『小さな命が呼ぶとき』:2010、アメリカ

オレゴン州ポートランド。製薬会社のブリストル・マイヤーズ社に勤めるジョン・クラウリーと妻であるアイリーンの間には、ジュニア、メーガン、パトリックという3人の子供たちがいる。メーガンが8歳の誕生日を迎えた日、ジョンは仕事を調整し、誕生パーティーに駆け付けた。メーガンとパトリックはポンペ病という難病に冒されており、自力で歩行することが出来ない。患者の寿命は長くても9年とされており、効果的な治療薬は発見されていなかった。ジョンは子供たちのため、ポンペ病について詳しく調べていた。
ジョンは仕事中にメーガンが入院したという連絡を受け、急いで病院へ駆け付けた。担当医のプレストンはジョンとアイリーンに、「我々は最善の努力をしています。これ以上は何もしてあげられない。彼女は既にポンペ病患者の平均寿命を超えています。彼女の肺は良くない状態にある。他の器官に拡大していくと致命的だ」と述べた。心停止状態に陥ったメーガンだが、医者の処置で一命は取り留めた。しかし仕事に戻っても、ジョンはメーガンのことが気になって全く集中できなかった。
ジョンは仕事を途中で抜け出してネブラスカへ向かい、ポンペ病の権威であるロバート・ストーンヒル博士の研究室を訪れた。ジョンは先月から何度かロバートにメッセージを送っていたが、何の返信も無かった。ジョンはロバートに、子供たちがポンペ病であることを話す。ロバートが「ここに来ても何も出来ない。私は研究をしているだけで、診療はしていない」と言うと、ジョンは「私は貴方の研究に興味を持っている」と告げた。
ロバートはジョンに、ポンペ病患者が効果的に摂取できる酵素を研究していることを語った。しかし彼は研究費の少なさを説明し、「誰も注目しないし、助成金も思っている半分しか出ない」と語った。ジョンの子供たちの年齢を聞いたロバートは、「帰って一緒に過ごす時間を大切にした方がいい」と勧めた。「理論を証明して貴方の薬を作るのに、どれぐらいの予算が必要ですか」とジョンが尋ねると、彼は「ラボの研究費だけで50万ドル」と答えた。
ジョンはロバートに、ポンペ財団の創設者として助成金を出すことを約束した。ポンペ財団という組織など存在しておらず、その時点で彼が思い付いた財団である。帰宅したジョンは、来月までに50万ドルを用意するとロバートに約束したことを明かす。アイリーンは驚くが、全力を尽くすことにした。ジョンとアイリーンは資金集めのパーティーを開くことを決め、知り合いやポンペ病患者を持つ家族に片っ端から連絡した。2人の娘が患者であるマーカス・テンプルは、親戚や友人たちから集めた小切手をジョンに手渡した。
ロバートが訪問すると、ジョンとアイリーンは最初の分割払いとして約9万ドルの小切手を差し出した。ロバートは「正直に言ってくれ」と言い、インターネットでジョンについて調べたことを明かす。彼は「私は大学から独立し、自分のアイデアで特許を取得する」と言い、ベンチャー企業を設立して経営面で支えるようジョンに持ち掛けた。ジョンは悩むが、アイリーンは子供たちのためにロバートの考えに乗るべきだと主張した。
ジョンから話を聞いた同僚のピートは、「君が良いCEOになったとしても、ほぼ間違いなく失敗する。父親が一文無しになったら、子供たちはどうする?このままブリストルに残れば役員に昇進できる。給与も大幅にアップする」と翻意するよう説得した。するとジョンは、「君は正しい。だが、僕は子供たちの死を待つことが出来ないんだ」と告げた。ロバートの家を訪れたジョンは、「来週、医学部時代からの知り合いであるレンズラーと会議だ。前から出資してもいいと言っていた」と聞かされた。
