『47RONIN』:2013、アメリカ
その昔、天狗によって秘術を教え込まれたカイという少年が逃亡した。赤穂の城主・浅野内匠頭の一団は、森で倒れていた少年を発見した。武士の大石内蔵助は天狗の付けた頭部の傷を見て不吉だと感じ、少年を殺害しようとする。しかし浅野は少年を助け、城へ連れ帰った。浅野の娘であるミカは少年と親しくなり、彼が森を見極める特別な力を持っていると知った。カイは浅野とミカのために、どんな犠牲を払っても愛に応えようと考えるようになった。
時が過ぎ、カイは成長した。森に手負いの獣がいると察知した彼は、そのことを浅野や大石たちに知らせた。武士たちは出現した巨大な獣を仕留めようとするが、落馬した安野が追い詰められる。そこへカイが駆け付け、獣を倒して安野を救う。しかし安野は感謝するどころか、「お前に助けられるぐらいなら、獣に殺された方が良かった」と言い放った。カイが刀を渡したので、駆け付けた浅野は獣を倒したのが安野だと思い込んだ。
立ち去る一団を見送ったカイは、白い狐が見ているのに気付いた。その狐は、ミヅキという妖術使いの変身した姿だった。ミヅキは長門の国の領主である吉良上野介の元へ戻り、獣を使った浅野殺害計画の失敗を報告した。ミカはカイが戻ったことを知らされ、彼の住む森の小屋へ赴いた。カイを愛するミカは、彼の怪我を手当てしようとする。カイもミカに好意を寄せていたが、立場の違いを考え、小屋を立ち去るよう彼女に告げた。
将軍綱吉が赤穂の国を訪れ、浅野と家来たちは準備を整えて出迎えた。カイは側室に紛れているミヅキに気付き、白狐の正体だと見抜いた。彼は大石にミヅキのことを知らせるが、まるで相手にされなかった。御前試合を観戦するために吉良も赤穂の国を訪れ、ミカに好色の目を向けた。御前試合で吉良側の代表として登場したのは、巨大な鎧武者だった。大石の息子である主悦は赤穂代表の安野を呼びに行くが、ミヅキの妖術で戦えなくなっていた。
カイは安野の甲冑に身を包み、正体を隠して御前試合の場に出て行った。しかし戦いの途中で兜が脱げてしまい、武士ではないことが露呈した。綱吉が斬り捨てるよう命令すると、ミカが止めに入った。浅野が失態を謝罪すると、綱吉は打ち据える罰だけで済ませることにした。その役目を命じられた中には、カイの幼馴染である芭蕉も含まれていた。彼は小声で詫びてから、カイを棒で打ち据えた。ミヅキは吉良に、今こそ浅野を倒して赤穂を掌握する絶好の機会だと促した。
深夜、ミヅキは妖術で浅野を操り、ミカの幻影を見せた。浅野は幻影のミカを救うため、寝所の吉良に斬り付けた。大石が駆け付けて制止に入り、綱吉は浅野に切腹を命じた。浅野は大石に赤穂の国とミカを託し、命を絶った。大石は仇討ちを求める家臣たちに対し、赤穂の民が皆殺しにされることを避けるために動かぬよう指示した。綱吉はミカに対し、1年後に吉良と結婚すること、それまで赤穂の国を吉良に預けることを指示した。吉良は赤穂家の武士たちに所払いを命じ、大石だけは気持ちを削ぐために地下牢へ監禁した。
1年後、大石は地下牢から引きずり出され、家族の元へ戻された。大石は妻・りくから、家臣たちが赤穂を離れたこと、吉良がミカを婚礼に備えて城へ連れ去ったことを聞く。カイについて大石が尋ねると、長崎の出島で売り飛ばされたらしいという噂を主税が教えた。大石は妻に偽装離婚を指示し、主税には仲間を集めるよう命じた。彼は長崎へ出向き、奴隷戦士として見世物にされているカイを発見した。カイは正気を失っており、いきなり大石に斬り付けた。
大石は「お前の助けが必要だ」と呼び掛け、ミカと吉良の婚儀が近いことを告げる。「阻止せねばならん。一緒に来るか」という大石の言葉を受け、カイは彼と共に闘技場から逃げ出した。吉良は家来から、大石の助けでカイが逃げ出したことを知らされる。彼はミヅキに、大石を見つけて殺すよう指示した。大石はカイを伴って湖へ行き、赤穂浪士の間や原、磯貝、堀部たちと会う。大石は仲間たちに、反逆者として処刑されることを覚悟した上で、浅野の仇討ちを果たす決意を明かした。
