『ドラキュラ都へ行く』:1979、アメリカ

トランシルヴァニア城で下僕のレンフィールドと共に暮らすウラジミール・ドラキュラ伯爵は、雑誌の表紙を飾るモデルのシンディー・ソンドハイムに心を奪われていた。ある日、政府の役人がドラキュラの元を訪れ、人民委員会の無記名投票によってスポーツ選手の訓練キャンプ用にトランシルヴァニア城が接収されることを通達した。48時間以内の退去を命じられたドラキュラは、城を出た。怒りに燃える住民が取り囲んでいたが、ドラキュラは馬車で城を去った。
レンフィールドはニューヨーク行きの飛行機に搭乗し、ドラキュラは棺に入って貨物室に運ばれた。しかし同じ飛行機で黒人男性の遺体を入れた棺も搬送されており、レンフィールドは空港で荷物を受け取る時に間違えてしまった。ドラキュラが黒人教会で棺を開けると、葬儀の参列者や神父は驚いて逃亡した。ドラキュラは夜の町を歩き、絡んで来た不良グループを撃退した。ホテルに着いた彼はレンフィールドを叱責し、シンディーの居場所を突き止めるよう命じた。
翌日、レンフィールドはモデル事務所へ出向いて社長と面会し、ドラキュラの依頼だと説明してシンディーの情報を尋ねる。イタズラだと感じた社長は出て行くよう要求するが、レンフィールドは鞄から毒蛇を出して脅した。その夜、ドラキュラはセントラル・パークに行き、撮影中のシンディーを見物した。警官から下がるよう指示されたドラキュラは、犬に変身してシンディーに接近する。しかし警官に捕獲され、車で連れ出された。ホテルに戻ったドラキュラは屋上へ行き、コウモリに変身して血を吸いに出掛けた。しかしアル中のホームレスの血しか吸うことが出来ず、すっかり疲れ果ててしまった。
レンフィールドはシンディーが会員制ディスコにいる情報を入手し、ドラキュラに教えた。ドラキュラはディスコへ行き、シンディーに声を掛けて愛を告白する。最初は適当にあしらっていたシンディーだが、途中で態度を変えた。ドラキュラに誘われて一緒に踊った彼女は、自分のアパートへ招き入れた。シンディーはドラキュラに首筋を噛まれ、初めての恍惚を覚えた。シンディーは恋人で精神科医のジェフ・ローゼンバーグに、「あんな快感があったなんて」と体験を語った。
話を聞いたジェフは首筋の噛み跡を見つけ、相手がドラキュラだと確信した。ヴァン・ヘルシング教授を祖父に持つ彼は、ドラキュラについて詳しかった。ジェフは「3回噛まれたら吸血鬼になる」と説明するが、シンディーは全く信じなかった。ジェフはシンディーに頼み、ドラキュラとのディナーをセッティングしてもらう。彼がヘルシングの名前を出すと、ドラキュラは「良く知っている。頭が良かったが、私の方が優れていた」と告げた。
翌朝、ジェフは警察署へ赴き、「人の血を吸うドラキュラがいる」とファーガソン警部に説明する。しかし信じてもらえず、ファーガソンの部下に連れ出された。ジェフはドラキュラの部屋に忍び込み、棺に灯油を撒いて火を放った。しかし気付いたレンフィールドがフロントに連絡して消火してもらい、ジェフは精神病院に収容された。シンディーが見舞いに行くと、ジェフは「ここから出してくれ」と頼んだ。シンディーは火を付けないことを約束させ、「だったら出してあげる」と引き受けた。
その夜、ドラキュラはレンフィールドと血液銀行に乗り込み、大量の血液を奪って逃亡した。彼はシンディーとレストランでデートし、ネックレスをプレゼントした。シンディーが迷っている気持ちを打ち明けると、ドラキュラは「私を特別だと思っているなら、愛を信じてくれ」と語り掛けた。そこへ退院したジェフが現れて拳銃を構え、ドラキュラに3発の弾丸を撃ち込んだ。しかしドラキュラはダメージを受けず、ジェフは捕まって刑務所に収監された…。