ジョンは「我々には戦略が必要です。相手はベンチャー投資家だ」と言い、事業計画書を作ることの重要性を語る。しかしロバートが彼に渡したのは、ラフなスケッチの束だった。翌週、ジョンロバートはシカゴへ行き、ベンチャー企業のCEOであるレンズラーと会った。ロバートは会議の席で自身の理論を熱く語り、1千万ドルの投資が必要だと訴えた。しかし実現性の低さを指摘されると、腹を立てて部屋を飛び出してしまった。
ジョンは提案書を作成して再びシカゴへ赴き、それをレンズラーに渡した。書類にサインを貰ったジョンは、ロバートの元へ行く。ジョンは提案書をロバートに見せ、「貴方の承認が欲しい。今の状況では、これで最良だ」と告げる。200万ドルの投資で今年の臨床試験を約束する条件提示に、ロバートは怒りを示す。ジョンは「我々なら出来る。彼らをテーブルに戻らせる方法は他に無かった」と説き、「我々は投資が必要だ。理論だけでは1人の人間も助けられない」と声を荒らげた。ロバートは彼の熱意に打たれ、書類にサインした。
2ヶ月後、ジョンはネブラスカに会社を設立した。彼は雇った研究員たちを集め、ハードなスケジュールを説明した。しかし起業早々、停電が発生してしまう。ジョンはその辺りが竜巻多発地帯だと知らず、停電用の発電機も購入していなかった。すぐにジョンとロバートは車で出掛け、発電機を購入した。半年が経過した頃、ジョンはレンズラーと電話で話し、ライバル企業であるザイマジン社に勝つための支援を求めた。ザイマジン社の方が、ジョンたちの会社よりも資金力では上だ。
ジョンはレンズラーに、「パンチを打って反撃するか、もしくはザイマジン社に我が社を買い取らせたい」と語る。レンズラーはジョンの考えに同意せず、「年度末までに臨床試験に到達しなければ、我々は資金を凍結する」と告げた。ジョンはロバートに、「ザイマジン社の科学者と会って、貴方の酵素が最も良いことを立証して下さい。我が社を売却するための条件です」と告げた。勝手に売却の話を進めたことにロバートが激怒すると、ジョンは「私は財政の責任を負っている」と告げた。
ジョンが「私は研究資金を作る」と言うと、ロバートは「私は科学者だ。お金より重要なことがある」と反発する。ジョンは「会社を売却するか、巨額の資金を得るか、どちらかです。そうしないと投資家に見捨てられる」と静かに告げた。後日、ザイマジン社のCEOであるエリック・ロリングや科学者のケント・ウェバーたちが会社を訪れ、ロバートは自らの理論を説明する。実現性に対する疑問が出るが、ロバートは怒りを抑えて冷静に対処した。
エリックが収益性について質問したので、ジョンは「この薬は1回限りではなく、生涯治療です。そして患者は収益を生み続ける」と話す。確実な利益を出すために必要な生存率についても、ジョンは理路整然と説明した。エリックたちは納得し、契約が交わされた。ロバートはシアトルへ移り、ザイマジン社のラボで研究開発を続ける。ザイマジン社ではロバートのチームを含め、4つのグループが開発を競う方針が取られていたが、ジョンは情報交換すべきだと考えた。しかしジョンはケントから、方針は変更しないこと、会社が彼のアイデアを必要としていないことを聞かされる…。

