『ナイト ミュージアム/エジプト王の秘密』:2014、アメリカ&イギリス

1938年、エジプトの発掘現場。ロバート・フレデリクスはアクメンラーの墓があると確信し、作業を続けていた。仲間のアーチボルド・スタンリーから嵐が迫っていることを知らされても、彼は発掘作業を中止しようとしなかった。ロバートの息子であるCJは地面に開いた穴へと落下してしまうが、そこでアクメンラーの墓を発見した。興奮したロバートが石版を含む装飾品を持ち出そうとすると、現地の男が「この墓を荒らすと死が訪れる」と警告する。しかしロバートは構わず、装飾品を運び出した。
現在の自然史博物館ではプラネタリウムが新設され、記念のパーティーが開かれることになった。特殊効果を担当するラリーは動く展示物を登場させるため、御馴染みの面々に指示を出した。アクメンラーは彼を呼び寄せ、石版が腐食していることを教えた。初めて見る現象なので、ラリーは困惑の表情を浮かべた。アクメンラーはラリーに、父親が石板の秘密を知っていたことを明かした。ラリーは対策を翌日に回し、パーティーの準備に戻った。
新入りのネアンデルタール人であるラーはラリーに瓜二つで、彼のことを父親だと思い込んだ。マクフィー館長が新しい人形を入れる際、ラリーをモデルにしたのだ。いよいよ展示物たちがパーティー会場へ登場し、まずはテディー・ルーズベルトが馬に乗ったまま語り始める。プラネタリウムの演出は成功し、猿のデクスターによる曲芸も観客の喝采を浴びる。ところが展示物たちが突如として暴走を開始し、パーティー会場を荒らし回った。
ラリーは展示物たちを集め、反省会を開く。しかし展示物たちは、暴走行為を全く覚えていなかった。ラリーはマクフィーに電話を掛けて謝罪し、必ず原因を究明すると約束した。帰宅すると息子のニックが大勢の仲間を呼んで騒いでいたので、ラリーは即座に中止させた。ラリーから叱責されたニックは反発し、「大学へ行かない」と言い出した。何がやりたいのかラリーが尋ねると、ニックは具体的な進路を何も考えていなかった。
翌日、ラリーは石版に関する資料を調べ、発掘隊の写真を見つけた。隊員は全て死亡していたが、CJだけは今も生きていた。資料係のローズから話を聞いたラリーは、CJが以前に警備員として一緒に仕事をしていたセシルのことだと知った。既に退職したセシルは、仲間のガスやレジナルドと共に老人ホームで暮らしていた。老人ホームを訪れたラリーは、石板が腐食して展示物に異変が起きたことを話した。するとセシルは、発掘した時に地元住民が警告していたことを思い出す。
セシルはラリーに、アクメンラーの両親がイギリスの大英博物館で展示されていることを話した。アクメンラーの言葉を思い出したラリーは、石版の秘密を解き明かすために彼の父親と会う必要があると考えた。そこでラリーはマクフィーに、アクメンラーと石版を修復してもらうために大英博物館へ運びたいと要請する。既に理事長のマデリーンから解雇を通告されていたマクフィーは却下するが、ラリーの熱心な訴えを聞いて大英博物館の許可を取ってくれた。
ラリーはニッキーを伴い、ロンドンへ赴いた。ニックが「1年間は休学して、スペインのイビサ島でDJになりたい」と言い出したので、ラリーは自分の経験を踏まえて「大学には行くべきだ」と告げた。夜の大英博物館を訪れたラリーは、警備員のティリーに書類を渡して承諾を貰う。アクメンラーを搬入したラリーとニッキーは、箱に隠れて同行した自然史博物館の展示物たちと遭遇する。今さら追い出すことも出来ないので、ラリーは仕方なく協力してもらうことにした。ただしラーは厄介な問題児なので、ドアを押さえておく仕事を任せて待機させた。
大英博物館の展示物が動き出す中、一行はアクメンラーの父がいるエジプトの展示コーナーを目指す。ラリーたちはトリケラトプスの骨格標本に襲われ、円卓の騎士であるランスロットに助けられた。ラリーたちが礼を述べて去ろうとすると、ランスロットは先導を買って出た。歩き出そうとしたラリーはアッティラから、帽子に乗っていたジェデダイアとオクタヴィウスが行方不明になったことを知らされる。捜索した一行は、2人が排気ダクトに落下したことを知る。ラリーは空調装置を切り、デクスターを救出役として派遣した。
ランスロットはラリーたちは話し、石版の持つ特殊な力を知った。ジェデダイアとオクタヴィウスはデクスターが助けに来たのに、何かが襲って来ると思い込んで逃亡した。彼らはポンペイの展示コーナーに辿り着き、火山の噴火が起きたので慌てて逃げ出した。ラリーたちはガルーダに行く手を遮られ、無視して通過しようとする。その奥に展示されていた相柳が動き出したため、ランスロットは剣を振り回して勇敢に戦う。ラリーはAEDを発見し、それを使って相柳を退治した。
ジェデダイアとオクタヴィウスは助けに来たデクスターと合流し、携帯で写真を撮ってラリーに無事を知らせようとする。しかしラリーの携帯は故障しており、彼らの写真は届かなかった。ラリーたちはエジプトの展示コーナーへ辿り着き、同行しようとするランスロットに別れを告げる。一行はアクメンラーの父であるマレンカレと母のシェップスハレットに遭遇し、ラリーは石板を見せて修復を依頼する。するとマレンカレは、アクメンラーが誕生した時のことを語る。その時にマレンカレは石板を鋳造させ、神官たちが月の光を浴びせて特殊な力を込めたのだ。つまり石板が腐食するようになったのは、長きに渡って月光を浴びていないことが原因だった。
すぐに修復しようとするラリーだが、ランスロットが石板を奪い取って逃走してしまう。仲間に指示を出したラリーはランスロットを目撃して追い掛けようとするが、ラーを捕まえたティリーに邪魔されてしまう。ティリーはラリーとラーをハンマーで恫喝し、部屋に監禁した。しかし警備室で遭遇したアッティラにハンマーは通用せず、逆に彼女が閉じ込められた。ラーがドアを壊したのでラリーは彼と共に脱出し、仲間と合流する。ラリーはラーに警備室の見張りを指示し、ランスロットを捜して街を移動する。
トラファルガー広場のライオンに遭遇したラリーたちは、懐中電灯の光で遊ばせた。ラリーは舞台劇『キャメロット』が上演されていることを知り、ランスロットが劇場に向かったと確信する。ランスロットは劇場へ乱入し、出演者が本物のアーサー王とグィネヴィアだと思い込んだまま話し掛ける。しかしアーサー王役のヒュー・ジャックマンから全ては芝居で本物ではないと説明され、激しく荒れ狂って暴れ出す。そこへラリーたちが駆け付けると、ランスロットは石板を抱えて逃亡する…。

