『地上最大のショウ』:1952、アメリカ

リングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・サーカスの団員たちは、世界最大のショウを開くために奮闘している。しかし団員たちは、今年は主要都市だけの巡業に留まり、年間興行が出来ないのではないかという不安を抱いていた。質問を受けた団長のブラッドは、「心配するな」と告げた。経営者のジョン・リングリング・ノースは地方都市も回るべきだと考えていたが、重役たちは「そんなことをすれば赤字になる」と主張していた。
ブラッドは重役たちに呼ばれ、地方公演を中止して10週間の巡業にするという決定を聞かされた。「今は景気が不安定だ、リスクは避けた方がいい」と言われるが、ブラッドは断固として反対する。「地方公演を無くしたら、サーカスの精神が台無しだ」と彼が語ると、重役の1人は「スターがいればいいが、まだホリーは無名だ」と語る。サーカスの一番人気は空中曲芸のホリーだが、まだ全国的な知名度は高くなかった。するとブラッドは「スターなら見つけた」と言い、グレート・セバスチャンを呼んだことを明かした。
セバスチャンは空中曲芸の名人だが、女性関係でトラブルばかり起こしている厄介者でもあった。そのために重役たちは大反対するが、ブラッドは「そんなのは噂に過ぎない」と軽く告げる。ジョンが「黒字であれば、このまま興行を続ける」と言い、セバスチャンの加入が決定した。セバスチャンはセンターリングでしか演技をしない主義なので、ホリーが脇に回ることになる。それを話すのは、もちろんフラッドの役目だった。
大技を練習していたホリーは、ブラッドが来たので抱き付いてキスをした。年間興行の決定を聞いて、踊り子のフィリスや象使いのエンジェルを始めとする団員たちは大喜びする。しかしホリーはセバスチャンが来ることを知り、ショックを受けた。「私をセンターにすると約束したのに」と責められたブラッドは、「俺だってこんなことはしたくない」と言い訳する。ホリーは激しく抗議するが、「この世界は結果が全てだ」とブラッドに言われ、深い失望感を覚えた。
ホリーが道具を片付けていると、道化師のボタンズが話し掛けた。彼にブラッドのことを悪く言われると、ホリーは「ブラッドは年間興行のために頑張ってくれたのよ」と反発する。わざとボタンズがブラッドを悪く言ったのだと気付き、ホリーは笑顔になった。「これで彼の気持ちが少しは分かっただろ?」とボタンズが告げると、ホリーは「どうして彼の前では意地悪になってしまうのかしら」と口にする。バトンズは「恋は人を惑わせてしまうからな」と述べた。
3日後、団員たちがサーカス列車で出発する準備をしていると、車に乗ったセバスチャンが白バイ警官に追われて到着した。色男の彼を見て、色めき立つ女性団員たちの姿があった。セバスチャンは数々の交通違反を犯していたが、まるで悪びれる様子が無かった。彼は金を持っていなかったため、ブラッドが罰金を支払った。エンジェルとフィリスはセバスチャンを知っていたが、彼に対する感情は違っていた。エンジェルは嫉妬心を示す象使いのクラウスに、「何があっても、あんな男とは付き合わないわ」と言う。彼女が好意を寄せているのはブラッドだった。一方、フィリスはセバスチャンに好意を抱いていた。
セバスチャンはホリーに目を付け、すぐに口説いた。ホリーは冷たく対処するが、「君をセンターに戻すようボスに掛け合おう」と言われ、途端に笑顔を見せた。しかしブラッドは、ホリーに「客はスターを見に来るんだ。セバスチャンをセンターから外すわけにはいかない」と冷淡に告げた。するとホリーは腹を立て、「だったら私がスターになって、セバスチャンからセンターを奪ってやるわ」と述べた。セバスチャンは「それは無理だよ」と軽く笑うが、ホリーは無謀な曲芸にも挑戦することを宣言した。
