『電話で抱きしめて』:2000、アメリカ

ロサンゼルス。イベント企画会社を経営するイヴ・モゼル・マークスには、かつて映画脚本家だったルーという父がいる。ルーには自身の名前を題した雑誌の編集長である長女のジョージア、ソープオペラ女優の三女のマディーという娘もいるのだが、何かあると必ず次女のイヴに電話を掛けて来る。それも大事な用件ばかりではなく、些細なことや世間話も多い。ルーはジョン・ウェインとの仕事が自慢らしく、彼のことを頻繁に話す。イヴは仕事で多忙な中でも、そんな父親の無駄話に付き合っている。
最近になってルーの物忘れが酷くなったため、イヴは検査入院させることにした。病院へ行く途中、彼女は部下のキムに電話を掛けて仕事へ行けなくなったことを告げる。イヴは現在、LA婦人交流会のパーティーを準備中だ。イヴにとって会社を大きくする絶好のチャンスだが、キムは交流会の会長であるマッジがパーティー会場をニクソン記念館に変更するよう求めて来たことを話す。イヴはジョージアに電話を掛け、父の入院について話そうとする。しかしジョージアは秘書のリビーに、「打ち合わせで忙しい」と言わせる。
イヴはマディーから電話が入ったので、父のことを話そうとする。しかし郊外で休暇を楽しむマディーは、「父さんのことなら聞きたくないわ。幸せな時間なんだから」と告げる。ロサンゼル市立病院に到着したイヴは、ルーの世話をしているアンジーと会う。アンジーはルーの車椅子を押して、病室へ運ぶ。主治医のケリーから質問を受けたルーが嘘ばかり並べ立てるので、イヴは呆れる。一週間の検査入院だと聞いたルーが「置いて行かないでくれ」と寂しそうに言うので、イヴは涙ぐんでしまった。
ケリーから何か書くよう求められたルーが「手遅れだ」とメモしたので、イヴは不安になってジョージアとマディーに電話する。しかし2人とも、あまり深刻には受け止めなかった。マディーは「珍しく取れた休暇を満喫したい」と言い、ジョージアは5周年記念号の準備で忙しいことを話す。イヴは駐車場を出ようとした時、オマーという医者の車にぶつけてしまう。イヴは謝罪し、示談にしてほしいと頼む。するとオマーは、「母のオグメドが示談にするかどうか判断して、電話を掛けるよ」と告げた。
イヴは夫でTVプロデューサーのジョーと息子のジェシーが待つ家へ戻り、ぶつけた車を見せる。今年に入って3度目の接触事故なのでジョーは呆れるが、怒ることはなく「弁護士に相談するよ」と口にした。イヴはルーのことを心配し、電話が掛かる度に「死んだのよ」と焦る。そんな様子を見たジョーが落ち着くよう諭すと、ますますイヴはヒステリックになる。ジョーは以前に自宅でルーが起こした出来事を根に持っており、今も彼を快く思っていない。
翌朝、オグメドから電話が入り、イヴは「ラジエーターが爆発した」と言われる。ルーから電話が入ったので、イヴはオグメドに待ってもらって切り替える。ルーの用件は、「ルームサービスが無い。中華料理が食べたい」というものだった。イヴは再びオグメドと話そうとするが、誤って電話を切ってしまった。イヴはマッジと会ってニクソン記念館ほ見学し、ジョージアにスピーチしてもらいたいと頼まれる。イヴは困惑するが、電話で交渉することは約束した。
イヴは中理料理を買い、ルーの見舞いに赴いた。ルーが不意に「母さんを捨てなければ良かった」と漏らしたので、彼女は「母さんの方が捨てたのよ」と言う。ルーはイヴを別の女性と間違えたり、いきなり「娘たちは私を捨ててニューヨークへ行った。息子しかいない」と言い出したりする。イヴは室内を見回し、1988年のクリスマスを思い出す。その直前、ルーは鎮静剤を飲み過ぎて死に掛けていた。離婚したのは10年前なので、ジョージアは「もう立ち直ったと思っていたのに」と口にした。
