『テッド2』:2015、アメリカ

テッドは恋人のタミー=リンと結婚式を挙げ、親友のジョンたちに祝福される。続いて結婚パーティーが開かれ、ガイは新恋人のリックと共に参加した。ジョンは半年前にロリーと離婚したため、元気が無かった。テッドはサム・ジョーンズたちと楽しく踊り、パーティーは大いに盛り上がった。それから1年後、テッドはタミーと夫婦喧嘩になってしまい、ジョンと飲みに出掛けて反省する。ジョンはバーで働くアリソンから好意を寄せられているが、誘われても全く乗らなかった。テッドはアリソンと関係を持つよう促すが、ジョンはロリーとの離婚で懲りていたのだ。
翌日、テッドはベイ・コロニー食料品店へ仕事に行くが、タミーは目も合わせてくれない。テッドから相談を受けた同僚のジョイは、子供を作るよう助言した。テッドはタミーに謝罪し、子供を作ろうと持ち掛ける。タミーは大いに喜び、2人は仲直りした。テッドはジョンに事情を説明し、サム・ジョーンズに精子を提供してもらう考えを明かした。ジョンが賛同したので、テッドは彼と共にサムの家を訪れた。しかしサムはセックスのやり過ぎで1つしか精子が残っていないことを理由に、テッドの頼みを断った。
そこでテッドはジョンに協力してもらい、トム・ブレイディーの精子を盗み出そうと目論む。ジョンとテッドはトムの屋敷に忍び込むが、見つかって逃げ出した。ジョンが自分が精子提供者になることを申し入れると、テッドは快諾した。ジョンは精子バンクを訪れ、精子を容器に詰めた。玩具会社「ハズプロ」の上級副社長を務めるトム・ジェサップは、部下に仕事の指示を出しながら廊下を歩く。清掃員のドニーは彼に声を掛け、トイレの消臭剤について説明する。ジェサップは困惑し、無視して立ち去った。
テッドとタミーは産婦人科の医師を訪ねるが、人工授精は出来ないと告げられる。タミーを検査した結果、5年前まで薬物を濫用していたせいで着床できなくなっていることが判明したのだ。そこでテッドとタミーは養子縁組紹介所へ行くが、ここでもタミーの薬物使用が問題になった。それだけでなく、テッドが法的に「人間ではなく物である」と解釈されたので養子縁組は不可能だと所長は告げた。しかも、養子縁組を申請したことでテッドの存在が労働局に知られ、彼は店長のフランクから解雇を通告される。フランクはテッドに、「法的な問題で、従業員として雇えないんだ」と説明した。
テッドは銀行口座やクレジットカードを解約され、タミーとの結婚も無効になってしまう。テッドはジョンに相談し、マサチューセッツ州を相手に訴訟を起こそうと考える。彼らはネット検索で見つけた大手の事務所を訪れ、カール・ジャクソン弁護士に依頼する。ジョンたちが資金的に恵まれていないことを悟ったカールは、見習いをしている姪のサマンサに無償で担当させることを提案した。ジョンとテッドは難色を示すが、サマンサも同じマリファナ常習者だと知って態度を変えた。
サマンサは資料を集めて準備を進め、ジョンとテッドに裁判の練習をさせた。ドニーはジェサップの元へ行き、テッドが訴訟を起こしたことを報じる新聞記事を見せる。その上で彼は、もし裁判でテッドが負ければ法的に「人間ではない」と認められれば、自分が盗み出してみせると持ち掛ける。ドニーは「テッドの仕組みを解き明かせば大量生産が可能となり、会社に多大な利益をもたらす」と語り、絶対にテッドが負けるよう手を回すべきだと主張した。目的を問われたドニーは、テッドを自分の物にしたいだけだと告げた。
ジェサップはドニーの提案を了解し、無敗を誇るシェップ・ワイルドを州政府の弁護士として雇った。裁判が始まると、シェップはテッドが物であることを冷静に証明しようとする。ジョンとテッドは汚い言葉で彼を罵り、判事から注意される。サマンサはタミーとの関係をテッドに証言させ、彼が人間であることを陪審員たちにアピールする。シェップはハズプロでテディー・ベアの担当だったトッド・キダーを証人に呼び、5つの言語を話すプログラムが搭載されていることを証言させる。テッドがシェップの要請を受けて胸部を押すと、搭載されている台詞が聞こえた。
ついに評決の日が訪れ、陪審員は州政府の主張を認めた。変装して裁判を傍聴していたドニーはジェサップの元へ行き、計画の遂行を宣言した。サマンサは有能な弁護士のパトリック・ミーアンに連絡を取り、協力を要請した。彼女は面会の約束を取り付け、ジョン&テッドと共にニューヨークへ向かう。途中で少々のトラブルはあったものの、ジョンたちは無事にニューヨークへ辿り着いた。しかしミーアンはテッドを調査して素行不良だと知ったことを告げ、それを理由に弁護を断った…。

