『トイ・ストーリー4』:2019、アメリカ

9年前、土砂降りの夜。ジェシーや馬は窓から庭を覗き、取り残されたRCを心配する。アンディーはウッディーやバズ・ライトイヤーたちを抱えて部屋に戻り、夕食に向かった。ウッディーたちはモリーの部屋へ行き、ボー・ピープに事情を説明した。2人はスリンキー・ドッグやバービー人形たちと協力し、救出作戦を開始した。ウッディーがRCを助けて部屋に戻ろうとした時、アンディーのママが来て窓を閉めた。ボーは彼女によって段ボール箱に入れられ、知人男性に譲渡された。ウッディーはボーを追い掛け、段ボール箱から連れ出そうとする。しかしボーは断り、「これでいいの。私はアンディーのオモチャじゃない。次の子供が待ってる」と言う。自分を探すアンディーの声を耳にしたウッディーは、ボーを見送った。
9年後、ウッディーやバズたちはボニーのオモチャとして暮らしている。ボニーのママが部屋を掃除する時は、オモチャをクローゼットに片付ける。ウッディーはリーダーとして、仲間たちを落ち着かせる。掃除が終わってボニーが部屋に戻ると、お気に入りのオモチャを次々に持ち出す。しかしウッディーはジェシーに付けるための保安官バッジを取られただけで、そのままクローゼットに放置された。ここ最近、ウッディーはボニーの遊び相手に選ばれなくなっていた。
部屋にパパが来て、ボニーに「幼稚園のお試しに行こう」と持ち掛ける。「行きたくない」とボニーは嫌がり、オモチャを持って行きたいと頼む。しかしパパが「オモチャは幼稚園には行っちゃいけないんだ」と言うので、ボニーは不安で泣き出した。ウッディーはボニーを助けてあげたいと考え、ボニーのリュックに忍び込んだ。幼稚園に着いたボニーは教室に行くが、他の子供たちと仲良くなれずに寂しがる。そこでウッディーは気付かれないようにリュックから飛び出してゴミ箱を漁り、工作の道具を見つけて彼女の周りに置いた。
ボニーはプラスティックのフォークを胴体にした人形を作り、フォーキーと名付けて笑顔になった。お試し入園を終えたボニーは、迎えに来た両親にフォーキーを見せた。実際の入園は来週からなので、その前に旅行へ行こうと両親はボニーに告げた。リュックに入れられたフォーキーは、ウッディーの前で動いた。帰宅したウッディーは、仲間にフォーキーを紹介した。彼はフォーキーについて、今のボニーにとって最も大事なオモチャだと説明する。しかしフォーキーは自分がゴミだと認識しており、オモチャたちを仲間だとは思わなかった。目を離すとフォーキーがゴミ箱に入るので、ウッディーは彼がオモチャの役割に慣れるまでお守り役を務めることにした。
翌日、ボニーはオモチャたちを連れてキャンピングカーに乗り、両親と旅行に出掛けた。フォーキーが隙を見てゴミ箱に入ろうとするので、その度にウッディーが慌てて連れ戻した。しかし深夜にフォーキーが逃走したので、ウッディーはオートキャンプ場に着くまでに連れ戻そうと決意する。彼はバズたちの反対を押し切り、車を飛び出した。彼は草むらに頭から突き刺さって動けなくなっているフォーキーを発見し、救出してオートキャンプ場へ向かった。
「なんでオモチャにならなきゃいけないの?」とフォーキーが訊くと、ウッディーは「自分がどれぐらいラッキーなのか分かってないだろ。君はボニーの心に残る思い出を一緒に作って行けるんだ」と説いた。フォーキーが全く理解しないのでウッディーは苛立つが、ボニーのために我慢した。ウッディーが誤ってアンディーの名を出したため、フォーキーは誰なのか知りたがった。ウッディーは前の持ち主だったことを教え、アンディーとの思い出を詳しく語った。
ウッディーが「子供たちが成長して自分がクローゼットに置き去りにされると、自分の役目が終わったように感じる」と漏らすと、「君は僕と同じゴミだ」フォーキーはと妙な部分で共感する。ウッディーが「ボニーは君がいると温かいと感じるんだ。落ち着くんだ」と話すと、フォーキーは「僕はボニーのゴミなんだ」という形で納得し、ボニーの元へ戻る気になった。早朝になって街に着いたウッディーたちは、オートキャンプ場へ向かおうとする。しかしウッディーはアンティーク・ショップに飾られているボーのランプに気付き、フォーキーに「ボニーが起きるまでに戻ればいい」と告げた。
ウッディーとフォーキーが店に入ると、ベビーカーで散歩していた人形のギャビー・ギャビーとベンソンが現れた。ウッディーがボーを探していることを話すと、ギャビーは彼女を知っていると告げる。ギャビーに促され、ウッディーとフォーキーはベビーカーに乗った。ギャビーはウッディーのボイスボックスに興味を示し、自分にも付いているが壊れているのだと話す。開店時刻が迫ったので、ウッディーは立ち去ろうと考えた。すると新たに3体のベンソンが現れ、ベビーカーを取り囲んだ。ギャビーはウッディーのボイスボックスを奪おうと目論んでいたのだ。
ハーモニーという幼女が店を営む祖母や母と一緒に店へ来ると、ギャビーが視線を向ける。その隙にウッディーは逃げ出すが、フォーキーは捕まってしまった。ベンソンたちに追い詰められたウッディーは、ハーモニーに見つかることで難を逃れた。ハーモニーはウッディーを拾い上げ、公園へ持って行くことにした。ボニーは目を覚まし、フォーキーがいないことに気付いた。バズは仲間に相談され、フォーキーを探しに車を飛び出した。彼はフォーキーを見失ったハイウェイまで戻ろうと考え、移動遊園地を通過しようとする。しかし射的屋の店員に捕まり、商品にされてしまった。
