『TAG タグ』:2018、アメリカ
1983年、9歳のホーギー、ジェリー、チリ、セーブル、ボブは、公園で鬼ごっこに興じた。仲良しの5人は、この遊びをずっと続けようと誓い合った。現在。ホーギーは大手企業の清掃員になるため、面接を受けた。しかしホーギーが獣医学の博士号を取得して仕事も順調だと知り、面接官は困惑する。ホーギーは会長のボブに近付きたいのだと説明し、清掃員の仕事を得た。ホーギーがウォール・ストリート・ジャーナルの記者であるレベッカの取材を受けていると、ホーギーは清掃業務を装って部屋に入り込んだ。彼はホーギーにタッチし、「君が鬼だ」と告げてから再会を喜び合った。
ホーギーはボブに、「ジェリーが今期で抜ける。5月は残り3日だ」と言う。彼は「奴を仕留めないと。今年は特別だ。居場所が分かる」と述べ、ジェリーとスーザンの結婚式が31日にあることを教えた。2人とも式に招待されておらず、鬼になることを避けるためではないかとボブは推測した。2人の話を聞いたレベッカは興味を抱き、詳細を尋ねた。ホーギーとボブは、30年前から5人で毎年5月に鬼ごっこを続けていること、ジェリーが1度も鬼を経験していないことを説明した。
レベッカは記事になると考え、ホーギーとボブに同行した。チリがコロラド州デンヴァーで父と大麻を吸っていると、ホーギーの妻であるアンナが訪ねて来た。チリはホーギーが妻を使ったと気付き、急いで逃亡を図る。しかしホーギーはチリを捕まえ、ボブも合流した。3人はタッチ合戦を繰り返すが、ホーギーが休戦協定を持ち掛けた。そこへアンナが車で近付き、セーブルの元へ向かおうと促した。セーブルはオレゴン州ポートランドで、セラピストと会っていた。ホーギーたちは彼と会い、すぐに旅の支度をするよう指示した。
一行はワシントン州スポケーンに着き、ホーギーの実家に集まった。彼らは作戦会議を開き、挙式中は卑怯なので狙わないことに決めた。ホーギーは母のリンダからジェリーに関する情報を聞こうとするが、彼女は「ルーは貴方たちのことばかり話している。寂しいのよ」と口にする。しかし情報通のルーが何か知っているはずだと考えたホーギーたちは、彼が営むバー「サンドパイパー」へ赴いた。ジェリーから「翌年から鬼ごっこメンバーに加える」と約束されていたルーは、口を割ろうとしなかった。しかし「レベッカが記事に載せる」と持ち掛けると、彼は「ディナー会場はディア・クリークだ」と教えた。
ホーギーたちはスーザンに電話して嘘を吹き込み、ジェリーをディア・クリークへ誘い出す。しかしジェリーはホーギーたちの攻撃を全て余裕でかわし、建物の外へ脱出してスーザンを紹介した。スーザンはホーギーたちに、挙式中の騒ぎを避けたいから招待しなかったことを話す。ホーギーは休戦を提案し、ルールを改定することにした。ホーギーたちはスーザンの要求を受け入れてルールを改定し、それを承諾するノートに署名した。
ホーギーたちはジェリーの家に侵入し、屋内を捜索した。するとジェリーは彼らが来ることを察知しており、テレビ電話を通じてホーギーの家にいることを教える。彼が挑発的な態度を取ったので、ホーギーたちは急いで家へ向かった。しかし彼らが家に着くと、ジェリーの姿は無かった。ジェリーはホーギーたちに、自宅の地下室にセットを作って偽装していたことを教えた。ホーギーは老婆に化けて、紳士服店でタキシードを受け取ったジェリーを待ち伏せた。しかしジェリーに気付かれ、作戦は失敗に終わった。