大石は吉良を襲う計画を説明し、敵が墓参へ行く日時を調べるよう磯貝に命じた。刀の入手に向かおうとする大石に、安野は武士ではないカイが混じっていることに不満を表明した。大石は「私が頼んだと告げ、カイを排除しようとする安野に「もはや我々は侍ではない」と告げた。大石たちが刀鍛冶の住む羽越村へ行くと、吉良の家来が警護していた。一行は正体を隠そうとするが気付かれ、たちまちカイが敵を駆逐した。カイや大石たちは、敵の刀を集めて持って行くことにした。
大石は多くの刀を入手するため、飛騨へ行こうと考える。しかしカイは吉良の支配下にあることを理由に反対し、樹海へ行くべきだと主張した。カイは樹海で育ったこと、天狗に殺し方を教わったことを話す。天狗が刀を渡すかどうか不安に思いつつも、大石はカイの提案に乗った。同じ頃、磯貝は情報収集のために遊郭へ行き、ミヅキが化けているとは気付かないまま遊女に接触していた。一方、大石たちが樹海に入ると、カイは天狗に気付かれたことを教えた。カイは大石を連れて、2人だけで森の奥へ進むことにした。
カイは洞窟を見つけると、何があろうと決して刀を抜かないよう大石に忠告した。洞窟を入ってすぐに仏像があり、僧侶たちが周囲にいた。カイは大石に、そこで待つよう指示した。カイは洞窟を進み、天狗の首領と会った。大石を心配した赤穂浪士たちが洞窟に入って来ると、僧侶の一団が立ち上がって襲い掛かった。しかし大石はカイの忠告に従い、刀を抜かなかった。それは全て幻覚であり、天狗の用意した試練だった。試練に打ち勝ったことで大石たちは多くの刀を手に入れることが出来た。
樹海を出た大石の一行は、待機していた間たちの元へ戻った。そこへ磯貝が馬で駆け付け、「吉良が今夜、菩提寺に出掛けます」とミヅキから聞き出した偽の情報を報告した。主税も同行を志願するが、大石は堀部と共に残るよう命じた。深夜、赤穂浪士は吉良を倒しに行くが、待ち受けていたミヅキの軍勢に不意打ちを受ける。赤穂浪士は大勢の犠牲者を出し、大石も矢を浴びた。ミヅキは大石が死んだと思い、吉良に報告した。しかし大石は生き延びており、カイは落ち込む彼に仇討ちを諦めぬよう説いた。カイは吉良の婚礼に呼ばれた芸人一座を見つけ、彼らに化けて屋敷に入り込む作戦を思い付く…。監督はカール・リンシュ、原案はクリス・モーガン&ウォルター・ハマダ、脚本はクリス・モーガン&ホセイン・アミニ、製作はパメラ・アブディー&エリック・マクラウド、製作総指揮はスコット・ステューバー&クリス・フェントン&ウォルター・ハマダ、撮影はジョン・マシソン、編集はスチュアート・ベアード、美術はヤン・ロールフス、衣装はペニー・ローズ、視覚効果監修はクリスチャン・マンツ、音楽はイラン・エシュケリ。
出演はキアヌ・リーヴス、真田広之、浅野忠信、菊地凛子、柴咲コウ、田中泯、ケイリー=ヒロユキ・タガワ、赤西仁、羽田昌義、曽我部洋士、米本学仁、山田浩、ヨリック・ヴァン・ヴァーヘニンゲン、出合正幸、中島しゅう、井川東吾、國元なつき、ケディー・ワタナベ、ニール・フィングルトン、石田淡朗、エイゾー・トミタ、田渕大、梶岡潤一、クライド・クサツ、安部春香、トモコ・コムラ、トカコ・アカシ、小家山晃、アリア・マエカワ、ダニエル・バーバー他。
日本では文楽や歌舞伎作品の題材となり、数多くの映画やTVドラマも作られてきた『忠臣蔵』をモチーフにしたハリウッド映画。
監督のカール・リンシュはリドリー&トニー・スコット兄弟のプロダクションでCMやミュージック・クリップの演出を務めて来た人物で、当初は『プロメテウス』の監督候補にも挙がっていた。その話が立ち消えになり、本作品で初めて長編映画を手掛けることになった。
脚本は『ウォンテッド』『ワイルド・スピード MEGA MAX』のクリス・モーガンと『シャンハイ』『スノーホワイト』のホセイン・アミニ。
