『タキシード』:2002、アメリカ
ニューヨークでイエロー・キャブの運転手をしているジミー・トンは、画廊の職員ジェニファーに片思いしている。だが、英語が上手く ないために自信が持てず、なかなか声を掛けられない。タクシーの扉でバイク・メッセンジャーを転倒させてしまったジミーは、その男に ケンカを吹っ掛けられる。ジミーは必死で身をかわし、仕事仲間ミッチが男を追い払ってくれた。
ジミーのタクシーに、スティーナという女性が乗って来た。彼女は、ジミーが金を稼ぐためにスピード違反を繰り返していることを知って おり、自分が化粧直しをする間に目的地へ到着すれば2倍の料金を払うと持ち掛けた。ジミーが猛スピードで目的地へ到着すると、彼女は 高給での仕事を紹介すると言う。それは、クラーク・デヴリンという富豪の運転手という仕事だった。翌日、ジミーはスティーナから デヴリン邸でのルールを渡され、デヴリンの運転手として働くことになった。
政府情報機関CSAでは、飲料水メーカーのバニング社を調査していた。だが、工場に潜入していた諜報員のウォレスは、謎の死を遂げて しまう。遺体を調べたCSA関係者が溺死と判断する中で、新人諜報員のデル・ブレインは殺人だと見抜き、証拠を挙げて説明する。 CSAの責任者ウィントン・チャルマーズは、デルの科学的な知識を高く評価した。
ジミーはデヴリンに気に入られたが、ただ1つ「絶対にタキシードには触るな」ということは厳しく命じられた。そんなある日、ジミー がデヴリンを車に乗せてドライヴ・スルーの店に立ち寄った直後、爆弾付きのスケボーが追跡してきた。ジミーは必死で逃亡するが、路地 に追い詰められる。2人は車から脱出するが、激しい爆風によってデヴリンは重傷を負ってしまう。
ジミーが病院に電話しようとすると、デヴリンは腕時計を操作する。すると、自分の免許証の名義や顔写真が一瞬にして別人に変化した。 病院に担ぎ込まれたデヴリンは、ジミーに腕時計を託し、「ウォルター・ストライダーを探せ」と告げて意識を失った。ジミーは看護婦 から、デヴリンが握りしめていたというメモを渡される。そのメモには、何かの虫らしきスケッチがあった。
バニング社の水上本部では、社長のディートリッヒ・バニングと細菌学者のシムズ博士が邪魔な幹部社員ランディーンを呼び出していた。 バニングが水を飲ませると、ランディーンの体はあっという間に乾き切ってしまった。それはシムズが開発したバクテリア入りの水であり、 それを飲むと人間は瞬時に脱水症となってしまうのだ。
デヴリン邸に戻ったジミーは、ケースに保管されていたタキシードに腕を通した。そのタキシードは、、あらゆるジャンルの行動において 驚異的な能力を発揮することが出来るハイテク兵器だった。腕時計でモードを切り替えることによってダンスも格闘も銃撃も、様々な ケースに対応することが出来るようになっていた。デヴリンはCSAの腕利きエージェントであり、そのタキシードを使って今までに様々 な事件を解決してきたのだ。
デヴリン宛に電話を掛かって来たため、ジミーはデヴリンに成り切って対応する。連絡してきたのはデルで、彼女はバニングの秘密会議を 盗聴する任務を知らせてきた。ジミーは指示された場所へ行き、デルと会う。デルはデヴリンの顔を知らないため、ジミーがデヴリンだと 思い込んだ。ジミーはタキシードの能力を使って長距離の狙撃を行うが、敵の一味に見つかってしまう。ジミーは敵を蹴散らすが、任務は 失敗に終わった。デルは、デヴリンが思っていたような凄腕ではなかったために幻滅する。
ジミーはデルと共に、バニングが参加するパーティー会場に向かった。ジミーとデルは、パーティーで歌うことになっているジェームズ・ ブラウンと面会した。だが、JBが肩に手をやった瞬間、ジミーは彼を思い切り投げ飛ばしてしまう。タキシードが勝手に敵だと判断し、 撃退するための行動を取ったのだ。そこでジミーはJBの代わりにステージに上がり、見事なパフォーマンスで観客を喜ばせる。 ジミーは、バニングの愛人シェリルに気に入られた。
デルはバニングに接近し、色仕掛けで情報を得ようとする。だが、バニングは部下から相手がCSAだと知らされ、その場から去った。 ジミーはシェリルとホテルの一室で会うが、タキシードを脱がされてしまう。そこへバニングの手下たちが現われたため、ジミーは急いで タキシードを身に着けた。手下を蹴散らしたジミーは、駆け付けたデルと共に逃亡する。