結婚の事前パーティーが開かれ、スーザンはチリたちに妊娠していることを教えた。会場にシェリルが現れたので、知らなかったボブとチリは驚いた。シェリルはボブとチリにとって初恋の相手であり、2人とも交際していた時期がある。しかしシェリルは歯科医と結婚し、ボブとチリは10年ぶりの再会だった。チリはボブに促され、彼女に声を掛けた。シェリルは夫が死んだことを話し、チリは妻と離婚したことを語った。気になったボブは、化粧室へ向かうシェリルを追って話し掛けた。
夕方の5時になり、ホーギーはジェリーにタッチする作戦を始めようとする。しかしボブは作戦を放り出し、テラスでシェリルとワインを楽しんだ。ジェリーがゴルフカートで逃亡したので、ホーギーたちは慌てて後を追った。3人は森に突入するが、カートが倒木に激突してしまった。ジェリーは彼らの前に姿を現し、挑発して逃走した。3人は捜索するが、チリとホーギーが立て続けに撃退された。セーブルも捕獲され、薬で眠らされた。
森を去ったホーギーたちは、車でサンドパイパーへ向かう。後から合流したボブは、仕事の打ち合わせがあったと嘘をつく。彼が「名案がある。奴のジムへ。居所が分かる」と言うと、ホーギーたちは賛同した。チリは膝が痛いと嘘をつき、彼らと別れてサンドパイパーに入る。店ではシェリルが待っており、チリは彼女と飲み始めた。ホーギーたちはジムに着き、従業員のデイヴにジェリーの居場所を尋ねた。ホーギーは500ドルの報酬を持ち掛けるが、デイヴは口を割らなかった。アンナが水責めにしようとするので、ホーギーたちは慌てて制止した。デイヴは2500ドルを受け取り、ジェリーが禁酒会でブランズウィックの教会に通っていることを教えた。
ホーギーたちがサンドパイパーに戻ると、まだチリとシェリルが楽しそうに話していた。ボブはチリの嘘を批判し、2人は口論になった。シェリルは「2人ともジェリーのことで頭が一杯」と述べ、店を後にした。翌朝、ホーギーたちは教会の庭に罠を仕掛け、禁酒会に参加しているジェリーを攻撃した。ジェリーは全て撃退するが、外に出るのは無理だと判断した。彼は厨房に閉じ篭もり、シャッターを閉じた。ホーギーたちは挙式がある5時間後まで、厨房の外で待機することにした。
しばらくするとスーザンが現れ、まだ鬼ごっこにこだわっているジェリーやホーギーたちを批判した。彼女が急に産気付いたので、心配したジェリーが厨房から出て来た。チリは「あれは芝居だ。タッチしろ」と言うが、ホーギーたちは反対した。ジェリーが「病院へ連れて行く」とスーザンと共に去るのを、ホーギーたちは見送った。一行はホーギーの実家に戻るが、アンナは花嫁付添人がインスタで一斉に挙式の延期を残念がる退屈なコメントを出しているのを見て不審を抱いた。彼女はスーザンが産気付いたのも挙式の延期も嘘ではないかと怪しみ、調べることにした…。監督はジェフ・トムシック、原案はラッセル・アダムズ、映画原案はマーク・ステイレン、脚本はロブ・マッキトリック&マーク・ステイレン、製作はトッド・ガードナー&マーク・ステイレン、製作総指揮はリチャード・ブレナー&ウォルター・ハマダ&デイヴ・ノイスタッター&ハンス・リッター、共同製作はショーン・ロビンス、撮影はラリー・ブランフォード、美術はデヴィッド・サンドファー、編集はジョシュ・クロケット、衣装はデニース・ウィンゲイト、音楽はジャーメイン・フランコ、音楽監修はゲイブ・ヒルファー。