最初の街で、ホリーとセバスチャンは防護ネットを張らないまま技を競い合った。心配するボタンズが止めるよう求めても、ブラッドは「おかげで大盛況なんだ」と告げた。その対決を通じて、ホリーはセバスチャンに好意を抱くようになった。エンジェルが忠告しても、ホリーは耳を貸さなかった。エンジェルが「ブラッドが可哀想じゃない」と言うと、ホリーは「彼の頭の中はサーカスのことだけよ」と批判的に告げる。「そんなにブラッドが好きなら、そう言えば?」とホリーが告げると、エンジェルは「私は彼にふさわしくない。彼は自分だけを愛してくれる真面目な女性を求めてる」と語った。
次の興行地でホリーが危険な曲芸を披露すると、ブラッドはロープから彼女を降ろした。「なぜ私の演技を黙って見ていてくれないの」とホリーが抗議すると、「このロープでさっきの技は危険だ」とブラッドは言う。「あんな降ろし方をしたらホリーが恥をかくだろう。少し考えてやったらどうだ」とセバスチャンはブラッドの行動を咎め、泣き出したホリーを裏へ連れて行った。セバスチャンは情熱的な口説き文句を並べ、一緒にパリへ行こうとホリーを誘う。ホリーの心は傾くが、エンジェルが象を使って彼女を連れ出した。
ブラッドはホリーに、ロープが切れる寸前だったことを教えた。ブラッドが「もうセバスチャンを意識して演技するのはやめてくれ。度が過ぎている」と言うと、ホリーは「貴方は私とサーカス、どっちが大切なの?」と尋ねる。ブラッドが「君だ」と答えるので、ホリーは喜んで「勝負はやめるわ」と言う。演技の時にネットを張るよう要求され、ホリーは承諾した。怪我人の代理として空中曲芸以外も担当するよう求められても、やはり彼女は承諾した。
エンジェルに振られたクラウスは、ハリーという男に声を掛けられた。ハリーはプロモーターであるヘンダーソンの子分である。ハリーは「金があれば彼女の心も掴める」とクラウスに言い、紙幣を渡した。ハリーが露店でイカサマをやって客から金を巻き上げていると知ったブラッドは、すぐに彼を追い払った。ヘンダーソンが来ると、ブラッドは「もう付き合いは終わりだ」と告げる。ヘンダーソンが脅しを掛けても、彼は全く動じなかった。
その夜、ホリーはセバスチャンに、もう危険な演技は行わず、ネットも張ることを話した。するとセバスチャンは、自分が今までで最も危険な演技を初披露することを宣言し、直前になってネットも外してしまった。心配するホリーが見ている前で、セバスチャンは技に失敗して地面に叩き付けられた。幸いにも命に別状は無かったが、セバスチャンは重傷を負って病院へ運ばれた。彼の怪我によってホリーはセンターリングへ戻ることになったが、ブラッドの前で泣きながら「嬉しくないわ。彼を犠牲にして取ったみたいで」と漏らした。
しばらく巡業を続けている内に、怪我から回復したセバスチャンが戻って来た。ホリーは大喜びするが、セバスチャンは「ここへは荷物を取りに来ただけだ」と言う。彼はホリーとブラッドの前で、商売敵のコロンビア・サーカスに寄って来たと軽い口調で話取った。しかしブラッドは、彼の右腕が曲がらなくなっていることに気付いた。「私のことを気遣って芝居をしたのね」とホリーが泣き出すと、「これは運命だ、誰のせいでもないよ」とセバスチャンは穏やかに告げた。
ブラッドは空中曲芸以外の仕事を用意することを提案するが、セバスチャンは断った。ホリーはブラッドに、セバスチャンを引き留めるよう求めた。しかしブラッドはセバスチャンの気持ちを汲み取り、彼を行かせることにした。するとホリーはブラッドに「貴方は一人でも生きられる。私を愛してる彼に償いをしなきゃ。あの人を支えるの」と言い、セバスチャンを追い掛けようとする。セバスチャンは「同情なんて要らない。ボスの所へ戻れ」と荒っぽい口調で告げるが、ホリーは本気の愛を訴える。セバスチャンは感激して彼女を抱き締め、スタッフとしてサーカスに留まることを決めた…。