監督はスタン・ドラゴッティー、原案はロバート・カウフマン&マーク・ジンデス、脚本はロバート・カウフマン、製作はジョエル・フリーマン、製作総指揮はロバート・カウフマン&ジョージ・ハミルトン、製作協力はハロルド・ヴァナーナム、撮影はエドワード・ロッソン、美術はサージ・クリッツマン、編集はアラン・ジェイコブス&モート・ファリック、振付はアレックス・ロメロ、音楽はチャールズ・バーンスタイン。
出演はジョージ・ハミルトン、スーザン・セント・ジェームズ、リチャード・ベンジャミン、ディック・ショーン、アート・ジョンソン、シャーマン・ヘンズリー、イザベル・サンフォード、バリー・ゴードン、ロニー・シェル、ボブ・バッソ、ブライアン・オバーン、マイケル・パタキ、ヘイゼル・シャーメット、スタンリー・ブロック、ダニー・デイトン、ロバート・エレンスタイン、デヴィッド・ケッチャム、リディア・クリステン、エリック・ラヌヴィル、スーザン・トルスキー、ロビン・ディー・アドラー、ジョン・アンソニー・ベイリー、ポール・バーセロウ、ローリー・ビーチ、ジャック・リン・コルトン他。


ブラム・ストーカーの小説『ドラキュラ』に登場するドラキュラ伯爵を題材にしたパロディー映画。
監督のスタン・ドラゴッティーは、これが2作目。
脚本は『フリービーとビーン/大乱戦』『ニューヨーク 一攫千金』のロバート・カウフマン。
ドラキュラをジョージ・ハミルトン、シンディーをスーザン・セント・ジェームズ、ジェフをリチャード・ベンジャミン、ファーガソンをディック・ショーン、レンフィールドをアート・ジョンソンが演じている。

冒頭、レンフィールドがドラキュラの元へ雑誌を持って来る。それはポルノ雑誌で、ドラキュラは「くだらん」と冷たく言う。彼が雑誌を暖炉に投げ込むと、小さな爆発が起きる。
これ、たぶん小さな爆発をギャグとして受け取るべきなんだろうけど、何をどう笑えばいいのかサッパリ分からない。むしろ、ポルノ雑誌を巡るドラキュラとレンフィールドのやり取りや反応でギャグを作った方が効果的じゃないかと。
その後、ドラキュラが雑誌の表紙を飾るシンディーを見て「生涯で1人だけ愛した女だ」と口にすると、レンフィールドは「300年前の伯爵夫人の時も同じことを言われました」と指摘する。
この段階ではギャグとして成立しているが、すぐにドラキュラが「あれはセックスの欲望だ。今回は愛だ」と真面目に否定するので、パンチ力がゼロになる。

ドラキュラが喋っている間にレンフィールドが背後に回り、見失ったドラキュラが「レンフィールド?」と呼ぶ手順がある。
些細なネタだけど、天丼すればギャグとして大いに活用できそうに感じる。
しかし、そこの1度だけで終わらせてしまうので、ギャグとして不発に終わっている。
政府の役人が来て城からの退去を要求するシーンは、「ドラキュラが全く畏怖されておらず、邪険に扱われる」というネタだ。でも、単に役人が横柄で冷淡というだけで終わっている。

ドラキュラが城を出ると、大勢の住民が怒りに燃えて待ち受けている。1人の少女が全く怖がることもないので、ドラキュラは「子供にだって分かっている。決して遊びでは殺さない。必要な時だけだ。いつも若い者を守る」と群衆に語り掛ける。
彼が少女の顎に手を伸ばすと、老女が割って入る。そこでドラキュラが「老人もね」と告げて去ろうとすると、老女は棒で背中を殴り付ける。
この時点ではギャグとしての可能性を持っているが、ドラキュラが何のダメージも受けず、クールに馬車へ乗り込むので、何のパンチ力も無いシーンになってしまう。
殴られてダメージを受けるか(その時点では平気な様子だったが少し経って失神するとか)、スカした態度でトボけたことを言うか、どっちから振り切らないと、ギャグとして昇華しない。

飛行機のシーンでは、レンフィールドが猫を連れている隣席の女性と楽しく喋る様子が描かれる。
でも、それだけで終わるので、何の意味も無いシーンと化している。
一方、貨物室のドラキュラは棺で読書しているが、これも「貨物室にドラキュラがいる」というだけで終わる。それだけではギャグとして全く成立していない。
ドラキュラは俗語辞典を読んでおり、1926年版なので「私と同じで時代遅れだぞ」と文句を言うが、これも単なる愚痴で終わっており、自虐的なギャグにもなっていない。

入国手続きのシーンは、黒人女性が夫の棺を運んでいることが描かれた時点で、レンフィールドが間違えて運んでいることはバレバレだ。
そのため、その後で「レンフィールドが車の運転手に声を掛けられて乗り込む」という様子を描かれても、無駄な道草にしか思えない。
それは「棺の取り違え」というギャグのポイントから外れている展開だからだ。
「オープンカーに棺を乗せて走る」というシーンも笑いに繋がらないし、レンフィールドと運転手のやり取りは何も膨らまないままで終わってしまうし。

