『ドラゴンvs7人の吸血鬼』:1974、イギリス&香港

1804年、中国の僧侶であるカーは長い旅の末にトランシルヴァニアへ辿り着いた。彼は古城に入り、棺の前で跪いてドラキュラ伯爵に呼び掛けた。棺の中からドラキュラが現ると、カーは7人の吸血鬼を祀る寺を預かっていることを話す。しかし時代の変化に伴って吸血鬼は力を失い、眠りに就いた。村人たちが寺に見向きもしなくなったため、吸血鬼を蘇らせてほしいとカーはドラキュラに頼んだ。ドラキュラは「お前の寺へ行き、吸血鬼たちを手下にして、人間たちに復讐を果たす」と言い、カーの体を乗っ取った。
1904年、中国の四川省。ヴァン・ヘルシング教授は重慶の大学で教壇に立ち、吸血鬼伝説について講義する。彼は学生たちに、愛する娘を吸血鬼に奪われた農夫が五重塔へ乗り込んだ言い伝えを話す。農夫が逃げ出すと、ドラキュラは墓地の死者たちを復活させる。必死で逃亡した農夫だが、追い掛けて来た吸血鬼によって殺された。しかし、農夫が石像に祈って置いたコウモリの飾りを手に取ろうとした吸血鬼の1人は、炎に包まれて焼け死んだ。
学生たちはヘルシングの話を馬鹿にして、まるで信じようとしなかった。しかしシー・チンという男だけは、異なる態度を見せていた。一方、ヘルシングの息子であるレイランドは領事館のパーティーに出席し、英国領事と会っていた。領事はヘルシングが大学の教授たちから嫌われたことを話し、「住民の感情を損なわないよう注意してもらわない困る」と苦言を呈した。パーティーには秘密結社の首領であるルン・ホンも来ており、領事は「自分の意志だけで客を選べない」と口にする。
領事館には夫の莫大な遺産を相続したスウェーデン人のヴァネッサも来ており、領事はレイランドを紹介する。ヴァネッサはヘルシングへの興味を示し、会いたい旨をレイランドに告げた。チンはヘルシングの元へ行き、言い伝えに出て来る農夫の孫であることを明かした。彼はヘルシングに、故郷の村を吸血鬼が支配していることを告げた。一方、レイランドがヴァネッサと話していると、ルンは手下に指示を出した。手下はヴァネッサの元へ行き、ホテルまでの送迎を持ち掛けるメモを渡した。レイランドは自分がエスコートすることを告げ、手下を追い払った。領事が「偉いことをした。ルンに恥をかかせた」と言うと、レイランドは護衛を付けるよう要請した。
チンは弟妹と共に吸血鬼退治の誓いを立てたことを話し、ヘルシングに協力を依頼する。ヘルシングが難色を示すと、チンは「吸血鬼がいる証拠を見せます」と告げる。彼は「祖父が殺した吸血鬼の身に着けていた物です」と言い、コウモリの飾りを見せた。レイランドはヴァネッサと散歩するが、ルンの手下たちが護衛に襲い掛かった。しかしチンの弟であるクウェイとターがが駆け付け、一味を退治した。弟たちが屋敷までレイランドたちを送ると、チンはヘルシングに「貴方たちが来てから、我々が守っていたんです」と説明した。他にも4人の弟妹がいて、護衛を務めることをチンはヘルシングに語った。
ヘルシングはチンに、多額の資金が必要であることを話した。するとヴァネッサは「自分を同行させること」という理由を付けて、資金の提供を持ち掛けた。翌朝、一行は馬車に必要な荷物を積んで、村へ向かった。チンの妹であるメイが、ヴァネッサの世話係を担当した。待ち伏せていたルンの一味が襲って来るが、チンたちが退治した。山を越えるため、一行は馬車を捨てた。野営の場所で、ヘルシングはチンから弟のサンやスーたちを紹介される。レイランドはメイに惹かれ、声を掛けた。
翌日、一行は洞窟で野宿することにした。そこへ吸血鬼たちが出現し、一行に襲い掛かる。チンと弟妹たちは得意の武器を駆使し、吸血鬼に立ち向かう。そこへ死者の群れも現れると、ヘルシングは心臓を狙うよう助言した。死者の群れと3人の吸血鬼を退治し、ヘルシングは弱気になるチンに「あと3人を倒せば村は救われる。準備を整えて立ち向かえば負けない」と鼓舞した。村に入った一行は村人たちと共に側溝とバリケードを築き、吸血鬼との戦いに備える…。

