『南極物語』:2006、アメリカ

1993年1月、探検ガイドのジェリー・シェパードは全米科学財団の南極基地で働いていた。同じ基地で働く地図設計者でエンジニアのチャーリー・クーパーは友人関係で、セスナ機操縦士のケイティーとは付き合ったり離れたりを繰り返している。ある日、ケイティーがデイヴィス・マクラーレン博士と機材を基地へ運んで来た。財団のアンディー・ハリソンとコーディネーターのローズマリー・パリスが基地から出て来て、彼に挨拶した。
ジェリーは事前に、マクラーレンが隕石の調査でドライバレーへ行くと聞かされていた。しかし、それは情報漏洩を危惧して流された嘘の情報で、実際はメルボルン山へ向かうことを知らされる。ドライバレーとは反対方向であり、2倍の距離がある。しかもシーズン当初に行ったきりであり、ジェリーはリスクの大きさを口にする。さらに彼は「氷が薄くなっているので、犬橇を使うしかない。犬たちは疲れている」と難色を示すが、ハリソンの指示を受けて承諾した。
翌朝、ジェリーはマクラーレンにマヤ、マックス、オールド・ジャック、シャドウ、バック、トルーマン、デューイ、ショーティーという8頭の犬を紹介した。2人は犬橇で出発し、ヒョウアザラシを避けて氷原を移動した。氷河に辿り着くとジェリーは犬橇を降り、足元の安全性を確認しながら慎重に進む。クレバスを発見した彼は、橇に乗っているマクラーレンに迂回を指示した。しかしマックスが命令に従わず、マクラーレンはクレバスに落ちそうになる。急いでジェリーが駆け寄り、マクラーレンを引っ張り上げた。
ジェリーはテントを張り、マクラーレンと会話を交わす。再び出発した2人は、メルボルン山に到着した。一方、財団の基地には別の基地の気象部で働くスティーヴから連絡が入り、強い勢力の低気圧が迫っているので外出者を呼び戻すよう忠告される。ケイティーはジェリーに連絡を入れ、すぐに帰還するよう告げた。しかしマクラーレンは、「手ぶらでは帰れない。大発見が待っている。危険を冒さなければ何も手に入らない」とジェリーに訴える。そこでジェリーは、半日だけ出発を延ばして明日の昼まで滞在することにした。
翌朝、ジェリーとマクラーレンは犬橇を使い、東の斜面へ赴いた。マクラーレンは隕石らしき岩を発見して興奮し、ジェリーが「旗の外に出たら危険だ」と言うのも聞かずに近付いた。マクラーレンは岩を回収し、ジェリーの元へ戻った。財団の基地へ戻る途中、引退間近の老犬であるオールド・ジャックが怪我をしたため、ジェリーは治療のために犬橇を停める。彼はマクラーレンに、基地と連絡を取って嵐の状況を尋ねるよう頼んだ。マクラーレンは無線を使おうとするが、足場が崩れて崖下に落下した。
マクラーレンは右足を骨折して動けなくなり、氷が割れて冷たい海に落ちた。ジェリーはマヤにロープを運ばせて、マクラーレンを海から引っ張り上げた。ジェリーはマクラーレンを基地まで運ぶが、自らも両手に重度の凍傷を負った。ハリソンは出発準備を急ぎ、ジェリーに「犬を乗せる余裕はない。後でケイティーが戻って来る」と告げる。ジェリーは「犬たちと残って、後から行きます」と言うが、ハリソンは凍傷を急いで治療する必要があると説いた。
