『2046』:2004、香港

2046では壮大なネットワークが地球上に広がっていた。怪しげな列車が時々、2046に向かって走っていた。乗客の目的は、無くした自分の記憶を取り戻すことだった。2046では何も変わらずに残っていると言われているが、それが本当なのかどうか分からない。タクは「2046か戻って来たのは貴方が初めてだ。なぜ出て来たのか」と問われる度に、曖昧な答えを返してしまう。かつて恋した女がいなくなり、彼は2046へ行けば待っているのではないかと思ったが、見つけ出すことは出来なかった。
チャウ・モウワンはスー・リーチェンの元へ行き、「もう来ない約束よ」と告げられる。チャウが「ここにいても将来が無い。香港へ戻るから、一緒に来てほしい」と言うと、彼女は「貴方が勝てば行くわ」とカードでの勝負を持ち掛けた。チャウがスーを見たのは、それが最後だった。チャウはシンガポールを去り、1966年の末に香港へ戻った。その直後に暴動が勃発し、チャウはホテルに部屋を借りて新聞にコラムを書き始めた。生活は苦しく、彼は官能小説も執筆するようになった。
チャウの生活は豊かになり、女遊びも覚えた。1966年12月24日。彼は1964年のシンガポールでショーに出ていたルルと遭遇し、声を掛けた。しかしルルはチャウのことを覚えておらず、今は名前が違うと告げた。チャウは当時のことを詳しく話すが、ルルは全て忘れている様子だった。チャウは泥酔したルルをホテルまで送り届け、去る時に2046という部屋番号を見た。彼が2日後にホテルへ赴くと、支配人のワンはルルという人物を知らないと告げる。彼は「ミミなら知ってるが、引っ越した」と言い、引っ越し先は知らないと述べた。
チャウが「2046号室を借りたい」と言うと、ワンは改装中なので2047号室ではどうかと持ち掛けた。チャウが「改装が終わるまで待つ」と告げると、彼は「2047号室に引っ越して、改装が終わったら隣に移ればいい」と提案した。チャウは後で知ったが、その前夜、ミミは恋人に部屋で刺し殺されていた。改装が終わっても、チャウは2047号室に残った。時々、ワンの長女であるジンウェンの声が壁越しに聞こえた。彼女の恋人は日本人のビジネスマンで、ワンは交際に反対して2人を別れさせた。ビジネスマンが日本に帰った後、ジンウェンは独り言を呟くようになった。ビジネスマンは再び香港に戻り、ワンはジンウェンを激しく怒鳴り付けた。
ワンの次女のジェウェンは早熟で、チャウの部屋へ来るようになった。やがてジェウェンはドラマーと駆け落ちし、ジンウェンは入院した。1967年5月22日、香港では夜間外出禁止令が出た。チャウは外出を控え、『2046』という小説を執筆した。それは愛を求める男女が2046へ行こうとする物語であり、発売されるとヒットした。『2046』は未来の物語のように見えて、実はチャウの生活の投影だった。チャウは周囲の面々を、小説に登場させた。
9月に暴動は終わり、2046号室にバイ・リンという女性が引っ越してきた。チャウはプレゼントを贈り、彼女を口説いた。リンの恋人のターパオは、他の女性と浮気した。それを知ったリンは憤慨し、彼を拒絶した。1967年12月24日、チャウはリンを夕食に誘い、レストランへ出掛けた。リンは彼に、「こんなクリスマスになるとは思わなかった。シンガポールに連れて行くと彼が約束してくれてた」と話した。チャウがシンガポールに住んでいたことを話すと、リンは現地について詳しく知りたがった。
チャウはバイから多くの女性と付き合っていることを指摘され、「遊びの関係だ。深入りはしない」と語る。「そんなの無意味よ。いい人が1人いればいい」とリンは言うが、チャウは同調しなかった。彼はリンに警戒されていると感じ、「君と関係を持ちたいわけじゃない。飲み友達になりたい」と述べた。「それで我慢できる?」と問われた彼は、「難しいが、やってみよう」と口にした。しかし結局、2人は肉体関係を持った。
情事を終えたチャウは部屋を出て行く時、リンに200ドルを差し出した。「売り物じゃないわ」とチャウが言うと、彼は「誤解させたようだが、服を破いたお詫びだ」と告げる。リンは「付きまとわれたくないのね。だったら10ドルだけ貰うわ。安くしてあげる。またお望みの時は、この値段よ」と語り、寂しそうにチャウを見送った。その後も2人は、何度も肉体関係を持った。チャウの友人のピンは、リンに「奴に惚れてるんだろうが、時間を無駄にするなよ。奴は本気じゃないんだ」と忠告した。
チャウが部屋に来なくなったので、リンは彼の部屋を訪れた。リンが「この前の女は誰?部屋を出るのを見た」と言うと、チャウは「詮索するな、もう帰れ」と告げる。リンが「今夜はここで寝る。幾らでも払う。貴方を貸し切る」と話すと、チャウは「短期はいいが、長期はお断りだ」と口にする。リンが「他に女がいてもいいけど、同じ扱いは嫌なの。だから他の男は、もう連れ帰られない。貴方も女を連れて来ないで」と頼むと、彼は「無理だ」と即答した。
リンは怒って「だったら、もう終わりね」と言い、部屋を去った。彼女はチャウへの当て付けで、男を部屋に連れ込んだ。チャウは全く気にせず、女を連れ込む生活を続けた。やがてリンはターパオとヨリを戻し、ホテルを出て行った。ジンウェンはホテルに戻り、ワンは娘が日本人と手紙をやり取りしていると知って激高した。それを知ったチャウはジンウェンに声を掛け、「自分宛てに手紙を送らせれば渡してあげよう」と持ち掛けた。
ジンウェンは遊びで小説を書いていることをチャウに打ち明け、その一部を読んでほしいと言い出した。チャウは小説を読み、その才能を評価した。彼はジンウェンを助手にして、口述した内容を代筆する作業を任せた。ジンウェンが働きたいと言うので、チャウはクロークの仕事を紹介した。一緒に夏を過ごす中で、チャウはジンウェンに惹かれるようになった。彼はジンウェンに、恋人の気持ちを小説に書くと約束した。執筆している最中、チャウは主人公が自分に思えて来た。
空想の中のチャウは日本人で、2046を出た列車の中で働くアンドロイドに恋をした。主人公は何度も「俺と一緒に行かないか」と尋ねても、アンドロイドからの返答は無かった。車掌はチャウに、「長時間の旅で乗務員の機能は衰えている」と説明する。そのせいで感情の表現が遅れ、特に主人公が恋したアンドロイドの機能低下は著しいのだと車掌は語る。主人公は他の乗務員にも、「一緒に行かないか」と訊く。やがて彼は、アンドロイドの返事が無いのは機能の衰えではなく、自分を愛していないからだと感じるようになった…。