監督はロイ・ウォード・ベイカー、脚本はドン・ホートン、製作はドン・ホートン&ヴィー・キング・ショウ、撮影はジョン・ウィルコックス&ロイ・フォード、編集はクリス・バーンズ、美術はジョンソン・ツァウ、衣装はリュー・チーヤウ、特殊効果はレス・ボウイ、武術指導はタン・ツァ&ラウ・カーリョン、音楽はジェームズ・バーナード。
出演はピーター・カッシング、デヴィッド・チャン、ジュリー・エーゲ、ロビン・スチュワート、シー・ズー、ジョン・フォーブズ・ロバートソン、ロバート・ハンナ、チャン・シェン、ジェームズ・マー、ラウ・カーウィン、ワン・チェン、チェン・ティエンルン、フォン・ハックオン他。


イギリスのハマー・フィルム・プロダクションによる“ドラキュラ”シリーズ第9作。
監督は『血のエクソシズム/ドラキュラの復活』『アサイラム・狂人病棟』のロイ・ウォード・ベイカー、脚本は『ドラキュラ'72』『シャッター』のドン・ホートン。
ヘルシングをピーター・カッシング、チンをデヴィッド・チャン、ヴァネッサをジュリー・エーゲ、レイランドをロビン・スチュワート、メイをシー・ズー、クウェイをラウ・カーウィン、スンをフォン・ハックオンが演じている。

1948年に設立されたハマー・フィルム・プロダクションは、1957年にユニバーサル映画の『フランケンシュタイン』をカラーでリメイクした『フランケンシュタインの逆襲』を製作した。
これが世界的にヒットたことを受けて、1958年には『魔人ドラキュラ』のリメイクである『吸血鬼ドラキュラ』を製作した。
これも世界的にヒットし、ハマープロはホラー映画を生み出す人気会社となった。
その後もハマーは狼男やミイラなど、古典派ホラーのモンスターが登場する映画を次々に生み出した。

しかし1970年代に突入すると、新しいタイプのホラー映画が登場するようになり、ハマープロの作品は古臭いモノとして敬遠される状態に陥ってしまった。
ハマープロも時代の変化に対応すべく、様々な対策を取ったのだが、低迷期から脱することには繋がらなかった。
看板の1つであった“ドラキュラ”シリーズも人気は落ちる一方で、ジリ貧状態になっていた。
おまけに、前作『新ドラキュラ/悪魔の儀式』でクリストファー・リーがドラキュラ役からの引退を宣言したため、泣きっ面に蜂となっていた。

そんな中、ハマープロが起死回生の策として打ち出したのが、「カンフー映画との融合」だった。
そのためにハマープロは、香港のショウ・ブラザーズと手を組んだ。
そもそもドラキュラとカンフー映画を合体させるという時点で「迷走しているなあ」と感じるし、それが低迷を脱することに繋がるとは到底思えない。ヤケッパチになって、変な方向へ走っているとしか思えない。
しかし当時のハマープロは、それが本気で起死回生の策になると信じてしまうぐらい、追い詰められていたのだろう。

『ドラゴンvs7人の吸血鬼』という邦題は、かなり安っぽくて、キワモノっぽさを強調しているように思えるかもしれない。
しかし実際に映画を見てみれば、この邦題が見事に内容と合致していることが分かるだろう。
安っぽさとキワモノらしさも含めて、素晴らしい邦題を付けていると言える。
ちなみにアンクレジットだが、『片腕必殺剣』『嵐を呼ぶドラゴン』のチャン・チェも部分的にメガホンを執っていたらしい。たぶん、カンフー・アクションをやるシーンじゃないかな。

まず企画が立ち上がった段階で決まっていた「ヘルシングが中国の吸血鬼と戦う」というコンセプトからして、シナリオに無理が生じる気配がプンプンと漂って来る。
しかも、ショウ・ブラザーズから「ドラキュラを登場させてくれ」とリクエストを受け、それに合わせてドラキュラが登場するシナリオに改変したため、ヘルシングが大学の講義で「ドラキュラと戦った」と言っているのに、その百年前にドラキュラは中国へ渡っているという矛盾が生じる内容になってしまった。
つまりヘルシングがドラキュラと戦ったのなら、彼は百歳を遥かに超えていることになるわけで。
しかも学生の1人が「4年前にドラキュラと対決したと聞いていますが」とヘルシングに言うので、完全に整合性が取れなくなっている。

