『テスラ エジソンが恐れた天才』:2020、アメリカ
1884年8月11日、ニューヨーク。ニコラ・テスラはエジソン・マシンワークス社に入社し、誘導モーターの開発に励む。しかし会社は時間も予算も人員も全く足りていなかった。しかもエジソンは社員の言葉に聞く耳を貸さず、テスラのモーターには何の興味も示さなかった。「交流に力を注ぐのは時間の無駄だ。未来は無い」と言われたテスラは腹を立て、会社を去った。テスラは投資家と共にテスラ電灯社を設立するが、騙されて一文無しになった。
テスラはウエスタン・ユニオンのケーブル工事の仕事で稼ぎ、1年後に親方が電気技師のアルフレッド・ブラウンと弁護士のチャールズ・ペックを紹介した。テスラは誘導モーターをプレゼンし、彼らは研究所と月給250ドルを用意した。1885年、妻を亡くしているエジソンは、ミーナと再婚した。テスラはアンソニー教授にモーターの構造を説明し、特許を6つに分けるよう助言された。アンソニー教授は彼に、姪のイヴリンと友人のアンを紹介した。
1888年8月14日、ペンシルバニア州ピッツバーグ。実業家のジョージ・ウェスティングハウスがテスラの特許を購入し、製造の監督に指名した。エジソンが雇ったハロルド・P・ブラウンは、電気ショック対決を持ち掛けてきた。エジソンは殺人犯のケムラーを処刑する方法について、ウェスティングハウスの機械での感電刑を提案した。テスラはアンに、友人で助手のシゲティーを紹介した。アンが「父は社会に有害だと思う?」と尋ねると、テスラは驚いて黙り込んだ。イヴリンは「市場を拡大して雇用を増やし、全ての人々に大金を渡してる」と告げ、アンを連れ出した。アンの父は大物実業家のJ・P・モルガンで、エジソンの事業にも投資していた。
シゲティーはテスラに、自分が発明した舵取り用コンパスの設計図を見せた。テスラが「サー・トムソンが既に発明している」と教えると、シゲティーは「もっと早く見せれば良かった」と悔やんだ。テスラはイヴリンに「アンは自分が蚊帳の外だと悩んでる」と言われ、「私も苦しんでる」と返した。ウェスティングハウスは新聞の記事を読み、ケムラーの処刑が失敗で装置の再起動を余儀なくされたことを知る。エジソンは会社の合併のためにパリを訪れ、モルガンは彼に投資した。
テスラはアンと会い、シゲティーが成功を掴むために南米へ去ったことを話す。テスラは翌日にシカゴへ発つことになっており、アンは「私も行く」と言い出した。1893年に開催されたシカゴ万博の電気館で、テスラの交流技術の安全性が証明された。ウェスティングハウスはテスラに、会社が危機にあることを打ち明けた。彼はテスラに、「合併を進めなければ契約を勝ち取れない。新しい取締役会が、君への特許使用料を支払えば破産すると言ってる」と話す。「契約を破棄すれば君の機械によって、全国で交流が使われる」と言われたテスラは、その場で契約の破棄を承諾した。
国際的スターのサラ・ベルナールが初めてアメリカを訪れたのは、1881年のニューヨークだった。彼女はエジソンの元を訪れ、蓄音機に向かって声を吹き込んだ。10年後、サラはシカゴ万博と巡業のために再訪し、テスラはアンと共に彼女の舞台を観賞した。センチュリー・マガジンのロバート・ジョンソンは妻のキャサリンを伴ってサラに挨拶し、テスラを紹介した。そこへエジソンが現れてテスラに嫌味を浴びせたため、その場に張り詰めた空気が漂った。
テスラはナイアガラの水力発電所用に新しい機械を設計し、世界中で交流を活用できるシステムを作った。全く新しいシステムを開発するため、テスラはコロラドへ行くことに決めた。テスラから計画を知らされたアンは、「人の愛と支持は、どちらが大切?」「夢と知性で世界が救える?」などと、幾つもの質問を投げ掛けた。テスラは真正面から返答せず、「質問が上手になりましたね」と言うだけに留めた。1899年5月30日、テスラはコロラドスプリングスでテスラ・コイルの実験を開始した。彼は火事を起こして町中を停電にするが、非難を浴びても全く悪びれなかった…。脚本&製作&監督はマイケル・アルメレイダ、製作はユーリ・シンガー&クリスタ・キャンベル&ラティ・グロブマン&アイゼン・ロビンズ&パー・メリータ、製作総指揮はアヴィ・ラーナー&トレヴァー・ショート&ジェフリー・グリーンスタイン&ジョナサン・ヤンガー&ロブ・ヴァン・ノーデン&ドロン・ウェバー&ジェフ・ライス&リー・ブローダ、共同製作はレニー・フリーゴ&マージー・ゲッデス、共同製作総指揮はロニー・ラマティー、撮影はショーン・ウィリアムズ、美術はカール・スプラグ、編集はキャスリン・J・シューベルト、衣装はソフィア・メシチェク、音楽はジョン・パエザーノ。
