『トーマス・クラウン・アフェアー』:1999、アメリカ

ニューヨークの大富豪トーマス・クラウンは、名画を盗むことを密かな道楽にしている。今回、彼は4人組の泥棒を利用して、美術館からモネの絵を盗み出した。マッキャン警部やパレッティー警部は実行犯4人を逮捕するが、もちろんモネの絵は見つからない。
保険会社調査員キャサリンは、逮捕に協力したクラウンが真犯人だと確信した。キャサリンはクラウンに接近して素性を明かし、自分の確信を口にした。キャサリンは合い鍵を入手してクラウンの屋敷に潜入し、モネの絵画を持ち帰るが、それは贋作だった。
キャサリンがクラウンに会いに行くと、彼はアンナという女性と踊っていた。キャサリンは2人の間に割り込み、その夜にクラウンと肉体関係を持つ。クラウンはキャサリンに、不動産を処分して一緒に逃亡しようと持ち掛けた。恋愛感情と仕事の狭間で揺れ動くキャサリンに、クラウンは「明日の午後、モネの絵を美術館に返す」と予告する…。

監督はジョン・マクティアナン、原案はアラン・R・トラストマン、脚本はレスリー・ディクソン&カート・ウィマー、製作はピアース・ブロスナン&ボー・セント・クレア、共同製作はロジャー・パラディソ、製作協力はブルース・モリアーティー、製作総指揮はマイケル・タッドロス、撮影はトム・プリーストリー、編集はジョン・ライト、美術はブルーノ・ルベオ、衣装はケイト・ハリントン、視覚効果はジョン・サリヴァン、音楽はビル・コンティー。
出演はピアース・ブロスナン、レネ・ルッソ、デニス・リアリー、フェイ・ダナウェイ、ベン・ギャザラ、フランキー・フェイソン、フリッツ・ウィーヴァー、チャールズ・キーティング、マーク・マーゴリス、マイケル・ロンバード、ビル・アンブロジー、マイケル・S・バール、ロバート・ノヴァク、ジョー・ラム、ジェームズ・サイトー、エスター・カニャーダス、ミーシャ・ハウザーマン他。


スティーヴ・マックイーンとフェイ・ダナウェイが共演した1968年の映画『華麗なる賭け』のリメイク。クラウンをピアース・ブロスナン、キャサリンをレネ・ルッソ、マッキャンをデニス・リアリーが演じている。フェイ・ダナウェイが精神分析医役で何度も登場するが、これはオリジナルへの敬意という意味のキャスティングだろう。

この映画、始まった瞬間は、クールでスタイリッシュな泥棒映画になるんじゃないかと期待した。だが、これはオシャレな泥棒アクションではなく、オシャレなロマンスを描こうとする映画だった。泥棒映画にロマンスの要素が入っている、というのではない。完全にオシャレな恋愛劇である。昔のオードリー・ヘップバーン主演作に近いモノを感じるぐらいだ。
クラウンが泥棒として行動するのは、最初と最後だけ。後は、絵を巡っての腹の探り合いと見せ掛けて、実際はクラウンとキャサリンの恋愛模様が描かれる。しかし、ロマンス映画を作るのであれば、なぜアクション映画を得意とするジョン・マクティアナン(あの傑作『ダイ・ハード』を撮った人だ)を監督に据えたのだろうか。

この映画、クラウンが主役でキャサリンが相手役、という配置で始まる。泥棒映画なら、それで正解だろう。だが、ロマンスに重点を置くのであれば、逆にして“キャサリンの恋愛”として始めるべきだ。そういう意味では、序盤の構成には難点がある。
映画は冒頭、クラウンの表向きのステータスが示され、並行してルーマニア人4人組の泥棒シーンが描かれる。クラウンが名画を盗み、刑事が捜査を開始し、ここでようやくキャサリンが現れる。これでは遅い。もっと早く、彼女を出すべきだ。
極端に言えば、最初にクラウンの手際の良い泥棒っぷりを見せなくたっていい。どうせ泥棒アクション映画じゃなのだから。それと前述したように、ロマンス劇なら“キャサリンの恋愛”として描くべきなのだから、クラウンよりキャサリンを先に登場させてもいいだろう。

キャサリンが登場してからは、彼女視点で描かれる時間が長くなる。しかし、途中で精神分析医が登場したりして、何度もクラウン視点に戻ろうとする。オリジナルへの敬意も結構だが、精神分析医が何度も出てくるのは邪魔だ。最初だけでも充分に敬意の意味は果たしている。いっそ一貫してキャサリン視点でもいいと思うのだが、そうしない。
キャサリンは、最初は強気で自信満々、クールな態度を見せている。だが、後半に入ると、完全にクラウンに手玉に取られてしまう。危険なゲームに挑んでいるというより、振り回されている感じが強い。はしゃいだりして、大人の女性のクールな感じも薄まる。

贋作を掴まされてカッとなる辺りから、キャサリンは「クールを装う中でチラリと素の部分が出てしまう」というのではなく、「クラウンへの恋に溺れている」という弱さが見えすぎる。
その弱さが、例えばオードリー・ヘップバーンであれば、キュートな魅力に繋がるのかもしれない。だが、レネ・ルッソはオードリーではない。
それとレネ・ルッソ、ベッドシーンなどでヌードも披露しているのだが、「裸まで見せて頑張ります」という意識が先走りすぎている。砂浜で読書しながらオッパイを見せるシーンなんて、唐突で不自然極まりない。そこまでしてオッパイを見せたがる理由は、いったい何なのかと思ってしまう。
私生活で何かあったのか、レネ・ルッソ。

 

*ポンコツ映画愛護協会