『5デイズ』:2011、アメリカ

2007年、イラクのバグダッド。アメリカ人フリージャーナリストのトマス・アンダースは、記者仲間で恋人でもあるミリアム、カメラマンのセバスチャンたちと共に、戦場取材へ向かっていた。車で現場へ向かう途中、一行は勃発した市街戦に巻き込まれ、ミリアムが死亡した。1年後、ロサンゼルス。アンダースはグルジア情勢に強い関心を抱いた。現地入りしている記者仲間のダッチマンと通信した彼は、戦争まで秒読み状態であること、南オセチアとの境界線では平和維持軍も攻撃されていることを聞かされる。南オセチアはロシア軍を後ろ盾に、グルジアからの独立を求めているのだとダッチマンは語った。
8月6日、アンダースはグルジア共和国の首都トビリシに赴き、セバスチャンと合流した。一方、アメリカ人報道アドバイザーのクリスと話していたサアカシュヴィリ大統領は、閣僚から南オセチアの分離派がロシア軍駐屯地から攻撃を仕掛けているという報告を受ける。サアカシュヴィリ大統領は閣僚に対し、国外退去した大臣を全て呼び戻すこと、敵の挑発には乗らないことを指示した。アンダースはダッチマン、スティルトン、ゾーイといった記者仲間と再会し、レストランで一緒に酒を飲んだ。アンダースがバグダッドで知り合ったレザ・アヴァリアニ大尉と会うために分離派の本拠地へ行くつもりだと知り、ダッチマンたちは驚いた。
翌朝、アンダースとセバスチャンは目的地の村へ向かう途中、砲撃の音を耳にした。夜、サアカシュヴィリはロシア軍の攻撃が開始されたという報告を受けた。閣僚は反撃を求めるが、サアカシュヴィリは停戦維持を命じる。ロシア軍の戦車が侵攻した証拠映像があると聞き、彼はテレビ演説を決める。アンダースとセバスチャンが結婚式を見物していると、テレビにサアカシュヴィリの演説が写し出された。彼らの元に案内人のジョルジが来て、「道路封鎖が始まった緩衝地帯を抜けるには今夜しか無い」と告げる。
その直後、村が激しい空爆を受け、アンダースは結婚式に出席していたタティアを助けた。彼女は花嫁であるソフィーの姉だった。大勢の犠牲者が出る様子を、セバスチャンはカメラに収めた。アンダースたちは怪我人を車に乗せ、病院に運んだ。翌朝、アンダースは病院前からレポートを行い、ロシア側は「グルジアが先に攻撃した」、グルジアは「ロシア軍の戦車が領土内に侵入した」と主張していることを語る。しかしニューヨークの独立ニュースセンターに連絡を入れると、職員のカリンは「今日はどこの番組も買わない。ちょうど北京オリンピックが始まったところだから」と告げた。
さらにアンダースは、世界的にはプーチンの声明しか報じられていないことを知った。タティアは家族が近くの村に隠れていると知り、戻ることを決めた。セバスチャンがレザと連絡を取り、村の近くまで戦車部隊と合流させてもらえることになった。サアカシュヴィリはテレビで演説し、国家総動員体制を宣言した。クリスはサアカシュヴィリに、メドベージェフ大統領が「これはテロである」と記者会見で発表したために欧米諸国の軍事介入は難しいことを告げる。
翌日、アンダースはレザと再会し、ロシア軍だけでなく傭兵や志願兵も村を襲っていることを聞かされる。アンダースたちは途中で戦車部隊と別れ、タティアの家族を捜索する。情報を得た3人が宿屋へ行くと、ソフィーや父親たちが匿われていた。再会を喜んだ直後、一行は空爆を目撃してシェルターに避難する。翌朝、ロシア軍の部隊が来るのを見たアンダースは、セバスチャンやタティアたちを連れて村から避難した。
一行が物陰に身を隠して様子を見ていると、隊長のダニールは老婦人を撃って脅し、警察署長と市長を突き出させる。兵士たちは署長と市長を惨殺し、油を撒いて火を付けた。ダニールは部下たちに、村人全員の殺害を指示した。アンダースとセバスチャンは、タティアと家族をビニールハウスに隠れさせる。捜索にした少年兵はタティアの家族を発見するが、見逃してやろうとする。しかし赤ん坊が泣き出したため、他の兵士たちに気付かれてしまった。
「出て来ないと全員射殺する」と脅されたため、アンダースたちは出て行った。一行は身柄を拘束され、指揮官であるデミドフ大佐の元へ連行された。セバスチャンがメモリーカードを隠したため、オセチア軍の虐殺行為を捉えた映像は発見されなかった。デミドフはダニールに、タティアの父親を尋問するよう命じた。他の面々は牢に収監され、タティアの父親と入れ替わりでアンダースとセバスチャンが呼び出しを受けた。ダニールがセバスチャンを別の部屋へ連れて行き、アンダースとデミドフの元へ案内された。
タティアは拷問されていない父親を追及し、敵に密告したことを悟った。ダニールはセバスチャンの両手を縛って椅子に拘束し、拷問の道具を見せる。デミドフはアンダースに、メモリーカードの隠し場所を明かせば全員を解放すると持ち掛ける。そこへレゾの部隊が突入し、アンダースたちを救い出した。激しい銃撃戦が勃発する中、レゾは一行をトラックに乗せて脱出を図る。しアンダースはメモリーカードを取りに行くため、車から飛び降りた。埋めておいたカードを掘り起こした彼は、荷台に飛び乗った。別行動を取っていた父親を見つけたソフィーは体を起こし、ダニールの狙撃を受けて命を落とした…。