ジョージア、イヴ、マディーは実家へ行くと、すっかり荒れ果てた状態になっていた。家に入ると、ルーは3人も知っているエスターという女性とベッドインの最中だった。ルーが「妻は飛行機事故で死んだ」と嘘をついていたため、エスターは同情の言葉を告げて立ち去る。ルーはイヴと2人になった時、「あいつが恋しいよ。近くにいてくれないと眠れない」と弱々しく述べた。イヴは山奥で暮らす母のパットを訪ね、「家に戻ってほしい」と訴えるが、「私の家はここよ」と言われる。「マディーのことも心配だし」と告げると、パットは「私は母親が全てというタイプの人間じゃない。そう思っていたけど、違っていた」と述べた。
イヴが自宅にいると、マディーが愛犬のバックを連れて来た。マディーはバックが定期的に薬を投与しなければいけない状態にあることを説明し、撮影中の世話をイヴに押し付けた。イヴはジョージアに電話を掛けてスピーチを要請するが、あっさりとOKをくれたので拍子抜けした。マディーはイヴから「いつ病院に行くの?」と迫られ、「今日の昼休みに行くわよ」と面倒そうに答えた。マディーはルーの見舞いに赴き、イヴも含めた3人で彼女の出演するドラマを見た。
イヴが家にいるとケリーから電話が入り、ルーがいなくなったことを聞かされる。イヴが心配していると病院から電話があり、ルーが前の自宅へ戻っていることを知らされる。イヴが迎えに行くと、ルーは明るい様子で「待ってたんだ。ここに座ったはいいが、立ち上がれなくなった」と告げた。「時々、自分の手も見えなくなる」と彼が口にしたので、イヴは涙ぐむ。しかしルーが「ここにワシがいると、母さんに伝えろ」と言い出したので、彼女は困惑して「無理よ、出来ないわ」と告げる。するとルーは怒り出し、「お前をワシをジェシーのことで閉じ込めただろう」とイヴを責めた。
イヴはルーの非難を受け、1993年のハロウィンに起きた出来事を回想した。イヴはジェシーの誕生日パーティーを開き、マディーも参加した。マディーはジョージアが出版社を解雇されるという噂を聞き、イヴに知らせた。2人は姉の失敗を密かに喜んでいたが、ジョージアから「自分の雑誌を創刊する」という電話を受けてガッカリした。ジョージアは編集者として有名人であり、2人は不満を抱いていた。イヴはマディーに、ジョージアが自分のレシピを盗んで発表したことを明かした。
その夜、イヴの家にはジェシーの友人と保護者たちが大勢集まり、盛大なパーティーが開かれた。そこへ悪酔いしたルーが乱入して暴れ出したため、子供たちが怯えてしまった。パーティーを台無しにしたルーを、ジョーがキッチンへ連れ出した。イヴが「出て行って」と要求すると、ルーは「母さんが要らないと言ったが、その通りだった。母さんはお前が産まれた時、要らないと言ったんだ」と述べた。ショックを受けたイヴは泣き出し、「自分は母さんに捨てられたくせに」と怒鳴った。ルーが悪びれずに去った後、憤慨したジョーは「この家に二度と入れるな」と告げた。
イヴはルーを病院に連れ帰るが、苛立ちを募らせてしまう。キムから仕事の電話が入ると、彼女はヒステリックな態度で喚き散らした。コーヒーマシンからコーヒーが出ないので、イヴは機械に八つ当たりする。そこへオマーが現れ、イヴのためにコーヒーを出した。イヴはオマーの前でも、感情をコントロールできなかった。頼れる人がおらずに困っていることを知ったオマーは、オグメドを病院へ呼び寄せた。オグメドが優しい言葉を掛けると、イヴは耐え切れずに泣き出してしまった…。