出演はエド・ヘルムズ、ジェレミー・レナー、ジョン・ハム、ジェイク・ジョンソン、アナベル・ウォーリス、ハンニバル・バーレス、アイラ・フィッシャー、ラシダ・ジョーンズ、レスリー・ビブ、ノーラ・ダン、リル・レル・ハウリー、トーマス・ミドルディッチ、スティーヴ・バーグ、カート・ユエ、ジム・エスポジート、ケイト・ニーランド、ヴィンス・ピサーニ、マクスウェル・ロス、シャヴィオン・シェルトン、ジャレン・ルウィソン、イライジャ・マーカノ、ケラ・レインズ、ケヴィン・ムーディー、ブレイデン・ベンソン、タイラー・クラムリー、レジェンド・ウィリアムズ、ブラクストン・ビャーケン、ブラクストン・アレクサンダー、ティヤナ・スター他。
ウォール・ストリート・ジャーナルに掲載された記事を基にした作品。
監督のジェフ・トムシックは、これが初めての長編映画。
ホーギーをエド・ヘルムズ、ジェリーをジェレミー・レナー、ボブをジョン・ハム、チリをジェイク・ジョンソン、レベッカをアナベル・ウォーリス、ケヴィンをハンニバル・バーレス、アンナをアイラ・フィッシャー、シェリルをラシダ・ジョーンズ、スーザンをレスリー・ビブ、リンダをノーラ・ダン、リジーをリル・レル・ハウリーが演じている。
アンクレジットだが、チリの父親をプライアン・デネヒーが演じている。冒頭で「1983」と文字が出てナレーションが入り、公園で鬼ごっこに生じる少年たちの姿が写し出される。
ナレーションは続き、少年たちが自転車を走らせる様子からカットが切り替わると、高校生に成長した彼らが学校の廊下で追い掛け合っている様子が描かれる。
だけど、それなら高校生パートにも、「1992」と出すべきでしょ。
あと、自転車を走らせるシーンは無しでいいから、あと1つか2つぐらいは別の年の鬼ごっこのシーンを盛り込んだ方がいいよ。レベッカが同行する展開は、まるで意味が無い。
ウォール・ストリート・ジャーナルに掲載された記事から着想された作品ではあるけど、「だから劇中にも記者を登場させるのは当然の流れだよね」なんてことは全く思わないわ。
レベッカなんて、何の役にも立たないキャラになっているからね。彼女が物語の展開に大きく影響を与えることは無いし、彼女の視点からホーギーたちの物語が綴られるわけでもないし。
このキャラを排除しても、何の支障も無いよ。「大人になっても毎年5月に鬼ごっこを繰り返している」ってのは、ウォール・ストリート・ジャーナルの記事としては面白さがあったのかもしれない。
でも映画の題材としては、そこに面白さを見出せない。それどころか、「バカじゃねえの」と冷めた気持ちになってしまう。
大人になっても子供の頃の気持ちを忘れないとか、子供の頃の遊びを大人になっても続けているとか、そういうことをバカにしているわけじゃないのよ。
大人としては無意味でも、そこに面白さを見出せることはあるだろうしね。ただ、ホーギーたちに関しては、「やり過ぎだろ」と言いたくなるのよね。
仕事を辞めて清掃員になってまで相手へのタッチに固執するとか、呆れてしまう。
そこまで行くと、もう1ミリも笑えないよ。微笑ましい連中だとも思わないし、「勝手にやってれば」と言いたくなる。
「幼少期の純粋な気持ちを忘れない」ってのとは、まるで別物にしか感じないよ。「ずっと続けている内に依存症みたいになってしまった奴ら」「変な使命感に取り憑かれたヤバい奴ら」としか感じないよ。出産や葬儀の時などTPOを無視するとか、仕事を変えてまで相手のいる場所に潜入するとか、わざわざセットまで作って偽装するとか、ただの鬼ごっこに対してホーギーたちが費やす労力は異常だ。
ただ、それに関しては、「大人になっても鬼ごっこを続行し、そこに異常な労力を掛けているイカれた連中」という設定なので、「そういうモノ」と受け入れるしかない。
まるで好意的には受け取れないし、ただバカバカしいとしか思わないけど、描写としては何の問題も無い。
