『200本のたばこ』:1999、アメリカ

1981年12月31日のニューヨーク。モニカはニューイヤー・パーティーの準備を済ませ、ヒラリーと共に来客の到着を待っている。パーティーに呼ばれている面々は、それぞれの場所で、年越しを一緒に迎えるパートナーを探している。
大晦日が誕生日のケヴィンは、前日に恋人エリーにフラれたばかり。ルーシーは立ち寄ったバーのバーテンダーをチェックするが、ケヴィンと恋愛について話す内に、お互いが気になり始める。だが、エリーと出会ったことで、2人はケンカになってしまう。
モニカの従妹ヴァルと友人ステフィは、ライブハウスでパンク・ロッカーのトムとデイヴにナンパされる。モニカの元恋人エリックは、今の恋人ブリジットをモニカの主催するパーティーに誘う。不機嫌になったブリジットは、その場を去る。
ブリジットは、エリックを狙っていた友人ケイトリンと一緒に、バーテンダーにモーションを掛ける。2人はタクシーの中でケンカになるが、運転手になだめられる。シンディは、処女を捧げたばかりのジャックとデートする。失敗ばかりのシンディに辟易するジャックだが、自分が初めての相手だったと知って態度を変える…。

監督はリサ・ブラモン・ガルシア、脚本はシャナ・ラーセン、製作はベッツィー・ビアーズ&デヴィッド・ゲイル&ヴァン・トフラー、共同製作はセシリア・ケイト・ローク&アンドレ・ラマル&ステーィヴン・L・バーンスタイン、製作総指揮はトム・ローゼンバーグ&マイク・ニューウェル&アラン・グリーンスパン&テッド・タネンバウム&シガージョン・サイヴァッツォン、撮影はフランク・プリンツィー、編集はリサ・ジーノ・チャーギン&イヴリン・パーウィンズ、美術はイナ・メイヒュー、衣装はスーザン・ライアル、音楽はボブ・マザーズボウ&マーク・マザーズボウ、音楽監修はランドール・ポスター、スペシャル・ミュージック・コンサルタントはエルヴィス・コステロ。
出演はベン・アフレック、ケイシー・アフレック、デイヴ・チャッペル、ギレルモ・ディアズ、アンジェラ・フェザーストーン、ジャニーン・ガラファロ、ギャビー・ホフマン、ケイト・ハドソン、キャサリン・ケルナー、コートニー・ラヴ、ブライアン・マッカーディー、ジェイ・モーア、ニコール・パーカー、マーサ・プリンプトン、クリスティーナ・リッチ、ポール・ラッド他。


多くの映画でキャスティング・ディレクターを務めてきたリサ・ブラモン・ガルシアの初監督作品。モニカをマーサ・プリンプトン、ヒラリーをキャサリン・ケルナー、ケヴィンをポール・ラッド、ルーシーをコートニー・ラヴ、バーテンダーをベン・アフレック、エリーをジャニーン・ガラファロ、ヴァルをクリスティーナ・リッチ、ステフィをギャビー・ホフマンが演じている。
さらにトムをケイシー・アフレック、デイヴをギレルモ・ディアズ、エリックをブライアン・マッカーディー、ブリジットをニコール・パーカー、ケイトリンをアンジェラ・フェザーストーン、シンディをケイト・ハドソン、ジャックをジェイ・モーア、タクシー運転手をデイヴ・チャッペルが演じている。エルヴィス・コステロが、写真で顔を見せている。

この映画は、1981年を舞台にしている。
この時代設定には、大した意味は無い。少なくとも、1981年という時代設定が、内容に大きく影響を与えることは無い。特にノスタルジーを煽るような映画でもないし、1981年の大きな出来事が関わるわけでもない。例えば1991年でも、2001年でも、それほど大差の無い内容に仕上げることは出来ただろう。

この映画には、大勢のキャラクターが入れ代わり立ち代わり登場する。
登場人物には何かしらの接点があり、相関関係が作られている。
だが、ほとんどのキャラクターは、それぞれのストーリーを進めるだけで精一杯で、他人のストーリーには絡まない。複数のストーリーにマトモに関わるのは、色んな人を乗せるタクシー運転手ぐらいだろう。

例えば、ケヴィンがヴァルと関わることは無い。
ルーシーとジャックが長く会話を交わすことも無い。
トムとブリジットの間にエピソードが入ることも無い。
だから登場人物は多いが、関係はそれほど複雑ではない。
そして終盤に入り、いつの間にか誰かと誰かがカップルになっているという、過程を省略したかのような締め方が待っている。

世の中には大勢の男女がいて、付き合ったり、別れたり、くっ付こうとしたり、離れようとしたりしている。たった1日、たった1時間で深い関係になったり、恋仲が壊れたりすることもある。人それぞれ、恋愛の形もそれぞれだ。それは、当たり前の光景だ。
この映画に登場する男女は、それぞれが恋愛に対して積極的に行動したり、色々と考えたり、会話を交わしたりする。「年越しを一緒に迎えるパートナーを探したい」というのは、他人からすれば、ささいな問題かもしれない。
しかし、ここに出てくる男女にとって、それは重要な問題だ。
素敵なホリデイを過ごしたい気持ちは、マジもマジなのだ。

どこにでもあるようなことを、さりげなく描いても、魅力的に感じられる作品というのは確かに存在する。キャラクターが魅力的だったり、エピソードが印象深いものであったり、映像や構成が個性的だったり、そういう「何か」があればOKマークが点灯する。
だから、「男女の小さな群像劇」というフォーマットは、全否定されるモノではない。
やり方1つだ。

さて、この映画は、あくまでも「ささいなこと」というレヴェルにこだわる。
ちょっとだけ色を付けた人物が、ちょっとだけ色を付けたエピソードを消化する。
とても薄味に仕上げている。
関西のうどんのように、ダシを利かせるということもやらない。
この映画には、ものすごく魅力的なキャラクターも、ものすごく印象に残るエピソードも存在しない。
病院食のような体に優しい味付けで、観客に刺激を与えない。
だから、見終った後に、まるで何も無かったかのように、簡単に忘れることが出来るのだ。


第22回スティンカーズ最悪映画賞

ノミネート:【最悪の助演女優】部門[クリスティーナ・リッチ]
ノミネート:【最悪のインチキな言葉づかい】部門[クリスティーナ・リッチ]

 

*ポンコツ映画愛護協会