発する。
「空っぽな頭に免じて失言は許してやろう」と言われると、「1ドルで選手を買えたんだから、お買い得かも」と言葉を返す。
エイベルから「謝罪しろ。サムも女なら大目に見る」と告げると、「私は正論を言っただけです」と反論する。
「女だからってバカにされると、途端に強い反発心が生じる」という描写が、幾つも盛り込まれている。
それが本作品の根幹を成す要素だと言っていい。

ようするに、これは「男性社会で差別的に扱われたり相手にされなかったりする女が、男どもに対する反骨心を剥き出しにして成り上がって行く」という、ウーマン・リヴ映画なのである。
それを描くことが目的であり、ボクシングというのは、そのために用意された舞台設定に過ぎない。
別にボクシングの世界じゃなくても、男ばかりに独占されている社会であれば、何だって構わないのである。

ジャッキーはリースの番組で自分が取り上げられていることを知ると、すぐにレネイに電話を掛けて「テレビを付けて。私が出てる」と告げる。
だが、そんなつもりも無いのに、グリーンの権利を買い取ったことを勝手に取り上げられて困っているのかと思ったら、その表情は嬉しそうだ。
で、そこで嬉しそうにしているってことは、「メディアに取り上げられた」ということに対する喜びだという解釈しか出来ない。
そうなると、もはやボクシングとかプロモーターとか、そんなのはどうでも良くて、ただの目立ちたがり屋なだけじゃないのかと思ってしまう。

ジャッキーはデヴォンをマネージメントしようと考えてアパートを訪れ、そこで目を付けたルーサーに契約を持ち掛ける。
でも、なぜ彼女が保釈金まで支払ってボクサーを育てようとするのか、そのモチベーションが良く分からない。
なぜなら、そこまでの成長したジャッキーを見ていても、「ボクシングに対する情熱」ってのは皆無だからだ。
そのため、ルーサーにプロモートを持ち掛けるのは、「ラロッカに対する強い反発心」がモチベーションになっているとしか受け取れない。
それって、ボクシングに対する愛や情熱じゃないでしょ。ただ単に「女だからって舐めるなよ。今に見てろよ」という、男に対する怒りや反逆精神だけでしょ。

「最初は偉そうな男どもや差別的な男社会に対する怒りや反逆精神でボクサーをプロモートしていたが、次第に本気でボクシングへの情熱が湧き上がってくる」とか、そういう展開になっていくのなら、まだ分からんでもないよ。
でも、そうじゃなくて、最後まで「ジャッキーのモチベーションに、ボクシングへの情熱は見当たらないなあ」という印象は変わらない。
っていうか、そもそも前述した「最初は違ったけど、次第にボクシングへの情熱が芽生えて来る」という展開になったとしても、「じゃあ幼少時代の描写は何だったのか」ってことになるし。
そこは「男社会への怒りからボクサーをプロモートしていたが、やっている内に幼少時代に持っていたボクシングへの情熱を思い出す」ということにすれば成立させることは出来るけど、ちょっと物語の構築が難しくなるだろうし(そもそも、そんなことを考える必要も無いけどね。どうせジャッキーは最後までボクシングへの情熱を見せないんだから)。

物語の展開を見ていると、最初に思った「ただ目立ちたがり屋なだけじゃないのか」という考えが、勝手な邪推じゃなくて真実だとしか思えない。
ジャッキーは記者会見で自分ばかりが質問されても、嬉しそうにベラベラと喋っており、ルーサーへの配慮は皆無だ。
それどころか、ルーサーに対する質問まで横取りした上、彼をバカにしたようなコメントを発する。
サイン会や雑誌取材も積極的に受けて、ジムの経営やルーサーのことは放置している。
ダグから「クイーンになりたくないか」と持ち掛けられるとホイホイと乗っかり、自分が主役としてノリノリで取材を受ける。

ようするにジャッキーは、自分のことしか考えていないのだ。
もはや、そこには「男社会への反逆精神」とか、そういうモノも存在しない。ただ自分が目立ちたくて、ボクシングやボクサーを利用しているだけの自己中心的な女にしか見えない。
まだ「男社会への怒りと反逆」というモノが介在していれば少しは情状酌量の予知があったかもしれないが、ただの目立ちたがり屋では、どうしようもない。
それでも「最初は本気でボクサー育成に打ち込んでいたが、知名度が上がるにつれて自分を見失い、調子に乗ってしまう」ということなら、まだ何とかなったかもしれない。
しかし前述のように、この女は最初から目立ちたい願望が見えていたので、「その願望を実現するためにプロモーターになった」としか思えないのだ。
劇中で「ボクシングの世界は自分本位な男の世界」という表現があるが、ジャッキーの方が遥かに自分本位だ。

HBOで放送された自分の特集番組を見て「自分がどれだけ傲慢な女に見えているか」ってのを認識したジャッキーは、ギャヴィンに詫びを入れたり、ルーサーの権利をラロッカに譲渡したり、プロモーターから足を洗おうとしたりする。
だけど、もはや今までの負債を返済するには遅すぎる。
そこで反省しても、リカバリーには全く足りない。
その後、卑劣なタイトルマッチに駆け付けてルーサーのセコンドに付くけど、それもボクシングへの情熱から来る行動じゃなくて、責任を取っただけにしか見えないし。

(観賞日:2014年4月7日)


第27回スティンカーズ最悪映画賞(2004年)

ノミネート:【最悪の主演女優】部門[メグ・ライアン]
ノミネート:【最悪の言葉づかい(女性)】部門[メグ・ライアン]

 

*ポンコツ映画愛護協会