『デッドコースター』:2003、アメリカ

テレビでは、1年前の180便の事故を取り扱う番組が放送されている。1年前、パリへ向かう180便は大爆発を起こしたが、その直前 に飛行機から降りて助かった面々がいた。パニックになって降ろされたアレックス、自発的に降りたクレアなど、わずか7名だ。だが、 その生存者達は、次々に不審な死を遂げていた。
キンバリー・コーマンは友人シャイナ、ダーノ、フランキーの4人で車に乗り、デイトナ・ビーチへ向かった。しかしハイウェイの途中、 キンバリーはある幻覚に襲われる。それは、トラックの荷台から材木が落下してパトカーに突っ込み、連鎖的に玉突き事故が起き、最後は 爆発と炎上にまで発展するというものだった。事故に巻き込まれ、キンバリーたちも死亡するという内容だった。
キンバリーはシャイナたちに幻覚を説明するが、相手にしてもらえない。しかし恐ろしくなったキンバリーは、車を停めた。後ろにいた 車の人々は、口々に文句を言う。パトカーから降りてきたバーク巡査に、車を降りたキンバリーは「もうすぐ事故が起きる」と言う。 全く信じてもらえなかったが、その直後に目の前で大事故が発生した。さらに後ろから、トレーラーが突っ込んできた。キンバリーは バークに間一髪で助けられるが、車に乗ったままだったシャイナ達は命を落とした。
キンバリーは無事だった人々と共に、警察署でスビー警部から事情を聞かれる。キンバリーの幻覚に登場し、彼女の起こした渋滞によって 助かったのは7人。バーク巡査の他に、バイクの黒人ユージーン、ヤク中のローリー、キャリアウーマンのキャット、ノラとティムの母子、 それに宝くじで当選したばかりのエヴァンだ。
キンバリーはバークたちに、180便の事故におけるアレックスと同じように事故を予知したのだと語る。180便の事故の生存者は6名が 後に死亡し、唯一の生き残りであるクレアはストーニーブルーク医療センターに入院していた。キンバリーは、今回の事故で生き残った 者も死に追い掛けられると語るが、そこにいた誰も本気で受け取らなかった。
自宅アパートに戻ったエヴァンはフライパンで目玉焼きを作り始める。高価な指輪が排水溝に落ちたため、腕を突っ込んで拾おうとする。 だが、腕が排水溝から抜けなくなった。フライパンから火が上がったので消そうとするが、床に燃え移る。何とか腕を抜いたエヴァンは 非常梯子へと逃亡し、その直後に室内で爆発が起きた。ホッとしたエヴァンは地上に降りるが、足を滑らせて転倒する。そこへ非常梯子が 落下し、エヴァンは目を突き刺されて死亡した。
キンバリーはストーニーブルーク医療センターへ行き、クレアに面会する。彼女は死から逃れるために自主入院を続けており、人の接近を 異常に警戒していた。クレアはキンバリーに、「死のリストにのっていれば必ず順番に死んでいく。邪魔が入ったのでキンバリーの順番は 最後になった」と語る。だが、キンバリーは奇妙なことに気付く。予知では最初にノラとティムが死亡し、次がエヴァン、それから自分 だった。つまり、順番が予知とは逆になっていることになる。
キンバリーは他の人々を救うため、クレアに助けを求める。だが、クレアは「生と死を分ける予兆に気を付けて、自分を守ることだけ 考えるべき」と告げ、医療センターから出ることを拒否した。キンバリーは「臆病者」と非難し、センターを立ち去った。バークと会った キンバリーは鳩の幻覚に襲われ、それに関連した形でティムが死亡すると確信する。
ティムはノラに連れられ、医療ビルの歯科医院を訪れていた。医療ビルの外では工事をしており、電話の音も聞き取りにくい。ノラがいる 待合室では、金魚の水槽から水が漏れてコンセントへ飛び散るが、誰も気付かない。診察室ではティムが治療を受けているが、窓に ぶつかる鳩に医者が気を取られる。ティムは、全身麻酔を希望した。待合室には、鳩が窓を突き破って入ってきた。
ティムは全身麻酔を打たれて治療を待つが、医者が目を離した隙に、天井に吊るしてあった熱帯魚のオモチャが口に入ってしまう。呼吸が 出来なくなって苦しむティムだが、やって来た歯科助手が気付いてオモチャを取り出した。キンバリーとバークは、医療ビルを出たノラと ティムを見つけて警告しようとする。その直後、工事の滑車か落下し、ティムは下敷きになって死亡した。
キンバリーとバークの前に、医療センターを退院したクレアが現われた。クレアはキンバリーとバークを連れて、葬儀屋ブラッドワースの 元を訪れた。死から逃れる方法を尋ねるキンバリーに、ブラッドワースは「予想外の命が誕生した場合、死のリストは書き換えられる」と 告げた。キンバリーたちは、事故現場にいた妊婦イザベラが無事に出産すればリストが変わると確信した。
バークは警官の立場を利用し、イザベラの居場所を突き止めた。バークはイザベラを自動車窃盗の容疑者に仕立て上げて牢屋に入れ、 死の危険から遠ざけた。キンバリーは事故の生存者をアパートに集め、誰も死なないように互いを監視しようと提案する。だが、ノラは ティムの葬儀の準備があると言い、ユージーンは「自分は死なない」と主張し、共にアパートを立ち去ろうとする。だが、エレベーターに 乗ったノラは、ドアに首を挟まれて死亡する・・・。