バニングの研究室が邸宅にあるという情報を得たジミーとデルは、彼の自宅で催されるパーティーに潜入した。2人はプールを調べ、 地下にある研究室を発見した。バニングは細菌を水源にバラ撒き、飲料水需要の独占を企んでいたのだ。さらに調べを進めようとした2人 だが、デルはジミーがデヴリンではないと知ってしまった。ジミーは釈明しようとするが、デルは聞く耳を持たずタキシードを奪い取る。 ジミーは屋敷から追い出され、デルはタキシードを手土産にしてバニングに近付く…。監督はケヴィン・ドノヴァン、原案はフィル・ヘイ&マット・マンフレディー&マイケル・J・ウィルソン、脚本はマイケル・J・ ウィルソン&マイケル・リーソン、製作はアダム・シュローダー&ジョン・H・ウィリアムズ、共同製作はウィリー・チェン&ソロン・ソ &部ランディ・マクドゥーガル・ニューワース、製作総指揮はローリー・マクドナルド&ウォルター・F・パークス&ウィリアム・S・ ビーズリー、撮影はスティーヴン・F・ウィンドン、編集はクレイグ・P・ヘリング、美術はポール・デンハム・オースターベリー& モンテ・フェイ・ホーリス、衣装はエリカ・エデル・フィリップス、音楽はジョン・デブニー&クリストフ・ベック。
出演はジャッキー・チェン、ジェニファー・ラヴ・ヒューイット、ピーター・ストーメア、ジェイソン・アイザックス、デビ・メイザー、 リッチー・コスター、ロマニー・マルコ、ミア・コテット、ジェームズ・ブラウン、ダニエル・カッシュ、ジョディ・ラシコット、ボイド・バンクス、スコット・ウィックウェア、クリスチャン・ ポテンザ、カレン・グレイヴ、スコット・ヤフィー、ポール・ベイツ他。
ドリームワークス製作のアクション・コメディー映画。
ジミーをジャッキー・チェン、デルをジェニファー・ラヴ・ヒューイット、シムズをピーター・ストーメア、デヴリンをジェイソン・アイザックス、スティーナをデビ・ メイザー、バニングをリッチー・コスターが演じている。
アンクレジットだが、CSAの上司ウィントンをボブ・バラバンが演じている。
監督はCMディレクター出身のケヴィン・ドノヴァンで、本作が長編映画デビュー。
ちなみに同じ邦題を持つ1986年のフランス映画があるが(ミュウ=ミュウやジェラール・ドパルデューらが出演)、もちろん何の関係も無い。ドリームワークスの設立者の一人であるスティーヴン・スピルバーグが、「君にしか出来ない映画がある」と言ってジャッキーに出演を依頼したらしいんだが、それが本当だとすれば、よくもまあ、 そんな口から出まかせが言えたもんだ。
もしも心底から「これはジャッキーにしか出来ない映画だ」と思っていたとすれば、さらに事態は深刻だ。
この映画、「主役がジャッキー・チェンである意味」は、ゼロだと断言できる。ジャッキーはハリウッドに進出して以降、思うように激しいアクションをやらせてもらっていない。
ハリウッドでは規則が厳しくて、俳優が自ら危険なスタントをすることには色々と制限があるのだ。
また、ジャッキーは年齢的な問題で体力に衰えが生じており、自らも激しいアクションから離れようとする意識が強くなっているということはあるだろう。
この映画でも、アクション・シーンでワイヤー・ワークやCGを多用しており、また早回しで映像を加工したりもする。
だが、この映画は「ハリウッドの制限がある」とか「ジャッキーが衰えた」とかいう以前の問題である。
そもそも、明らかに「ジャッキー・チェン主演」を想定して書かれた脚本ではない。
後からジャッキーをハメ込んだこと、ジャッキー用に本を書き直していないことは確実だ。
この映画には、わざわざ東洋人のカンフー・スターを主役にする必要性が全く無い。この映画は、「冴えない主人公がスーパー・タキシードを着用したら運動能力が驚異的にアップする」というモノだ。
主人公は最初から生身の体で強いわけではない。アイテムのパワーを借りて強くなるのだ。
しかしジャッキーが演じることにより、「彼だったら、そんな道具に頼らなくても敵をバッタバッタと倒せるだろうに」と思わせてしまう。
つまり、ジャッキーを主役に据えたことは、マイナスにしか働いていないのである。
むしろ、カンフー・スターとして強いイメージを持つジャッキーよりも、アクションとはかけ離れたタイプの役者を使った方が、映画の 仕掛けは生きるはずだ。
JBの代わりに歌い踊るシーンがあることを考えると、黒人のコメディー俳優が最適だろう。
というか、これって本当は黒人コメディアンを想定した企画で、それを流用しただけなんじゃないかと勘繰りたくなるぞ。まあ分かりやすく言うと、「コメディー版の007」をやろうという企画である。
ジミー・トンはジェームズ・ボンド、CSAはMI6、デルはボンド・ガール、スティーナはマネーペニー、バニングはブロフェルドだ。
そういうことを考えれば、もしも主役を東洋人に設定するのなら、ジャッキーよりもチャウ・シンチー向けの企画だな、これは。
ジェニファー・ラヴ・ヒューイットの胸の谷間に評価点をプラスしようかと思ったが、デビ・メイザーの扱いが悪いので(存在意義が ほとんど無い)、差し引きでゼロだな。
ジャッキー本人も、この映画と『メダリオン』は「撮影前はイイだろうと思っていたが、完成して見ると良くなかった」と認めている。
っていうか、撮影前に「ダメな映画になる」って気付けよ。