ウッディーはハーモニーの隙を見て逃亡し、アンティーク・ショップへ向かおうとする。しかしスクールバスが停車し、大勢の子供たちが公園へ押し寄せた。するとオモチャが次々に現れ、子供たちを待ち受けた。ウッディーが慌てて倒れていると、少女が気付いて拾い上げた。その少女はボーを右手に持っており、ウッディーは意外な形で再会を果たした。少女が友達とブランコで遊び始めたため、ウッディーとボーは公園から脱出した。
ボーは羊のトリオと一緒にいることをウッディーに教え、もう7年も今の暮らしを続けていると話す。彼女は「最高だった」と嬉しそうに言い、新しい仲間である警官人形のギグルを紹介した。そこへ仲間のカールたちが現れ、大通りの遊び場で行われる誕生日パーティーへ行こうとボーを誘う。ボーは快諾し、ウッディーも誘う。しかしウッディーは断り、ボニーの元へ戻ると告げる。彼は簡単に事情を説明し、フォーキーを救うためにアンティーク・ショップへ行くことを話した。
協力を要請されたボーは即座に断り、「あそこで埃を被って何年も無駄にしたの」と言う。「だけどボニーにはフォーキーが必要なんだ。君もモリーに必要とされていただろ。それと同じだよ」とウッディーが説得すると、彼女は「仕方ない」と手助けを引き受けた。ギャビーは店にハーモニーが戻ると、フォーキーに「彼女は完璧なのよ」と自慢する。ティータイムごっこを始めると、彼女は一緒にお茶を飲む練習をする。ギャビーはティータイムを描いた絵本を見ながら、寂しそうに「ボイスボックスが直ったら、こうなれるかもしれない」と呟いた。彼女はフォーキーから、ウッディーのことを詳しく聞いた。
バズが射的屋から逃げる方法を考えていると、ヌイグルミのダッキーとバッキ―が絡んで来た。バズは彼らの力を利用して、店から逃亡した。ボーは乗っていたラジコンのスカンクカーが激突した衝撃で左腕が取れるが、すぐにテープで応急手当てを施した。ウッディーから「何があったんだ?」と問われた彼女は、「良くあることよ。女の子が成長して、役目が終わったのよ」と軽く答えた。「辛かったな」とウッディーが同情すると、ボーは「子供部屋にこだわる必要はない。だって、こんなに広い世界があるのよ」と笑顔を見せた。
バズはウッディーを見つけて合流し、ボーとの再会を喜んだ。そこへダッキーとバッキ―が追って来て、「ずっと子供たちを待ってた」とバズを非難する。ウッディーがボニーの所へ連れて行くことを約束すると、彼らは喜んだ。ウッディーたちはアンティーク・ショップに侵入し、状況を確認する。そこへボニーがママに連れられて入って来たので、ウッディーは慌ててフォーキーの救出に向かおうとする。ボーは彼を引き留め、作戦通りに動くよう注意した。
ボニーとママが去った後、ウッディーとボーはベンソンたちに襲われる。ボーはベンソンたちを撃退するが羊たちを連れ去られ、自分に従うようウッディーに要求した。バズたちはフォーキーがいるキャビネットの鍵を手に入れるため、策を練った。ギャビーはベンソンから報告を受け、ウッディーを待ち受けるための準備を始めた。ボーは店にいる昔の仲間たちの元へ行き、スタントマン人形のデュークに協力を依頼した。バズたちがハーモニーの祖母が無雑作に置いた鍵を手に入れ、ウッディー&ボーと合流した。
ボーはウッディーから「本当に子供部屋には戻らないのか?」と訊かれ、「無いわ。移動遊園地が来てるし、この街を出るチャンスよ」と述べた。「世界を見たいと思わない?」と誘われたウッディーは、「無理だよ。俺は古いタイプのオモチャだからな」と告げた。ボーはウッディーに、デュークのバイクの後ろに乗ってキャビネットに突っ込むよう指示した。ウッディーはキャビネットに飛び移り、ロープを伝ってボーも後に続いた。
ウッディーとボーはフォーキーと羊たちを見つけるが、ギャビーとベンソンに囲まれてしまう。ボーの活躍でウッディーたちは脱出できたが、フォーキーを救うことには失敗した。すぐにウッディーが戻ろうとすると、ボーは「誰も付いて行かないわ。もう終わりよ」と言う。ウッディーが「俺には他に出来ることが無い。ボニーのためだ」と訴えると、ボーは「自分のためでしょ。目を覚まして。他にも子供はいるわ。ボニーにだけこだわるなんて間違ってるわ」と説教する。腹を立てたウッディーが「忠誠心だよ。迷子のオモチャには分からないだろうな」と言うと、ボーは冷淡に「迷子は貴方じゃないの?」と告げて立ち去った。
ウッディーが戻ると、ギャビーとベンソンたちが待ち受けていた。ウッディーが戦闘態勢を取ると、ギャビーは「私は最初から故障していた。貴方は私が夢見る人生を送って来た。アンディーの成長を見守って来た。ボニーと出会って二度目のチャンスも貰えた。一度でいいからチャンスが欲しいの。何でもするわ」と語る。そこでウッディーはフォーキーを返すのと引き換えに、自分のボイスボックスを譲渡することを承諾した…。

