『ノア 約束の舟』:2014、アメリカ

エデンの園を追われたアダムとイブは、カインとアベルとセトという3人の息子を設けた。カインはアベルを殺して逃亡し、「番人」と呼ばれる堕天使たちに命を救われた。その血でカインの子孫は文明を築くが、同時に悪も撒き散らした。セトの子孫だけが、神が創造した物を大切に守り続けた。少年時代のノアは父のレメクから、自分たちがセトの子孫であることを聞かされる。レメクはノアに、「セトの仕事を引き継ぎ、神と共に正しい道を歩め」と説いた。カインの末裔であるトバル=カインが部隊を率いて現れたので、レメクはノアを隠れさせた。トバルは自身が住む鉱脈が枯れたため、レメクの守る鉱脈を狙っていた。彼は「生き抜くため、欲しい物は手に入れる」と告げ、レメクを殺害して土地を奪い取った。
大人になったノアはナーマという女と結婚し、セム、ハム、ヤフェトという3人の息子を設けた。彼はトバルの支配する場所から離れ、静かに暮らしていた。しかしトバルの手下たちが現れて動物を殺し、ノアに襲い掛かった。彼は手下たちを退治し、動物を弔った。その夜、ノアは大洪水が起きる夢を見た。神が世界を滅ぼすと確信した彼は、祖父のメトシェラを訪ねることにした。彼は家族を連れて出発し、メトシェラの住む山を目指す。
その途中、ノアたちは掘り尽くされた鉱脈で人々が死んでいるのを発見する。集団に襲われて犠牲となったのだが、イラという少女が生き延びていた。彼女は腹を切り裂かれ、子供が産めない体にされていた。トバルの手下たちが来たため、ノアたちはイラを連れて逃走した。すると石の怪物になった番人のシェムハザたちが現れ、一行を谷へと連れ去った。シェムハザは「神を裏切った人間の一人だ。ここで朽ち果てて死ね」と言い放ち、ノアたちを置き去りにした。
しかしオーグという番人だけは密かに谷へ戻り、ノアたちを助けた。マゴグはノアたちに、かつて人間を助けようとしたこと、神は御心に背いた自分たちを罰して姿を変貌させたことを語る。それでも番人たちは、人間に創造の力を教えた。しかし人間は、得た知識を暴力に向けた。その時、番人の味方になった人間はメトシェラだけだった。ほとんどの番人が人間に殺され、生き残った者も不毛の地に取り残された。シェムハザは「神の声を聞いた」というノアの言葉を信じなかったが、マゴグはアダムの面影を見ていた。
ノアはセムだけを連れて、祖父の山へ登る。メトシェラがセムを眠らせると、ノアは「夢は本当なのですか。人間のせいで世界が消える」と問い掛けた。メトシェラは「神の言葉は常に明快だ」と言い、その破滅を避けることは出来ないのだと告げた。新たな夢を見たノアは、「火が全てを焼き、水が後を清める。悪に汚れたものと、清らかなものを分ける。全てが破壊され、全てが再生される。嵐は防げませんが、耐えられます」とメトシェラに語る。
メトシェラはエデンの園から持ち出した種をノアに渡し、「神はお前を選んだのだ」と述べた。ノアはナーマたちの元へ戻り、「悪に染まった人間に罰が下り、全てが破壊されて悲劇が起こる。汚れなきものを救うのだ。出来るだけ多くの動物を救う。洪水を乗り切るための箱舟を造る」と語った。翌朝、ノアは番人たちに、箱舟を造る手助けを要請した。シェムハザは怒りを示すが、種を撒いた場所から水が湧き出した。たちまち森が形成され、シェムハザはノアを手伝うと決めた。
月日が経過し、成長したセムはイラと恋心を通わす間柄になっていた。鳥の群れが集まる様子を見たノアは、「いよいよだ」と口にした。ハムは恋人が欲しいと感じ、ノアに「鳥はつがいだ。父さんと母さん、セムとイラ、僕は?」と言う。するとノアは、「神は全てを与えて下さる」と静かに告げた。ハムが森にいるとトバルが現れ、「知ってるか。お前の王だぞ」と告げた斧を渡した。トバルは一団を引き連れ、ノアの元へ赴いた。ノアはハムに斧を捨てるよう指示した。