監督はトム・ヴォーン、原作はジータ・アナンド、脚本はロバート・ネルソン・ジェイコブス、製作はマイケル・シャンバーグ&ステイシー・シェア&カーラ・サントス・シャンバーグ、製作協力はジョシュ・ロススタイン&ジョーダナ・グリック=フランツハイム&カレン・ウィラマン、製作総指揮はハリソン・フォード&ナン・モラレス、撮影はアンドリュー・ダン、編集はアン・V・コーツ、美術はデレク・R・ヒル、衣装はディーナ・アップル、音楽はアンドレア・グエラ。
出演はブレンダン・フレイザー、ハリソン・フォード、ケリー・ラッセル、コートニー・B・ヴァンス、ジャレッド・ハリス、メレディス・ドローガー、パトリック・ボーショー、アラン・ラック、デヴィッド・クレノン、ディー・ウォーレス、ディエゴ・ヴェラスケス、サム・H・ホール、アヤナ・バークシャー、P・J・バーン、アンドレア・ホワイト、G・J・エヒテルンカンプ、ヴュー・ファム、デレク・ウェブスター、ジャナ・リー・ハンブリン、シェリー・リプキン他。


ピューリッツァー賞を受賞した経験を持つ記者のジータ・アナンドが実話を基に記した同名書籍の映画化。
『シッピング・ニュース』『ウォーター・ホース』のロバート・ネルソン・ジェイコブスが脚本を書き、『ベガスの恋に勝つルール』のトム・ヴォーンが監督を担当している。
ジョンをブレンダン・フレイザー、ロバートをハリソン・フォード、アイリーンをケリー・ラッセル、マーカスをコートニー・B・ヴァンス、ケントをジャレッド・ハリス、メーガンをメレディス・ドローガー、エリックをパトリック・ボーショー、ピートをアラン・ラックが演じている。

この映画で最初に高評価できるポイントとして目に付いたのは、「メーガンが可愛い」ってことだ。
それは美人という意味ではなく(正直に言って美形ではない)、幼女としての可愛らしさを持っているということだ。
明るく前向きなキャラ設定が良かったことは確かだが、彼女の喋り方、振る舞い、笑顔、そういった1つ1つが、見ていて「ああ、可愛いな」と感じさせるのだ。
「子供が難病になる」という話なので、その子が可愛く思えるかどうかってのは重要で、だからメレディス・ドローガーの貢献度は高い。パトリック役のディエゴ・ヴェラスケスがほとんど喋らないので、彼女の担う役割は大きいのだが、序盤では存在感と魅力を発揮している。
この映画で褒められるのは、そこぐらいだ。

まず、映画が始まると、既にメーガンとパトリックがポンペ病を患っている状態ということに「その構成でホントにいいのか」と疑問を抱いてしまった。
しかも、ポンペ病がどんな病気なのかという明確な説明も省略されている。
そこは「子供に異変が生じる」→「ポンペ病という診察結果が出る」→「ポンペ病に関する医者の説明」→「不治の病だと知ったジョンとアイリーンがショックを受ける」という手順で見せた方がいいんじゃないかと。
そこの手順を省いているので、病気を知った時の夫婦の衝撃や苦悩も見えないんだよね。
それは映画として、大きなマイナスではないかと。「平穏で幸せな日々からの大きな変化」という流れも描くことが出来ないし。

ベースとなっている実話があるから仕方が無いんだけど、メーガンとパトリックの2人がポンペ病を患っている設定は、映画としては意味が無い。
もっとハッキリ言っちゃうと、パトリックが邪魔なんだよね。
別の病気ならともかく、同じ病気であれば、1人で充分だ。もう2人いても、「悲しみが2倍」とか「ドラマとしての厚みが2倍」とか、そんな効果は生じない。
メーガンを描写するだけでも手一杯になってしまうので、どうしてもパトリックは付け足しのような扱いになってしまう。
思い切って「実話を基にしたフィクション」ということにして、その辺りを大幅に改変するってのも1つの手だったかなと。

序盤、ジョンはロバートに資金を援助することで治療薬の開発を急いでもらおうとするが、そんなに簡単に大金は集まらない。
そこでロバートがベンチャー企業の設立を提案し、ジョンは経営者として彼と手を組むことになる。
で、そこからは「会社を立ち上げたり運営したりする上で、様々な苦難が待ち受けている」という展開になり、企業映画としての様相を呈して来る。
それと同時に、メーガンやパトリックの存在感が一気に薄くなってしまうのだ(そもそもパトリックの存在感は薄かったけど)。

実際にそういう性格の研究者だったのかもしれないが、ロバートは一筋縄ではいかない偏屈な頑固者だ。
だからジョンがロバートを手を組むと決めてからも、単に「投資が集まらない」とか「経営を妨害される」といった外部の問題だけでなく、「ロバートが勝手な行動を取る」とか「ロバートが方針に反対する」といった問題も起きる。
そうなると、おのずとジョンとロバートの関係性に多くの時間を割く必要性が生じる。
もちろんパートナーだから絆を描くことは必要だが、そのせいでジョンと子供たちの関係性が著しく薄まってしまうのは、本末転倒になっているような気がしてしまう。