ケイティーが「必ず戻るから」と約束したので、ジェリーは犬たちを残して飛行機に乗り込んだ。極度の疲労から眠り込んだジェリーが目を覚ますとマクマード基地のベッドで、既に凍傷の治療は済んでいた。ジェリーは天候の悪化で飛行機が飛ばせなくなったこと、そのために犬たちが取り残されたままであることを知った。ジェリーはマクマード基地の所長に、飛行機を出してほしいと訴える。しかし所長は「次の嵐が来るまでに全員を非難させなけれはならない。どうしようもない」と現実を告げた。
2月12日、取り残されてから4日目を迎えたマヤたちは、吹雪の中で生き続けていた。ジェリーは犬たちの救助に向かう資金を集めるため、財団や政府などを回る。だが、どこへ行っても、すぐに南極へ向かうのは無理だと断られる。南極には25年に1度の大嵐が来ており、越冬隊も中止になっているほどだった。ジェリーはマクラーレンの元を訪れ、「あと1週間で南極に冬が来る。そうなれば、半年は誰も行くことが出来ない」と話す。
ジェリーはマクラーレンが大学から援助金を出してもらっていることを知っており、協力を求めた。マクラーレンが「現実を見ろ。とっくに犬たちは死んでる」とマクラーレンが告げると、ジェリーは「自分の目で確かめたい」と訴える。しかしマクラーレンは、「無理だよ。忘れるしかない」と口にした。2月23日、既に首輪を外していた犬たちは、飛んで来た小鳥を追って基地を離脱した。しかし衰弱していたジャックだけは首輪を外すことが出来ず、基地に取り残された。マヤたちは鳥の群れを捕まえ、餌にした。
ジェリーは住まいであるオレゴン州アストリアのトレーラーハウスに戻るが、犬たちのことが頭から離れなかった。3月30日、犬たちは美しいオーロラを見上げた。デューイは足元が崩れて滑落し、命を落とした。猛吹雪の中で、犬たちは雪に埋もれて一夜を過ごした。翌朝、マヤたちは出発するが、最年少のマックスだけはデュースの亡骸から離れようとしなかった。しばらくしてからマヤたちを追い掛けようとするマックスだが、既に姿は見えなくなっていた。
ジェリーはマッキンリーの仕事を断り、子供たちのカヤック教室で先生をしていた。そこへケイティーが現れ、「ずっと逃げ続けることは出来ない。自分を責めるのは止めて」と告げた。ジェリーはマヤたちを育てたミンドの元へ行き、南極で撮影した写真を渡して謝罪した。するとミンドは、「詫びる必要は無い。大切なのは、自分の心が納得できる道を探すことだ」と口にした。トレーラーハウスへ戻ったジェリーは、ある決意を固めて荷物をまとめた。
6月21日、マヤ、シャドウ、バック、トルーマン、ショーティーの5頭は食料庫を見つけ、腹を満たした。彼らと離れたマックスは、財団の基地へ戻った。全米科学財団賞の授賞式が開かれ、マクラーレンは妻のイヴを伴って参加した。会場を訪れたジェリーは、マクラーレンに「クライスト・チャーチへ行き、南極へ行く船を見つけるつもりです」と述べた。帰宅したマクラーレンは、息子のエリックが描いた「パパを救った犬たち」という絵を見つけた。書斎に入った彼は、大学の決算書を見つめて考えを巡らせた…。