監督はジョシュ・クーリー、原案はジョン・ラセター&アンドリュー・スタントン&ジョシュ・クーリー&ヴァレリー・ラポインテ&ラシダ・ジョーンズ&ウィル・マコーマック&マーティン・ハインズ&ステファニー・フォルソム、脚本はアンドリュー・スタントン&ステファニー・フォルサム、製作はマーク・ニールセン&ジョナス・リヴェラ&アンドリュー・スタントン&リー・アンクリッチ&ピート・ドクター、ストーリー監修はヴァレリー・ラポインテ、編集はアクセル・ゲディーズ、プロダクション・デザイナーはボブ・ポーリー、スーパーバイジング・テクニカル・ディレクターはボブ・モイヤー、スーパーバイジング・アニメーターはスコット・クラーク&ロバート・H・ラス、撮影監督はパトリック・リン&ジャン=クロード・コラーチ、音楽はランディー・ニューマン。
声の出演はトム・ハンクス、ティム・アレン、アニー・ポッツ、トニー・ヘイル、キーガン=マイケル・キー、マデリーン・マックグロウ、クリスティーナ・ヘンドリックス、ジョーダン・ピール、キアヌ・リーブス、アリー・マキ、ジェイ・ヘルナンデス、ロリ・アラン、ジョーン・キューザック、ボニー・ハント、クリステン・シャール、エミリー・デイヴィス、ウォーレス・ショーン、ジョン・ラッツェンバーガー、ブレイク・クラーク、ジューン・スキッブ、カール・ウェザース、リラ・サージ・ブロメリー、ドン・リックルズ、ジェフ・ガーリン、マリア・バーガス=グッド、ジャック・マックグロウ、ジュリアナ・ハンセン、エステル・ハリス、ローリー・メトカーフ他。