監督はセス・マクファーレン、キャラクター創作はセス・マクファーレン、脚本はセス・マクファーレン&アレック・サルキン&ウェルズリー・ワイルド、製作はスコット・ステューバー&セス・マクファーレン&ジェイソン・クラーク&ジョン・ジェイコブズ、共同製作はエリック・ヘフロン&マーク・カミン、製作総指揮はアレック・サルキン&ウェルズリー・ワイルド、製作協力はジョセフ・マイカッチ&ケリー・クローニン、撮影はマイケル・バレット、美術はスティーヴン・ライン・ウィーヴァー、編集はジェフ・フリーマン、衣装はシンディー・エヴァンス、視覚効果監修はブレア・クラーク、音楽はウォルター・マーフィー。
出演はマーク・ウォールバーグ、アマンダ・セイフライド、モーガン・フリーマン、ジョヴァンニ・リビシ、ジェシカ・バース、ジョン・スラッテリー、サム・J・ジョーンズ、ビル・スミトロヴィッチ、パトリック・ウォーバートン、ロン・カナダ、デニス・ヘイスバート、ジョン・キャロル・リンチ、マイケル・ドーン、ココア・ブラウン、リーアム・ニーソン、トム・ブレイディー、ジェイ・レノ、ジミー・キンメル、ケイト・マッキノン、ボビー・モイナハン、タラン・キラム、セバスチャン・アーセラス、ジェイ・バターソン、スティーヴ・キャラハン他。
声の出演はセス・マクファーレン、パトリック・スチュワート。


2012年の映画『テッド』の続編。
監督は前作と同じくセス・マクファーレンで、テッドの声とモーション・キャプチャーも担当している。
脚本は『荒野はつらいよ 〜アリゾナより愛をこめて〜』に引き続いて、セス・マクファーレン&アレック・サルキン&ウェルズリー・ワイルドが手掛けている。
ジョン役のマーク・ウォールバーグ、ドニー役のジョヴァンニ・リビシ、タミー役のジェシカ・バース、本人役のサム・J・ジョーンズ、フランク役のビル・スミトロヴィッチ、ガイ役のパトリック・ウォーバートン、ナレーターのパトリック・スチュワートは、前作からの続投。他に、サマンサをアマンダ・セイフライド、ミーアンをモーガン・フリーマン、シェップをジョン・スラッテリー、判事をロン・カナダ、産婦人科の医師をデニス・ヘイスバート、ジェサップをジョン・キャロル・リンチが演じている。
食料品店でシリアルを買う客として、リーアム・ニーソンが出演している。NFLのスター選手であるトム・ブレイディー、テレビ司会者のジェイ・レノとジミー・キンメル、『サタデー・ナイト・ライブ』出演者のケイト・マッキノン&ボビー・モイナハン&タラン・キラムが本人役で登場する。
アンクレジットだが、テレビ司会者のジミー・ファロンとビル・マーも本人役で登場する。

前作に引き続いて、映画評論家の町山智浩氏が字幕監修を担当している。
前作では「テディー・ラクスピン」が「くまモン」、「ジョーン・クロフォード」は「星一徹」といった風に、日本人向けに台詞の大幅な変更が行われていた。それは「そのまま翻訳したら日本人には分からないネタが多すぎるから」という理由による変更だったが、批判的な意見も多かった。
そのことに町山氏は辟易したようで、今回は出来る限り忠実に翻訳したそうだ。
この映画の場合、たぶんベストの翻訳は難しい。どっちかを犠牲にしなきゃいけないのなら、「日本人に分かりにくくても、忠実に翻訳する」ってことを選んだ方がベターなんじゃないかなと。