監督はフランク・マーシャル、脚本はデイヴ・ディジリオ、製作はデヴィッド・ホバーマン&パトリック・クローリー、製作総指揮はトッド・リーバーマン&角谷優&フランク・マーシャル&クリスティーン・イソ&ロイ・リー&ゲイリー・バーバー&ロジャー・バーンバウム、撮影はドン・バージェス、美術はジョン・ウィレット、編集はクリストファー・ラウズ、衣装はジョリー・ウッドマン、音楽はマーク・アイシャム。
主演はポール・ウォーカー、共演はブルース・グリーンウッド、ジェイソン・ビッグス、ムーン・ブラッドグッド、ウェンディー・クルーソン、ジェラルド・プランケット、オーガスト・シェレンバーグ、ベリンダ・メッツ、コナー・クリストファー・レヴィンス、ダンカン・フレイザー、ダン・ジスキー、マイケル・デヴィッド・シムズ、ダニエル・ベーコン、ラーラ・サディグ、マルコム・スチュワート、デクスター・ベル、ギャリー・チョーク、ブレンダ・キャンベル、マイケル・アダムスウェイト、バディー・ケイン他。


1983年に公開された同名の日本映画をハリウッドでリメイクした作品。
監督の『生きてこそ』『コンゴ』のフランク・マーシャル。
脚本のデイヴ・ディジリオは、これがデビュー作。
ジェリーをポール・ウォーカー、マクラーレンをブルース・グリーンウッド、クーパーをジェイソン・ビッグス、ケイティーをムーン・ブラッドグッド、イヴをウェンディー・クルーソン、ハリソンをジェラルド・プランケット、ミンドをオーガスト・シェレンバーグが演じている。

序盤、メルボルン山へ向かう途中でマクラーレンがクレバスに落下し、ジェリーが助けるシーンがある。
しかし、これが1983年の同名作のリメイクだと分かっているので、「そんなトコで人間がピンチに陥る展開を用意して、何の意味があるんだろうか」と感じてしまう。
それが後の展開への布石になっているなら、もちろん何の問題も無い。しかし、「そこだけのピンチ」でしかないのだ。
そこはマックスが指示に従わずに行動しているけど、それが「サバイバルに入ってから彼だけが別行動を取る」ってことへの伏線になっているわけでもない。そこを省いてサバイバルに突入しても、何の問題も無いよ。

オリジナル版は犬たちによる決死のサバイバルを描く映画であり、極端に言っちゃうと「犬たちの死に様を見せる、血の出ない残酷映画」だった。犬たちが置き去りにされるまでの部分は、ただの前フリに過ぎない。
この映画でも、それは変わらないのだ。
しかし、前述した「マクラーレンがクレバスに落ちてジェリーが救助する」というシーンが、前フリになっているとは思えない。
それはキャンプを張った2人が会話を交わすシーンも同様だ。ジェリーとケイティーとの関係、マクラーレンと家族の関係が語られるが、「だから何なのか」ってことなのだ。
そんなのは、それ以降に待ち受けている「犬たちのサバイバル」とは全く関係が無い。

もちろんリメイク版だから、オリジナル版から改変されていることは考えられる。
実際、かなり人間ドラマの部分を重視しようという意識は感じられる。
だから、それが「犬たちのサバイバル」と上手く連動していれば、それは歓迎できる。
しかし残念ながら、ちっとも上手く連動していない。
結局のところ、オリジナル版と同様で、「人間と犬の絆とか、犬を置き去りにした面々の心の葛藤とか、そんなことはどうだっていい」という中身になっているのである。

オリジナル版における登場人物たちは、「犬たちが取り残される」という展開へ持ち込むための駒に過ぎなかった。高倉健や渡瀬恒彦といった大物俳優たちを起用しながら、キャラクターとしての中身を必要としない扱いになっていた。
このリメイク版でも、やはり人間は「ほとんど中身を必要としない存在」という状態になっている。
ジェリーに関しては、「可愛がっていた犬たちを心配する」という役回りが与えられている。ただし犬たちは「ジェリーの元へ戻りたい」ってことで行動するわけではなく、単に「生き延びたい」ってことしか考えていない。
だから、そこの思いは完全に一方通行だし、それほど重視されるような要素ではない。

マクラーレンは東の斜面を調べる際、ジェリーが「旗の外に出ると危険だ」と言ったのに、岩を見つけて勝手な行動を取る。しかし、彼は何のトラブルにも巻き込まれず、あっさりとジェリーの元へ戻って来る。
だったら、そこでピンチのフラグを立ててからの肩透かしを食らわせるのは何の意味があるのかと。
それとさ、マクラーレンが隕石を発見しようがしまいが、「犬たちのサバイバル」には何の関係も無いのよね。
だから、そんなトコで無駄な時間を使わず、さっさと犬たちのサバイバルに入ってくれと言いたくなる。

