『タイムマシン』:2002、アメリカ

1899年のニューヨーク。応用機械工学の助教授アレクサンダー・ハーデゲンは、友人のデヴィッド・フィルビー博士が紹介してくれた女性エマと交際している。今日は、彼女にプロポーズすると決めている大切な日だ。アレクサンダーはフィルビーとお手伝いのウォチット夫人から励ましを受け、待ち合わせの約束をしたセントラル・パークへと向かった。
アレクサンダーはエマを人気の無い公園に連れ出し、プロポーズの言葉を告げた。喜んで承諾したエマに、アレクサンダーは婚約指輪を渡した。そこへ強盗が現れ、拳銃を突き付けて金や時計を要求してきた。さらに強盗は婚約指輪も渡すよう要求するが、エマは拒否した。3人が揉み合った末、エマは強盗の銃弾によって命を奪われてしまった。
アレクサンダーはエマを救うため、過去へ戻る装置の開発に没頭する。そして彼は、ついにタイムマシンの開発に成功した。彼はタイムマシンに乗り込み、エマの死んだ日に戻った。そしてセントラルパークへ行き、今回は強盗に会わないようエマを街へ連れ出した。だが、アレクサンダーが花屋に立ち寄っている間に、エマは暴走した馬車にひかれて死んでしまう。
答えは過去に無いと考えたアレクサンダーは、今度は未来へ向かうことにした。彼はタイムマシンに乗り、2030年まで到達したところで機械を停止させた。科学博物館に入ったアレクサンダーはヴォックスという男に会うが、彼は検索機能を持つ立体画像だった。アレクサンダーは時間旅行について尋ねるが、ヴォックスは不可能だと答えた。
タイムマシンに戻ったアレクサンダーは、衝撃を受けたために2037年で機械を停止させた。街はすっかり荒廃しており、人々は避難していた。慌てて駆け寄ってきた兵士によると、月面への爆破工事で起動が狂い、危険な状況にあるのだという。避難させようとする兵士の手を振り切ったアレクサンダーはタイムマシンに戻るが、衝撃を受けて気を失ってしまった。
目を覚ましたアレクサンダーが機械を停止させると、80万年後まで到達していた。周囲には、原始の時代に戻ったような風景が広がっていた。世界は進化しておらず、むしろ退化しているようだった。アレクサンダーは原始化したイーロイ族の集落へ連れて行かれるが、全く言葉が通じない。そんな中で、マーラという女性だけは英語で会話することが出来た。
マーラによれば、イーロイ族は子供の頃に「岩に書かれた言葉」として英語を学ぶが、使わないので忘れてしまうのだという。マーラは教師なので、英語を使いこなすことが出来るという。アレクサンダーはタイムマシンで別の時代から来たことをマーラに説明し、納得してもらう。マーラは、元の時代に戻る時に弟のケイレンを連れて行ってほしいと頼んだ。
突然、アレクサンダーの目の前で地中から醜い風貌の部族が出現し、イーロイ族を吹き矢で襲撃してきた。イーロイ族は慌てて逃げ出すが、マーラが地中に引きずり込まれてしまう。襲撃してきたのは、イーロイ族を食料とするモーロック族だった。アレクサンダーはマーラを助けようと部族のトーレン達に主張するが、彼らは捕まったら終わりだと諦めていた。アレクサンダーはケイレンを伴ってモーロック族の洞窟へ向かい、そこで部族を統治するウーバー・モーロックと出会う・・・。

監督はサイモン・ウェルズ、原作はH・G・ウェルズ、脚本&共同製作はジョン・ローガン、製作はウォルター・F・パークス&デヴィッド・ヴァルデス、製作総指揮はローリー・マクドナルド&アーノルド・レイボヴィット&ジョーグ・サラレグイ、撮影はドナルド・マカルパイン、編集はウェイン・ワーマン、美術はオリヴァー・ショル、衣装はディーナ・アッペル&ボブ・リングウォルド、視覚効果監修はジェームズ・E・プライス、視覚効果製作はキンバリー・K・ネルソン、音楽はクラウス・バデルト。
出演はガイ・ピアース、ジェレミー・アイアンズ、オーランド・ジョーンズ、サマンサ・マンバ、マーク・アディー、シエンナ・ギロリー、フィリーダ・ロウ、アラン・ヤング、オメロ・マンバ、ヤンシー・アリアス、マックス・ベイカー、ミンディー・クリスト、ジョシュ・スタンバーグ、コニー・レイ、ローラ・カーク、レニー・ロフティン、トーマス・コーリー・ロビンソン、ジョン・W・モムロウ、ジェフリー・M・メイヤー他。