ゲスト出演の面々は、前作がノラ・ジョーンズ、サム・ジョーンズ、トム・スケリット、テッド・ダンソン、ライアン・レイノルズという顔触れだった。
今回はサム・ジョーンズが続投している他、リーアム・ニーソン、トム・ブレイディー、ジェイ・レノ、ジミー・キンメル、ケイト・マッキノン、ボビー・モイナハン、タラン・キラム、ジミー・ファロン、ビル・マーという顔触れになっている。
前作より人数が増えているが、「質」という部分でもリーアム・ニーソンが出演している今回の方が上だろう。
ぶっちゃけ、前作より勝っている部分って、そこぐらいじゃないかな。

それが充分に活用されているとは言えなかったが、「下品で素行不良のテディー・ベア」ってのは前作のセールス・ポイントになっていた。
しかし今回は、もうファースト・インパクトが利用できない。テッドが登場して口の悪さや素行の悪さを披露しても、そこに意外性は無く、前回と同じことをやっているだけになる。
そこに限らず、ザックリ言っちゃうと、やっていることは前作とほぼ同じだ。
さすがに焼き直しとまでは行かないが、既に2作目にして、マンネリズムを悪い意味で感じさせる状態に仕上がっている。

「セス・マクファーレンが面白いと感じたネタを、統一感やまとまりは完全に無視し、取捨選択せずに詰め込んだ」ってのが、この映画である。
もちろん、使われているネタが前作と全く同じわけではない。しかし、前作に比べてパワーアップしているわけではない。
具体的なネタを幾つか挙げると、例えばテッドがタミーと喧嘩して近所の住人と言い争いになるのは『レイジング・ブル』。ジョンとテッドがトム・ブレイディーの精子を盗もうとして掛け布団をめくり、股間が輝くシーンは『パルプ・フィクション』。
精子バンクの棚を倒したジョンが精子まみれになった時、テッドは「カーダシアン家みたいだな」と、リアリティー番組に出演したキム・カーダシアンの一家に例える。ジョンとテッドは、サマンサの目が『ロード・オブ・ザ・リング』のゴラムに似ていると指摘する。
裁判に向けて資料を集めるジョン&テッド&サマンサが図書館で踊るのは『ブレックファスト・クラブ』。

ニューヨークへ向かう車の運転をテッドが交代するのは『大災難P.T.A.』。彼らがマリファナ農園を発見するシーンは『ジュラシック・パーク』。休憩する時にサマンサがギターの弾き語りをするのは『サボテン・ブラザース』。
ドニーに追われたテッドはテディー・ベアの棚に隠れるが、ニール・ダイヤモンドの『Sweet Caroline』を歌われると動き出してしまう。この曲はボストン・レッドソックスの本拠地であるフェンウェイ・パークで必ず流れるので、テッドは体が動いてしまうというネタだ。逆に『ミュータント・タートルズ』のラファエロのコスプレをしたドニーが隠れた時は、ティファニーの『I Think We’re Alone Now』をテッドが歌うと体が動いてしまう。
終盤、弁護を引き受けたミーアンが法廷で演説するシーンは、『エバン・オールマイティ』。
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」ってことで、完全に「質より量」になっているのは前作と同様だ。

とにかくセス・マクファーレンが面白いと感じたネタを「これでもか」と詰め込んだだけなので、上手く話の流れに乗せようという意識は乏しい。
例えば、なぜ『フラッシュ・ゴードン』に匹敵する男がトム・ブレイディーになるのか、サッパリ分からない。
そこもデタラメな理由付けがネタになっているならともかく、そこは何も用意していないのよね。ものすごく大雑把な作りで、とにかく勢いとパワーだけで突っ切ろうとしている。
でも残念ながら、強引に突破できるほどの勢いとパワーは無いのよ。
それは「2作目だから」ってことじゃなくて、1作目から存在する問題だけどね。

ロビン・ウィリアムズやビル・コスビー、作家のF・スコット・フィッツジェラルドといった面々をコケにするようなネタもある。
セス・マクファーレンは「どこまで茶化していいのか」という線引きが全く出来ない人だ。
なので、自殺したロビン・ウィリアムズや過去の性的暴行疑惑が持ち上がったビル・コスビーまで平気でネタにしているのだ。
ドラッグや下ネタだけじゃなくて、そういうトコでも行き過ぎちゃう辺りが、良くも悪くもセス・マクファーレンのセンスなのである。

