『追憶の森』:2015、アメリカ

アメリカ人のアーサー・ブレナンは日本に到着し、各種交通機関を乗り継いで青木ヶ原へ赴いた。自殺を思い留まるよう諭す看板を横目に、アーサーは森の奥へと歩みを進めていく。しばらく歩いていると、自殺者の遺体が転がっていた。ある場所で座り込んだアーサーは、コートの内ポケットから水のペットボトルと小包を取り出した。彼は容器から錠剤を取り出して口に入れ、水を飲んだ。1粒目の錠剤を飲み込んだ後、彼は続けて2粒目を口に放り込んだ。
すると近くに日本人の男が歩いて来て、倒れ込むと同時に泣き出した。気になったアーサーは、男に駆け寄って「大丈夫か」と声を掛ける。彼が水を飲ませると、男は「ここから出られないんだ。助けてくれ」と言う。アーサーは遊歩道の場所を教え、真っ直ぐに進むよう促す。男を見送ったアーサーは、小包を置いた場所が分からなくなってしまった。彼が歩いていると、先程の男が独り言を話しながら移動していた。どうやら遊歩道が見つからなかった様子で、アーサーは男に話し掛けた。
「連れはいない」と口にした男が体を震わせたので、アーサーは自分のコートを貸してやった。アーサーが出口を捜してやろうとすると、男は「そっちはもう行った。道なんて1つも無い」と言う。男は「家族の元へ帰りたい」と告げ、携帯電話は持っていないこと、あったとしても樹海では使えないことを語った。遊歩道を発見したアーサーは「真っ直ぐ行けば駐車場まで辿り着ける」と教えるが、すぐに林道は途切れていた。
呆然とするアーサーは、過去を振り返った。大学の非常勤講師として働くアーサーは、妻のジョーンと暮らしていた。ジョーンが「仕事の帰りに大学へ寄ってもいい?」と訊くと、彼は「明日は忙しいんだ」と断った。「ランチだけでも」とジョーンが言っても、アーサーは「本当に時間が無いんだ」と告げた。アーサーが仕事ばかりで夫婦生活に興味を示さないことに、ジョーンは苛立ちを示した。アーサーは自分の非を認めず、彼女に反発した。
友人のガブリエラたちとの会食の席で、ジョーンはアーサーの論文を読んでいないと話す。アーサーが「僕も君の仕事に興味は無いし」と嫌味っぽく告げると、ジョーンは「私は論文の掲載を待つより、他のことに挑戦した方がいいと思うの」と主張した。「その辺りでやめておけ」とアーサーが苦言を呈すると、彼女は構わず「妻にばかり重労働させて、自分は知識人ぶって喜んでる」と語った。帰宅した後も、夫婦は険悪な雰囲気のままだった。
疲れて座り込んだ男はアーサーの質問を受け、2日前に樹海へ来たことを話す。彼の右手首から血が出ていたため、アーサーはネクタイを巻き付けた。「どうして死にたい?」とアーサーが尋ねると、男は「死にたくない」と言う。アーサーが「じゃあ、どうしてここに?」と問い掛けると、彼は「生きていたくなかったから」と答えた。男が「会社で部署を異動になった。ミスをして左遷された」と説明すると、アーサーは「そんなことでか?」と口にする。男は「仕事らしい仕事は無いし、誰にも話し掛けられない。生きていないのと同じなんだ」と言い、「アンタに日本の文化は分からない」と述べた。
再び移動を開始したアーサーは妙な音を聞き、「誰かいるのか」と呼び掛ける。すると男は「誰もいないよ」と言い、アーサーが感じた存在は「魂」だと教える。彼は「魂は霊魂のことだ。ここはただの森じゃない」と言うが、アーサーは信じようとしない。男は「ここは君たちの言う煉獄だ」と告げ、「神を信じてるか」と問い掛ける。「僕は科学者だ。神を作り出したのは僕ら人間だ」とアーサーが言うと、彼は「だったら、なぜ命を断つ?神がじゃないなら、誰があの世で待ってるんだ」と述べた。