シリーズ第4作。『インサイド・ヘッド』の脚本を手掛けたジョシュ・クーリーが、初の劇場映画監督を務めている。
脚本はシリーズの1&2作目を担当したアンドリュー・スタントンと、TVシリーズ『スター・ウォーズ レジスタンス』のステファニー・フォルソムによる共同。
ウッディー役のトム・ハンクスとバズ役のティム・アレンは1作目からのレギュラー声優。ボー役のアニー・ポッツは2作目からの復帰。
フォーキーの声をトニー・ヘイル、ダッキーをキーガン=マイケル・キー、ボニーをマデリーン・マックグロウ、ギャビーをクリスティーナ・ヘンドリックス、バニーをジョーダン・ピール、デュークをキアヌ・リーブス、ギグルをアリー・マキ、ボニーのパパをジェイ・ヘルナンデス、ボニーのママをロリ・アランが担当している。

私は前作を高く評価していないが、少なくとも「アンディーの遊び相手としてのウッディーたち」を描く物語としては、ちゃんと完結していた。だから、そこで終わらせるべきだったのだ。
シリーズが3部作として完結した後、仕切り直して4作目を製作した場合、失敗する確率がものすごく高い。例えばラルフ・マッチオが降板した後の『ベスト・キッド4』とか、マット・デイモンが降板した後の『ボーン・レガシー』とか。
なので、この映画が蛇足になっちゃうのも当然の結果と言えよう。
なんかピクサーってディズニーと合併して以降、良くない方向へ進んでいるように思えるんだよなあ。

この4作目の実質的な主人公は、ウッディーではなくボーだ。
彼女をヒロインにして活躍させるのは、たぶんディズニーが始めた「女性を重視する」「ヒロインの描き方を変える」という方針が影響しているのだろう。
かつてのディズニー・プリンセスは、「王子様を待ち続け、男性に守ってもら可憐な姫君」だった。しかし時代の変化に伴い、『アナと雪の女王』に代表されるように、「自立した女性」「積極的に戦う女性」「困難に立ち向かう女性」というヒロイン像を描く方向へと変化している。
その流れが、ディズニーに留まらずピクサーにも波及しているってことなのだろう。

もう1つ、『トイ・ストーリー』の生みの親でもあるピクサー総帥のジョン・ラセターがセクハラ問題で去ったというスキャンダルも、かなり大きかったのではないかもしれない。
これにより、ディズニー&ピクサーとしては、「我々は女性を大切にしていますよ」ってのを積極的にアピールする必要に迫られたのだろう。そこで本作品でも、
「自立した女性が積極的に行動する」という部分を強く押し出した内容に仕上がったのではないか。
どうやらジョン・ラセターが最初に考えていた内容からは、大幅に変更されているみたいだし。

ただ、ボーを復活させて活躍させるのはいいとしても、ウッディーが有能なリーダーとしてのポジションを完全に見失い、バカで役立たずで迷惑ばかり掛ける奴になっているのは、どういうつもりなのかと。
明らかにボーが主役なので、「だったらナンバリングシリーズじゃなくて、スピン・オフとして作るべきじゃないのか」と言いたくなっちゃうんだよね。
ナンバリング・シリーズとして作るのであれば、「ウッディーとバズのコンビがメイン」ってのは絶対に踏襲すべき要素でしょ。
今回はウッディーが脇役だし、バズの扱いはさらに薄くなっているのよ。ここがコンビとして動かされるシーンも、ほとんど見られないし。

ウッディーはボイスボックスが直ってもハーモニーに「要らない」と捨てられたギャビーを励まし、「友達に言われた。子供は大勢いると。その中にボニーもいる君が来るのを待ってるよ。棚に飾られてるだけじゃ何も変わらないだろ」と一緒に来るよう誘う。ギャビーは迷子で泣いている女の子に同情し、彼女に拾われることを選ぶ。
不安を見せるギャビーを、ウッディーは「これがオモチャにとって最も大切な役目だ」と励ます。女の子に気に入られたギャビーを見て、ウッディーは嬉しそうな表情を浮かべる。
ここでのウッディーは、「オモチャは子供の遊び相手になることが幸せ」という信念に基づいて行動している。
ちなみにギャビーと女の子のパートは、そんなに長くないけど涙腺を刺激する、いいシーンになっている。だからこそ、ここでの言動を自ら裏切るようなウッディーの決断は、到底受け入れ難い。
完全ネタバレを書くが、なんと彼はボニーの元へ戻らず、ボーたちと一緒に残ることを選ぶのだ。
いやいや、それはダメでしょ。