H・G・ウェルズのSF小説をジョージ・パルが映画化した1959年作品『タイム・マシン/80万年後の世界へ』のリメイク。
監督のサイモン・ウェルズは原作者のひ孫に当たる人物で、これまでは『プリンス・オブ・エジプト』などアニメーション映画に携わっており、実写映画は初監督。
撮影途中で倒れてしまったため、後半部分はゴア・ヴァービンスキーが撮っている。

アレクサンダーをガイ・ピアース、ウーバーをジェレミー・アイアンズ、ヴォックスをオーランド・ジョーンズ、マーラをサマンサ・マンバ、フィルビーをマーク・アディー、エマをシエンナ・ギロリー、ウォチット夫人をフィリーダ・ロウ、花屋の店員をアラン・ヤング、ケイレンをオメロ・マンバ、トーレンをヤンシー・アリアスが演じている。
ちなみにアラン・ヤングは、『タイム・マシン/80万年後の世界へ』ではフィルビーを演じていた俳優だ。

まあ一言で言えばダメな映画なのだが、何よりもダメなのは、旅に出る目的として、「愛する女を救うため」という原作やパル版に無い要素を持ってきたことだ。
いや、持って来るなら持って来るで、それを最後までキッチリと使ってくれれば問題は無い。
ところが、実際に未来への時間旅行が始まってみると、エマのことなんて、どうでもいいような扱いになってしまうのである。

そもそも、あれだけ休む間も惜しんでタイムマシン開発に没頭した割には、たった1回、エマを助けることに失敗しただけで「たとえ千回戻っても千通りの死に方を見るだけだ」とアレクサンダーが諦めてしまうのが解せない。今回は上手く行かなかったが、次は別の方法を試そうと考えて再チャレンジすべきではないのか。

なぜ未来に行けばエマが助かると思ったのかも、良く分からないんだよな。
「未来へ行って何をすればエマを救えるのか」という明確な目的が示されないまま、時間旅行へ行っているんだよな。
アレクサンダーは2030年でタイムマシンを停止させるが、それも明確な目的があったわけじゃなく、何となく気になったからというだけ。
原作やパル版と同じく好奇心による時間旅行ならそれでもいいが、エマを救うという目的があるのに、それじゃイカンだろ。

この映画には、原作やオリジナル版が表現していた文明批評の視点(それはH・G・ウェルズ)が無い。
80万年後の世界では、イーロイ族が楽園のような場所で優雅に暮らすな小奇麗な人々、モーロック族が醜い人々という対比があってこそ、階級社会への風刺になる。しかし本作品では、イーロイ族が未開の地の原住民になっているので、風刺が成立しない。
文明批評が無いから即ち悪いということではなくて、SFアドベンチャーとして面白ければ、全くテイストは違う映画になるけれど、それはそれでOKだろう。
しかし、このオリジナル版で用意された2000年代の世界は、既視感を抱かせるようなもので、特に惹かれるようなトコロは無い。そこに、センス・オブ・ワンダーは感じない。

80万年後の世界は、『猿の惑星』を思い浮かべさせるような設定だ。
原作は『猿の惑星』より遥か以前に発表されているので、ウェルズが模倣したわけではない。しかし、この映画は『猿の惑星』よりも遥か後に作られているわけだし、前半部分に手を加えて改変するのであれば、後半の展開も大きく変えた方が良かったんじゃないのか。
それが無いから、「エマを救う目的があったはずなのに、すっかり忘れて80万年後の世界にハマる」ということになってしまう。

旅の目的としてエマという恋人を用意しただけで、その後の処理に関しては手を抜いているとしか思えない。
結局、アレクサンダーはエマを救う目的を放棄しているし。そんでエマを撃ち殺した強盗は逃げたままだし。
エマの救出を旅の目的に設定するなら、そこへ着地するべきじゃないのか。例えば何らかの方法でタイムマシンは壊れたけどエマを救うことが出来て、その代償としてタイムマシンを再び作ることは断念するとかさ。

 

*ポンコツ映画愛護協会