監督はショーン・レヴィー、キャラクター創作はトーマス・レノン&ロバート・ベン・ガラント、原案はマーク・フリードマン&デヴィッド・ギヨン&マイケル・ハンデルマン、脚本はデヴィッド・ギヨン&マイケル・ハンデルマン、製作はショーン・レヴィー&クリス・コロンバス&マーク・ラドクリフ、製作総指揮はメアリー・マクラグレン&ジョシュ・マクラグレン&ダン・レヴィン&マイケル・バーナサン&デヴィッド・ギヨン&マイケル・ハンデルマン、共同製作はブロンデル・アイドゥー、製作協力はランド・ガイガー、撮影はギレルモ・ナヴァロ、美術はマーティン・ホイスト、編集はディーン・ジマーマン、衣装はマーリーン・スチュワート、視覚効果監修はエリック・ナッシュ、音楽はアラン・シルヴェストリ。
出演はベン・スティラー、ロビン・ウィリアムズ、オーウェン・ウィルソン、ベン・キングズレー、スティーヴ・クーガン、リッキー・ジャーヴェイス、ダン・スティーヴンス、レベル・ウィルソン、スカイラー・ギソンド、ラミ・マレック、パトリック・ギャラガー、ミズオ・ペック、アンドレア・マーティン、レイチェル・ハリス、マット・フルーワー、ディック・ヴァン・ダイク、ミッキー・ルーニー、ビル・コッブス、ブラッド・ギャレット、レジーナ・トーフェン、パーシー・ハインズ=ホワイト、ブレナン・エリオット他。


ミラン・トレンクの絵本『夜の博物館』をモチーフにしたシリーズ第3作。
監督は3作連続でショーン・レヴィーが担当。脚本は前2作から交代し、『奇人たちの晩餐会 USA』のデヴィッド・ギヨン&マイケル・ハンデルマンが手掛けている。
ラリー役のベン・スティラー、テディーのロビン・ウィリアムズ、ジェデダイアのオーウェン・ウィルソン、オクタヴィウスのスティーヴ・クーガン、マクフィーのリッキー・ジャーヴェイス、アクメンラーのラミ・マレック、アッティラのパトリック・ギャラガー、サカジャウィアのミズオ・ペックなど、シリーズのレギュラーは大半が続投。ニック役はスカイラー・ギソンドに交代している。
セシル役のディック・ヴァン・ダイク、ガス役のミッキー・ルーニー、レジナルド役のビル・コッブスは、1作目からの復帰。他に、マレンカレをベン・キングズレー、ランスロットをダン・スティーヴンス、ティリーをレベル・ウィルソン、ローズをアンドレア・マーティン、マデリーンをレイチェル・ハリス、スタンリーををマット・フルーワーが演じている。
アンクレジットだが、ヒュー・ジャックマンとアリス・イヴが本人役で出演している。