監督はレニー・ハーリン、原案はデヴィッド・バトル、脚本はミッコ・アラン、製作はミルザ・パプナ・ダヴィタイア&コバ・ナコピア&レニー・ハーリン&ジョージ・ラスク、共同製作はニコロス・アヴァリアニ&クリストファー・ランドリー&ニッキー・スタンゲッティー、製作協力はリス・カーン、製作総指揮はゲオルギ・ゲロヴァーニ&マイケル・P・フラニガン&デヴィッド・イメダシュヴィリ&シンディー・クイパース、撮影はチェコ・バレス、編集はブライアン・バーダン、美術はマーク・グレヴィル=マソン、衣装はエルヴィス・デイヴィス、音楽はトレヴァー・ラビン。
出演はルパート・フレンド、エマニュエル・シュリーキー、リチャード・コイル、ヘザー・グレアム、ヴァル・キルマー、アンディー・ガルシア、ジョナサン・シェック、ラデ・シェルベッジア、ケン・クラナム、アンチュ・トラウェ、ミッコ・ノウシアイネン、ディーン・ケイン、アンナ・ウォルトン、ミヘイル・ゴミアシュヴィリ、アニ・イムナゼ、セルゴ・シュヴェドフ、スティーヴン・ロバートソン、アラン・マッケンナ、ゲオルギ・ツァーヴァ、ラシャ・カンカヴァ、ベカ・タブカシュヴィリ、ラシャ・オクレシゼ他。


『マインドハンター』『ザ・クリーナー 消された殺人』のレニー・ハーリンが監督を務めた作品。
脚本を担当しているミッコ・アランは、これまでドキュメンタリー作品を手掛けてきた人物。
アンダースをルパート・フレンド、タティアをエマニュエル・シュリーキー、セバスチャンをリチャード・コイル、ミリアムをヘザー・グレアム、ダッチマンをヴァル・キルマー、サアカシュヴィリをアンディー・ガルシア、アヴァリアニをジョナサン・シェック、デミドフをラデ・シェルベッジアが演じている。

この作品はアメリカ映画という扱いだが、実際にはグルジア資本が投入されており、グルジア政府もグルジア軍も全面的に協力している。
南オセチア紛争を題材にした作品だが、グルジアのプロパガンダ映画なので、もちろん「グルジアは正しい、ロシアは悪い」という構図で作られている。
監督にレニー・ハーリンを起用したのも、そういう関係だ。彼の出身国であるフィンランドは、かつて帝政ロシアに支配されていたことがあるのだ。
例えば中国が反日映画を撮る時に、韓国から監督を招聘するようなモンだと思えばいいかな。

当たり前ではあるが、とにかく徹底的に「グルジアは被害者であり、ロシアが加害者である」ということをアピールしている。
劇中では、ロシア軍の不当な侵攻が紛争開始のきっかけであり、サアカシュヴィリは何とか戦争を回避しようとする。彼は犠牲者が増えるのを防ぐために和平案を提案するが、メドヴェージェフが拒否する。
サアカシュヴィリはロシアの要求を待つために一方的停戦を命じ、国を守ろうとする。彼は犠牲を出すまいと奔走し、国を守るために苦悩する魅力的な人物として描かれる。
最後は大勢の観衆の前で力強く演説する様子があり、国民に愛される立派な指導者として描かれる。

オセチア軍は残忍な連中であり、虐殺行為を楽しんでいる。特にコサックのダニールが残虐非道な奴として描かれているのは、レニー・ハーリンの意向が込められているのかもしれない。ロシアがフィンランドを責めた時、非道の限りを尽くしたのがコサックだからね。
一方で、グルジア軍のレゾは正義感があり、優しい気持ちを持つ男として描かれる。
オセチア軍の中では1人だけ、少年兵が善人キャラとして描かれているが、「ピュアな少年であり、他の傭兵たちとは別枠」という扱いなので、オセチア軍の残忍な印象を薄めるものではない。
むしろ、そういうキャラを配置することで、余計に他のオセチア軍の残虐性を際立たせているとも言える。

