『トリコロールに燃えて』:2004、イギリス&カナダ

1924年、フランスのパリ。14歳のギルダ・ベッセーは友人2人と共に、占い師の元を訪れた。占い師はギルダの手相を調べると、「何も見えない。34歳より先が見えなかった」と述べた。1933年、イギリスのケンブリッジ大学。学生寮で暮らす1年生のガイが夜中に勉強していると、上級生のギルダがいきなり入って来た。彼女は「守衛に泥棒と間違えられて。彼が教授で、喧嘩して家に戻れないの」と告げた。ギルダはジュリアン・エルズワース教授と交際しているのだ。
ギルダから「しばらく居てもいい?」と問われたガイは、それを承諾した。外は嵐で、ギルダは濡れた服を脱いだ。ガイは「帰るのは無理だ。ベッドを使って。僕は椅子で寝る」と述べた。ギルダは「ベッドを独占なんてしない。泊めてもらえるだけで充分」と言い、2人は同じベッドで眠ることになった。ギルダは有名人であり、彼女が泊まることにガイは興奮していた。質問を受けた彼は、ダブリン出身であること、英愛条約後は北部へ移ったこと、警官だった父が抗争で殺されたことを話した。
ギルダは父親がフランス人で酒造業を営み、母はアメリカ社交界の名士だった。しかし結婚は12年前に破綻し、ギルダはアメリカで育った。ギルダを泊めた翌日、ジュリアンがガイを訪ねた。彼は「ギルダが世話になった。免職にならずに済んだ」と礼を言い、「ギルダが週末のパーティーに君を招待するよう言っている」と述べた。ガイが週末に出向くと、ギルダはカレーへ出掛けて不在だった。ガイに同行した女子学生のモリーは、ジュリアンに口説かれた。
パーティーに全く馴染めなかったガイは、酒を飲んで潰れてしまった。彼が夜中に目を覚ますと、パーティーは終わっていた。ジュリアンはモリーの腹に詩を書き、それを仲間2人がニヤニヤしながら眺めていた。その様子を冷淡に見つめたガイが帰ろうとすると、ギルダが現れた。ガイがジュリアンの行動を教えると、ギルダは「彼の詩は最低よ」と軽く笑った。ギルダとガイはキスを交わし、肉体関係を持つ。翌朝になってジュリアンに見られても、ギルダは平然としていた。そして、ギルダとジュリアンの関係も全く変わらなかった。
ガイはギルダを忘れようとした頃、彼女の母親が海で自殺したことを報じる新聞記事を目にした。久しぶりにギルダと遭遇したガイは、「イギリスを離れるの。無性に旅がしたくなった」と言われる。ギルダは「貴方には友達でいてほしい」と言い、旅先から手紙を送って来た。しかし1年後には、音信が途絶えた。ガイが大学を卒業して教職に就く頃には、もう彼女の記憶は薄れていた。スペイン内戦が勃発し、ガイは共和派を指示した。
ある日、恋人のリンダと映画館へ出掛けたガイは、歴史映画に奴隷役で出演しているギルダに気付いた。その直後、ギルダから「パリで新生活を始めたので来てほしい」という手紙が届き、ガイの恋心は蘇った。ガイがギルダの家へ行き、映画を見たことを話した。ギルダが「カメラマンに会って、一緒にハリウッドへ渡ったの。女優志望だったけど、カメラの方に興味が湧いた。カメラマンと寝て、色々と技術を教わった」と語るので、ガイは嫉妬心を抱いた。
ギルダは夜に個展を控えており、ギャラリーのオーナーでマックスと深い関係にあった。彼女はガイに、「いい友達だったけど、最近は所有者気取りよ」と話した。ガイはは嫉妬心を募らせ、ギルダの体を愛撫した。ガイが個展の場へ赴くと、マックスは新人芸術家家としてギルダを紹介した。ギルダは特別製作として、裸の若い男女を老人たちが眺める「生きる彫像」という芸術作品を披露した。女性モデルのミアはスペイン人で、キャバレーで働いていた。モデルは副業で、看護婦を目指していた。
マックスはガイが共和派の支援活動をしていると聞き、嫌味っぽい言葉を浴びせた。「いっそ国際旅団に入ればいい」と言われたガイは、「休暇が来れば参加する」と告げた。ギルダはガイとミアを、家へ泊めることにした。彼女はガイに、「ミアは身一つで来たのよ。貴方も友達になって」と告げた。ギルダがマックスに抱かれる声を耳にしたガイは、耐え切れずに立ち去った。自宅に戻った彼がリンダと寝ていると、いきなりギルダが訪ねて来た。彼女はガイに、「旅団には入らないで。撃たれたら言葉が通じなくなる」と告げた。
リンダはガイの気持ちがギルダに向いていると気付き、彼の元を去った。ガイはギルダの家へ戻り、セックスをした。ミアが見ていることに途中で気付いたが、それでも彼はセックスを続けた。ギルダはガイから「どこでミアと?」と問われ、「道で見掛けて尾行したの。ピンと来る人がいたら話したくなる。二度と会えないかもしれない。全ては運命よ」と語った。彼女はガイに、「教職を辞めて助手になって。報酬は弾むわ」と持ち掛けた。
ガイはギルダの撮影助手となり、ミアを含む3人での同居生活をスタートさせた。ミアが知人のルシアンと親しく付き合うようになると、ギルダは快く思わなかった。1937年5月、ギルダはガイを伴い、ランスで暮らす父のチャールズを尋ねた。チャールズは若い後妻と結婚し、豪邸で暮らしていた。彼は仲間と火の十字団を組織し、軍服を着用していた。娘がバレエや絵画など次々に興味の対象を変えていることについて、チャールズは「付いて行けない」と口にした。
ギルダは家に戻ると、ガイの前で「あそこにいると怪物になる。パパは女を蔑んでいる」と述べた。ギルダはミアを捜し、背中に鞭で殴打された幾つもの痣が残っているのを目にした。それはルシアンの仕業であり、ガイは「警察に訴えよう」と提案する。ギルダは「相手にされないわ」と言い、ガイとミアに内緒で別の方法を取ることにした。彼女はルシアンに電話を掛け、「貴方と同じ趣味があるの」と嘘をついて密会する約束を取り付けた。
ギルダは「マックスと個展の打ち合わせがある」とガイに言い、ミアを連れて映画を見に行くよう促した。ギルダはマックスと会い、彼の両手をベッドに縛り付けてから鞭で何度も体を殴り付けた。ガイとミアは映画館へ出掛け、ニュース映画でスペイン内戦の激化を知った。ギルダは陰気な表情を浮かべるガイとミアを見て、「常に戦争は起きている。そんなに気が咎める?感情を出せば心が軽くなるわ」と言う。ガイからプロポーズされたギルダは笑って断り、結婚も出産も望まないことを告げた。
ガイが「スペインには混沌としている友達がいる」と話すと、ギルダは「他人の戦争で命を落としたいの?」と口にした。ガイは「僕たちの戦争だ。同じ世界にいる」と感情的になった。ギルダはガイとミアがスペインへ行くことを知り、「なぜ相談してくれなかったの?」と非難した。ガイが「無意味だ」と告げると、ミアは激しく責め立てた。彼女は悪酔いして、ミアにキスをした。彼女は泣きながら「なぜ貴方も行くの」とミアに告げた後、「裏切り者」とガイを睨み付けた。
1938年1月、ガイはスペインのテルエルで敵軍と戦った。殺した兵士のロケットに入っている若い女の写真を見たガイは、虚しさを感じた。ミアは看護婦として、負傷兵の治療に従事した。ガイもミアもギルダに手紙を送ったが、返事は無かった。ガイはミアのテントを捜し当て、久々に再会した。「ギルダとは恋人だった」とミアに言われ、ガイは「気付いてたよ」と述べた。ミアはガイの部隊が駐留する工場へ出向き、彼と関係を持った。翌朝、テントへ戻る途中で車が爆破され、ミアは命を落とした。
やがて共和党の戦力は崩壊し、敗北したガイは無力感に打ちひしがれてパリへ戻った。ガイはギルダの元を訪れるが、彼女は一瞥しただけで立ち去った。1939年9月3日、イギリスはドイツと交戦状態に突入した。ガイは英国情報部員となり、レジスタンスと行動を共にする。1944年、ガイはパリに転属となり、表向きは鉄道車両を製造する会社の社員として行動した。彼は仲間のリゼッタたちと共に、諜報活動に従事した。そんな中、彼はギルダがナチス将校のフランツ・ビートリッヒと交際していることを知ってショックを受ける…。