このシリーズは1作目の時点で、既に「博物館の展示物が生きているように動き出す」というアイデアだけで引っ張って行く一発勝負の映画であることが明確になっていた。
ほぼアミューズメント・パークのアトラクションのような作品であり、ストーリーを充実させようという意識は乏しかった。
しかも「展示物が動き出す」という肝心の部分も、最も大きな展示物であるティラノサウルスの骨格標本が暴走するシーンを一発目に持ってきたせいで、そこがピークになるという大きな構成ミスをやらかしていた。
おまけに、中途半端にストーリーの面白さを意識した部分は、邪魔になっているという皮肉な状態だった。

それ以外でも色々と粗さの目立つ1作目だったが、でも全世界で大ヒットした。
そうなると当然のことながら、続編の企画が立ち上がる。内容を考えれば、場所さえ変えれば幾らでも続編が作れるからね。
ってなわけで、3年後には第2作が製作された。
しかし前述したように、1つのアイデアだけで勝負している作品なので、2作目にしてマンネリズムに陥っていた。
それじゃあマズいってことで恋愛劇を用意したが、上手く機能しているとは到底言えなかった。

2作目の出来栄えも、お世辞にも素晴らしいとは言えなかった。でも、これまたヒットしたので、さらに続編が製作されることになった。
アプローチとしては2作目と同じで、「舞台となる博物館を変える」ってことで違いを出そうとしている。
その考え方自体は、決して否定されるようなことではない。むしろ作品の内容からすれば、それ以外に方法が無いと言ってもいい。これまでと全く異なるパターンの続編を作ったら、それはそれで「コレジャナイ感」が強くなり、大勢の観客にそっぽを向かれる可能性が高いだろう。
ただ、やはり「舞台となる場所が違うだけ」なので、マンネリズムからは脱却できない。
っていうか2作目で既にマンネリズムに陥っていたわけで、それを3作目も繰り返すとなると、「またかよ」という感想になってしまう。

マンネリズムが必ずしもダメなわけじゃなくて、「こっちの期待に応えてくれる」という良さもある。例えば吉本新喜劇なんかは、次にどんなギャグが来るかを大半の観客は知った状態で見ているが、それでも「いつものギャグ」が披露されると「待ってました」という喜びを感じられるわけで。
このシリーズでも、もちろん「毎度御馴染みのパターン」ってのが「期待通りの展開」として歓迎できる部分はゼロじゃないのよ。
しかし、さすがに3作目ともなると、そういうメリットよりも「同じことを繰り返しているだけなので飽きてしまう」というデメリットの方が遥かに大きくなっているのだ。
そもそも、このシリーズで使われている基本のパターンってのは、そんなに多くの笑いを発信するようなタイプでもないしね。

1作目の時は、「展示物が動き出したことにラリーが驚いたり慌てたりする」というリアクションを使うことが出来た。ファースト・インパクトとしての面白さが利用できたのだ。
しかし2作目に入ると、もうラリーは慣れてしまっているので、同じパターンが使えない。
3作目になっても、もちろん同様だ。既にラリーは展示物と仲良しになっている。既存の連中だけでは厳しいので、そうなると新登場のキャラに頼らざるを得ない。
ただし、ラリーは展示物が動くことを知っているので、そこでの新鮮味が無いというハンデは背負っている。
つまり、このシリーズで3作目を作ろうってのは、かなり厳しいのだ。

しかも、せっかく登場させた新キャラも、そんなに存在感を発揮しているとは言い難いんだよね。
最も扱いが大きいのはランスロットだが、彼でさえ魅力的な存在たとは感じない。
マレンカレなんて、せっかくサー・ベン・キングズレーを起用しているのに、誰がやったところで構わないような扱いだ。
むしろ展示物の面々よりも、ティリーの方が遥かに魅力的なキャラクターと言える。
そこが魅力的なのは悪いことじゃないけど、新しい展示物が精彩を欠いているのはマズいでしょ。

