『ダンケルク』:2017、イギリス&アメリカ&オランダ&フランス

1940年、フランス北端のダンケルク。英国兵士のトミーと仲間2人は、空から降って来たドイツ軍の宣伝ビラを拾った。ドイツ軍の銃撃を受けた彼らは慌てて逃走を図るが、仲間2人は殺された。トミーは海岸に到着し、遺体を砂に埋めている英国兵士のギブソンを目撃した。兵隊の列を見つけたトミーは並ぼうとするが、「近衛連隊の列だ」と追い払われた。ドイツ軍の戦闘機が飛来して銃撃したので、トミーは慌てて身を伏せた。犠牲者が出る中、1人の兵士は「空軍は何をやってるんだよ」と怒りを口にした。
英国の港では、青年のジョージがドーソンの民間船から軍の人間が立ち去るのを目撃した。ジョージはドーソンの息子であるピーターから、「海軍が船を使うって。1時間後にまた来るから準備しておけってさ」と聞かされる。ピーターはジョージに、「余計な物は下ろして、救命胴衣を乗せよう。ダンケルクで何人か乗せる」と述べた。パイロットのファリアやコリンズたちは、スピットファイアでダンケルクへ向かっていた。隊長はファリアたちに、戻れるだけの燃料は残しておくよう指示した。
防波堤ではトミーとギブソンが衛生兵を装い、担架に乗せられた負傷兵を運ぶ名目で共助船へ向かう。責任者の兵士は、フランス軍の兵士に「あれはイギリスの船だ。フランス兵は駄目だ」と告げていた。トミーたちは通過を許可され、出航直前の船に乗り込んだ。ドーソンとピーターが軍に貸与せず民間船でフランスへ向かおうとすると、ジョージが「手伝わせてください」と乗り込む。ファリアたちはドイツ機と遭遇し、交戦になった。トミーとギブソンは下船を命じられ、桟橋の下に身を隠した。
一機を撃墜したファリアは隊長に報告するが、応答は無かった。桟橋ではボルトン海軍中佐やウィナント大佐が作戦について話し合い、提督は彼らに「表向きはチャーチル首相がフランスに、ここから共に撤退しようと言っている。しかし実際は我が軍のみ救出する」と説明した。ボルトンは40万人の兵士がいることを深刻に語り、防波堤を死守する必要性を口にした。ドーソンたちは難破して立ち往生している英国兵を見つけ、ロープを投げた。救助された英国兵は、名前を問われても無言のままだった。
ファリアとコリンズは隊長が撃墜されたと判断し、残りの燃料を確認した。防波堤には敵機が飛来し、救助の赤十字船が砲撃を受けた。兵士のアレックスが船から脱出すると、トミーは手を伸ばして助けた。ボルトンは船を沖へ出させようとするが、すぐに沈没した。民間船に救助された英国兵は差し出されたお茶を拒否し、「Uボート」と呟いた。トミー、アレックス、ギブソンは防波堤に上がり、高地連隊に紛れ込んで別の救助船に乗り込んだ。
民間船の英国兵は行き先がダンケルクだと知り、「俺は戻らない。行ったら全員が死ぬ」と怯える。ドーソンは彼に、船室で休むよう促す。ファリアとコリンズは敵機を見つけ、攻撃を仕掛けた。彼らは2機を撃墜するが、コリンズの機体も撃たれて損傷する。ファリアは脱出するよう指示するが、コリンズは着水を選択した。救助船が夜中に魚雷の攻撃を受けて沈み始めたため、トミーたちは脱出して泳ぎ始めた。ダンケルクへの針路を変えないドーソンは英国兵から抗議され、「我々には使命がある。敵が海峡を渡るのを許せば、国も無くなる」と毅然とした態度で告げた。ファリアは無事に着水したコリンズを見送り、その場から飛び去った。
トミーたちはボートを見つけて引き上げてもらおうとするが、「もう乗れない。二度も転覆している」と拒否される。救助された兵士たちは帰ろうとするが、小舟の責任者は、「このボートで海峡は渡れない。浜に戻って、次の船を待つんだ」と告げる。彼はトミーたちに、「浮いたままで力を温存しろ。迎えに来る」と述べた。民間船の英国兵は「針路を変えろ」と暴れ出し、制止しようとしたジョージが頭を打って倒れ込んだ。フィリアは敵機を撃墜するが、計器の故障で残りの燃料は分からなくなっていた。
浜へ戻ったトミーたちは、座り込んで休息する。工兵隊が仮の桟橋を作る中、ウィナントは潮の流れが変わって遺体が戻って来ていることを知った。トミーたちは船が座礁して戻って来た高地連隊に気付き、彼らの後を付いて行く。ジョージはピーターの応急処置を受けながら、「君とドーソンさんの役に立ちたかった。学校では落ちこぼれだが、いつか何かをやり遂げると父に言った」と述べた。少し休むよう促すピーターに、ジョージは目が見えないことを告白した。
ボルトンはウィナントから「迎えの駆逐艦は?」と訊かれ、「1隻だ。昨日の被害を受け、1隻ずつになった」と教える。「戦場はここなのに、なぜ出し惜しみする?」とウィナントが憤りを吐露すると、彼は「本土決戦に備える。空軍も同じだ」と述べた。「もっと輸送船を寄越すべきだ。敵が迫ってる」とウィナントが苛立ちを示すと、ボルトンは「政府が船を手配している。民間の船を徴用したそうだ」と教えた。トミーたちは浜に流れ着いた船を見つけ、中に入って満潮を待つことになった。ドーソンはピーターから「ジョージは重傷だ。引き返すべき?」と問われ、「もう遅すぎる」と告げた。
ドイツの軍艦を見つけたドーソンは、「掃海艇を狙ってるんだ」とピーターに告げる。「生存者を助けに行かないと」とピーターが言うと、ドーソンは「まず我々が生き残らないと」と述べた。民間船の上空にスピットファイア2機が現れ、軍艦を逃亡に追い込む。ピーターは興奮するが、1機が煙を吐いているのに気付いた。トミーたちの船にオランダの兵士が現れ、「君たちを助けに来た。丘の上に隠れて潮が満ちるのを待っていた」と告げる。まだ船が浮くまでには何時間も掛かるが、前より沈んでいたので戻って来たと彼は説明した。ドーソンはコリンズの機体が着水したのを確認し、急いで救助に向かった。
トミーたちの船は射撃訓練の標的に使われ、次々に穴が開いて水が注ぎ込んだ。アレックスは全く喋らないギブソンがドイツ軍のスパイだと指摘し、船を軽くするために降りるよう要求した。銃を突き付けられたギブソンは、フランス語を口にした。アレックスは「英国兵を殺したのか」と言うが、トミーは「遺体は幾らでも転がってる。ここから逃げたかっただけだろ」とギブソンを擁護した。アレックスと連隊の面々は、トミーとギブソンを下船させようとする。トミーたちが抵抗していると、さらに穴が増えて浸水が一気に早まる…。