監督はデヴィッド・リチャード・エリス、原案はJ・マッキー・グルーバー&エリック・ブレス&ジェフリー・レディック、脚本はJ・ マッキー・グルーバー&エリック・ブレス、製作はウォーレン・ザイド&クレイグ・ペリー、共同製作はジャスティス・グリーン、 製作総指揮はトビー・エメリッヒ&リチャード・ブレナー&マット・ムーア&ジェフリー・レディック、撮影はゲイリー・カポ、編集は エリック・A・シアーズ、美術はマイケル・S・ボルトン、衣装はジョリー・ウッドマン、音楽はシャーリー・ウォーカー。
出演はアリ・ラーター、A・J・クック、マイケル・ランデス、トニー・トッド、T・C・カーソン、ジョナサン・チェリー、キーガン・ コナー・トレイシー、サラ・カーター、リンダ・ボイド、デヴィッド・パートコー、ジャスティナ・マチャド、ジェームズ・カーク他。


2000年の作品『ファイナル・デスティネーション』の続編。
邦題が『ファイナル・デスティネーション2』ではなく全く無関係の作品のようになっているのは、「前作がそれほどヒットしなかったし 、別物として売った方がいいんじゃないか」という考えだったんだろう。ただしビデオでは『デッドコースター ファイナル・ デスティネーション2』というタイトルになっている。
前作の監督はTVシリーズ『Xファイル』を手掛けたジェームズ・ウォンだったが、今回はスタントマンやスタント・コーディネーター、 第二班監督として長く活動していたデヴィッド・リチャード・エリスに交代。公開時には「あの『マトリックス・リローデッド』で カーチェイスシーンを担当した人」という宣伝がされていた(『マトリックス・リローデッド』では第二班監督を務めている)。監督を 務めるのは、『奇跡の旅2/サンフランシスコの大冒険』に次いで2作目となる。
クレア役のアリ・ラーターとブラッドワース役のトニー・“キャンディマン”・トッドは、前作に引き続いての出演。他に、キンバリーを A・J・クック、バークをマイケル・ランデス、ユージーンをT・C・カーソン、ローリーをジョナサン・チェリー、キャットをキーガン ・コナー・トレイシー、シャイナをサラ・カーター、ノラをリンダ・ボイド、エヴァンをデヴィッド・パートコー、イザベラを ジャスティナ・マチャド、ティムをジェームズ・カークが演じている。