トバはノアから立ち去るよう要求されると、「ここは全て俺の物だ。そこの木の砦も」と述べた。ノアは「砦じゃない、箱舟だ。神の洪水から汚れなきものを救う」と話すが、トバルは「神は人間など見捨てている。だから生き抜くため、こうして欲しい物を奪う」と語った。ノアは「神の裁きが下るのだ」と宣言し、番人たちが味方であることをトバルに見せ付けた。トバルは「神は人間を根絶やしにするのか。それなら俺も、お前の船で嵐を乗り切ろう」と告げて立ち去った。彼は武器を造り、強力な軍団を鍛え上げることにした。
箱舟には多くの動物たちが集まり、次々に乗り込んだ。イラはノアに、セムには「家族を作れる女が必要よ」と告げた。するとノアは、「お前は大切な宝物だ」と言ってイラを抱き締めた。ノアはトバルたちの集落を見に行き、野蛮な行為の連続に驚愕した。ノアは箱舟に戻り、「嵐が来る。全て運べ」とナーマたちに言う。ハムが「嫁になる女はどこ?」と尋ねると、ノアは「来ない」と答えた。「神は望むものをくれるんだろう?僕は男になれないのか」とハムが激しく抗議すると、彼は「やるべきことをやれ。それが男というものだ」と怒鳴り付けた。
ハムが走り去るとイラが追い掛けるが、ノアは箱舟の建造作業に戻った。ナーマは「人は誰でも悪を持っている」言うノアに、「人は善も持っているわ。息子たちを見て」と告げる。しかしノアは息子たちの悪の部分だけを指摘し、「私も同じだ。君だって子供のためなら人も殺すだろ?みんな弱くて身勝手な人間だ」と語る。情けの心を持つようノーマが求めても、ノアは「今の世に情けは無い。懲罰が始まる」と冷徹に告げた。
ナーマはメトシェラと会い、跡継ぎがいないことを話す。するとメトシェラは、「裁きだ。神は汚れた世を清め、人間は自らを滅ぼす。何が正しいのかは、ノアが成すべき選択だ」と述べた。ハムは家族を殺されて身を隠していたナエルという少女と出会い、警戒心を示す彼女に食べ物を与えた。「一緒に逃げよう」と誘ってもナエルが拒むと、ハムは「じゃあ、ここで一緒にいよう」と告げた。イラは森でメトシェラと出会い、箱舟へ行くよう促す。メトシェラは「私は行かない」と告げた後、「家族同然のお前を、まだ祝福していない」と言ってイラの腹に触れた。イラは出産できる体になったことを悟り、迎えに来たセムに熱烈なキスをした。
雨が降り出したため、ハムはナエルに「急がないと」と告げて連れ出す。トバルは一団に「俺たちは人間だ。生死は自分たちで決める」と告げ、ノアや巨人を殺して箱舟を乗っ取るよう告げる。ナエルは森で狩猟用の罠に足を挟まれ、そこにトバルの一団が迫った。ハムは「君を置いては行かない」と言い、ナエルを抱き締める。そこへノアが駆け付け、ハムだけを連れて走り去った。番人たちは襲い掛かるトバルの一団と戦い、倒されると光になって神の元へ戻った。トバルは負傷しながらも箱舟へ侵入し、ハムは彼を見つけて匿った。
大洪水が発生する中、ノアはトバルの侵入を知らないまま箱舟に避難した。外で人々の悲鳴が聞こえても、ノアは助けようとしなかった。ノアは家族に「私を許せないか?」と問い掛け、「ある話をしよう。父親から聞き、お前たちにも聞かせた話だ。最初は無だった。神の息吹が囁くと光が生まれた。それが一日目だ」と話し始める。彼は世界の誕生や生命の出現について語り、「何もかも汚れが無かった。しかしアダムから十世代、人間は罪深い行為にまみれた。世界を破滅させたのは人間だ。だから初めの楽園に戻る。人間は不在だ。神の裁きを受けて消滅する」と言い、自分を含めた家族も全て死ぬのが使命なのだと説く…。

