『太陽と月に背いて』:1995、イギリス&フランス&ベルギー&イタリア
1871年のパリ。27才のポール・ヴェルレーヌは既に詩人として名声を得ており、財産家のマチルドと幸せな結婚生活を送っていた。そんな彼の元に、詩の書かれた手紙が届く。差出人の名はアルチュール・ランボー。ヴェルレーヌはランボーの詩人としての天才的な才能に気付く。
ランボーに面会するヴェルレーヌ。ランボーは手紙では21才と称していたが、実際は16才だった。ランボーを家に迎え入れ、共に生活をすることになったヴェルレーヌは、彼の才能だけでなく、美しい容姿や奔放な振る舞いにも惹かれるようになっていく。
やがて2人は肉体関係を結んでしまう。ヴェルレーヌはついにマチルドを捨て、ランボーと共にヨーロッパ放浪の旅に出る。だが貧しさばかりで刺激の無い生活に疲れ、ランボーはヴェルレーヌの元を去ろうとする。そんなランボーにヴェルレーヌは発砲し、逮捕されてしまう…。監督はアグニェシュカ・ホランド、脚本はクリストファー・ハンプトン、製作はジャン=ピエール・ラムゼイ・レヴィ、共同製作はフィリップ・ヒンチクリフ&キャット・ヴィリアーズ、製作総指揮はステファン・アーレンバーグ&ジャン=イヴ・アセリン&パスカル・ファウベル、撮影はヨルゴス・アルヴァニティス、編集はイザベル・ロレンテ、美術はダン・ウェイル、衣装はピエール=イヴ・ゲイロー、音楽はジャン・A・P・カズマレク。
出演はレオナルド・ディカプリオ、デヴィッド・シューリス、ロマーヌ・ボーランジェ、ドミニク・ブラン、フェリシー・パソティ・カバルベイ、ニタ・クライン、ジェームズ・シエリー、エマニュエル・オッポ、デニス・チャレム、アンドレイ・セウェリン、クリストファー・トンプソン、ブルース・ヴァン・バーソルド、クリストファー・チャップリン、クリストファー・ハンプトン他。
19世紀の詩人、アルチュール・ランボーとポール・ヴェルレーヌの、いわゆる宗道(つまりホモセクシャル)の関係を綴った作品。
ランボーをレオナルド・ディカプリオ、ヴェルレーヌをデヴィッド・シューリス、マチルドをロマーヌ・ボーランジェが演じている。非常に観賞の判断が簡単な映画だろう。
レオナルド・ディカプリオのファンなら見ればいい。
なぜなら、彼の美しさが充分に発揮されている映画だから。
それ以外の人は見なくていい。
なぜなら、芸術映画の皮を被った、中身がヘロヘロの映画だから。ヴェルレーヌはディカプリオ演じるランボーと出会って狂人へと変貌していくというより、最初から変わっている人物にしか見えない。
芸術家イコール変人という、非常に分かりやすいキャラクター設定である。
よって、ランボーと出会って変化していく展開に、深みは全く無い。表現としてはやや奇妙だが、シューリス演じるヴェルレーヌは変人としてはステレオタイプとも言える。とにかく、芸術家の人生を描く物語にしては、非常に人物についての描写が薄っぺらい。彼らの人生って、そんなに薄いものだったのだろうか。
シューリスが脱ぎ、ディカプリオが脱ぎ、ロマーヌ・ボーランジェが脱ぐ。
ハダカ合戦の始まり、始まり。
特にシューリスは、グロテスクとさえ思えるぐらいにハダカを押し出してくる。
実はハダカ映画だったのだね、これって。
それ以外に何かあったかなあ。何も無いよなあ。映画の中で、会食の席で芸術について小難しい話が続くことにウンザリしたランボーが、「退屈だ、早く出よう」と言う場面がある。
皮肉なことに、ランボーの発したその言葉が、この作品についての見事な自虐的ジョークになっているという状態だ。そういう映画である。