男が「どうして死にたい?」と尋ねると、アーサーは「観光で来た」と答えた。男が錠剤の容器を差し出すと、彼は「アンタのために中断したんだ」と苛立った。アーサーは誤って足を滑らせ、斜面から転落して怪我を負った。男は慌てて彼の元へ駆け寄り、腹部に刺さっていた木の枝を引き抜いた。アーサーは息を深く吐き、過去を回想した。彼とジョーンの関係は少しだけ改善の兆しが見られたものの、すぐに険悪な状態へ戻った。激しい口論の中、アーサーはジョーンが過去の浮気を今も許していないことを改めて知った。アーサーは嫌味に満ちた言葉を浴びせ、彼女を責めた。
樹海は夜になり、アーサーは疲れを感じながらも歩き続ける。彼に名前を問われた男は、「ナカムラタクミ」と答えた。家族について質問されたナカムラは、「妻の名はキイロ。とても頭がいい。娘がいて、名前はフユ」と語った。ナカムラは小川を見つけて顔を洗い、「下流に向かって歩けば助かる可能性が高い」と言う。岩の上に咲く一輪の花を見つけた彼は、アーサーに「あの世へ向かって霊が旅立つ時に、花が咲くと言われてる」と述べた。
人影に気付いたアーサーが歩み寄ると、それは首を吊って自殺した男の死体だった。死体を調べたアーサーはパスポートを見つけ、男はドイツ人だと判明した。ナカムラは冷静な様子で、「珍しいことじゃない。世界中からやって来る。思いを果たす奴もいるが、気が変わる者もいる」と告げた。ジョーンが病院で脳腫瘍と診断された時のことを、アーサーは思い出す。主治医のハワートンは切除しても回復には時間が掛かること、難しい手術であることを夫婦に説明した。アーサーは大学で教え子のエリックたちに講義している最中も、ジョーンのことが気になって集中できなかった。
ナカムラが衰弱したため、アーサーは彼の体を支えながら歩いた。2人は突然の豪雨に襲われ、洞窟を見つけて避難した。しかし洞窟の中に大量の水か流れ込み、2人は反対側へ押し出されてしまった。溺れたナカムラが意識を失ったため、アーサーは慌てて人工呼吸を施した。アーサーはテントを発見し、急いでナカムラを運び込んだ。アーサーは無線機で助けを呼ぼうとするが繋がらず、ライターの火を使ってナカムラの手を温めた。
手術を控えたジョーンは不安を吐露し、アーサーに「死にたくない」と漏らした。「君は死なない」とアーサーが元気付けようとすると、彼女は「病院で死ぬことが怖いの。あの殺風景な場所が」と言う。ジョーンはアーサーに、「約束して。貴方が死ぬ時は、病院のような場所で逝かないで。貴方の理想の場所を見つける時が来る」と告げた。アーサーが「その時が来れば分かるのかな」と問い掛けると、彼女は「ええ。誰でも感じることが出来るわ」と述べた。
アーサーはテントの近くで焚き火を起こし、ナカムラと共に体を温めた。「この森の持つ不思議な力が分かっただろ」とナカムラが言うと、彼は「ああ、想像以上だ」と口にした。「僕らは森に吸い寄せられたと言えるのかな」とアーサーが告げると、ナカムラは「何か理由があるんだ。ここに吸い寄せられた理由も」と言う。アーサーはナカムラに、「彼女は知ってるのか。彼女が原因でここに?」と問い掛ける。妻や結婚生活について問われたアーサーは、樹海へ来た理由を語り始めた。
アーサーナカムラに、「妻はアルコール依存症だったが、生活に支障が無いので止めなかった。時々、絡んで僕を責めた。僕はもっと酷い。何年か前に浮気した。相手は勤務先の同僚だ。彼女がそれに気付き、余計に関係を悪化させた」と話す。彼は互いの気持ちを隠し合うようになったこと、妻が病気になって言い争いは一時保留になったことを話す。そして彼は「自分にとって何が一番大切なのかに気付いた。来るのが遅すぎた。絶望して、ここに来たわけじゃない。悲しくて来たわけでもない。罪の意識で来たんだ。僕も妻も、互いへの接し方を間違っていた。二度とチャンスは来ない」と話す。ナカムラは彼に、「闇が深くなれば愛する人に近付く。彼女はまだ君と共にいる。君のために森が呼び寄せた」と言う。アーサーは泣きながら、何度も謝罪の言葉を口にした。彼が「妻無しでは生きられない」と言うと、ナカムラは「ずっとそばにいるよ」と告げた…。