脚本&監督はジョン・ダイガン、製作はジェイソン・ピエット&マイケル・コーワン&ジョナサン・オルスバーグ&アンドレ・ルーロー&ベルティル・オルソン&マキシム・レミラール、共同製作はナイジェル・ゴールドサック、製作総指揮はジュリア・パラウ&マシュー・ペイン、共同製作総指揮はジュリアン・レミラール&ピーター・ジェームズ&ジェームズ・シンプソン&ルイス・デ・ヴァル&ハヴィエル・カタファル・イ・ラル、撮影はポール・サロッシー、美術はジョナサン・リー、編集はドミニク・フォーティン、衣装はマリオ・ダヴィニヨン、音楽はテリー・フルーワー。
出演はシャーリーズ・セロン、ペネロペ・クルス、スチュアート・タウンゼント、トーマス・クレッチマン、スティーヴン・バーコフ、デヴィッド・ラ・ヘイ、カリーヌ・ヴァナッス、ガブリエル・ホーガン、ピーター・コケット、エリザベス・ショーヴァリッツェ、ジョリーアン・ラングロワ、ソフィー・デマレ、エロイーザ・ラフラーム=セルヴァンテス、アイヴァン・ヴコフ、セバスチャン・ベイリー、マイケル・ダニエル・マーフィー、リンダ・トマソン、ジュリアン・ケイシー、リサ・ブロンウィン・ムーア他。