監督はーレン・アロノフスキー、脚本はダーレン・アロノフスキー&アリ・ハンデル、製作はスコット・フランクリン&ダーレン・アロノフスキー&メアリー・ペアレント&アーノン・ミルチャン、共同製作はエイミー・ハーマン&コール・ボイター、製作総指揮はアリ・ハンデル&クリス・ブリガム、撮影はマシュー・リバティーク、美術はマーク・フリードバーグ、編集はアンドリュー・ワイスブラム、衣装はマイケル・ウィルキンソン、視覚効果監修はベン・ショー、音楽はクリント・マンセル。
出演はラッセル・クロウ、アンソニー・ホプキンス、ジェニファー・コネリー、レイ・ウィンストン、エマ・ワトソン、ローガン・ラーマン、ダグラス・ブース、マートン・ソーカス、ケヴィン・デュランド、レオ・マクヒュー・キャロル、フィン・ウィットロック、マディソン・ダヴェンポート、ギャヴィン・カサレグノ、ノーラン・グロス、スカイラー・バーク、ダコタ・ゴヨ、アリアーヌ・ラインハート、アダム・マーシャル・グリフィス、ドン・ハーヴェイ他。
声の出演はフランク・ランジェラ、ニック・ノルティー。


『レスラー』『ブラック・スワン』のダーレン・アロノフスキーが監督を務めた作品。
これまでアロノフスキー作品に原案や製作者として携わって来たアリ・ハンデルが、監督と共同で脚本を担当している。
ノアをラッセル・クロウ、メトシェラをアンソニー・ホプキンス、ナーマをジェニファー・コネリー、トバルをレイ・ウィンストン、イラをエマ・ワトソン、ハムをローガン・ラーマン、セムをダグラス・ブース、レメクをマートン・ソーカス、ラミールをケヴィン・デュランドが演じている。
マゴグの声をマーク・マーゴリス、オーグの声をフランク・ランジェラ、シェムハザの声をニック・ノルティーが担当している。

番人たちは当初、ノアが神の意思で来たことを否定する。「かつて自分たちを裏切った人間」と思い込んでいるからだ。
でも、その一方でトバルの一団は助けちゃってるみたいだけど、どうなってんのかと。
あと、番人はノアの家族を谷に連れ去り、「朽ち果てるがいい」と告げて立ち去るんだけど、あの谷って簡単に脱出できそうに見えちゃうんだよね。
すんげえ深くて登れないってわけでもないし、すんげえ広くて先が見えないってわけでもないので。

ノアたちは箱舟を造るため、奇跡によって生み出された森の木を伐採しまくっている。動物の命を奪うのはダメだけど、植物はOKってことだ。
どうやら神の教えとしては、「植物に命は無い」ってことらしい。
で、ノアたちが箱舟のために木を切るのはいいとして、トバルの一団も武器を作るために木を伐採するんだけど、それで神がスルーしちゃってるのは、どういうことなのよ。
あと、トバルたちは箱舟を奪うために木を伐採して武器を作るんだけど、だったら伐採した木でテメエらの箱舟を作れよ。

ノアはイラが「自分は子供が産めないので、セムには他の女性が必要だ」と言った時に「大切な宝物だ」と抱き締める。
だが、それはイラが出産できない体なので、都合が良かったからだ。
決して「大切な宝物だから、子供が産めなくても構わないんだよ」という優しい気持ちで抱き締めたわけではない。
とにかく彼にとっては、「人間を全滅させる」という目的を果たすことが全てであり、そのためなら何をやっても許されると思い込んでいるのだ。

ハムはセムとイラの関係を見て「自分も恋人が欲しい。男になりたい」と駄々をこね始める。
まあ思春期なので、女性に興味を抱くのは理解できる。しかし、自分で女性を見つけ出そうとはせず、ノアに「嫁になる女はどこ?」「神は望むものをくれるんだろう?僕は男になれないのか」と非難めいた言葉を浴びせるので、あまり同情心が湧かなくなる。
ノアがナエルを見殺しにするのは酷いけど、そのことでハムが恨みを抱いてトバルを匿うのは、それはそれで「いや違うだろ」と言いたくなるし、ますます同情心は湧かなくなる。
そもそもナエルの家族を皆殺しにしたのはトバルの一団だし。

この映画から伝わって来るメッセージを一言で表現するならば、「ノアはクズ、神はクソ」ってことだ。
もちろん、アリ・ハンデルとダーレン・アロノフスキーが、そんなことを本作品で観客に伝えようとしていないことは、ほぼ間違いないだろう。でも実際に映画を見て伝わって来るのは、そういうメッセージなのだ。
しかし冷静に考えれば、旧約聖書に記された「ノアの箱舟」の話ってのは、ほぼ劇中で描かれているようなことになっちゃうのよね(ノアが自分たちも死のうと考えているのは新解釈だけど)。
ノアは全ての動物のつがいを箱舟に乗せるけど、人間は見殺しにしているわけだから。

この映画のノアは、「神の意思を忠実に守り続ける」ってことを終盤までは徹底して貫いている。
何しろ、生きるために獣を殺して食料にしようとしたトバルの仲間たちを、容赦なく殺害してしまうぐらいなのだ。「生きるために食料して動物を殺す」という行為はノアからすると「汚れた行為」だが、そういう人間を殺す行為は「善き行為」なのだ。
原理主義的に聖書を読み解けば、それは「正しい在り方」なのかもしれない。
でも、キリスト教信者でも何でもない私からすると、ノアがイカれた奴にしか見えない。