監督はダイアン・キートン、原作はデリア・エフロン、脚本はデリア・エフロン&ノーラ・エフロン、製作はローレンス・マーク&ノーラ・エフロン、共同製作はダイアナ・ポコーニー、製作総指揮はデリア・エフロン&ビル・ロビンソン、撮影はハワード・アサートン、美術はワルデマー・カリノウスキー、編集はジュリー・モンロー、衣装はボビー・リード、音楽はデヴィッド・ハーシュフェルダー。
出演はメグ・ライアン、ダイアン・キートン、リサ・クドロー、ウォルター・マッソー、アダム・アーキン、クロリス・リーチマン、ジェシー・ジェームズ、エディー・マックラーグ、デューク・ムースキアン、アン・ボルトロッティー、マリー・チーサム、ミンディー・クリスト、リビー・ハドソン、トレイシー・エリス・ロス、セリア・ウェストン、ボブ・カーシュ、ステファニー・イトルソン、ヴェネシア・ヴァレンティノ、R・A・バック、フィル・レヴェスク、ペイジ・ウルフ、チャールズ・マッソー他。


デリア・エフロンの小説『電話を切ったら…』を基にした作品。
脚本はノーラ・エフロンと原作者である妹のデリア・エフロンという『マイケル』『ユー・ガット・メール』のコンビ。
女優のダイアン・キートンが『ダイアン・キートンの ウェルカム・トゥ・ヘヴン』『想い出の微笑(ほほえみ)』に続いて3度目の監督を務めている。
イヴをメグ・ライアン、ジョージアをダイアン・キートン、マディーをリサ・クドロー、ルーをウォルター・マッソー、ジョーをアダム・アーキン、パットをクロリス・リーチマン、ジェシーをジェシー・ジェームズ、エスターをエディー・マックラーグが演じている。
ウォルター・マッソーは、これが遺作となった。

本来なら、「イヴが父のことを心配して世話をしているのに、ジョージアとマディーは真剣に受け止めず軽く受け流す」という序盤の描写によって、観客はイヴに対する同情心が湧くべきだと思うのよね。
ところが、イヴが電話が鳴っただけで「父さんが死んだのよ」などとヒステリックに騒ぎ立てるもんだから、過剰な反応にしか見えないのよ。
そこまでの様子を見ている限り、ルーは元気一杯だ。そもそも検査入院ってのも物忘れが酷くなったからであって、死に至るような重病の疑いがあるわけではない。
むしろ、冷静で軽く受け止めているジョージアとマディーの方が、普通の対応に見えるのだ。

イヴは父のことを真剣に考え、積極的に面倒も見ている。しかしジョージアとマディーは軽く考えているし、ほとんど父と関わろうともしていない。
そういう状況の中で、イヴがジョージアとイヴに苛立ちを抱くのは分かる。
ただ、そもそも「ルーは何かに付けてイヴにだけ電話を掛けて来るし、重要な用件だけでなく些細なこと、くだらないことでもベラベラと無駄話を喋る」という状況なのだ。
そのため、それでもイヴが苛立ちをルーではなくジョージアとマディーにばかり向けるってのが、どうにも腑に落ちない。

一応、イヴがジョーの前でルーの愚痴をこぼすシーンは用意されている。
しかし、心底から「ルーの電話が疎ましい。忙しい時にも無駄話に付き合わされたりして大変」と思っている様子は無い。
それにジョーから「もう電話に出なければいい」と言われると、「それは無理」と即答している。理由を問われると「分からない」と告げるが、とにかくルーからの電話に付き合うことは、そんなに嫌だと思っていない様子だ。
そこが、どうにも良く分からないのである。

前述した状況にあるのなら、もちろんジョージアとマディーにも苛立ちは抱くだろうが、それと同じぐらい「なぜ私ばかりに電話を掛けて、面倒なことを押し付けるのか」とルーを厄介者に感じる方が自然じゃないかと思ってしまうのだ。
そこを「そんな風に全く思わないほど父への愛が深いのだ」ってことで受け入れるのは、なかなか難しいモノがある。
っていうか無理。
それを納得させるだけの描写が、その時点で用意されているわけではないし。

イヴはオマーに車をぶつけた時、「母親とは話していない」と言い、「それは寂しすぎるな。母親は、いなくてはならない存在だ」という言葉を受けて過去の出来事を振り返る。
それは、三輪車で陽気に遊ぶイヴが両親に「見て」と呼び掛け、パットが「もう耐えられない」とルーに怒りをぶつけるシーンだ。
その回想は「ルーがイヴを抱き上げて遊ばせる」という映像で終わっているが、「だからイヴはルーを深く愛している」という説得力としては弱い。
それと、そこって最終的には「ルーとの思い出」で終わらせているけどトータルとしては「母との思い出」になっちゃうので、そこまで手を広げるのはどうかなと。そうじゃなくて、「イヴと父の関係」に絞り込んでおいた方が良かったんじゃないかなと。

