『ノストラダムス』:1994、イギリス&フランス&ドイツ&ルーマニア

1503年、サンレミのペリー街で生まれたミシェル・ド・ノストラダムスは、幼い頃から不安な夢を良く見た。親しかったソフィを魔女狩りによって処刑されたノストラダムスは、祖父から自分達がユダヤ人であることを知らされ、神を信じ続けるよう告げられる。
成長したノストラダムスはモンペリエで医学を勉強するが、新しい知識を持ち込もうとする彼は、古い書物の知識ばかりを信じる教授達の反感を買う。流行するペストの治療を異端と見なされたノストラダムスだが、発病した審問官に適切な治療を施す。
ジュリアス・スカリンジャー博士に才能を認められたノストラダムスは、秘密の部屋に通される。そこには教会から敵視されている、未来を予知した学者達の著書があった。ジュリアスの助手マリーと結婚したノストラダムスは、研究に没頭する。
流行するペストの治療に奔走するノストラダムスだが、マリーと子供を失ってしまう。失意に沈むノストラダムスは、異端審問に掛けられそうになる。サロンの市長をしている兄の元へと逃亡する途中、恐ろしい夢を見たノストラダムスは怪しげな僧侶と出会った。
ノストラダムスはアンヌという女性と出会い、結婚した。異端の書を燃やしたノストラダムスは思い直し、人類を破滅から救うために予言を詩篇の形で書き残そうと決意する。やがてアンリ2世が槍試合で死ぬことを予言したノストラダムスは、息子への王位継承を望むカトリーヌ王妃の寵愛を受けるが、王に毒殺されそうになる…。

監督はロジャー・クリスチャン、原案はピアース・アッシュワース&ロジャー・クリスチャン、追加ダイアローグはブライアン・クラーク、脚本はナット・ボーサー、製作はエドワード・シモンズ&ハラルド・ライシュブナー、製作協力はゲリー・レヴィ、製作総指揮はピーター・マクレー&ケント・ウァルウィン&デヴィッド・ミンツ、撮影はデニス・クロッサン、編集はアラン・ストラチャン、美術はピーター・J・ハンプトン、衣装はウーラ・ゴス、音楽はバーリントン・フェロング。
主演はチェッキー・カリョ、共演はF・マーレイ・エイブラハム、ルトガー・ハウアー、アマンダ・プラマー、アサンプタ・セルナ、ジュリア・オーモンド、アンソニー・ヒギンズ、マイア・モーゲンスターン、ダイアナ・クイック、マイケル・ガウ、マグダレナ・リッター、ブルース・マイヤーズ、レオン・リセック、マイケル・バーン、ステファン・パトーリ、ブルース・アレクサンダー他。


日本では“世界滅亡の大予言”でお馴染みだが、実は本国フランスでは大して有名ではないらしいノストラダムスの半生を描いた作品。
ノストラダムスをチェッキー・カリョ、ジュリアスをF・マーレイ・エイブラハム、謎の僧侶をルトガー・ハウアー、カトリーヌをアマンダ・プラマー、アンヌをアサンプタ・セルナ、マリーをジュリア・オーモンドが演じている。

この作品は、ノストラダムスの予言について濃密に描写するのではなく、“人間”ノストラダムスを見せようとしているようだ。
だからストーリーの中心となっている要素は、医者としての活動、2人の女性との関係、そして宗教との対立、この3つである。

しかし、ノストラダムスを主人公とした映画で、医者としての彼の活動を見たいと思う観客が、彼の私生活を知りたいと思う観客が、どれほど存在するのだろうか。
大半の観客が見たいと思うのは、予言者ノストラダムスの姿ではないだろうか。
その意識は予言を肯定する者であれ、否定する者であれ、同じだと思う。

予言を盲信する崇拝者にとっては、どれほどノストラムダスの予言の正しさ、素晴らしさが描かれるかを見たいと思うだろう。
それ以外の人々は、トンデモさんでしかないノストラダムスの予言を、いかにもっともらしく描いているかを見たいと思うだろう。
それを崇拝者は絶賛することが出来るし、一部のマニアはバカ映画として楽しめる。

ノストラダムスの映画を作ろうとした時に、それで観客を集めようとすれば、「崇拝者とバカ映画ファンを呼び込む」という道しか無いように思えるのだ。
真面目な伝記映画として作ろうとしても、無理だと思うのだ。
だから、そもそも予言者としてのノストラダムスを詳しく描こうとしないのなら、彼を主人公にした映画を作る意味が分からない。

後半に入ると、ようやく予言者としてのノストラダムスの姿が描かれるようになる。
そこで出てくるのは、彼が戦車やヘリコプターやヒトラーの顔を明確な映像として見る予知夢のシーンだ。完全にハッキリした形で、戦車やヘリコプターなどが提示される。
近い将来の予知夢ならともかく、遠すぎる未来の映像を、ノストラダムスは明確な映像として見ている。最後の方になると、明確な形で未来の宇宙船まで見ている。
曖昧なイメージ、ボンヤリした映像にしておいた方がリアリティーが出るのに、だ。
中世の風景に唐突に鮮明な近代が混じることで、見事にウソ臭さが満ち溢れる。

この映画は、ノストラダムスの人物像や予言を、高尚に、真面目に、淡々と描く。
バカバカしさ、荒唐無稽なイメージを徹底的に打ち消そうとした結果、むしろインチキ臭さだけが際立ち、一周回った面白さも無いという皮肉な結果を生んでいる。

 

*ポンコツ映画愛護協会