カイをキアヌ・リーヴス、大石を真田広之、吉良を浅野忠信、ミヅキを菊地凛子、ミカを柴咲コウ、浅野を田中泯、綱吉をケイリー=ヒロユキ・タガワ、主税を赤西仁が演じている。カール・リンシュ監督は11歳の時に交換留学生として東京で1ヶ月ほど暮らした経験があり、日本文化に対する造詣も深かったようだ。本作品を手掛ける前から『忠臣蔵』も知っており、武士道を大切にして撮ろうと心掛けていたようだ。
日本の文化に対するリスペクトを忘れず、撮影現場でも常に「この描写は正しい作法になっているのか」ってことを気にしていたらしい。
「真っ当な日本」を描く映画であれば、その気持ちは大切だし、とても評価できる。
問題は、これが「真っ当な日本」を描く映画じゃないってことだ。この映画は、我々の知っている史実とは大きく異なる、我々の知らない「架空の日本」を描いた作品だ。
もちろん史実を離れていようと、かなりリアリティーを重視した方がいい作品もあるだろう。
しかし本作品は、そういう類の映画ではない。
そもそも「白人が『忠臣蔵』に参加する」という時点で、ものすごく荒唐無稽な内容だ。そのアイデアを最大限に活かそうとすれば、他の部分も荒唐無稽を徹底させた方が絶対に得策だ。
この映画には、「日本人が良く知る『忠臣蔵』に出来る限り近付けよう」なんて意識は要らない。他の部分で「日本人が良く知る『忠臣蔵』らしさ」とか「本格時代劇としてのリアリティー」を持たせようとすればするほど、「白人が『忠臣蔵』に参加する」という部分の無理が際立ってしまう。
むしろ、他の部分も荒唐無稽にすることで、ファンタジーとしての色合いを強めるべきなのだ。
それなのにカール・リンシュは、なまじ日本文化への造詣があるせいで、それとは逆の作業をやってしまった。
皮肉なことに、彼の日本文化に対するリスペクトが邪魔になっているのである。この映画が駄作になってしまったのは、決して『忠臣蔵』の内容を崩しまくっているからではない。「白人が『忠臣蔵』に参加する」というプロットがバカっぽいからでもない。荒唐無稽なファンタジー・アクションとして中途半端になっているからだ。
この映画を撮るのに適しているのは、「エッセンスだけは『忠臣蔵』から拝借するけど、後は大胆に改変しまくるぜ。日本の文化とか武士道とか、そんなの関係ねえぜ。俺がやりたいのはファンタジー・アクションであって、『忠臣蔵』じゃねえよ」と思える監督だったのだ。
だから極端に言ってしまえば、四十七士の中に女性が混じっていてもいい。白人だけに留まらず、黒人が混じっていてもいい。武士だけじゃなくて、忍者や僧兵が混じっていてもいい。もはや人間に留まらず、妖怪や幽霊が混じっていたって構わない。
どうせカイが含まれている段階で、「47RONIN」じゃないんだから。
それぐらいメチャクチャでもいいから、「メチャクチャなパワー」が欲しかったのよ。『忠臣蔵』のストーリーラインにしたって、もっと大幅に改変してもいい。いや、「改変してもいい」というレベルじゃなくて、むしろ「大幅に改変すべき」と言った方がいいだろう。
なぜなら、もっと大幅に改変しない限り、絶対に「荒唐無稽なファンタジー時代劇」には仕上がらないからだ。
だから吉良と浅野の関係にしても、「浅野が吉良に斬り付け、切腹を命じられる」という展開など使わなくてもいい。
それは『忠臣蔵』なら多くの観客が期待する見せ場だが、これは『忠臣蔵』じゃないんだから、必要不可欠なシーンではないのだ。だから、「ミヅキが妖術を使って浅野を操り、吉良に斬り付けさせる」という形にする必要なんて無い。
そもそも「浅野が吉良に斬り付け、切腹を命じられる」という『忠臣蔵』の筋書きを使う必要も無い。吉良を妖術師に設定し、彼が妖術を使って浅野を殺害する展開に改変したっていいのだ。そうしておけば、ミヅキというキャラの中途半端な扱いだって解消される。