監督はガス・ヴァン・サント、脚本はクリス・スパーリング、製作はギル・ネッター&ケン・カオ&ケヴィン・ハロラン&F・ゲイリー・グレイ&E・ブライアン・ドビンズ&アレン・フィッシャー&クリス・スパーリング、共同製作はピエトロ・スカリア&タミ・ゴールドマン&サッチ・ワタナベ&トレイシー・マクグラス、製作協力はトーマス・パトリック・スミス、撮影はキャスパー・トゥクセン、美術はアレックス・ディジェルランド、編集はピエトロ・スカリア、衣装はダニー・グリッカー、音楽はメイソン・ベイツ。
出演はマシュー・マコノヒー、渡辺謙、ナオミ・ワッツ、ケイティー・アセルトン、ジョーダン・ガヴァリス、ブルース・ノリス、リチャード・レヴィン、ジョセフ・ベイクン、アンナ・フリードマン、クリストファー・タージャン、チャールズ・ヴァン・イーマン、ナダ・デスポトヴィッチ、ジェームズ・サイトウ、安東生馬、吉田十蔵、玄里、勢田涼子、ジミー・スタントン、アイ・ヨシハラ、アマンダ・コリンズ、オーウェン・バーク、シンバ・ディビンガ他。


『ミルク』『プロミスト・ランド』のガス・ヴァン・サントが監督を務めた作品。
『[リミット]』『ATM』のクリス・スパーリングが脚本を手掛けている。
アーサーをマシュー・マコノヒー、ナカムラを渡辺謙、ジョーンをナオミ・ワッツ、ガブリエラをケイティー・アセルトン、エリックをジョーダン・ガヴァリス、ハワートンをブルース・ノリスを演じている。
他に、客室乗務員役で玄里、列車の乗客役で戸村美智子や戸沢佑介、森林警備員役で安東生馬や吉田十蔵といった面々が参加している。

この映画は第68回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品されたが、観客の激しいブーイングを浴びる羽目になった。
カンヌのお客さんは正直すぎる反応を示すので、傑作だと思えばスタンディング・オベーションで称賛するが、嫌いな映画には容赦なくブーイングを浴びせたり途中で退席したりする。
ただ、カンヌは芸術系の映画が高く評価される傾向の強い映画祭なので、そこで酷評されたからと言って、娯楽映画や商業映画として駄作だとは限らない。
しかし残念ながら、この映画は商業映画として捉えても「そりゃブーイングを浴びても仕方が無いな」と思わせる出来栄えとなっている。

冒頭、アーサーが空港のグランド・スタッフと話すシーンで、帰りのチケットを予約しないこと、預けるほどの荷物が無いことが示されている。
そこから彼は青木ヶ原へ赴くのだが、この段階でアーサーが自殺を考えていることは明白だ。まだ世界的に広く知られているとまでは言えないものの、ネットの普及によって「青木ヶ原は自殺の名所」ってことを知る外国人も増えている。
まあ、それにしても「わざわざ自殺のために日本へ来るかね」とは思うけどね。アーサーが日本に何度も来ているとか、ジョーンが日本に憧れていたとか、夫婦と日本を関連付けるような要素は何も示されていないのでね。
っていうか、そこは何でもいいから用意しておけばいいのに。ちょっとした作業で済むようなことなんだからさ。

樹海に足を踏み入れたアーサーが立ち入り禁止区域に入ると、すぐに自殺した死体が転がっている。
そりゃあ樹海は自殺の名所だから死体はあるだろうけど、そんな林道から近くに転がっているってのは考えにくい。
ただ、それはリアリティーを求めちゃうから気になるだけだ。これを見る上で留意しなきゃいけないのは、「あくまでもファンタジーですよ」ってことだ。
それは物語がファンタジーってことだけではなくて、青木ヶ原の設定自体もファンタジーなのだ。実際の青木ヶ原とは全く別物だと捉えることが必要だ。
「自殺の名所となっている森がある」という部分だけが実際の樹海と同じで、基本的には「架空の場所」として解釈した方がいいだろう。

アーサーが中村と出会うと、そこからは2人が樹海を移動しながら会話を交わす時間帯が続く。
ずっと樹海を歩き続けるので、絵の大きな変化は期待できない。アーサーの怪我や豪雨のように幾つかのイベントは用意されているものの、基本的には会話劇が観客の興味を引き付けるための生命線となる。
そして、その会話劇が、どうしようもなく退屈なのだ。
そのままじゃマズいと思ったのか、何度も回想シーンを挿入しているけど、それで退屈が紛れるわけでもないんだよね。ただ一時的に誤魔化しているだけであって。

何度も挿入される回想シーンによって、アーサーの過去が明らかにされる。
ザックリ言うと、「アーサーは妻のジョーンと喧嘩ばかり繰り返していたが、彼女が病気になったことで関係が修復される。ジョーンの死後、彼女について何も知らなかったと気付いたアーサーは自殺を考えて日本に来た」ってことが描かれるわけだ。
ただ、それが描かれることでアーサーに共感したり同情したり出来るのか、物語に魅力を感じられるのかというと、答えはノーだと言わざるを得ない。