『泉のセイレーン』『キャメロット・ガーデンの少女』のジョン・ダイガンが脚本&監督を務めた作品。
ギルダをシャーリーズ・セロン、ミアをペネロペ・クルス、ガイをスチュアート・タウンゼント、フランツをトーマス・クレッチマン、チャールズをスティーヴン・バーコフ、ルシアンをデヴィッド・ラ・ヘイ、リゼッタをカリーヌ・ヴァナッスが演じている。
カナダのジニー賞では撮影&編集&音楽&衣装の4冠を獲得し、ミラノ国際映画祭(MIFF Awards)では最優秀作品賞を受賞している。

まず最初に言いたくなるのは、「きっかけは占いかよ」ってことだ。
ギルダは極端なほどの刹那主義者なのだが、そんな生き方になった引き金は冒頭シーンで描かれる。占い師の言葉なのだ。
そんな言葉に囚われて一生を過ごしちゃう時点で、バカバカしさを感じてしまう。
そもそも、「34歳より先が見えなかった」と平気で言っちゃう時点で占い師としてクソだと思うんだけど、そいつが後の展開に全く絡まず、ホントにきっかけを作るだけで退場しちゃうのよね。
だから、ある意味ではデウス・エクス・マキナに近いモノがある。

「ヒロインが占い師の言葉を信じ込み、それによって生き方を決めて全くブレない」という時点で陳腐さを感じるが、それでも「その言葉を信じ込んでしまうぐらいの出来事が幾つも重なった」ってことなら、まだ分からないではないのよ。「その信じ込みが大人になっても延々と持続するのかよ」という部分の問題は、ひとまず置いておくとしてね。
だけど、「占い師の言葉は真実だ」とギルダが信じるに至る出来事なんて、何も描かれちゃいない。
つまり言葉だけなので、それで一生を決めてしまうギルダが愚かな女にしか見えないのよ。
それも同情を誘う愚かしさではなく、冷淡な気持ちしか沸かない類の愚かしさだ。

冒頭で少女時代のギルダを登場させ、そこから1933年に時代を飛ばすのなら、そこは「成長したギルダのシーン」として描くべきだろう。
しかし実際にはガイが登場するので、戸惑ってしまう。
ガイの部屋にギルダは登場するけど、それは見せ方が違うでしょ。それ以降はガイのナレーションで進行し、彼が狂言回しの役回りを担当するんだから、だったら冒頭シーンなんて邪魔なだけだわ。
占い師のシーンを削除して、後からギルダの台詞で「自分は34歳までしか生きられないの」とでも言わせる程度に留めておいた方が、遥かに受け入れやすくなる。
刹那主義になる動機を説明したことが、逆効果にしかなっていない。

ガイが語り手として登場するのだから、「生真面目で真っ直ぐなガイが、自由奔放で刹那主義のファム・ファタールであるギルダに翻弄されながらも、愛する気持ちを捨てられずに苦悩する」という話にすればいいはずだ。
っていうか実際、そっち方向へ話を引っ張ろうとしていることは確かだと思うのよ。
でも、それを邪魔する要素が色々と持ち込まれていることも強く感じるわけで。
つまり、自分で自分の足を引っ張っているという、困った内容なのよね。

とにかくオープニングで「ギルダが占い師の言葉に影響されまくり、人生を全て決めてしまう」ってのを見せたことが、最後まで響いてしまう。
ギルダが誕生日を喜ばないのも、次々に興味の対象を変えるのも、結婚や子供を望まないのも、全ては「34歳より先が見えない」という占い師の言葉に縛られているからなので(つまり34歳で死ぬ運命だから刹那主義で生きるってことよ)、ただのバカにしか思えないってことなのよ。
ホントはギルダの生き方を「哀れな女の悲劇的な人生」という風に受け止めるべきなんだろうけど、ある意味では滑稽でさえあるのよね。だからって、もちろん喜劇として作られているわけではないから、どうにも困ってしまうのよ。
「占い師の言葉を盲信し、それに従って全ての行動を決定してしまう主人公」ってのをコメディーとして描くなら、それはそれで面白くなりそうな気もするんだけどね。
まあ、それだと主役は男優の方がいいだろうけど(って完全に話が脱線しちゃってるな)。

