『2010年』:1984、アメリカ

2001年、アメリカの宇宙船ディスカバリー1号は木星の衛星エウロパとイオに接近していたが、コンピュータHAL−9000に異変が起き、船長デヴィッド・ボウマン以外の乗組員は死亡。木星とイオの間に正体不明の黒石板モノリスを発見したボウマンは調査のために宇宙船を離れ、行方不明となった。
2010年。ディスカバリー計画の責任者であったヘイウッド・フロイド博士は、計画失敗の責任を取らされる形でアメリカ宇宙科学会議議長の座を辞職し、今は大学の総長となっていた。そのフロイドの元を、ソ連のモイセーヴィッチ博士が訪れる。
中央アメリカの紛争を巡り、アメリカ政府とソ連政府は一色即発の状態にある。危険を侵してまでモイセーヴィッチがフロイドを訪れたのは、木星調査に向かうソ連の宇宙船レオーノフ号に乗船してもらいたいと頼むためだった。ディスカバリー1号の二の舞いは回避したいと考えたのだ。
宇宙に残されたディスカバリー1号の軌道がイオに接近していることを知り、フロイドはディスカバリー号の設計担当者カーナウ、HALを設計したチャンドラ博士と共に、レオーノフ号に乗船する。しかし、ソ連のクルーは地上での対立関係を船内に持ち込み、フロイドに敵意を見せる。
レオーノフ号はエウロパからの奇妙な電波を受信した。そのデータからは、エウロパに何らかの有機体が存在することが示される。探査船によって有機体を調べようとするが、衝撃波によってデータが破壊される。フロイドはそれを警告だと受け止め、モノリスと関係があると考える。
ディスカバリー1号の調査が始まった。カーナウが船の機能を回復させ、チャンドラはHAL−9000のチェックを開始した。ソ連のクルーは危険を訴えるフロイドの警告を無視し、モノリスに有人探査船を接近させる。しかし、モノリスからの衝撃波によって探査船は破壊される。
地上ではアメリカとソ連がついに交戦状態に入った。そのため、フロイド達はレオーノフ号からディスカバリー1号に移動し、緊急時以外のソ連クルーとの連絡を禁じられる。そんな中、フロイドにHAL−9000を通じて、「デヴィッド・ボウマンだった」と名乗る男からメッセージが届く…。

監督&脚本&製作&撮影はピーター・ハイアムズ、原作はアーサー・C・クラーク、編集はジェームズ・ミッチェル、美術はアルバート・ブレナー、衣装はパトリシア・ノリス、視覚効果監修はリチャード・エドランド、ビジュアル・フューチャリストはシド・ミード、音楽はデヴィット・シャイア。
主演はロイ・シャイダー、共演はジョン・リスゴウ、ヘレン・ミレン、ボブ・バラバン、キア・デュリア、ダグラス・レイン、マドリン・スミス、ダナ・エルカー、タリージン・ジャッフェ、ジェームズ・マッカーチン、ナターシャ・シュナイダー、ウラジミール・スコマロフスキー、メアリー・ジョー・デシャネル、エリヤ・バスキン、サヴェリー・クラマロフ、オレグ・ルドニク、ヴィクトール・スタインバッハ他。


1968年のスタンリー・キューブリック監督作品『2001年宇宙の旅』の続編。
娯楽映画としての面白さや物語性を度外視して映像美だけを追求した前作に比べ、この作品は難解な問題を噛み砕いて分かりやすく説明しようとしているように感じられる。

前作を見ていなければ、この作品は何が何だかさっぱり分からない。
逆に、この作品を見なければ、前作を理解するのは難しいと思われる。
そういう意味では、『2001年宇宙の旅』と『2010年』は、2本で1つの作品と考えるのが正しいのかもしれない(まあ今作品が無くても『2001年〜』は成立しているが)。

終盤に待ち受けている、HAL−9000が人間のために自分を犠牲にしようとする展開は感動的なのだから、そこまでの流れをキッチリ作り上げるべきだった。
あまりにゴチャゴチャしてすぎいて、チャンドラとHAL−9000の関係がおざなりになっているから、その場面が今一つ盛り上がらない。

それに、HAL−9000が重要な役割を果たすわけだから、フロイドよりもチャンドラの方が主人公にふさわしいと思ってしまう。
しかし、別に人間とコンピュータの関係を描き出すSFロマンではないのだろうから、誰が主役でも構わないのかもしれないが。

それぞれの登場人物を描くことにしろ、地上での米ソの対立と宇宙船での米ソのクルーの関係を描くことにしろ、全ては中途半端に終わっている。
それもそのはず、この作品の目的は、前作が残した謎の後始末だ。
それ以外の意味は無いのである。

この作品は、謎だらけだった前作を補完するための作品と言ってもいいだろう。
で、前作の残した謎の解明が今作品のテーマであるはずだが、実は謎が全て解明されるというわけでもない。
まあ、原作では続編があるので、謎を引っ張るのも仕方が無いのかもしれないが。

 

*ポンコツ映画愛護協会