脚本・監督・製作はウォン・カーウァイ、製作総指揮はチャン・イーチェン&レン・チョンラン、監製はエリック・ヘウマン&レン・チョンラン&チュー・ヨンデ、共同製作はパン・イーワー&チュオ・ウー、製作協力はチョン・チェン&フー・マンハー&リー・シャオジュン、攝影はクリストファー・ドイル&ライ・イウファイ&クワン・プンリョン、美術はウィリアム・チャン、編集はウィリアム・チャン、音楽はピーア・レイベン&梅林茂。
出演はトニー・レオン、コン・リー、フェイ・ウォン、木村拓哉、チャン・ツィイー、カリーナ・ラウ、チャン・チェン、バード・トンチャイ・マッキンタイア、ドン・ジェ、マギー・チャン、ワン・シェン、スー・ピンラン、コン・トイホイ、チュン・ユイリン、ン・ティンイップ、ミウ・フェイラン、チン・シウラン、ホン・ワー、ウォン・シェンユー、チェン・シン、イェン・ナ、ウォン・オイユー、リー・チウワー、チェン・カーマン、リー・シウミン、ユエン・クォックファイ、ユエン・フーワー他。


『ブエノスアイレス』『花様年華』のウォン・カーウァイが脚本&監督&製作を務めた作品。
チャウをトニー・レオン、リーチェンをコン・リー、ジンウェンと列車のアンドロイドをフェイ・ウォン、タクとジンウェンの恋人を木村拓哉、リンをチャン・ツィイー、ルルをカリーナ・ラウ、ミミのボディーガードをチャン・チェン、ジェウェンをドン・ジェ、別のリーチェンをマギー・チャンが演じている。
タイの歌手であるトンチャイ・マッキンタイアが、本人役で出演している。

ウォン・カーウァイ監督が得意とする、雰囲気と映像美だけで出来上がっている作品である。
っていうか、そういう映画しか撮れない人だからね、ウォン・カーウァイって。
その武器1本だけで活動し、時代の流れにも上手く乗って、『欲望の翼』や『恋する惑星』で世界的に注目される監督になった。
そして自分の手には負えない武侠映画の『楽園の瑕』で酷評を浴び、『ブエノスアイレス』と『花様年華』で持ち直し、この映画で再び評価を下げることになった。