1930年代から1940年代のフランスやスペインを舞台にして、スペイン内戦や第二次世界大戦といった出来事を持ち込んでいるのは、「遊興にふける刹那主義のギルダと、愛国心が強く物事を深刻に捉えるガイ&ミアの生き方の違いを見せる」ってのを描きやすいし、スケール感や重厚さも出しやすいってことが大きいんだろうと思われる。
これを現代のイギリスやフランスが舞台の物語として作ったら、どうしても軽くなってしまいそうだもんね。
ただ、その時代設定や戦争という出来事を持ち込んだことが仕掛けとして充分に機能しているのかというと、そうとは言い難いモノがある。

ギルダが戦争に関わろうとせず遊興にふけるのは、「34歳で死ぬ運命」ということへの恐怖から現実に目を背けているだけだ。心の底では、政治や戦争に対して熱を持つことの出来るガイやミアに羨ましさを感じている部分もある。
で、「そんな彼女がミアの死という出来事を受けて大きく変化した」ってのが、終盤の展開で描きたいことなんだろう。
ただ、彼女がナチス将校と付き合っている時点で、周囲の人々が陰口を叩くような「自分のためだけに敵軍の男をくわえ込むアバズレ」ではないってことが、何となく透けて見えてしまう。ホントは最後に「実は二重スパイだった」と明らかにされた時点で観客が大きな驚きを感じる仕掛けになっているべきなんだろうけど、ネタバラシがあった時に「まあ、そんなトコだろうと思ったよ」という感想しか沸かないので、あまり上手く行っていないかなと。
ただ、そんなことよりも問題なのは、ギルダの心境変化をキッチリと表現できていないことだ。
なので「戦争や政治に無関心だったはずのギルダが二重スパイになっていた」ってのが明かされた時に、段取りとしては理解できるが、「なぜギルダの考えが変化したのか」という部分に説得力のある答えが用意されていないのよね。

ギルダがリンチに遭って殺された後、ガイは彼女の残した手紙を発見する。
そこには「自分は運命論者だったが、ガイとミアを失って一人では生きていけないと気付き、運命と戦うことにした」という旨が記されている。
ようするに、それはギルダの心境が変化し、二重スパイになった理由を説明する文章になっているわけだ。
本来なら、そこで「なるほどね」と腑に落ちなきゃいけないのよ。
でも残念ながら、前述したように「段取りとしては理解できるけど」という状態になっちゃってるのよね。

ギルダはミアの死をガイからの手紙で知らされるまで、心に虚しさは感じていたかもしれないが、少なくとも表面上は享楽的な暮らしを続けている。しかし1944年にガイが見つけた時、彼女はイギリスの二重スパイになっている。
そうなると、ミアの死が彼女の考えを大きく変化させるきっかけになったと解釈できる。
そうなると、「じゃあガイの存在って、彼女にとって何だったのか」と言いたくなってしまう。
何しろガイが敗北感に打ちひしがれてパリへ戻った時も、ギルダは再会を全く喜ばず、一瞥して去るぐらいだし。

最終的にガイが「自分はギルダを愛していたが、彼女からすると取るに足りない存在だったのだ」という無力感や虚しさに打ちのめされる着地に至るのであれば、そういうことでもいいと思うのよ。
だけど、そうじゃないわけで。
だったら、ギルダにとってのガイが「生き方に何の影響も与えず、再会しても全く喜んでもらえない程度の存在」ではマズいでしょ。
ミアを含む三角関係も薄味のままで終わっているし、「だったらガイを排除して、ギルダとミアの関係だけでも良くね?」と思ってしまうぞ。

終盤、ガイが危機に陥った時には、ギルダが助けている。
そもそも1年程度は一緒に暮らしていたわけだし、もちろん「ギルダがガイに対して何の感情も持っていない」ってことは無いだろう。
ただ、特に終盤は「戦争の荒波に男女が翻弄される」という内容になっているはずなのに、それにしてはギルダとガイの結び付きが弱いのよね。
あと、しばらくは三角関係を軸にして物語を進めていたのに、ミアが途中であっさり消えてしまうのも、バランスを悪くしていると感じるなあ。

(観賞日:2016年4月24日)

 

*ポンコツ映画愛護協会