前作で死のリストに掲載されるのは、クレアを除けば最初からの友人・知人ばかりだった。
それに対して今回は、事故で初めて出会う赤の他人ばかりである。
そうなると、普通ならば各人のキャラクターを描いたり人間関係を構築したりする作業が大変なはずだが、この映画においては何の支障も 無い。
全ての人間は死ぬためだけに用意されたコマでしかなく、各人のキャラクターや相関関係など、どうだっていいものだからだ。

前作より出来映えが良いとは思わないが、前作よりも不満点は少ない。
それは、もう「こういう映画なんだ」と割り切って見たからだ。
この映画は、一言で言えば「様々なシチュエーションで死なせまショー」である。いかに人々が凝った方法で死に至るかを楽しむという、 そのワン・アイデアのみで勝負している作品だ。いかにケレン味たっぷりの方法で死を演出するか、どれだけ派手に死を見せるか、そう いうことが重要だ。
そこにあるのは死の美学ではなく、死のアトラクションだ。

最初の犠牲者であるエヴァンの死亡シーンから、その殺人ショーへのこだわりが見られる。
かなり手の込んだ方法で部屋を炎上させておきながら、そこで焼死させることは無い。
部屋の外へ逃げて助かったと思わせ、ホッとして非常梯子から降りたところで足を滑らせ、そこでも1つホッとする間を置いてから 死なせるのである。
大雑把に言うと、やってることは前作と大して変わらない。1つ1つの死のシチュエーションが前作と違うというだけだ。
登場人物も違うけれど、そこは誰が誰でも構わない、どうでもいいことなので、そこを「違い」と見ることは出来ない。
だから同じシューティング・ゲームで敵の見た目と攻撃方法だけが変わった、みたいなモンかな(その例えは正しいのかな)。

エヴァンとティムのケースでは、「さんざん盛り上げておいて、そこでは死なないという肩透かしを食らわせ、全く違う方法であっさり 死亡」というやり方をした。
だが、ノラのケースでは肩透かしをせず、そのまんま死んでいる。
キャットとローリー、ユージーンとクレアは、同じ所で一まとめに殺している。
同じようなやり方だと飽きるからリズムを変えようとしたのかもしれんが、そうだとすれば、あまり上手く行っていないような印象を 受ける。

なんかね、後半になるに従って、だんだんネタを考えるのが面倒になっていったのかと思ってしまうのよね。
回避したかと思ったら新たな死の方法が訪れるってのも無くなるし。
確実に1人ずつ、ケレン味溢れる方法で殺していくことを徹底した方が良かった気もする。
あと、終盤までの生き残りが多すぎやしないかね。残り30分ぐらいで、イザベラを含めれば生き残りは7人。
残り数分の段階でも、まだ5人が生き残っているんだよな。

後半、実は事故の生存者が以前にも偶然に死を回避しており、その時に代わりに死んだのが180便の生存者だったということが 判明する。
たぶん薄っぺらい話に少しでも深みを持たせようとして持ち込んだ要素なんだろうけど、それが物語に大きな影響を与えることは無い。
そして、そういう設定を持ち込むことにより、ある疑問が生じる。
そういうことであれば、180便の生存者が死ぬ代わりに助かった過去の出来事の段階で、彼らは死のリストに載ったことになる。
ならば、ハイウェイ事故より前に死んでるべきじゃないのかね。なんで今まで放置されて、ハイウェイ事故で一気に片付けられそうに なったのかね。
ただし、そういうことは気にしないで見るべき映画なんだけどね。
矛盾点とか、整合性とか、ストーリーとか、そういうのは完全に無視して、とにかく1つ1つの死のシーンをアトラクションとして 楽しみましょうってことよね。

(観賞日:2006年9月7日)

 

*ポンコツ映画愛護協会