劇映画として作られているが、最後には「5人の記者を含む数百人が殺された。村の破壊や占領によって5万人が家を失い、その多くは今も難民キャンプで暮らしている。欧米の撤退要請にも関わらず、南オセチアとアブハジアにロシア軍が残っている。グルジアは西側諸国との関係強化を求めている」という文章が記される。
そして、紛争で身内を亡くした人々のインタビュー映像が挿入される。
そうすることで、「劇中に描かれたロシア軍の残虐行為は事実なのだ。グルジアは被害者なのだ」とアピールしているわけだ。

プロパガンダ映画にはロクな物が無いってのが、私の持論だ。本作品はプロパガンダ映画の中でも政治的な意味合いを持つ物だから、そりゃあロクでもない仕上がりになるのは当然と言えよう。
政治的なプロパガンダ映画なんてのは、全てクソだと断言できる。
なぜなら、「我々こそが正しいのである」と声高に訴えることを目的とした映画だからだ。
そのために事実を自分たちに都合のいいように美化し、自分たちの正当性だけが際立つように描くのだから、醜悪な映画になるのは当たり前なのだ。

もちろんロシアだって色々と問題が多すぎる国だし、プーチンやメドヴェージェフはお世辞にも優秀で立派なリーダーとは言えない。
だが、だからと言って、南オセチア紛争に関して「グルジアは全面的に哀れな被害者、ロシアは全面的に酷い加害者」という主張には全く賛同できない。
「南オセチア紛争において先に軍事行動を開始したのはグルジア」というのは、国際的な認識であるばかりかサアカシュヴィリも認めていることなのだ(最初は否定していたが、後に認める発言をした)。
にも関わらず、劇中では「ロシアが先」となっているわけで、それ1つ取っても、いかに本作品が醜悪なプロパガンダ映画なのかってのが分かろうというものだ。

サアカシュヴィリは親米・反露路線を打ち出した人なので、アメリカ人ジャーナリストがグルジアを擁護してロシアを批判する立場を取るというのは、それほど無理がある設定ではない。
実のところ、これって「最初はグルジアに対して否定的だった主人公が現地入りし、真実を知って考え方が変化する」という話ではない。
そもそも最初からグルジア寄りの匂いがしているので、そいつが「グルジアは被害者だ」と訴えようとしても、「そりゃあ、そうなるだろうね」と思うだけだ。
プロパガンダ映画として考えると、そこはキャラクター設定が甘いというか、失敗しているんじゃないかと思ったりするぞ。

甘いと言えば、プロパガンダという目的を抜きにしたところでも、色々と甘さが目立つ映画である。
「アンダースは結婚式でタティアに目を留め、村が空爆された時には彼女だけを助ける」「そんなタティアは、都合良くアメリカへの留学経験があって英語が話せる」「だけど他のオセチア人たちの中にも、英語を話せる奴がゴロゴロいる」「村での虐殺を撮影している間、オセチア軍には全く気付かれない」「セバスチャンが拷問されそうになると、レゾの部隊が来て助けてくれる」「突入した時点でデミドフを殺せたはずだが、なぜか殺さずに逃げ出す」など、気になる箇所は幾つもある。
他にも、「死のフラグを立てたセバスチャンが生き残る」「メモリーカードを手に入れるために人質として教会からタティアを拉致したダニールが、一緒にいた他の面々は1人も殺さない」「ダニールに指示された広場へ向かうアンダースは、激しい空爆が行われる中でも全く逃げようとせず、堂々と歩き続ける」「アンダースはダニールに射殺されそうになるが、都合良く現れた少年兵がダニールを銃殺して助けてくれる」「まだ空爆の最中なんだから早く逃げるべきなのに、アンダースとタティアが屋外で呑気にキスをする」「デミドフは町を制圧したのに、なぜか“殺しはもういい”ってことで全員を見逃す」といった問題がある。
雑な描写、中途半端なキャラの動かし方、安っぽい御都合主義などが、色々と盛り込まれている。

日本にも政治的な問題は色々とあるから、それを題材にしたプロパガンダ映画を作ろうと思えば幾らでも作れる。
例えば慰安婦の問題などは、日本政府は強制連行を認めていない。
しかし国際的には、「強制連行があった」という認識が広まっている。
それは韓国や中国のロビイ活動による結果であり、日本のロビイ活動の貧弱さが招いた結果だが、「そんな状況を打破するためにプロパガンダ映画を作ろう」と考えている人がいるとしたら、「やめておけ」と助言する。

私は決して、「強制連行はあった」という世界的な認識を全面的に受け入れるべきだと言いたいわけではない。
しかし、「強制連行など無かった」と訴えるための映画を撮ったとしたら、かなり醜悪な仕上がりになることは確実だ。
仮に強制連行が無かったとしても、そんなことは問題じゃないのだ。それが事実であったとしても、「広く知られている情報は間違いで、これが真実なのだ」と訴えようとすると、どうしても映画としては歪んでしまうのだ。
政治的プロバガンダ映画ってのは、そういうシロモノなのだ。

(観賞日:2015年3月13日)

 

*ポンコツ映画愛護協会