『ネバーエンディング・ストーリー3』:1994、アメリカ&ドイツ

かつてファンタージェンの危機を救ったバスティアンは、中学生になった。父バーニーがジェーンと再婚し、バスティアンは新しい母や彼女の連れ子ニコールと共に暮らすことになった。だが、妹となったニコールは、バスティアンに反抗的な態度を取る。
新しい学校に転校したバスティアンは、スリップが率いる不良グループ“ナスティーズ”に目を付けられる。ナスティーズに追われたバスティアンは、図書室に逃げ込んだ。そこで彼は、かつて『ネバーエンディング・ストーリー』を自分に見せたコレアンダーと再会する。彼は書店を辞めて、この学校の司書になっていたのだ。
本棚に並んでいた『ネバーエンディング・ストーリー』を発見したバスティアンは、ナスティーズから逃げるため、強く願ってファンタージェンへと移動した。図書室の床に落ちている本を発見したスリップは、ファンタージェンを支配しようと考える。
バスティアンは幼ごころの君から、あらゆる願いを叶えるアウリンを渡され、本を取り戻すよう頼まれた。だが、バスティアンがファンタージェンを抜ける時、一緒にバーク・トロルやロックバイター・ジュニア、ファルコンも現実世界に飛ばされてしまった…。

監督はピーター・マクドナルド、原作はミヒャエル・エンデ、原案はカリン・ハワード、脚本はジェフ・リーバーマン、製作はディーター・ガイスラー&ティム・ハンプトン、撮影はロビン・ヴィジョン、編集はマイケル・ブラッドセル、美術はロルフ・ツェートバウアー、視覚効果監修はデレク・メディングス、 音楽はピーター・ウルフ。
出演はジェイソン・ジェームズ・リクター、メロディ・ケイ、フレディ・ジョーンズ、ジャック・ブラック、ライアン・ボルマン、キャロル・フィン、トレイシー・エリス、ケヴィン・マクナルティー、ジュリー・コックス、モイヤ・ブラディー、トニー・ロビンソン、エイドリアン・ドーヴァル、ニコール・パーカー、トーマス・ペトルオ、ケイファン・ショウ、ゴードン・ロビンソン、シャーリー・ブロデリック他。


ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』を基にしたシリーズ3作目。
1作目、2作目、3作目で全てキャストが違うのだが、そこまでして続編を作るほどのモノだとは思えない。
1作目が原作者の怒りを買い、2作目もヘロヘロだったのに、まだ続けるとは。

バスティアンは随分と大きくなり、色気づいて髪型もオシャレにしたりする。
今までのような、見るからにダメダメで冴えないイジメられっ子という匂いは薄くなっている。
ただ、彼よりも、妹のニコールの方が魅力が無いので、彼女と比べればマシだが。

もうね、ハッキリ言って、学校の図書館に普通に『ネバーエンディング・ストーリー』が置いてある時点で、ダメだと思うのよ。
しかも、いつの間にやら、その本は現実社会のバスティアンのことも描くモノになっている。
そんな設定だったっけ?
ナスティーズに追われて願うとファンタージェンに逃げ込むって、そんな本だったっけ?

大体、バスティアンが読むから彼の物語になるのであって、スリップが読めば、バスティアンの話を操作できるのではなく、スリップが主人公の物語になるような気がするのだが。
なんか、そこが都合良くなっているように思える。
あと、都合がいいと言えば、スリップ達が本に興味を持って読み始めるのも、なんか妙な感じだなあ。

序盤は、バスティアンと家族との関係について描写するために時間が割かれており、それ(特にニコールとの関係)を後半に生かしたいようだ。
家族ドラマを描くのは、前2作との差別化を図る意図もあるのかもしれないが、既に前2作でファンージェンの存在を知っているだけに、「そんなことより早くファンタージェンの話に入れ」と思ってしまう。

前半は、現実社会での話がしばらく続く。
問題は、観客がバスティアンの家族ドラマや現実での出来事と、ファンタージェンでのファンタジックな冒険と、どちらを見たいと思っているのかということだ。
たぶん、後者ではないかと思うのだが。
もちろん、現実世界での出来事を描く必要もあるだろうが、そこが長すぎるということだ。

そもそも、前2作との差別化を図るのなら、もう「バスティアンがイジメられている」という図式は要らないだろう。
前2作で勇気を得たのだから、もう変わっているはずなのだが。
これでは、前2作が何も役に立っておらず、何も成長していないかのようだ。

ファンタージェンでは、ロックバイター・ファミリーの様子を描いたり、歌を歌わせたりしているが、そんなことより大切なことを忘れている。
アトレーユはどうなったのだ。
そのことに、バスティアンも全く触れない。
前作で育んだ友情は、どうなったのよ。

再び現実社会に戻るバスティアンだが、本を取り戻すための行動を起こすことも無く、しばらくはボケーっとしてるだけ。
ロックバイター・ジュニアを家に隠そうとする話なんて、ほとんど『E.T.』になっちゃってる。
なんか、やたらコメディーに針が振れている。

現実世界にファルコン達が出てくるのはビジュアルとしては面白いかもしれないが、その分、ファンタージェンの出てくる時間は短い。
しかも、その部分を描くのに気を取られすぎたのか、肝心の「バスティアンがスリップ達からファンタージェンを守る」という話が弱くなっている。
大体、敵が不良グループでは、前2作よりスケールがダウンしてないか。

 

*ポンコツ映画愛護協会