主演はイーサン・ホーク、共演はイヴ・ヒューソン、カイル・マクラクラン、ジム・ガフィガン、ドニー・ケシュウォーズ、ジョシュ・ハミルトン、エボン・モス=バクラック、ルーシー・ウォルターズ、ジョン・パラディノ、マイケル・マストロ、ハンナ・グロス、ピーター・グリーン、ブレイク・デロング、カール・ギアリー、ジェームズ・アーバニアク、レベッカ・デイアン、エマ・クレア・オコナー、イアン・リスゴー、スティーヴン・グレウィッツ、ダン・ビトナー、デヴィッド・カラウェイ、ジョシュア・メルニック、デヴィッド・ウェインバーグ、ジャマール・アリ、ロイス・スミス、リック・ザーン、ハーマイオニー・ヘクリッチ、トム・F・ファレル、トニー・ヒュータジ、コーバン・エルウィック=シャーミッツ、エモリー・グリーソン、ヘイリー・ペールソン、イーライ・スミス他。
明家のニコラ・テスラを主人公にした伝記映画。
脚本&監督は『アナーキー』『アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発』のマイケル・アルメレイダ。
テスラをイーサン・ホーク、アンをイヴ・ヒューソン、エジソンをカイル・マクラクラン、ウェスティングハウスをジム・ガフィガン、モルガンをドニー・ケシュウォーズ、ジョンソンをジョシュ・ハミルトン、シゲティーをエボン・モス=バクラック、キャサリンをルーシー・ウォルターズ、ペックをマイケル・マストロ、ミーナをハンナ・グロス、ケムラーをブレイク・デロング、アンソニーをジェームズ・アーバニアクが演じている。冒頭、テスラが建物に現れ、アンと会う。2人も近くにいる他の面々も足を滑らせそうになっているが、ローラースケートを履いているらしい。
そこがとんな場所なのかも、近くにいる面々が何者なのかも、全く分からない。そして分からないまま、「9年前」として1884年のパートに移る。
だったら、最初のシーンは年月日や場所を明示して、どういう状況なのかを観客に教えるべきでしょ。抽象的でボンヤリしたシーンから「9年前」って、どういうセンスだよ、それは。
そもそも、そんなシーンから始める意味が全く分からないし。最初のシーンでは、アンが「テスラは幼少期に猫を飼っていて、撫でたら火花が散って、父から稲妻と同じだと説明された」ってことをナレーションで語る。
だったら、その幼少期のシーンを挿入した方がいいでしょ。それを描かないなら、ナレーションは邪魔なだけ。
それを「テスラが電気に興味を抱いて研究するようになったきっかけ」として語っているのかもしれないけど、そんなの何の役にも立たない。
それが無かったとして、大きな支障になるとは到底思えない。9年前に移ると、薄暗い部屋でエジソンと部下たちが一緒にいる。そしてエジソンが幼少期の出来事を部下たちに語る様子から始めるが、そのシーンの狙いが全く分からない。「テスラが希望を抱いて入社したのにガッカリした」ってのを描けば良くないか。
その後、テスラが寝室でシゲティーに兄のことを話すシーンがあるが、カットが切り替わるとシゲティーは消えている。なので実在しないとか、死んでいるとかの設定なのかと思ったら、後で普通に「テスラの助手」として登場する。
だったら、そのシーンの表現はどういうことなのか。「その場にはいなかった」ってだけなのか。
だとしたら、そもそもシゲティーを幻として登場させる必要なんて無いだろ。テスラが「交流に未来は無い」と切り捨てるエジソンに腹を立て、食べていたソフトクリームを互いにぶつけ合うシーンがある。この後、アンが「これは史実と違うはず」と語り、同じシーンをソフトクリーム抜きで再び描く。
この演出は、ただバカバカしいだけだ。
テスラの写真が少なすぎてエジソンと全く違うってのを、アンがカメラ目線で説明するのも、「何となく風変わりなことをしてみた」というだけ。
なんでもかんでも捻ったことをやろうとして、ことごとく上滑りしている。アンがカメラ目線で語るパートでは、テスラの両親やプラハ大で工学を学んだことなどがサラッと説明される。
しかし、1分にも満たない説明であり、全くの役立たずで邪魔なだけになっている。
エジソンやミーナについてアンが軽く説明するパートもあるが、こちらも全くの無意味。