それよりも問題なのは、「治療薬の開発が目的化してしまう」ということだ。それは、この映画が抱えている最も大きくて致命的な欠陥だ。
当初、ジョンはメーガンとパトリックを救うために行動していたはずだ。そこには「子供たちへの深い愛」や「子供たちを救いたいという情熱」「子供たちに死が迫っているという現実に対する苦悩」がある。
ジョンと子供たちの関係性こそ、本来は重視されるべきなのだ。
ところがベンチャー企業を立ち上げようと決めると、それどころではなくなってしまう。ジョンには子供たちの心配をしている余裕など無く、会社を作って経営するための苦労、そして新薬開発を進めるための苦労が待ち受けているのだ。

もちろん、ジョンがベンチャー企業を上手く経営しようとするのは、新薬を開発するためだ。
そして新薬を開発するのは、子供たちをポンペ病から救うためだ。
ところが、「子供たちをポンペ病から救うため」という部分が薄まってしまい、その目的を達成するための手段であったはずの「新薬を開発する」ということが、目的化してしまうのだ。
「新薬を開発したら、それでジョンの目的は達成される」という印象になってしまうのだ。

しかも、「会社を作るための苦労、そして潰さないための苦労」と書いたが、実はそんなに苦労していないのだ。
ロバートが怒って会議を飛び出しても、ジョンが提案書を作成してレンズラーから投資の約束を取り付ける。
ロバートは条件に腹を立てるが、ジョンの説得で簡単に署名する。
停電が起きて研究がパーになる危機が訪れるが、すぐに発電機を購入して復旧する。
ジョンはレンズラーから「年度末までに臨床試験に到達しなければ資金を凍結する」と言われると、ライバル企業に会社を売却することを決める。

ザイマジン社では4つのチームが競い合っており、情報交換すべきだというジョンの意見は却下される。
しかしジョンはプロジェクトのメンバー全員を集めて患者の家族の話を聞かせ、「リーダーシップを取るチームを作る」というアイデアをロリングに承諾してもらう。
ロバートは他の研究者を遠ざけて勝手に研究を進めているが、ジョンの説得で柔軟に対応する。
子供たちを救おうとしたジョンは「関係者なのに自分の子供を臨床試験の対象にする」という違法行為に手を出すが、ケントが「クビにして関係者から除外する」という方法を取ってくれたおかげで救われる。

もちろん、薬の開発というのは簡単なことではないし、ベンチャー企業の経営も簡単なことではない。だから、色々と苦労はあったはずだ。
しかし実際にどうだったのかはともかく、少なくとも劇中では「様々な苦難に見舞われ、それを乗り越えていく」というドラマは描写されていない。
ピンチがあっても、その直後に解決してしまう。
だから印象としては、「サクサクと進みました」ということになる。

例えば、ジョンがレンズラーから「年度末までに臨床試験に到達しなければ資金を凍結する」と通達された時点で、きっと「新薬の開発に予想以上の時間が掛かり、臨床試験が予定の期日に間に合わないかもしれない」という状況に陥っているはずだ。
ところが、「開発は順調に進んでおらず、時間が掛かっている」とか「それを知ったジョンは焦ってペースを速めるよう求めるが、ロバートは頑固なので研究の進め方を変えない」とか、そういうことが全く描かれていない。
悩んだ末に「薬を作るためには会社の売却も仕方が無いかも」という考えに到達する経緯も描かれない。
だから、ジョンの苦労や苦難が見えにくくなっている。

終盤、「臨床試験は幼児限定」という決定が下ったところで、ようやく「子供たちを救う」という本来の位置に目的が戻って来るが、そこでは別の問題が生じる。
それは、「ジョンが自分の子供たちを治験対象にすることを勝手に進めたせいで、FDAにバレたらマズいので、ザイマジン社が10年を費やした研究が危険にさらされてしまう」ということだ。
ケントのおかげで救われているけど、ジョンは自分の子供を助けるために、同じ病を患っている多くの患者たちを犠牲にしようとしたのだ。
それに対する反省や後悔も薄いので、ジョンを全面的に応援したり、同情したりすることが難しくなってしまう。

(観賞日:2014年7月17日)

 

*ポンコツ映画愛護協会