一応は後半に入ってナーマが「私にはわかる。あれだけ命を尊び、子供たちを愛していた人が」とノアに語り掛けるシーンがあり、「ノアも本当はやりたくなかったけど、神の御意志だから苦渋の選択として従っているんですよ」という言い訳が入る。
だけど、ノアが「多くの人間を滅ぼすための手伝いをする」ってことに苦悩している様子なんて、まるで描かれていないのよね。
それどころか、「神の御意志だから私は絶対に正しいのだ」という、確信犯としてのイカレっぷりばかりがアピールされているのよ。

ナーマは「やり遂げた。もう重荷は下ろして」と言うけど、そうやって彼女の言葉を借りてフォローを入れるまで、ノアが苦しんでいることなんて全く描かれていないのよ。
「表情や態度には現れなかったけど、実は苦しんでいたんですよ」ってことかもしれないけど、「だったら態度で示せよ。そうじゃなきゃ、こっちはノアに全く共感できないし同情心も沸かないぞ」と言いたくなる。
しかも、そこまでの負債がデカすぎるから、ナーマの言葉で「ノアも苦しんでいたんです」ってことをアピールしても、まるで取り戻せないのよ。
借金がチャラになるどころか、まるで返済できないのよ。

しかも、そうやって「苦しんでいた」ということを無駄にアピールした後のノアの言動もドイヒーなので、「いやいや、ホントは苦しんでいなかっただろ。っていうか、やっぱりクズだろ」と言いたくなってしまうのだ。
「神は人間を滅ぼそうとしている」という決め付けでガチガチに凝り固まってしまい、イラが妊娠すると「女児だったら殺す」と言い出す。「子供が産めなかったはずのイラが妊娠した。その奇跡が許されたのだから、神は人間を滅ぼそうとしていないのだ」という考えには、まるで至らないのだ。雨が止んだことで「神の祝福よ」とイラが言っても、ノアは「子供のせいで雨は止んだが、神は祝福などされていない」と断言しちゃうし。
それは彼が「神の御心を聞いた」と思い込んでいるからだ。
「結局は産まれた女児を殺せませんでした」ってのを見せても、「今さら好感度を上げようとしても遅いわ」って話だからね。それまでに大勢の人々を見殺しにしているので、「他の人間を見殺しにして身内だけは助ける奴」ってことになっちゃうし。

「トバルに殺されてしまえば良かったのに」と思うぐらい、ノアはクソ野郎でしかない。トバルを残虐で身勝手な正確にして悪玉として配置しているのに、そんな奴よりもノアの方がクズに見えるのだ。
それは、トバルがハッキリとした「悪党」としての立ち振る舞いを見せているのに対し、ノアは「思い込みの激しい醜悪な偽善者」だからだ。トバルの「人間は神の声ではなく、自分の意志で生きるのだ」という主張の方が、遥かに賛同できる。
そもそも、ノアは夢を見たことで「神が世界を滅ぼそうとしている。悪に汚れたものと、清らかなものを分ける」と言い出しているけど、それは彼が勝手に思い込んだだけであって。本当に神が世界を滅ぼそうとしていたのか、人間を汚れあるものとして全滅させようとしていたのかなんて、実は分からないんだよね。
つまり、少なくとも本作品のノアは、「自分が神から手伝いを任されたと勝手に思い込み、人類滅亡のために暴走する」という狂信者でしかないのだ。

ようするにノアって、「環境を守るためなら邪魔する奴らは排除する」という環境テロリストや、「信仰に背く奴らは殺す」という過激派の信者と同じ類の、どうしようもなく厄介で醜悪なクソ野郎なのよね。
ホントにダーレン・アロノフスキーが「ノアはイカれたクソ野郎」として描こうとしていたのなら、ある意味では成功していると言っていいだろう。だけど、たぶん、いや絶対に違うわけで。そもそも、「イカれたクソ野郎」を主人公にした大作スペクタクル映画なんて、作っちゃダメだし。
ああ、そうそう、一応はスペクタクル映画のはずなんだけど、スペクタクルの面白さなんて全く味わうことは出来ないからね。
ダーレン・アロノフスキーって、そういうトコには全く興味が無かったか、あるいは全くセンスが無かったか、どっちかのようで。

(観賞日:2016年5月21日)

 

*ポンコツ映画愛護協会