オリジナル版とは違って、このリメイク版では「マクラーレンが滞在の延長を求めて帰還が遅れ、おまけに崖から落ちて骨折&氷へ落ちてピンチ」ってのがあって、だから飛行機に犬たちを乗せる余裕が無くなったという形を取っている。
だが、これは改変として大間違いだ。
「天候悪化のせい」ってことなら誰も責められないけど、この映画だと「マクラーレンのせいで犬たちが置き去りになった」ってことになるわけで。
責められるべき人間を配置すると、そこが余計な引っ掛かりになる。

しかも、マクラーレンは「自分のせいで」と責任を感じることもなければ、罪滅ぼしのために行動することも無い。
それどころかジェリーが協力を要請すると、「無理だ。忘れるしかない」とクールに言っちゃう始末だ。
後半に入ると協力する展開があるけど、それは決して「犬たちが取り残されたことへの責任を感じたから」ってことではなく、「幼い息子が犬たちの絵を描いていたので、心を動かされた」というだけだ。
犬たちに対する気持ちなんて、これっぽっちも持ち合わせちゃいないのだ。

1983年のオリジナル版は、「犬たちが過酷な環境に翻弄されながらも必死に生き抜こうとする残酷なサバイバル」こそがメインだった。
つまり、いかに過酷な環境へと犬たちを追い込み、どれほど酷い目に遭わせて命を落とさせるかってのが重要なポイントだった。
ところが何をトチ狂ったのか、このリメイク版では、サバイバルの部分をすっかりヌルい内容へと変化させている。
犬たちに対し、「かわいそう」よりも「かわいい」の方を強く感じさせるような中身になっている。

まあ考えてみればウォルト・ディズニー・ピクチャーズの製作なので、そこがヌルくなるのは当然っちゃあ当然なんだろう。
ディズニーはリメイクに際して、「フィクションと言えども、動物をあまり辛い目に遭わせたくない。出来るだけ殺したくない」と考えていたらしい。
だから、そもそも原題からして「Eight Below」で、オリジナル版の犬が15頭だったのに8頭へと減らしている。
その時点で、仮に最後まで生き残る数のがオリジナル版と同じだったとしても、生存確率はグッと上がるわけだ。

取り残された犬たちが基地を離脱しても、「過酷なサバイバル」という印象は薄い。
彼らは見事な作戦で鳥を捕獲し、腹を満たす。雪に埋もれても「そのせいで死ぬのでは」というハラハラ感は皆無で、翌朝には元気一杯で起き上がる。
そんなに食料が豊富ではないはずだが、丸々と太った健康な状態のままで月日が過ぎている。
ぶっちゃけ、ジェリーが急いで助けに行かなくても、そのまま普通に南極で生活できんじゃないかと思うぐらい、すっかり順応している。

そもそも南極の冬ってのは、かなり過酷なはずだ。しかし、過酷な雰囲気は乏しい。
ものすごくヌルいので、もはやサバイバルとは言い難い。せいぜい、『三匹荒野を行く』レベルのアドベンチャーに過ぎないのだ。
実際、オリジナル版ではタロとジロしか生き残らなかったから「15分の2」の生存率だけど、こっちは4分の3が生き残ってしまうのだ。
おまけに、その内の1頭は「老犬で引退間近」というジャックだから、サバイバルに巻き込まれなくても先は長くなかった可能性がある。

「出来る限り動物を殺したくない」とかヌルいことを考えるぐらいなら、そもそも『南極物語』をリメイクすべきではない。
あの映画をリメイクするのなら、優しさなんて要らないのよ。容赦なく犬たちを殺して、南極の過酷な環境を見せ付けるべきなのよ。
これは「飼い主と離れ離れになった犬が、長い冒険を経て我が家へ戻る、ファミリー向けアドベンチャー映画」とはワケが違うのだよ。
そこを勘違いしているから、牙を抜かれた獣のような腑抜けになっちゃってるのよ。

(観賞日:2016年2月29日)

 

*ポンコツ映画愛護協会