エジソンの再婚すら、わさわざ触れる必要性を感じない。テスラとエジソンの対立を双方から描く構成ってわけでもないのだから、エジソンの私生活を中途半端に挟む意味なんて無い。テスラが騙されて会社を潰したことや、ブラウンとペックから研究所と月給を用意されたことや、ウェスティングハウスと契約したことは、アンのナレーションで軽く処理される。
それは暴挙としか思えない。変な細工を凝らす暇があったら、そういうトコを丁寧に描いた方が遥かに有益だ。
やたらと抽象的だったり前衛的だったりする表現が連発するが、そこに固執して何がしたかったのか。
もはや「抽象的である」とか「前衛的である」ということで満足してしまい、それが目的化しているかのような印象さえ受ける。テスラがどんなモーターを開発しているのか、なぜ交流で作ろうと思ったのか、交流にどんなメリットがあるのか、そういうことも全く説明してくれない。
テスラがブラウンとペックからウェスティングハウスが興味を示していると聞かされるシーンはアメリカ電子工学学会のデモンストレーション後なのだが、それも全く伝わらない。何の説明も無いからだ。
テスラについて詳しく知らないと、どういう場所なのかは全く分からないのだ。
とにかく、テスラに関する肝心な要素の説明不足が甚だしい。アンがテスラに「父は社会に有害だと思う?」と尋ね、「海賊のように富を貯め込んでると?労働者から搾取して、市場や経済を操作して、権力を手にしていると?」と言い出すシーンがある。
まるで父が批判されたと思ったかのような台詞だが、そんなことを言い出す理由がサッパリ分からない。その直前に、テスラが実業家を批判するようなことを言ったわけでもないし、何の脈絡も無いのだ。
もっと根本的な問題として、そこまでアンがJ・P・モルガンの娘であることに言及しないのは構成として変だろ。なぜ彼女の登場シーンで、そのことに触れておかなかったのか。
あと、ここでJ・P・モルガンの最初の結婚や妻が結核で死んだことをナレーション説明するけど、今回の物語な何の関係も無い情報だろうに。ウェスティングハウスがテスラに、電気ショック対決を持ち掛けられたことを話すシーンがある。でも、その対決がどうなったのかは良く分からない。
ケムラーの処刑にしても、そこに集中して物語を進めずに他の様子を挟むので、ものすごくボンヤリしている。
40分ぐらい経過した辺りで冒頭シーンが再び描かれるが、やっぱり状況が良く分からない。
そこにはジョンソン夫妻がいるのだが、これも説明が全く無いので見ているだけでは全く分からない。そして、そのシーンを冒頭に配置した意味も、やっぱり分からない。「シカゴ万博で交流の安全性が証明された」ってのはテスラを描く上で重要なポイントのはずだが、ナレーションだけで軽く処理する。
アンがテスラに「私もシカゴに行きたい」と志願するシーンはあるのに、一緒に行くシーンは無い。シカゴ万博の様子は適当に片付けて、エジソンがテスラをレストランに呼んで「自分が間違っていた」と謝罪し、手を組もうと提案する様子を描く。
しかも、すぐにアンの語りで「これは作り話」と否定するのだ。
作り話なら、わざわざ描く意味は何なのか。テスラがウェスティングハウスとの契約を破棄してシーンが切り替わると、アンのナレーションでサラを紹介する。ここではサラが初めてアメリカを訪れてエジソンと会った時のことにも触れるが、その必要性は全く分からない。
もっと言ってしまえば、サラを登場させる意味さえ乏しい。
テスラがコロラドで実験を開始した後、サラとのロマンスを描こうとする展開があるので、そこに向けての描写なのは分かる。だけど初対面のシーンで、恋愛の匂いなんて皆無だったでしょうに。
テスラがサラに惹かれたのは事実らしいけど、それが分かった上で、「それでも要らない」と言いたくなる。
それぐらい、恋愛劇なんて申し訳程度に触れるだけなのだ。テスラがサラと会うシーンを描くことで、観客に何を伝えようとしているのかサッパリ分からない。恋愛劇の芯は全く通っておらず、曖昧模糊としている。
恋愛劇に限らず、全てにおいて同じようなことが言える。肝心だと思えるシーンは、ことごとくカットしていく。そして、その周辺ばかりを拾っていくのだ。
終盤、アンがテスラに「貴方は何がしたいの?」と質問するシーンがある。
この映画に対する感想が、まさにその台詞なのだ。(観賞日:2022年6月25日)