製作&監督はセシル・B・デミル、原案はフレドリック・M・フランク&セオドア・セント・ジョン&フランク・キャヴェット、脚本はフレドリック・M・フランク&バール・リンドン&セオドア・セント・ジョン、製作協力はヘンリー・ウィルコクソン、撮影はジョージ・バーンズ、編集はアン・ボーチェンズ、美術はハル・ペレイラ&ウォルター・タイラー、衣装はイーディス・ヘッド&ドロシー・ジーキンス、サーカス衣装はマイルス・ホワイト、音楽はヴィクター・ヤング。
出演はベティー・ハットン、コーネル・ワイルド、ジェームズ・スチュワート、チャールトン・ヘストン、ドロシー・ラムーア、グロリア・グレアム、ヘンリー・ウィルコクソン、ライル・ベトガー、ローレンス・ティアニー、エメット・ケリー、クッチョーラ、アントワネット・コンチェロ、ジョン・リングリング・ノース、タフィー・ジェンダース、ジョン・ケロッグ、フランク・ウィルコックス、ボブ・カーソン、リリアン・アルバートソン、ジュリア・フェイ他。


リングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・サーカスの全面協力によって製作された大作映画。
『クレオパトラ』『サムソンとデリラ』のセシル・B・デミルが製作&監督を務めている。
アカデミー賞の作品賞と原案賞、ゴールデン・グローブ賞の作品賞(ドラマ部門)&監督賞&撮影賞(カラー部門)を受賞した。
ホリーをベティー・ハットン、セバスチャンをコーネル・ワイルド、バトンズをジェームズ・スチュワート、ブラッドをチャールトン・ヘストン、フィリスをドロシー・ラムーア、エンジェルをグロリア・グレアム、FBI捜査官のグレゴリーをヘンリー・ウィルコクソン、クラウスをライル・ベトガー、ヘンダーソンをローレンス・ティアニーが演じている。
アンクレジットだが、観客の中にはビング・クロスビー&ボブ・クロスビーの兄弟、珍道中シリーズでビング・クロスビーとコンビを組んでいたボブ・ホープがいる。

最初に感じたのが、「だったらドキュメンタリーにすりゃいいのに」ってことだ。
この映画はドキュメンタリーとドラマを組み合わせた構成になっているのだが、それが相乗効果を生んでいるとは到底思えず、むしろ互いに邪魔をしていると感じるのだ。
劇映画としては、ドラマ部分だけで何の問題も無く成立する。しかし興行が開催されるまでの過程をナレーションベースで描写している辺りからすると、たぶんセシル・B・デミルは「サーカスを広く知ってほしい」という気持ちの強さから本作品を製作したと思われる。
だったら、ドラマを完全に排除して、ドキュメンタリーとして作った方が遥かにスッキリして見やすいのだ。

とは言え、もしも実際にドキュメンタリーとして作っていたら、間違いなく興行成績が格段に違っていただろう。そもそもスポンサーが集まらず、大作映画としてのゴーサインが出なかった可能性も高い。
ベティー・ハットンやジェームズ・スチュワートといった人気俳優を使うことで、大勢の観客を呼び込めるってのも確かだ。リングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・サーカスの面々しか出演しなかったら、そこの訴求力は低いだろう。大金を投じた長編映画として作るためには、劇映画の体裁を取るというのは理解できる。
しかし、そういう体裁を取った以上、劇映画の面白さを出すことは絶対に必要なことだ。
だから本作品の抱えている最大の問題は、劇映画なのに「劇」の部分に魅力が乏しく、中身が薄いという部分にある。152分もあるのに、人間ドラマの厚みも掘り下げも不足していると感じるのだ。
しかも、だからと言ってドキュメンタリー部分に魅力があるわけではないのだ。前述したように、どちらも邪魔をし合っているのだ。

この映画は冒頭、「皆さんは映画を見たことがありますか。まるで綿菓子のようにキラキラした夢のような世界です。綱渡りや愉快なエンターテインメント回転台車、きらびやかなダンス。サーカスにはスリルと華やかさが共存するのです。しかし、その舞台裏においては、サーカスは一国の軍隊のようでもあります。生活は日々の訓練とスピードが命になるのです。そして団員たちは列車に乗って移動する時も、数々の障害を乗り越えて進んでいくのです。災害に遭遇する時もありますが、元気に立ち上がるのです。どんなことにも立ち向かう不屈の精神があってこそ、サーカスにおける厳しい戦いに勝利を収めることが出来るのです」といったセシル・B・デミルのナレーションが入り、興行や片付け、移動や事故などの様子が補足映像として断片的に写し出される。
それは「こういう映画が始まりますよ」という挨拶であると同時に、ドキュメンタリーとしての要素も含まれている。
最初の興行シーンに入ると、まずは新しい熊が紹介され、続いてアシカの芸、そして乗馬をする犬たちが写し出される。観客の映像部分はフィクションだが、動物たちは実際にサーカスに所属しており、もちろん曲芸も本物だ。
だが、動物たちの曲芸を申し訳程度に見せると、すぐに空中曲芸のシーンへ移る。登場するのは3人で、ホリー、セバスチャン、もう1人は本物のサーカス団員であるアントワネット・コンセロだ。しかし、コンセロは登場するだけで、曲芸をする様子は写し出されない。