ただし、そこに関しては、「そもそもドラキュラが登場しない内容で企画を進めていたのが間違いだろ」と言いたくなる。
ハマープロとしては、クリストファー・リーが降板したからドラキュラを登場させるのは避けようと考えたのかもしれない。
だけどショウ・ブラザーズからしてみれば、せっかくハマープロと手を組んで“ドラキュラ”シリーズを製作するのにドラキュラが登場しないなんて、なかなか受け入れ難いモノがあるだろう。

そんなわけで、ハマープロは新しいドラキュラ役にジョン・フォーブス・ロバートソンを起用したが、企画の段階でミスをやらかしてしまい、それを取り戻すための改変によって、ますます混迷した中身になってしまった。
おまけに、ヘルシングが戦う相手に「ドラキュラと手下の吸血鬼たち」だけじゃなくてゾンビ軍団も加わり、『七人の侍』や西部劇の要素も組み込んで、さらにヤバい状態に陥った。
当然のことながら興行的な成功は得られず、これでシリーズは打ち止めになった。

冒頭では「1804年、トランシルヴァニア」と文字が出るが、どう見ても香港だ。
しかも最初に登場するのが中国人僧侶であるカーなので、ますます「ルーマニアっぽさ」は感じられない。
そんな彼が城に入るとドラキュラが登場するのだが、もちろん前述したように演者がクリストファー・リーではない。
本人の意思で降板したのだから仕方がないのだが、まずカンフー映画と合体させている時点でバッタモン臭さが匂うのに、クリストファー・リーがドラキャラ役じゃないってことが、その印象を助長してしまうわな。

カーが中国からトランシルヴァニアまで苦労して長旅を続けた目的は、ドラキュラに会って7人の吸血鬼を復活させてもらうためだ。
まず「中国の吸血鬼を復活させるためにルーマニアまで出向く」という時点でシナリオとしての苦しさを感じるが、ドラキュラを絡ませようとすると、どこかで無理をしなきゃいけなくなる。それを最初からやっているってことだね。
で、ドラキュラはカーの体を乗っ取るわけだが、そうなれば自由の身だから、どこへでも好きな場所に行けるはず。
ところが、なぜかドラキュラはカーの寺へ行き、吸血鬼たちを復活させて手下にする。
理由は簡単で、そうでもしないとドラキュラを中国に出現させられないからだ。

ドラキュラはカーの体を乗っ取るので、当然のことながら外見は長いアゴヒゲを生やした中国人の僧侶である。
そんな見た目の奴が真面目な顔で「ドラキュラだ」と名乗る様子は、もちろん真剣に「ホラー映画」として描いているんだけど、どうにも滑稽で仕方がない。
いっそのこと、開き直ってホラー・コメディーにでもしちゃえば良かったんじゃないかと思うぐらいの内容だ。
でも一応はハマープロの伝統あるシリーズだけに、そこまで極端な方針転換は無理だったんだろうね。

ヘルシングが講義を始めると、農夫が五重塔へ乗り込むシーンが挿入される。そこにいるのはドラキュラだが、前述したように姿はカーだ。
そんな彼が手下にしている吸血鬼は仮面を付けて剣を持っており、ちっとも吸血鬼っぽさが感じられない。でも中国の吸血鬼のイメージは、そういうモノなのかもしれない。
で、農夫は勇ましく乗り込んで娘を解放しようとするので、そのまま一気に吸血鬼を退治したり封印したりするのかと思いきや、攻撃を受けると慌てて逃げ出す。目的を果たしたから逃げ出すわけではなく、まだ娘は五重塔の中にいる。
するとドラキュラは自ら追い掛けたり吸血鬼を差し向けたりするのかと思いきや、墓地の死者を復活させる。ところが農夫が逃げていると、吸血鬼がきて殺害する。
だから、死者の軍団を登場させる意味は全く無い。

ヘルシングは大学に招かれて中国を訪れたのかと思いきや、「吸血鬼の研究のために力を借りたい。古文書を借りたい」ということで来た設定になっている。
しかし吸血鬼を退治したいのなら、本場であるヨーロッパで研究を続けた方が遥かに得策だろう。
なぜ中国の学生たちに力を借りようと思ったのか、なぜ中国の古文書を使いたいと思ったのか、まるで腑に落ちない。
でも腑に落ちないのは当然だ。なぜなら、最初から無理のある話であり、説得力のある理屈など用意していないからだ。