ミヅキのいうキャラの抱えている問題点は、「『忠臣蔵』に妖術使いなんて要らない」ということではなくて、「妖術使いなのに、やっていることがケチくさい」ってことなのだ。
だってさ、妖術使いなのに、「浅野を操って吉良に斬り付けさせ、切腹に追い込む」って、やってることがセコいだろ。妖術を使えるなら、そして浅野が邪魔であるならば、始末する方法は幾らだって考えられるだろ。そもそも、ミヅキの目的がサッパリ分からない。
吉良は日本を支配しようという企みを持っているんだろうけど、それにミヅキが協力する理由は何なのか。
あれだけの妖術を使えるのなら、なぜボンクラな吉良に仕えているのか。
大石が芸人に化けて屋敷に忍び込んだり、芸が披露されている間に赤穂浪士の別働部隊が警備の連中を始末したりしているのに、ミヅキが全く気付かないのも不可解だし(っていうか、明らかに下手な御都合主義だよな)。実際の『忠臣蔵』だと大石が主役のポジションだが、そのまま使えば当然のことながらカイの邪魔になるのだから、もっと扱いを小さくするとか、いっそのこと存在自体を排除してしまってもいい。
ところが、なまじリスペクトがあるせいで、「大石が中心となって仇討ちの計画が勧められ、その息子である主悦も重要な役割を担う」という部分は踏襲している。
それによって何が起きるかというと、「大石とカイが互いにキャラとして食い合ってしまう」という現象だ。
『47RONIN』における主人公はカイなので、彼の近くにヒロインがいて、彼の周囲にドラマがある。ところが、それと並行して『忠臣蔵』もやろうとするから、互いに邪魔をしてしまう。大石を大きく扱うのなら、ホントは「カイに対して冷淡な態度を取る」とか「カイがミヅキのことを知らせても相手にしない」という扱いを取るべきではない。
特に後者に関しては、それをやっちゃうと「テメエがカイの報告をマトモに受け入れていれば事態は防げたかもしれないぞ」ってことになってしまう。
そんなトコで大石に落ち度を用意するのは、絶対に得策じゃない。
だから、「最初はカイを拒絶するが最終的に受け入れる」という役回りのキャラを用意するのなら、それは大石ではなく別の人物にすべきなのだ。「ミヅキが妖術で浅野を操り、切腹に追い込んだ」という展開にしたことで、それ以降の展開にも色々と問題が生じている。
浅野が吉良の振る舞いに怒りを覚えて斬り付けたのであれば、切腹を素直に受け入れるのも理解できる。
しかし浅野は妖術に操られていたわけだから、本人の意思ではないのだ。
だったら、しでかしたことに対する罰としての切腹は受け入れるにしても、「妖術を使った相手は誰なのか」という疑問を晴らそうとするとか、「妖術を使った相手を倒したい」と思うとか、そういうことが全く無いのは不可解だ。浅野はカイを可愛がっているが、切腹を命じられて後を託すのは大石だし、介錯をするのも大石だ。吉良が赤穂の武士たちの気持ちを削ぐために地下牢へ監禁するのも大石だ。
浅野がミヅキの妖術に操られ、切腹して大石が介錯し、赤穂の国が吉良に奪われ、大石が地下牢に監禁されている間、カイの存在感は薄い。
彼がいてもいなくても、その展開には何の影響も無い。彼は単に「そんな出来事の目撃者」でしかないのだ。そして、むしろカイなんて登場させない方がスッキリするのである。
カイが「要らない子」になってしまう理由は簡単で、基本的に『忠臣蔵』の道筋を辿ろうとするからだ。『忠臣蔵』をやろうとすれば、おのずと大石が話の中心になる。吉良は大石の助けでカイが逃げ出したという知らせを受けると、ミヅキに「大石を見つけ出して殺してくれ」と依頼する。
しかし、1年後に大石を地下牢から出したのは吉良の指示だ。カイを始末せず、奴隷として売り飛ばしたのも彼の指示だ。
だったら、「解放された大石がカイを見つけて救い出す」ってことぐらい、予想できなかったのかと。
そんでカイを助け出してから大石の殺害命令を出すって、すんげえマヌケだろ。