1988年のクリスマスを回想するシーンが途中で入るが、それって要るかなあと思ってしまう。
中身が無いわけじゃないけど、ぶっちゃけ、現在のシーンだけで構成しても大きな支障は無いのかなと。
回想シーンが、あまり効果的だとは感じないのよね。
そこの回想では「ルーがパットへの未練から鎮静剤を飲み過ぎて死に掛けた」「パットは母親業を放棄して家を出た」ということが示されており、それを「だからイヴはルーを深く愛し、過剰に心配する」ってトコに繋げようとしているんじゃないかと思うが、あまり上手く機能していない。

1993年のハロウィンを回想するシーンでは、イヴとマディーが有名人であるジョージアへのコンプレックスや疎ましさを抱いていることが描かれる。終盤に入ると、イヴはジョージアが自分の手柄を横取りして周囲の賞賛を得ていることへの怒りをぶつける。
つまりイヴとルーの関係だけでなく、三姉妹の関係も描こうとしているわけだ。
この物語を「家族ドラマ」として捉えれば、そのことが間違っているとは言えない。
しかし「イヴとルーの関係」と「三姉妹の関係」という2つの要素が相乗効果を生むことは無く、それどころか上手く捌けずに散らかってしまっているので、「手を広げすぎて失敗している」と言わざるを得ない。

1993年の回想シーンでは、もう1つの問題がある。それは、ルーがジェシーの誕生日パーティーを台無しにした上、イヴに暴言を吐いて深く傷付けた出来事を描くことによって、「ルーは情状酌量の余地が無いクズ野郎」という印象になってしまうってことだ。
「パットに捨てられたショックを引きずっており、酒に溺れているから」ってのは、何の言い訳にもならない。せめて酔いが醒めた後で反省したり謝罪したりすればともかく、そういうことも無いんだから。
それ以降の展開でも全くリカバリーできていないので、ますます「それでもイヴがルーを愛し続ける」ってことに同調するのが難しくなる。
母親業を放棄するパットも酷いが、ルーも大概だぞ。

ルーと三姉妹だけでなく、ジョーやマッジ、オマーやオグメドなど、脇のキャラクターも色々と登場するのだが、誰一人として有効に活用できているとは言い難い。
そもそもメインの4人でさえ厚みがあるとは言えないのだが、脇の面々に至っては「何のために出て来たのか」という状態に陥っている。
だから結果的には、「手を広げすぎて失敗している」と言わざるを得ない。
後半、イヴが「父は面倒なことを私に押し付けて来る」と吐露して泣くシーンがあるが、それを漏らす相手が、なぜ直前に初登場したオグメドなのかと思うし。

前述したように、イヴがジョージアに怒りをぶつけるシーンがある。
ジョージアはルーの看病なんて全くやっていないのに、スピーチで「父親が入院している」と言い出し、さも自分が面倒を見ているかのように喋って泣く芝居をしたので、イヴとマディーが腹を立てるのだ。
そこから3人は言い争いになるのだが、そういう流れが訪れた時に、「だったら最初から三姉妹の関係だけでドラマを構築した方がいいんじゃないか」と思ってしまう。

前半はイヴとルーの関係を軸に据えて進めているが、そこをバッサリと削ぎ落とし、父親は脇の脇に回してしまえばいい(もちろん入院とか痴呆といった要素も排除するのだ)。
で、「三姉妹がコンプレックスや確執を抱えたり、時には言い争ったりするけど、最終的には絆の深さを確認する」という話にした方が、まとまりが良くなると思うんだよね。三姉妹の関係性に、ルーは全く影響を及ぼしていないし。
父が死んでから三姉妹が和解するけど、そこだけしか機能していないのよね。
「ヒロインと父の関係」も「姉妹の関係」も両方とも盛り込もうとして、見事なぐらい「二兎を追う者ホニャラララ」になっているという印象を受けるのだ。

(観賞日:2016年5月14日)


第23回スティンカーズ最悪映画賞(2000年)

ノミネート:【最悪のグループ】部門[三姉妹(メグ・ライアン、ダイアン・キートン&リサ・クドロー)]

 

*ポンコツ映画愛護協会