一番の問題は、「アーサーがジョーンに優しくなったのは同情心に過ぎず、夫婦愛には全く見えない」ってことだ。
これが「夫婦関係にはヒビが入っていたけど、決して愛が無いわけではない」ってな感じに見えていれば、病気をきっかけに関係が修復される流れは素直に受け取ることが出来る。
でも、回想劇を見ている限り、すっかり愛が無くなっているようにしか見えないのだ。
もしも病気が無かったら、そのまま破綻していたことは確実だ。

夫婦関係が修復される引き金として、病気という要素を使うのがダメとは言わない。
ただ、その前から「喧嘩もするけど愛は確実にある」ってのがハッキリと見えていればともかく、そういうのは乏しいなのよね。むしろ、さっさと離婚していた方が、お互いに幸せだったんじゃないかと思えてしまうのだ。
不和の原因は浮気が原因ってことになっているけど、それ以外の部分でも決定的に価値観が異なっているようにしか見えないので、どう頑張っても絶対に破綻しただろうなと。病気のおかげで関係は良好になったけど、しばらくすれば喧嘩になるだろうなと。
主人公を「妻が死んだので自分も自殺を考えた」という設定にすることは構わないけど、夫婦関係の描写は大幅に改変した方が良かったんじゃないかと。

夫婦関係を険悪にしている設定が、その後のドラマ展開に関係あるってことぐらいは、さすがにボンクラ満開のワシでも分かるよ。
具体的に書くと、「妻の死後、アーサーは彼女について何も知らなかったと気付かされる」というシーンがある。そして最後に、それを知る展開が用意されているわけだ。
その流れを使って感動劇にしようと狙っているのは分かるけど、成功しているとは言い難いのよね。
そもそも、妻の好きな色も季節も知らないって、その段階で「お前は明らかに奥さんを愛してなかっただろ。全く興味が無かっただろ」と言わざるを得ないでしょ。

結婚する前には交際期間もあったはずで、それで「彼女について何も知らない」ってのは、さすがにリアリティーの欠如がドイヒーだわ。
ファンタジーの要素を含む作品ではあるけど、そこが現実離れした感覚になっているのは全くの別問題だぞ。
あと、ジョーンが重病を患う設定を用意したのなら、なんで素直に病死させてあげないのかね。
「腫瘍は良性だったけど交通事故に巻き込まれて死ぬ」という捻りは、何の得にもならんよ。そんな設定を用意したら、「加害者への恨みや憎しみは抱かないのか」ってのが気になるし。

ナカムラは自殺を考えた理由として、会社で左遷されたからだと話す。「そんなことでか?」と言うアーサーに、彼は「アンタに日本の文化は分からないさ」と告げる。
確かに、「日本とアメリカの文化の違い」ってのはあるだろう。しかし、それを考慮しても、やっぱり「そんなことで自殺しようとしたのか」と言いたくなってしまう。
それは、この映画の内容を考えた時、そんな設定でホントに正解なのかってことだ。
「じゃあ、どんな理由だったら良かったのか」と問われたら、「理由なんて話さなくてもいい」と答える。
ナカムラが自殺しようとした理由なんて、全く必要性が無いんだから。そこは彼のキャラ設定を考えても、自殺の理由は謎のままでいいのよ。

ナカムラは家族について問われ、「妻はキイロ、娘はフユ」と言う。
まず、自分はフルネームを教えてくれと頼まれたから話すのは当然だが、家族については名前まで訊かれていないので、それを言うのは不自然。
そして、その名前が「キイロ」と「フユ」ってのは珍妙だ。
たぶん日本人なら、そこで誰もが「んっ?」と引っ掛かるだろう。
ここの引っ掛かりは、ラスト近くになって「そういうことだったのね」と理解できる展開が用意されている。

完全ネタバレを書いてしまうが、ナカムラは人間ではない。っていうか、この世の存在ではない。樹海の精霊とでも解釈すればいいだろう。
そしてナカムラは家族の名前という名目で、ジョーンの情報をアーサーに教えたのだ。ジョーンの好きな色が黄色で、好きな季節が冬なので。
それが明かされた時、変な名前の理由は分かる。
ただ、それが分かったとしても、完全に違和感が解消されるわけではない。「色と季節なら、ミドリとアキでも良かったんじゃないのか」と言いたくなってしまうのだ。
そうすれば余計な引っ掛かりを生むことは確実に避けられたはずで、メリットしか無いでしょ。

(観賞日:2019年9月30日)

 

*ポンコツ映画愛護協会