『飛びだす 悪魔のいけにえ レザーフェイス一家の逆襲』:2013、アメリカ

テキサス州。5人の若者たちがレザーフェイスとソーヤー家の面々に襲われ、4人が惨殺された。必死で逃げ出したサリーの通報を受け、フーパー保安官がパトカーで事件現場となった郊外の民家に急行した。フーパーはドレイトン・ソーヤーに、レザーフェイスを引き渡すよう要求した。ボスやロレッタなどソーヤー家の面々は立て籠もっており、銃を持ったドレイトンはフーパーの要求を拒否した。しかしグランパの説得を受け、ドレイトンはレザーフェイスの連行を承諾した。
そこへバート・ハートマンが町民を率いて押し掛け、帰るよう諭すフーパーの言葉を無視した。彼らは民家に火を放ち、ソーヤー家の人々に向かって銃を乱射した。深夜、バートと仲間たちは全焼した民家を調べ、チェーンソーを持ち去る。怪我を負って赤ん坊を抱いていたロレッタは、自分に気付いたギャヴィン・ミラーに助けを求めた。ギャヴィンは女児を抱き上げ、ロレッタに蹴りを浴びせて殺害した。彼は妻のアーリーンに「赤ん坊が置き去りにされてた」と嘘をつき、2人は女児にヘザーと名付けて育てることにした。
20年後。ヘザーの元に祖母であるヴァーナ・カーソンの死亡通知が届き、彼女が自分が養子であることを初めて知った。そのことをヘザーから質問されたギャヴィンとアーリーンは、冷たい態度を取った。「拾わなきゃ良かった」と言うギャヴィンに腹を立て、ヘザーは家を出て行くことにした。「あそこへ戻ってはいけない」とアーリーンは警告するが、ヘザーは耳を貸さなかった。恋人のライアン、友人のニッキ、ケニーと一緒にニューオーリンズへ行く予定だったヘザーは、生まれ故郷を訪ねようと決めた。するとライアンたちは、一緒に行くと告げた。ニューオーリンズへ行く途中で、テキサス州ニュートに立ち寄ることにしたのだ。
テキサス州に入った4人は、ガソリンスタンドでダリルという男と出会った。彼女に置き去りにされて困っているというダリルに頼まれ、4人は車に同乗させた。4人はニュートに到着し、通知に掛かれていた古い屋敷へ向かった。正門は閉じられていたが、そこへ弁護士のファーンズワースが来て鍵と封筒を渡した。彼は正門を開け、ヴァーナの手紙をヘザーに渡して立ち去った。一行は屋敷に入り、そこで一泊することにした。
ヘザーたちは留守番を引き受けたダリルを残し、町へ買い物に出掛ける。ダリルが屋敷に残ったのは、盗みを働くためだった。地下へ続く階段を見つけたダリルは、鍵を開けてワインセラーに入った。そこにはレザーフェイスが潜んでおり、タリルは彼に惨殺された。保安官助手のカールはヘザーに声を掛け、彼女がカーソン邸に来ていることを知った。バートがヘザーの元へ来て、屋敷を譲ってほしいと持ち掛けた。ヘザーは断り、ライアンたちと共に車で去った。
屋敷に戻ったヘザーたちは室内が荒らされているのを見て、ダリルが泥棒を働いて逃亡したのだと思い込んだ。夕食の準備を始めたケニーは、地下室を見つけて階段を下りた。レザーフェイスに襲われたダリルは悲鳴を上げるが、ライアンが大音量で音楽を掛けていたので誰にも聞こえなかった。ニッキはライアンを騙して納屋に連れ込み、誘惑して肉体関係を持った。2階を調べたヘザーは、椅子に座ったままになっているヴァーナの死体を発見した。慌てて1階に下りると他の3人の姿は無く、キッチンにはレザーフェイスが立っていた。
ヘザーはレザーフェイスに殴られて昏倒し、気が付くとワインセラーに連れ込まれていた。レザーフェイスはダリルをフックで吊るし、その体をチェーンソーで真っ二つに切断した。慌てて逃げ出したヘザーは、墓地になっている裏庭へ向かった。ヘザーは穴に置いてある棺を発見し、その中に身を隠した。レザーフェイスはチェーンソーを棺に振り下ろし、その音に気付いたライアンとニッキが納屋から出て来た。レザーフェイスに追われた2人は納屋に舞い戻り、ニッキがショットガンを見つけて入り口に向けて発砲した。
棺から抜け出したヘザーは車で納屋に突っ込み、ライアンとニッキを乗せて逃亡しようとする。だが、レザーフェイスの襲撃によって車が転倒し、ライアンは命を落とした。ニッキが怪我を負ったのを見たヘザーは、レザーフェイスをおびき寄せてカーニバル会場へと向かう。会場にいた人々はパニック状態に陥り、ヘザーは必死で逃げ回る。騒ぎを知ったカールはヘザーが追い込まれているところへ駆け付け、レザーフェイスに拳銃を構えた。レザーフェイスはチェーンソーを投げ付け、森の中へ姿を消した。
カールはヘザーを保安官事務所へ連れ帰り、必ずニッキを見つけ出すと約束した。ヘザーの説明を聞いたフーパーは、レザーフェイスが生きていると確信した。「カーニバルが台無しだ」と抗議に来たバートに、フーパーはレザーフェイスの仕業だと告げる。カーソン邸へ赴いたマーヴィン巡査から血痕を見つけたという連絡が入ると、フーパーは待機命令を出す。しかしバートは中を調べ、携帯電話で動画を撮影するよう指示した。一方、ヘザーは20年前に起きた事件の資料に目を通し、全ての事情を知った…。