だったら、なぜ1年前に始末しておかなかったのかと。浅野が切腹し、赤穂の国が吉良に預けられた後、大石は奴隷戦士にされているカイを救い出して謝罪し、協力を求める。
そんなに簡単に態度を変えるぐらいなら、最初から「カイに一目置いており、他の武士とは違う態度を取る」という役割を大石に担当させれば良かったんじゃないかと。
そうなると「浅野への忠義で仇討ちに参加する」という設定が使えなくなるけど、そもそも「カイが浅野の愛に報いようと考えるようになる」という部分なんて、ナレーションで軽く説明しているだけで、何の説得力も無いからね。
そんなトコで薄っぺらく「武士道」を使おうとするから無理が生じているのであって、それよりは単純に「正義感で仇討ちに加勢する」という形にでもした方が、よっぽどスッキリするよ。しかもカイって天狗の前では、「愛する女が出来たから戦う」ってことを喋っているんだよね。
浅野の仇討ちじゃなくて、ミカを助け出すために戦うのかよ。どっちなんだかハッキリしろよ。
っていうか、そこは「ミカを助け出すため」という理由にした方がスッキリするのは確かだ。
ただし、その場合は「主君の仇討ちを果たす」という赤穂浪士とは全く違う動機になってしまうので、それはそれで問題が生じてしまう。
これが前述した「正義感で仇討ちに加勢する」ってことにしておけば、「大石たちの意志に共鳴した」ってことだから、まだ動機としては赤穂浪士に近付くモノになる。仇討ちのための行動が開始されても、あくまでも大石がリーダーであって、カイはグループの1人に過ぎない。
しかも途中までは、律儀に「自分は侍じゃない」ということで控え目な態度を貫くので、その存在が一同の動きに大きな影響を与えることが無い。
カイは羽越村で吉良の家来たちを全滅させる役目を担当するけど、別に彼がやらなくても、「気付かれた赤穂浪士が倒す」ということで成立する。
それに、そこでカイが敵を全滅させたところで、「都合のいい助っ人」に過ぎない。どう見たって、主人公の扱いではない。天狗の森で刀を手に入れるエピソードになって、ようやくカイが物語の中心に位置する。
ただし、ここでも試練を与えられるのはカイじゃなくて大石であり、極端に言ってしまうとカイがいなくても成立する。
ミヅキの罠で大勢が犠牲となり、大石がガックリきているところで発破を掛けるのはカイだし、芸人に紛れる作戦を考えるのもカイだ。そのように書くと、その辺りではカイの存在意義が生じているように思えるかもしれない。
しかし結局のところ、「別にいなくても成立するよな」という印象は拭えないのである。ようするに、カイの存在意義が薄いまま進む理由ってのは、「天狗から秘術や殺人術を教わったはずのカイが、ちっとも大々的に活躍してねえじゃん」ってことなのだ。
ぶっちゃけ、カイだけがスーパーマンとして活躍し、他のメンツは「カイ軍団の下っ端ども」という程度の扱いでも構わないのだ。
ところが前述したように、あくまでも「大石と家臣の赤穂浪士たち」という括りは守っているので、カイが埋没してしまうのだ。
クライマックスにはミヅキの化けた白竜とのタイマンが用意されているけど、それも大石vs吉良の戦いとカットバックで処理されるので、やはり「カイだけが大活躍」という形じゃないし。恐ろしいことに、カール・リンシュは最初、仇討ちにカイを参加させないシナリオを考えていたらしい。
いやいや、アホなのかと。カイを仇討ちに参加させないのなら、そもそも最初から彼を『忠臣蔵』に介入させるなよ。
前述したように、ものすごい無理を通してまでカイを『忠臣蔵』の世界に引き入れているんだから、何よりも「カイを主人公として大活躍させる」ってことを最優先で考えるべきだろうに。
なんで「まずは『忠臣蔵』の世界ありき」で物事を進めようとしてるんだよ。それは本末転倒だぞ。(観賞日:2015年4月27日)
2013年度 HIHOはくさいアワード:8位