製作サイドも底抜けのボンクラではないので、マンネリズムを脱却するために幾つかの手を用意している。
例えば「ラリーとニックの親子関係」ってのも、その内の1つだ。しかし、そこのエピソードは全く膨らまない。
「冒険の中でニックがラリーを見て何かを感じ、進路を決断する」というのが、ベタではあるが、進むべき道筋だろう。でも、そんなのは何も無い。
そもそもニックは反抗期ってわけじゃなくて単なるモラトリアムだから、そういう意味でも仕掛けとして弱いし。

また、「ラーもティリーの恋愛劇」という要素も用意されている。前作ではラリーに恋愛劇を用意したが、同じパターンではダメだろうってことなのか、他のキャラに恋愛劇を用意したわけだ。
でもラーもティリーも、どっちも初めて登場するキャラクターだ。そんな新参者同士のロマンスを描かれても、それで観客の関心を引き付けようってのは難しい。
どちらか片方は、御馴染みのメンバーにしておいた方が良かったんじゃないのか。せっかくジェデダイアたちがいるのに、なんで新キャラを特別扱いするかね。
ベン・スティラーが演じているからって、えこひいきが過ぎるわ。そして、そのえこひいきが、マイナスに作用しているわ。

今までの展示物を徹底的に軽視しているわけではなくて、例えばジェデダイアとオクタヴィウスには「ダクトに落下して別行動を取る羽目に」という役回りを用意している。1つのルートだけじゃなく複数のルートを並行して描くことで、話に厚みをもたらそうという狙いがあるんだろう。
でも残念ながら、それほど効果的に機能しているわけではない。どちらも結局は「展示物が動き出す」という内容であり、その数が増えているだけだ。
そこは「質より量」と捉えるべきかもしれないけど、どれだけ数やバリエーションを増やしたところで、今までの2作と大して変わらないし、「もう飽きたわ」という感覚を払拭することは出来ていない。トリケラトプスの骨格標本が暴走するシーンなんて、1作目のティラノサウルスと全く同じパターンだし。
「相柳との戦闘」と「溶岩からの逃走」を並行して描くシーンなんかは、それによって盛り上がりが倍になるわけではなく、むしろ散漫になって逆効果じゃないかと感じるし。

マレンカレは「長く月光を浴びていないから石板が腐食した」と語り、実際にラリーが月光を当てると修復される。
だけどオープニングで石板が発掘された段階で、それが鋳造されてから長い年月が経過しているはず。そして発掘されたってことは地中に埋まっていたんだから、その期間は月光を浴びることが出来る状況に無かったはず。
それなのに、今まで全く腐食していなかったのは、どういうことなのかと。
そこは何でもいいから、それなりの説明を用意しておかないとマズいんじゃないのか。

ランスロットが石板を奪って逃亡するのは、もちろんトラブルを勃発させてサスペンスを高めるための仕掛けだが、ものすごく強引だと感じる。
ランスロットは聖杯の代わりとして石板を奪うんだけど、「みんな終わりになるぞ」という警告を完全シカトするバカっぷりは都合が良すぎるし。他の連中の動きが悪化していく中で、ランスロットだけは「命が吹き込まれたのは今夜が初めてだから」という理由で普通に動き回れるのも、これまた都合が良すぎる設定だし。
しかも、そこで強引な上にボンクラ度数の高い策を講じてまで「逃亡したランスロットを追ってラリーたちが街へ出る」という手順を用意したにも関わらず、それによって「博物館の中で展示物が動き回る」ってのとは異なる面白い展開が繰り広げられるのかというと、そこの充実度は著しく低い。
トラファルガー広場のライオンが動き出しても人々を襲うことは無く、ラリーが遊ばせて終わりだ。展示物たちが外へ出たことで、特別なことが巻き起こる様子も皆無に等しい。せいぜいランスロットが劇場へ乱入するシーンぐらいだろう。
しかも、そこの面白さの大半は、「ヒュー・ジャックマンが本人役を演じている」というネタに頼っているわけだし。

終盤、テディーたちは石板を大英博物館に残し、ニューヨークへ戻ることに決める。そうなれば二度と動き出すことは出来ないが、ラリーは「何があっても君たちの面倒は見るよ」と約束する。
ところがニューヨークへ戻ったラリーはプラネタリウムの一件で責任を全て被り、自然史博物館の仕事を辞めてしまうのだ。
おいおい、それだと展示物の面倒を見ることなんて出来ないだろうに。一応は「感動的な別れ」として展示物が動かなくなる様子を描いているのに、ラリーが約束を守らないってのはアウトだろ。
最終的にはティリーが石板を持って訪れ、再び展示物は動き出すけど、ラリーは教師になっているからテディーたちと再会できないし。
そこに漂う寂しさは、誰も得をしない無意味な要素だと思うんだけど。

(観賞日:2016年12月28日)

 

*ポンコツ映画愛護協会