しかしジェリーが相手の動きを全て読み取り、驚異的な運動能力で攻撃をかわすというシーンに関しては、完全にアウトだろ。ジェリーがディア・クリークでホーギーたちを相手に軽やかなアクションを披露するシーンは、リアリティー・ラインを思い切り逸脱している。
他の描写は全て「やろうとすれば可能な行為」だけど、ジェリーのアクションだけは完全にファンタジーなのよね。
それを有りにしちゃったら、「他のトコでも現実離れした描写は幾らでも可能でしょ」と言いたくなる。
例えば「爆弾を投げるけど受けた相手は黒焦げになるだけで無事」とか、「凄腕ハッカーを雇って全ての信号機を赤にする」とかさ。タキシードを受け取ったジェリーがホーギーに待ち伏せに気付くシーンで、彼が女性向けの護身術を6年間教えていることが明かされる。
それは最初に明かしておいた方が思うけど、どっちにしろ「だから驚異的な察知能力と身体能力を持っているんだな」と納得できることなんて微塵も無い。
護身術を教えていようが、アクションシーンのせいでリアリティー・ラインが破綻していることは変わらない。
彼がホーギーたちの攻撃をかわしたり撃退したりする時だけ、急にモノローグを多用するのも演出として外していると感じるし。ジェリーが森でホーギーたちに追われるシーンでは、あらかじめ仕掛けておいた大規模な罠を使って撃退している。それは実現可能な罠ではあるのだが、描写としては度を超えていると感じる。
徹底して荒唐無稽に舵を切るのか、実現可能な範囲で留めるのか、そこの基準が定まっていない。
っていうか「大人になっても鬼ごっこを続けている」という設定のバカバカしさを考えると、そこは「現実的で身近に感じられる範囲」で描いた方が得策だと思うのよね。
鬼ごっこにおける行動をファンタジーにしてしまうのは、「大人が全力で鬼ごっこに取り組む」という趣向との相性が悪いんじゃないかと。シェリルはサンドパイパーでボブとチリが口論になった時、「ジェリーのことで頭が一杯」と言う。
だけど、ホントに2人ともジェリーのことで頭が一杯なら、嘘をついてシェリルと飲もうとはしないはずでしょ。そのせいで2人は作戦から外れたり、仲間に迷惑を掛けたりしているわけで。
なので、その状況に合致している台詞とは言えない。
あと、シェリルは「2人の気を逸らすためジェリーに呼ばれたのは確かだけど、会いたくて来たのよ」と語るんだけど、「ジェリーが鬼ごっこの仕掛けとしてシェリルを呼んでいた」ってことのアピールが弱いし、シェリルというキャラを上手く扱い切れていない。スーザンが産気付いたのは、ジェリーが鬼ごっこでホーギーたちから逃げるための芝居だ。
でも、「そこまでやるのか」と言いたくなる。
もちろん、それは好意的な驚きの反応ではない。
そもそも挙式を狙っている時点で常軌を逸しているが、それはジェリーが逆の立場の時もやっていたことだろうし、メンバー内では許容範囲なんだろう。
でも「産気付いてスーザンもお腹の子も危険」と本気で思わせて仲間の良心に訴えるのは、さすがに悪趣味が過ぎる。ゾッとするし、嫌悪感が強いわ。終盤になって「実はホーギーが3週間前に脳腫瘍と宣告され、来年5月まで生きられないので何としてでもジェリーを鬼にしたかった」ということが明らかにされる。
だけど、それが分かって感動的なムードになるかというと、「いや別に」だわ。
脳腫瘍と判明したのなら、さっさと仲間に打ち明ければいいだろ。
鬼ごっこに固執している場合じゃないし、「だからジェリーを狙う無茶な行動は全て許される」ってわけでもないぞ。「それはそれ、これはこれ」だぞ。(観賞日:2020年11月7日)