ヘルシングの講義を聞いていたチンは、夜になってから彼の屋敷に忍び込む。
彼は「こんな入り方をしてすみません。2人きりでお会いしたかったんです」と釈明するが、だったら普通に訪問すればいい。っていうか、講義が終わった後で「時間を設けてほしい」と頼めばいい。
どっちにしろ、家に忍び込むという方法を取る意味は全く無い。
ここに関しては、「後からシナリオを改変したせいで矛盾が云々」とか、そういう問題ではない。

ヘルシングがチンと話しているのと並行して、レイランドの様子も描写される。こちらはヴァネッサという女性と簡単に親しくなるが、この時点ではドラキュラや吸血鬼退治と全く関連性が無い。
それとは別にルン・ホンという男の恨みを買うのだが、領事が「偉いことをした。恥をかかせた」と危機感を示しても、レイランドは何食わぬ顔をしている。どうにも軽いノリが気になるが、それよりも「こっちの筋は、ちゃんと吸血鬼退治に繋がるのか」ってことだ。
そこに不安を抱いていると、ルンの手下が護衛を襲い、チンの弟2人が駆け付けて戦うシーンになる。
いやいや、そんなトコでアクションを見せてどうすんのよ。何が本筋なのか分からなくなるだろうに。

なぜ弟2人がレイランドの危機に都合良く駆け付けたのかと思ったら、「ヘルシングとレイランドを自分たちが守っていた」とチンが説明する。
でもヘルシングはともかく、レイランドを守ってやる必要性なんて全く無いでしょ。
っていうか、「吸血鬼退治に協力してほしいから」という理由で守っていたんだろうけど、そんだけ護衛してもらわないと何も出来ないような奴らに手を借りなきゃならんのかなと。
むしろ、テメエらだけで頑張った方がよくねえかと。

「レイランドの護衛をしていた弟たちがチンの元へ合流する」という展開によって、レイランドも吸血鬼退治の本筋に合流する。
ただし、かなり無理のある合流であるとは確かだ。
もっと問題なのは、レイランドは「ヘルシング教授の息子」という以上の存在意義を何も持っていないってことだ。
ヘルシングは吸血鬼に関する知識が豊富だけど、レイランドは全くの無知だ。おまけに、戦闘能力が高いわけでもない。
だから、ただの同行者に過ぎないのよね。

レイランドを「ヘルシングの息子」ってことで無理に許容するとして、さらに問題なのはヴァネッサだ。「村へ行く資金を提供する」という役回りを担当しているけど、それ以外では存在意義が全く無い。
しかも最初はレイランドが惚れている感じだったのに、あっさりとメイに乗り換えるので、ますます存在意義が薄れる。
それでも何か役割を与えないといけないので、チンと距離を接近させる。ただし、「やっぱり要らね」という印象は変わらない。
ただし、後でドラキュラの餌食になる仕事が待っている。
ここをメイに担当させるわけにはいかないし、でも餌食になる女は絵的に欲しいし、そう考えると、何とかヴァネッサの存在も受け入れられるかなと(かなり無理に捻り出した理屈だけどね)。

ヘルシングたちが村へ向かおうとすると、ルン・ホンが一味を率いて現れる。当然のことながらチンと弟&妹たちが戦うわけだが、かなり簡単に終了する。
でも、そこはアクションを盛り上げるか否かに関わらず、そもそも「ドラキュラ退治と全く関係が無い」という問題があるのよね。
カンフー兄弟と秘密結社の格闘アクションを見せるなら、ドラキュラやヘルシング教授を絡ませる意味が無いわけで。
その後は、さすがに吸血鬼との戦いへシフトしていくけど、そういうのを前半から見せなさいっての。

村に入ったヘルシングたちは、側溝やバリケードを築いて戦いに備える。そして夜になるのを待ち、五重塔にいるドラキャラが死者の群れを復活させたり残りの吸血鬼を差し向けたりするのに対抗する。
だけど、昼間の内ならドラキュラも吸血鬼も死者の群れも襲って来ないわけで、その間に五重塔に乗り込めばいいんじゃないかと思ったりしてしまうんだよな。
まあ、それをやったら格闘アクションなんて全く描写できないわけだから、身も蓋も無いんだけどね。
ただ、なんかヘルシングたちが阿呆に見えてしまうのよね。
まあ、この映画に利口さを求めるのが間違いではあるんだけどさ。

(観賞日:2016年3月16日)

 

*ポンコツ映画愛護協会