ベティー・ハットンとコーネル・ワイルドは曲芸師ではないので、もちろん実際に空中曲芸を披露できるはずがない。だから、引きの絵の時はスタント・ダブルで、寄りの絵の時は地面との距離が分からないような映像にしてある。
つまり、顔が判別できるカットの時は、低い場所で演技をさせているのだろう。
空中ブランコの上で逆立ちになるシーンでは、合成も使っている。
その辺りには当然のことながら、「本物のサーカス」の醍醐味は無い。

最初の興行地では、空中曲芸が終わった後にパレードの様子が写し出される。様々な仮装をしたサーカス団員たちが、乗り物に乗るなどして会場内を後進する。ミッキーマウスやドナルドダック、マザー・グースなどののキグルミを着た面々もいる。
ここでは役者と実際のサーカス団員の両方が参加している。
で、そのパレードを描くのに5分ほど費やしているのだが、そこで本物のサーカスっぽいトコを見せても意味が無い。どう考えたって、本物を見せるべきは曲芸のシーンでしょ。
むしろパレードのシーンは、曲芸が出来ない俳優だけでも事足りるんだし。

パレードが終わると移動の様子が描かれ、「サーカス列車は団員や動物たちを引き連れて駅に到着します。まだ町が寝静まっている頃です。しかし動物たちは自分のエサを探します。そして荷降ろしが始まります。200トンもある巨大な動物たちを何頭も降ろし、60名分の機材も降ろします」「長い旅を終えた後、サーカスは休むことなく次の公演の準備をします。駅に到着した時は大勢の現地の人々が駆け付け、早朝から出迎えてくれます」といったナレーションが入る。
続いて、「まず初めに杭打ちを始めます。会場にテントを建てるためです。スタッフも団員と同様に町から町へと移動します」「テントを張るのに必要なリングが支柱に通されると、次はテントの番です。大きなテントの布を引きずり下ろし、紐を解きます。そして地面の上で広げ、解体します」などとナレーションが語られ、テントを建てる作業が写し出される。
しかし、劇映画として捉えると、そこは無駄な時間でしかない。
パレードのシーンも含めて、流れを完全に止めてしまい、人間ドラマに使う時間を減らしているだけだ。

ドラマ部分でメインとなるのは、ホリーの恋愛劇だ。
彼女は当初、ハッキリとした形でブラッドに対する恋心を示している。ブラッドもホリーに惹かれているが、彼女ほどアピールは強くない。
そんな中でセバスチャンが加入し、センターを奪われたホリーは反感を抱く。しかしセバスチャンが「センターは譲る」と言うと、コロッと態度を変える。
ところがブラッドが「センターはセバスチャンに任せる」と通達すると、今度はセバスチャンへの敵対心を剥き出しにする。その決定にセバスチャンは関与しておらず、むしろセンターを譲ろうとしていたのに、また彼に対する態度をコロッと変える。しかし、強い対抗意識を燃やしていたのに、最初の対決シーンだけで、もう彼に好意を寄せている。
なんて変わり身の早い女なのか。
心情の変化を丁寧に描こうという意識が皆無だ。

セバスチャンから「一緒にパリへ行こう」と口説かれたホリーは揺れるが、ブラッドから愛していると言われると、途端に気持ちが彼へと一直線になる。
ところが怪我をしたセバスチャンが戻って来ると、「同情じゃなくて本物の愛」と彼に訴えてラブラブになる。
そこでは、もはやブラッドとセバスチャンの間で揺れ動くことなど全く無い。今度はセバスチャンに一直線だ。
しかし終盤の列車事故でブラッドが負傷すると、今度はセバスチャンから彼に乗り換える。
ただの尻軽かアンポンタンか、どっちかだぞ。
どうであれ、ヒロインとしては、あまりにも軽薄すぎる。まるで魅力的ではない。