「マニアックな小ネタのオンパレード」という部分でパワーアップできていないのなら、ストーリーの方はどうなのかと目を向けてみると、こちらは明らかにパワーダウンしている。
まず、「とにかくネタを詰め込みたい」という意識が強すぎるせいか、余計な寄り道を繰り返し、話のテンポが悪くなっている。それは前作でも見られた傾向だけど、それが酷くなっている。
途中でロード・ムービーっぽいノリになるトコがあるけど(ニューヨークへ向かう道中)、そんなトコは「ニューヨークへ到着しました」という形で省略すればスッキリするわけで。でも、その途中で色々とネタを盛り込みたいなら、どうしてもダラダラしちゃうわけでね。
っていうか、そこを上手く処理すれば、たぶん「ダラダラしている」と感じさせずに済んだはずだけどね。

ストーリーは焼き直しではなく、前作とはガラッと違う内容になっている。
前作は、「ロリーと結婚して大人の自覚や責任感を持とうと考えたジョンが、やっぱりテッドと決別せずに仲良く暮らし続けることを選ぶ」という話だった。
それがドラマとして面白かったのか、充分に膨らんでいるのかというと、答えは「ノー」と断言できる。ただ、ともかく「ジョンの成長」をメインに据えていた。
それに対して今回は、テッドをドラマの中心に据えている。
「前回がジョンだったから、今回はテッド」ってのは単純っちゃあ単純だが、まあ悪くない考えではある。

そしてテッドを中心に据えたドラマでは、「テッドは人間か否か」というテーマが掲げられている。
サマンサが法廷のシーンで言及するドレッド・スコットの裁判から、セス・マクファーレンは今回の話を着想している。
150年前に奴隷として白人に所有されていたスコットは、同じ奴隷の女性と結婚した。
彼は人権を求め裁判を起こしたが、連邦最高裁判所の判事は「黒人は合衆国の市民ではない」「訴訟を起こす資格を持たない」という判決を下した。

ただ、着想のきっかけとなったのは真面目な史実だが、だからって本作品が真面目な方向へ舵を切ることは無い。
それは当然のことだし、一向に構わない。
ただし問題なのは、「テッドは人間じゃなくて所有物」という評決が下っても、まるで同情心が湧かないってことだ。
むしろ、ミーアンが「素行に問題があるから弁護は出来ない」「人間とみなすには、行動に問題が多すぎる」と指摘した時に、納得できてしまうんだよね。

もちろん最終的には判決が覆されて「テッドは人間である」と認められるんだろうってのは見えているし、その通りの筋書きが用意されている。だけど、それをハッピーエンドとしては受け取れないのよね。
だからって「テッドは物」ってことで着地すればOKなのかというと、それはそれで色々と問題があるだろう。
なので、そもそも「テッドは人間か否か」というマジなテーマを持ち込んだこと自体が間違いじゃないかと思うわけよ。
「人間とは何か」という問題を深く掘り下げているわけではないし、そこを真剣に追究しようとしたら作品のテイストに合わなくなってしまうし。

もちろん、コメディーとしてテーマを上手く消化し、答えに辿り着くことが出来れば、何の問題も無い。
しかし、この映画の場合、それは難しいだろう。
なぜなら、ストーリー展開やキャラクターの動かし方によって喜劇を構築しているわけではなく、マニアックな小ネタの羅列によって笑いを取りに行く作品だからだ。
なので、「昏倒したジョンを本気で心配する気持ちがあるんだから、テッドは人間だよね」という、毒にも薬にもならないような薄くて答えにヌルッと辿り着いている。

ただ、そんなことよりも、何より痛いのはロリーが登場しないことだ。演じていたミラ・クニスが妊娠して出演できなくなったらしいが、ここが大きなマイナスになっている。
前作でもジョンとロリーの恋愛劇が、そんなに上手く機能しているわけではなかった。ただ、ジョンとテッドだけだとダメな方向へ好き勝手にフラフラと徘徊しちゃうところを、ロリーが何とかバランスを取ろうとしていた。
しかし今回は彼女が消えてしまい、サマンサもタミーも同じような役割は果たさない。サマンサはインテリだけど、基本的にはジョン&テッドと同類だ。
わずかな中和剤さえ無くなったことにより、ただでさえ「分からない人は置いて行きますよ」という内輪受けみたいな映画なのに、それが助長されているのよね。

(観賞日:2017年1月29日)

 

*ポンコツ映画愛護協会