監督はジョン・ラッセンホップ、キャラクター創作はキム・ヘンケル&トビー・フーパー、原案はスティーヴン・サスコ&アダム・マーカス&デブラ・サリヴァン、脚本はアダム・マーカス&デブラ・サリヴァン&クリステン・エルムズ、製作はカール・マッツォコーネ、製作総指揮はロバート・クーン&キム・ヘンケル&レネ・ベッソン&クリスタ・キャンベル&ラティ・グロブマン&ダニー・ディムボート&ジョン・トンプソン&トレヴァー・ショート&トビー・フーパー&マイケル・パセオネック&ジェイソン・コンスタンティン&イーダ・コーワン&アヴィ・ラーナー&マーク・バーグ、製作協力はT・ジャスティン・ロス、撮影はアナスタス・ミコス、編集はランディー・ブリッカー、美術はウィリアム・A・エリオット、衣装はメアリー・E・マクロード、特殊メイクアップ効果デザイン&創作はグレッグ・ニコテロ&ハワード・バーガー、音楽はジョン・フリッゼル。
出演はアレクサンドラ・ダダリオ、ダン・イェーガー、トレメイン・“トレイ・ソグズ”・ネヴァーソン、ガンナー・ハンセン、ビル・モーズリー、スコット・イーストウッド、タニア・レイモンド、ショーン・サイポス、ケラム・マレッキ=サンチェス、ジェームズ・マクドナルド、トム・バリー、ポール・レイ、リチャード・リール、デヴイッド・ボーン、スー・ロック、リッチー・モンゴメリー、マリリン・バーンズ、ドディー・L・ブラウン、デヴィッド・ベル、ジョン・デューガン他。


トビー・フーパー監督が手掛けた1974年の映画『悪魔のいけにえ』の後日談を描いた作品。
1974年のオリジナル版『悪魔のいけにえ』のアーカイブ・フッテージが使われており、その直後から本作品の物語は始まる。『悪魔のいけにえ』には『悪魔のいけにえ2』という正式な続編があるのだが、それとは別のパラレル・ワールド的な話となっており、『悪魔のいけにえ2』の存在は無視されている。
監督は『ロックダウン』『テイカーズ』のジョン・ラッセンホップ。
ヘザーをアレクサンドラ・ダダリオ、レザーフェイスをダン・イェーガー、ライアンをトレメイン・“トレイ・ソグズ”・ネヴァーソン、カールをスコット・イーストウッド、ニッキをタニア・レイモンド、ダリルをショーン・サイポス、ケニーをケラム・マレッキ=サンチェス、マーヴィンをジェームズ・マクドナルド、フーパーをトム・バリー、バートをポール・レイ、ファーンズワースをリチャード・リールが演じている。
1974年版でレザーフェイス役だったガンナー・ハンセンがボス、サリー役だったマリリン・バーンズがヴァーナ、レザーフェイスの父親役だったジョン・デュガンがグランパを演じている。また、『悪魔のいけにえ2』でチョップ・トップ役だったビル・モーズリーが、ドレイトンを演じている。

「飛びだす 悪魔のいけにえ」という邦題を見た時には、幾ら3D映画だからって、あまりにも陳腐なタイトルだなあと感じた。そりゃあ『悪魔のいけにえ』シリーズはB級ホラー映画だけど、それにしてもB級風味が強くなりすぎているんじゃないかと感じた。
しかし実際に観賞すると、その邦題がピッタリだったことに気付かされた。
この映画、そういう陳腐なイメージに違わぬ内容だし、まさに「飛び出す」というのが唯一と言ってもいい売りなのだ。
まさか2013年にもなって、飛び出す映像だけを売りにした映画が作られるとはね。
まだまだ映画の世界ってのは奥が深いねえ(半分は皮肉だけど、半分はマジな感想)。

まず導入部からして、幾つもの失敗を犯していると感じる。
サリーの通報を受けてフーパーが駆け付けた時、ソーヤー家の面々が民家に立て籠もっているのだが、「お前は誰なんだ」とツッコミを入れたくなる顔触れが混じっている。
サリーたちが襲われた時には関与していなかった連中が、なぜかフーパーが来た時には室内にいるのだ。
ドレイトンの連絡を受けて駆け付けたのか。だとしても、駆け付ける意味が全く無いぞ。