ウォン・カーウァイ監督は映画的なジャンルに当てはめると、撮れる作品の幅が極端に狭い。
あえて言うなら、「ウォン・カーウァイ」という特殊なカテゴリーの映画を撮り続けている人なのだ。
そして実質的には、完成した作品の半分ぐらいはクリストファー・ドイルの力と言ってもいいだろう。
何しろ、大半の映画における映像美と、それに伴って漂う雰囲気は、タッグを組んだクリストファー・ドイルが生み出しているわけだから。

今回はSFの要素も少しだけ含まれているが、ホントに申し訳程度。
未来を舞台にした劇中劇のパートは、表面の薄皮にSFを被せているだけだ。
一応は独立した1本の映画として制作されているが、実際には『欲望の翼』や『花様年華』といったウォン・カーウァイの過去作からの繋がりを強く感じさせる内容になっている。
そのせいで分かりにくくなっているという指摘もあるようだが、個人的には「そんなの関係ねえ」と感じる。
『欲望の翼』や『花様年華』を見ていようがいまいが、たぶん「つまんない」という評価は変わらんよ。

簡単に言うと、「昔の女を忘れられない男が、色んな女を口説いて肉体関係を持つ」という話である。
そして「男は昔の女を引きずっており、多くの女と関係を持っても本気になれず、空しくなるだけ」という話である。
だけど実際には、チャウが軽薄なだけのプレイボーイにしか見えないんだよね。
「昔のことを引きずっている」という部分でも、まるで同情心は沸かない。心の穴を埋めようとして色んな女性に手を出すのも、まるで共感を誘わない。

チャウは本気になったリンの求めを拒否し、そこに誠実さは優しさはカケラも感じない。彼女に冷たい態度を取り、罪悪感は全く抱いていない。遊びでの付き合いを要求し、ヘラヘラと薄笑いを浮かべる。
そこに限らず、チャウは女性との付き合いに関して、逡巡も焦燥も苦悩も全く無い。
後半には申し訳程度に罪の意識を匂わせることもあるが、屁の突っ張りにもならない。
だから全体を通して、愚かしくて身勝手な男が「自分は悪くないんだ」と主張し、惨めで無様な自己弁護が延々と描かれているだけにしか見えない。

ナレーションの洪水によって物語を進行しているが、そこからチャウの心情が見えることは、ほとんど無い。
チャウのナレーションは状況説明だけでなく気持ちも語っているのだが、本音を隠して上っ面の部分しか表現していない。
ウォン・カーウァイ監督はナレーションや出演者の演技も含めて、クールで都会的な雰囲気を生み出すための道具として使っている。
そもそも分かりやすく伝えようとする意識は皆無なので、「何が何だか良く分からない」と感じたとしても、それは仕方が無い。

根本的な問題として、ドラマや物語に観客の意識を集中させるような作りになっていない。
ウォン・カーウァイ監督の雰囲気第一主義は、ドラマへの没入感を削いでいる。っていうか、そっちに力を入れ過ぎて、ストーリーテリングやドラマツルギーは後回しになっている。
まあウォン・カーウァイ作品では、いつものことではあるけどね。
そして致命的な欠陥として、劇中劇パートの必要性が皆無という問題が挙げられる。
チャウが執筆した小説の内容を描くパートが何度か挿入されるが、丸ごと要らないのだ。

チャウが小説に自分と女性の関係を投影している設定であり、そこに彼の本心が見えるという趣向なのかもしれない。でも、仮にそういう狙いがあったとしても、これっぽっちも成功していない。
小説の内容と、現実におけるチャウの生活を重ねるという狙いにしても、やはり同じことだ。
なので、たまに小説パートが描かれると、「無理して挿入しているんじゃないか」と感じる。
それぐらい、まるで馴染んでいないし、まるで機能していないのだ。

実のところ、当初のバージョンでは、もっと劇中劇のパートが少なかったらしい。そうなると、おのずと木村拓哉の出番が大幅に削られることになる。
それだと日本のスポンサーとしては困るので、劇中劇のシーンを増やしたバージョンで公開されたという経緯があるらしい。大人の事情によって、完成形が変更されたわけだね。
ただ、仮に劇中劇のシーンを丸ごとカットしたとしても、作品の評価が大幅に上昇することは無いけどね。
「尺が短くなる」というメリットが生じるぐらいで、どっちにしてもポンコツに変わりは無いよ。

(観賞日:2023年6月22日)


2004年度 文春きいちご賞:第8位

 

*ポンコツ映画愛護協会