脚本&監督はクリストファー・ノーラン、製作はエマ・トーマス&クリストファー・ノーラン、製作総指揮はジェイク・マイヤーズ、製作協力はアンディー・トンプソン、撮影はホイテ・ヴァン・ホイテマ、美術はネイサン・クロウリー、編集はリー・スミス、衣装はジェフリー・カーランド、視覚効果監修はアンドリュー・ジャクソン、特殊効果監修はスコット・フィッシャー、音楽はハンス・ジマー。
出演はフィオン・ホワイトヘッド、トム・グリン=カーニー、トム・ハーディー、マーク・ライランス、キリアン・マーフィー、ケネス・ブラナー、ジャック・ロウデン、ハリー・スタイルズ、アナイリン・バーナード、ジェームズ・ダーシー、バリー・キオガン、マシュー・マーシュ、トム・ノーラン、ウィル・アッテンボロー、ヨッフム・テン・ハーフ、マイケル・フォックス、ハリー・リチャードソン、チャーリー・パーマー・ロズウェル、リー・アームストロング、ジョン・ノーラン、ブライアン・ヴァーネル、エリオット・ティッテンソー、ケヴィン・ガスリー他。


第二次世界大戦の西部戦線でイギリスが決行した救出作戦を題材にした作品。
『ダークナイト ライジング』『インターステラー』のクリストファー・ノーランが脚本&監督&製作を務めている。
トミーをフィオン・ホワイトヘッド、ピーターをトム・グリン=カーニー、ファリアをトム・ハーディー、ドーソンをマーク・ライランス、民間船に救助される英国兵をキリアン・マーフィー、ボルトンをケネス・ブラナー、コリンズをジャック・ロウデン、アレックスをハリー・スタイルズ、ギブソンをアナイリン・バーナード、ウィナントをジェームズ・ダーシー、ジョージをバリー・キオガンが演じている。
アンクレジットだが、スピットファイアの隊長の声をマイケル・ケインが担当している。