っていうか繰り返しになるけど、そいつらは何者なんだよ。もしも「その家に住んでいたレザーフェイスの家族」という設定にしているとすれば、それは完全にアウトだし。
ともかく、そういう新顔を、いかにも「1974年版で登場していた連中」っぽく登場させているのは、すんげえ違和感が強いわ。
しかも、そいつらが本編で活躍するのであればともかく、その場だけで出番が終了するんだぜ。だったら、そんな連中は要らないでしょうに。
1974年版に出演していた面々をゲストとして登場させるにしても、他に色々なシーンがあるはずで、そこで絶対に登場させなきゃいけないわけではないし。

それとは別に大いなる違和感があって、それはドレイトンが若者たちを殺したことについて「家と家族を守るためだ」と主張し、フーパーが「気持ちは分かるが」と理解を示しているってことだ。
いやいや、そうじゃねえだろ。
ソーヤー家の面々は、家族を守るために若者たちを殺したわけじゃないぞ。テメエらの快楽として殺したんだぞ。
それと、フーパーが「レザーフェイスたけを引き渡せばいい」と言っているのも変だ。若者たちを殺したのは、レザーフェイスだけじゃないんだから。

家族の説得でドレイトンがレザーフェイスを引き渡そうとするシーンでは、明らかに彼らを「同情すべき被害者」として描写している。
でもホントはソーヤー家の全員が狂った殺人鬼なんだから、それは違うでしょ。ドレイトンがレザーフェイスを「厄介者め」と罵っているけど、アンタだって若者たちの惨殺に関与していたでしょ。
『悪魔のいけにえ』の正式な後日談として作られているはずなのに、どうして1974年版と整合性が全く取れないような描写が序盤から連発しているのか。
その導入部では、バートと仲間たちが民家に火を放ってソーヤー家の面々を皆殺しにする様子が描かれる。
同情すべき被害者として描写するのは違うと前述したけど、この映画ではホントにソーヤー家の面々を「同情すべき被害者」として描こうとしているのだ。
でも繰り返しになるけど、ソーヤー家の面々は大勢の若者たちを惨殺していたのだから、そいつらが皆殺しに合うのは因果応報でしかない。

バートと仲間たちが悪党のように描かれているが、もしも彼らが身内や親友を殺されていたとすれば、その復讐心は理解できる。
身内や親友の復讐ではなかったとしても、バートたちは悪党かもしれんけど、ソーヤー家の面々を「被害者」として受け入れることは絶対に無理だよ。どっちもクズ野郎の集まりというだけだ。
ひょっとすると「フランケンシュタインの怪物」的にレザーフェイスを造形しようと目論んでいたのかもしれないけど、まるで違うからね。
そういうアプローチを試みるには、レザーフェイスはあまりにも身勝手で残酷な殺人を繰り返し過ぎている。

それと、時代設定に無理があり過ぎる。
「ソーヤー家の皆殺しから20年後」に成長したヘザーが登場するのだが、それなら1994年になるはずだ。ところが劇中の描写を見ている限り、明らかに1994年ではない。
明確な時代設定の説明は無いのだが、たぶん2013年という設定だと思われる。登場人物が普通にスマホを使っているので、少なくとも1994年でないことは明らかだ。
そうなると、1974年版と整合性が取れなくなってしまうのだ。
そこを「ソーヤー家の皆殺し事件は1974年じゃない」という風に解釈しなけりゃならないとしたら、無理に1974年版と繋げようとしなくていいよ。1974年版の後日談として作ったのなら、そこはキッチリとした形で繋げなきゃダメだろ。
結局、この映画って『悪魔のいけにえ』の正式な続編のはずなのに、ちっともマトモに繋がっていないのよね。それなら完全に別物として作った方が、まだ遥かに誠実だよ。

地下室にいたレザーフェイスが登場して以降の展開は、ザックリと言えば「殺人鬼が若者たちを次々に殺害する」というスプラッター映画の基本パターンをテキトーになぞっているだけで、そこには何の面白味も無い。
別にパターンを使うのが悪いとは言わないが、ゴア描写に力を入れているわけでもないし、殺しのシーンをケレン味たっぷりに飾り付けているわけでもないし、見所が何も用意されていないのだ。ただ何となくパターンを使っているだけか、そういうトコに全く興味が無くて手抜きしているか、どっちかにしか思えない。
ただし、もしも監督がそこに興味を示さなかったとして、どこに興味があったのかはサッパリ分からんけど。
そもそも、この映画に対しての意欲が全く感じられないような、低調な出来栄えなので。

終盤、20年前の事件について詳細を知ったヘザーは、レザーフェイスに自分が従妹であることを分かってもらう。そしてレザーフェイスがバートと相棒のオーリーに殺されそうになると、彼を助ける。オーリーを殺害し、レザーフェイスにチェーンソーを渡して彼がバートを始末する手伝いをするのだ。
なんと本作品、レザーフェイスをヒールからベビーフェイスに転向させようとするのである。
それは無理。
そもそもヘザーはレザーフェイスに同情しているけど、アンタの仲間も惨殺されてるんだぞ。いいのかよ、それは。

(観賞日:2014年11月23日)

 

*ポンコツ映画愛護協会