レンフィールドがモデル事務所で蛇を出して社長を脅すシーンは、ただのヌルい恐怖描写になっており、何のギャグにもなっていない。
セントラル・パークでドラキュラが犬に変身するシーンは、「なぜ犬?」と言いたくなるだけ。狼ならともかく、完全にドーベルマンだし。しかも、「狼じゃなくて犬に変身する」ってのがギャグとして使われているわけでもないし。
警官に捕まって車で連れ出されるけど、これもギャグシーンとしての演出になっていないし。カットが切り替わるとドラキュラはホテルに戻ってレンフィールドに肩を揉まれているので、連行された後の展開で笑いを生み出せるチャンスも失っているし。
「コウモリに変身して血を吸いに出掛けたらホテルの部屋から追い出され、次の部屋では食料にされそうになって逃げ出し、ホームレスの血を吸う」というシーンも、手順だけ書くと笑いを生み出せるチャンスは色々とありそうなんだけど、まるで面白くないんだよね。

ームレスの血を吸ってホテルに戻ったドラキャラは、レンフィールドに「一度でいいからセーターにジャケットで出掛けたい。周りは御馳走を食べているのに、食事は生温かい液体だけだ。クリスマス・プレゼントも貰えない」と愚痴をこぼす。
だけど、別に「セーターにジャケット」で出掛けてもいいだろうし、食べられるのなら豪華ディナーを食べてもいいだろう。そして、そういう行動を描けば、笑いに結び付くこともあるだろう。それなのに、そういうチャンスも活かさない。
「現代のニューヨークに古めかしい姿のドラキュラが出現し、まるで現代的ではない立ち振る舞いを示す」というだけでもギャップによる笑いが色々と作れそうな可能性は感じるのだが、そういう要素を利用する気配も皆無。
ディスコのシーンも、そんな場所にドラキュラが来れば客が何かしらの反応を示してもいいだろうに、そういう姿も描かない。ドラキュラがシンディーとディスコ・サウンドで華麗に踊っても、周囲の反応を全く描かない。

ジェフはドラキュラとレストランで対面した時、鏡を向けたり、ニンニクのネックレスをシンディーにプレゼントしたりする。
ドラキュラは起こって鏡を割ったりネックレスを投げたりするのだが、これだとギャグに昇華していない。
「ジェフが十字架を出すのかと思ったら、間違えて五芒星を出す」ってのはギャグとして成立しているが、まあ弱いわな。
途中でキャラ変更するのは無理だけどだけど、いっそのこと「本気で五芒星でドラキュラを倒せると思い込んでいた」という設定の方が、まだマシだろう。

その後、なぜかジェフはドラキュラに催眠術を掛けようとするのだが、これは「互いに催眠術を掛けようとする」というネタに繋げるため。
でも、「互いに催眠術を掛けようとしていると、呆れたシンディーが帰ってしまう」というトコでシーンを終わらせるので、ギャグとして中途半端になっている。
シンディーの寝室に窓から乗り込んだドラキュラは、鶏の鳴き声が聞こえたので立ち去ることにする。それは向かいの部屋にいた男の鳴き声なのだが、「そいつは誰で、何の目的だよ」と言いたくなる不自然さ。
で、ドラキュラは自分のホテルに戻るのだが、そのまま翌朝になっており、何のオチも無い。

シンディーの動かし方は、かなりデタラメだ。
ドラキュラに口説かれて冷たくあしらっていたのに、なぜか急に気に入って一緒に踊る。ジェフという恋人がいるのに、ドラキュラとの関係をベラベラと喋る。
ジェフはドラキュラを殺そうとしたのに、彼の見舞いに訪れて退院させる。ドラキュラが窓から部屋に乗り込むと腹を立てるのに、急に受け入れモードに変化する。
ドラキュラは雑誌でシンディーを見ていただけで中身を全く知らずに口説くわけだが、「想像と全く違う女性だった」ってことで笑いを生み出すことも無い。

ジョージ・ハミルトンは日本だと、そこまで知名度が高いとは言えないだろう。しかしアメリカでは、かなり認知度の高い人だ。
ただし、俳優としての経歴よりも女性遍歴の方が有名ではないだろうか。多くの有名人と交際した人で、中にはエリザベス・テイラーやリンドン・ジョンソン大統領の娘なども含まれている。
この映画のドラキュラ役は、プレイボーイとしてのセルフイメージをネタにしている部分もあるのかもしれない。
ただ、もっと真正面からセルフパロディーに振り切った方が面白くなったかもね。

(観賞日:2023年1月5日)

 

*ポンコツ映画愛護協会