今回のウッディーは、ボニーの遊び相手にしてもらえていない。
ボニーはアンディーとは違うので、当然のことながら好きなオモチャも異なる。
単純に考えれば、「アンディーは男児でボニーは女児なので、ウッディーよりはジェシーを選ぶ」っことになるんだろう。
ただ、そういう表現をすると「好きなオモチャの種類は性別で決まるわけじゃない」とジェンダー問題に絡めてマジに批判したくなる人がいるかもしれないので、「人によって好きなオモチャは異なる」という捉え方にしておこう。

ともかく、アンディーの元にいた時も、たまたまウッディーは一番のお気に入りだったけど、なかなか遊んでもらえなかったオモチャもいたわけで。
なので、今回のウッディーの決断は、「ボニーと遊んでもらえないから出て行った」というだけにしか見えないんだよね。
でも、それは3部作で彼が仲間に訴えて来た「オモチャとしての矜持」に反する行動じゃないのか。
オモチャである以上は、「子供たちに遊んでもらってナンボ」じゃないのか。

ウッディーの決断を正当化するために、ボニー(&ボニーのパパ)の印象を悪くしているのも許し難い。ボニーのパパがウッディーに全く気付かず二度も踏み付けるシーンを用意するなど、「ウッディーは今の一家からは大事にされていない」ってのをアピールしようとする意識が窺えるのよね。
でも前作でボニーはアンディーからオモチャを譲り受け、大事にすると約束したのだ。そして冒頭では、ウッディーは選んでいないけど、他のオモチャを使って楽しそうに遊んでいる。
決して乱暴に扱ったりしているわけではないし、幼稚園にもオモチャを持って行きたいと頼むぐらい彼女にとっては「大切な遊び道具」のはずだ。
ここでボニーを下げたら、それは前作まで否定するようなことになっちゃうでしょ。

そもそも「ボニーのために」という考えを捨て去っている時点で「なんか違う」とは感じるが、それでも「子供たちのために」という思いが残っているなら、まだ分からんでもない。
だけどウッディーの決断は、「子供たちの遊び相手になることよりも、愛するボーと一緒にいることを選んだ」としか思えない。
「持ち主のいないオモチャを遊園地に来た子供たちに見つけさせる仕事を始めた」ってのを描くことでリカバリーしようとしているんだろうけど、それで納得できるモノではない。
何しろ、ウッディー自身は子供たちの遊び相手になる生き方を捨てているからね。そして、どう誤魔化しても「ボーと一緒にいることを選んだ」という印象は払拭できないからね。

どうやら「人は生き方を枠に縛られちゃいけない」というメッセージに繋げようとしているみたいだけど、それは飛躍しすぎだ。
「それはそれ、これはこれ」でしょ。
ウッディーは人間じゃなくて、オモチャなんだからさ。
ここで「オモチャでも意思を持つ生き物だから、自分の人生を自分で決めるべき」ってのを「正論」として認めちゃったら、「じゃあペットを飼うのも家畜を育てるのも、人間の決めたルールを強いる生き方だから否定されるべきだよね。全ての動物は自由に解放しなきゃダメだよね」ってことになっちゃうぞ。

そこを「人間」に限定して考えても、もちろん生き方を決めるのは本人の自由だよ。
だけど、「人間」としてのルールは守るべきでしょ。枠に囚われずに生きるべきだからって、じゃあ非人道的行為もOKなのかって、それは違うでしょ。
今回のウッディーの決断ってのは極端に言っちゃうと、「オモチャであることを放棄した」ってことなのよ。
ウッディーの「誰も所有物でもない自立した生き方」を推奨したら、それは「オモチャとしてのアイデンティティー」を捨てることになるでしょ。
オモチャが所有物であることを捨てて自立するのは、人間の「自立」とは似ても似つかない全くの別物だからね。そこを同じ土俵で扱っちゃダメだよ。

(観賞日:2021年1月17日)


2019年度 HIHOはくさいアワード:第4位

 

*ポンコツ映画愛護協会