『ネバーエンディング・ストーリー 第2章』:1990、アメリカ&ドイツ
バスティアン少年は以前、“ネバーエンディング・ストーリー”という本を読み、勇者アトレーユと共にファンタージェンという国を救った。それから月日は経過した。バスティアンは母を亡くし、父と2人で暮らしていた。
学校で高飛び込みをすることになったバスティアンだが、言い訳をして飛び込み台から下りてしまった。彼は古書店に行き、店主に「高い場所から飛び込む解説書が欲しい」と告げる。すると店主は、「必要なのは勇気だ」と告げる。
“ネバーエンディング・ストーリー”を見つけたバスティアンは、それを家に持ち帰る。本を開くと、ファンタージェンの王女である“幼ごころの君”が助けを求めてきた。バスティアンはファンタージェンへと入り込む。
ファンタージェンを消そうと企むザイードは、記憶マシーンを使ってバスティアンを罠に掛けようとする。記憶マシーンを使えば、願いを叶えるごとに記憶を失っていくのだ。ザイードの手下ニンブリーは、仲間のフリをしてバスティアンに近付いた。
ニンブリーはバスティアンに、「アウリンの力で願いが叶う」と吹き込んだ。アトレーユと再会したバスティアンは、ファンタージェンを救おうとする。しかしザイードの言葉を信じたバスティアンは、アトレーユが敵だと信じ込んでしまう…。監督はジョージ・ミラー、原作はミヒャエル・エンデ、脚本はカーリン・ハワード、製作はディーター・ガイスラー、共同製作はボド・スクリーバ、製作協力はクラウス・ケーラー、製作総指揮はティム・ハンプトン、撮影はデイヴ・コンネル、編集はピーター・ハリウッド&クリス・ブランデン、美術はボブ・ラング&ゲッツ・ヴァイトナー、衣装はハイジ・ヴィエク、コンセプチュアル・アーティストはルートヴィヒ・アンゲラー、特殊視覚効果はデレク・メディングス、音楽はロバート・フォーク。
出演はジョナサン・ブランディス、ケニー・モリソン、クラリッサ・バート、マーティン・ウンバック、ジョン・ウェズリー・シップ、アレクサンドラ・ジョーンズ、トーマス・ヒル、ヘレナ・ミッチェル、クリス・バートン、パトリシア・フッガー、バージ・シェード、クラウディオ・マニスカルコ、アンドレアス・ボルシェルディング、ラルフ・ウェイキンガー、コリン・ギルダー他。
ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』を基にしたシリーズの第2弾。
キャスティングは主要メンバーからして前作と完全に変わってしまったが、前作の続きが描かれている。
う〜ん、無理を承知で強引に通しちゃったのね。バスティアンは自分で挙手したのに高飛び込みに怖じ気付くというヘタレっぷりを露呈し、勇気のユの字も無いという状態。
前作での冒険は、全く意味が無かったようだ。
ファンタージェンに入っても、やっぱりビビっている。しかし、“幼ごころの君”に助けを求められ、急に民衆に向かって「一緒に戦おう」とか「逃げるな」とかエラそうなことを言い放つ。
恐るべき豹変ぶりだ。
しかし、敵に出会うとやっぱりビビってしまう。
「弱虫の少年が冒険の中で勇気を得るようになる」という成長の物語は、そこには全く見られない。バスティアンは、ザイードの送り込んだジャイアンツを見て、なぜかノコノコと出て行ってしまうバカっぷりを見せる。
彼のバカっぷりは後半になっても続き、ザイードが悪党だと知っていながら、簡単に彼女の言葉を信じてアトレーユを疑う。ずっとビビってたはずなのに、“幼ごころの君”の言葉を聞いて急に強気になったりする。ザイードは悪党だと分かっているのに、簡単に信用してしまう。
結局、バスティアンってのは女に弱いガキということなんだろうな。バスティアンは幾つか願いを告げて叶えてもらうのだが、基本的には自力で何とかしようとしている。敵に出会っても、いきなり「退治して」と願うようなことも無い。しかも、願いは全て、ファンタージェンを救う行動のために使われている。
もっと頻繁に、そして安易に、願いを叶えてもらうような展開があるべきじゃないだろうか。それに、何でも願いが叶うとなれば、バスティアンが自分の欲望だけのために使うような展開になるのが普通なんじゃないだろうか。
しかも、バスティアンが願いを叶える度に少しずつ記憶を忘れていくような描写も無い。「なぜか父親の顔が思い出せなくなる」とか、そういうことが無いのだ。
だから、「願い事で記憶が失われていく」というポイントが全く生かされていない。それにしても、この物語って決定的なミスがあるんじゃないだろうか。
だって、例え記憶が失われていくという罠はあるにせよ、バスティアンの願いは確実に叶うわけだ。
だったら、「ファンタージェンを救って」とか「ザイードを退治して」と願えば、全て解決だよな。