ホリーとセバスチャンが危険な技を競い合うと、ボタンズは止めるようブラッドに求める。しかしブラッドは「これもショーの内だ」「心配は要らない。このショーのおかげで大盛況なんだ」などと言う。
大勢の観客を呼び込んで興行を成功させなきゃいけないという、団長としてのブラッドの立場は分かる。冷静を装っていても、本当は不安があるんだろうってことも何となく推察できる。
だが、それにしても、かなり冷淡で薄情な男に見えてしまう。
あれだけ危険なことをやっているのに放置するのは、どう考えても「人命より興行優先」ってことになるでしょ。

次の興行地でホリーがロープを使った空中曲芸をやった時、ブラッドは慌てて中止させ、「このロープでさっきの技は危険だ」と告げる。
しかし、それは最初の興行地での危険な曲芸を放置していた行動と、矛盾しているように感じられる。
そこでは「ロープが切れる寸前で危険だったから」という理由で止めているんだけど、道具の耐久性に関わらず、ネットを張らずに難しい空中曲芸をやったら落下のリスクは付きまとうわけで。
「ロープが切れるかもしれないから」という理由で演技を途中で中止させるくせに、無茶な曲芸は止めないってのは、どうにも受け入れ難いわ。

逆にドラマ部分を全て無視し、ドキュメンタリーの部分だけを見たらどうかというと、これまたイマイチなのだ。
サーカスに関する説明のシーンはあるが、それは主に移動や準備に関するザックリとした情報であり、サーカスに関するトリビアで知的好奇心を刺激してくれるわけではない。また、本物のドキュメンタリーではないので、実際のサーカス団員たちが心情を明かしたり、影の努力が写し出されたりするわけでもない。
前述したように、最初の興行地で本物のサーカスを見せているのは、ほんの短い時間だけに留まっている。だから「ショーを楽しむ」という見方は出来ない。
それ以降の興行地では、ミゼット芸人のクッチョラによる軽業や、道化師のエメット・ケリーの芸など、本物の団員たちのショーを見せる時間帯が用意されているので、そこはそれなりに楽しめるだろう。ただし、空中綱渡りの曲芸シーンに関しては、「そういう曲芸が出来る芸人たちがいるのなら、ホリーやセバスチャンだけじゃなく、そっちも客を呼べる力があるんじゃないか」と思ってしまう。

終盤、クラウスはハリーと共に列車を停車させて金を盗むが、後ろから来る列車にエンジェルが乗っているので、衝突を回避させるために知らせようとして車で突っ込み、事故が起きる。
「ライトで危険を知らせよう」という意図は分かるけど、線路の上を車で走ったら、そのまま列車と衝突するのは当然の結果であり、あまりにも阿呆な行動である。列車同士の衝突を避けるために自分の車と衝突させたら、どう考えたって本末転倒でしょうに。
それと、列車事故が起きる展開になるのは、スペクタクルな映像でクライマックスを盛り上げたいという気持ちも分からんではないけど、「サーカスの話なのに、結局はショーと無関係な列車事故が一番の見せ場になっちゃうのか」と思ってしまう。
で、ボタンズが妻を安楽死させて元医者で追われる身だったことが明らかとなり、重傷を負ったブラッドを治療して救うんだけど、それだけでサーカスが街を行進するシーンに移ってしまう。しかし他にも大怪我を負った団員はいるはずで、そいつらの治療にも当たるべきだろ。
あと、なんで町がグレゴリーに捕まっちゃう形にしちゃうのかなあ。そこはグレゴリーもボタンズの事故現場での行動を目撃していて、「自分が捜している男じゃない」ってことで見逃してやる形にしても良かったんじゃないかなあ。

それと、怪我を負ったブラッドが、一刻も早く町へ行って興行を開くことばかり気にしているのが、大いに引っ掛かる。
そりゃあ興行は大切だろうけど、大勢の怪我人が出ているわけだから、まずは団員やスタッフを心配して無事を確認しろよ。
それと、動物が逃げ出したら近隣住民に多大な迷惑を掛けるし、列車事故による影響も大きいはず。
彼が引き起こした事故ではないにせよ、もうちょっと列車事故の後片付けに対する気遣いも見せようぜ。

(観賞日:2014年12月29日)

 

*ポンコツ映画愛護協会