クリストファー・ノーランはCGを嫌い、全て本物の戦闘機や戦車を用意している。だからドッグファイトを繰り広げるスピットファイアも、撮影のために本物を調達している。
技術の進化により、上質なVFXを使えば本物と見紛うレベルの戦闘機や戦車を登場させることも可能になったので、「本物を使わなければリアルにならない」とは思わない。
ただ、監督が本物にこだわりたいのなら、それは別にいいだろう。
しかし、その結果として映画としての面白さが大幅に減退してしまったら、元も子も無いわけで。

クリストファー・ノーランはリアル志向で撮影したそうだが、映像の美しさは「戦争のリアル」と全く反対のベクトルを向いているようにしか思えない。
また、リアルのために残虐描写が必須とは言わないが、観客に痛みを感じさせることからは目を背けている。
「本物の戦闘機や戦車を使う」という部分ではリアル志向なのに、その配置は「いかにも虚構でござい」という整頓された状態になっているため、リアリティー・ラインはボンヤリしている。

冒頭、トミーが海岸に着いしばらく経つと、画面に「防波堤:1週間」という文字が出る。
これ、事前に情報を入れておかないと、何を意味する表示なのかが良く分からないんじゃないだろうか。
その後、「海:1日」と「空:1時間」の表示が出ても、それで分かりやすくなるというモノではない。
それは「防波堤のパートは、これから1週間の出来事を描きますよ」「海は1日のシーンですよ」ってことを意味しているんだけど、親切な説明とは到底言い難い。

そもそもの問題として、「それぞれのパートの時間経過をバラバラにしてあるのは無駄にややこしい」ということがある。
クリストファー・ノーランは色々と凝ったことをやりたがる人だから、今回は「時間軸が入り組んだ構成」ってのを売りにしたかったんだろう。
でも策士策に溺れるとは、このことである。
序盤、民間船がトミーのが乗っていると思わしき船と遭遇したり、ファリアが登場していると思わしき戦闘機と遭遇したりするのだが、その時点で既に混乱は始まっていると言ってもいい。

しかも、そんな仕掛けの効果が何かあるのかというと、特に何も見当たらない。
後半に入って2つのパートが交差するシーンが訪れるが、そこに興奮や感動や驚きなど無い。「ふーん、そうですか」と、淡々とした気持ちにさせられるだけ。
っていうか、そこに限らず、この映画ってずっと平坦で盛り上がりに欠ける。
表面的には緊迫感を高めて「ここは盛り上がるシーンですよ」と訴えている箇所が幾つかあるが、狙い通りの効果は発揮されていない。

3つのシーンが交差するシーンの繋ぎ方も、あまり上手くいっていないという印象を受ける。それぞれのシーンの状況が大きく異なっており、そのことが緊迫感を削ってしまう。
また、せっかく緊迫した状況に陥っている様子を描いても、そこから別のシーンに移って再び戻るまでに時間が掛かり過ぎてしまい、気持ちが下がるという現象が起きてしまう。ドイツ軍が全く登場しないこともあり、「圧倒的に不利で絶望的な状況」という印象も全く受けない。
さらに、戦闘機や船の距離感が分かりにくいという問題も起きている。
「観客が戦場にいるような感覚を体験できる」という、アトラクション的な面白さがあるわけでもない。

異なる時間経過にした理由について、監督は「主人公の主観を見せることにこだわった結果」とコメントしている。
ただ、それがプラスに作用している部分は、何一つとして見えて来ない。
最長で1週間の出来事を描いているのだが、3つのパートを並行して描いた結果、全ての出来事が数時間で起きたように感じてしまう。
また、ずっと同じ調子で進んでいくため、どのパートも緊迫した出来事を描いているはずなのに、「淡々としている」という印象が強い。

ノーランの特徴として、「良くも悪くも人物を俯瞰から冷淡に捉える」ということが挙げられる。
この映画でも、その持ち味が存分に発揮されており、登場人物の内面に切り込んでいく作業は無い。登場人物は総じて、「戦争に参加した名も無き人々」の象徴のように扱われる。情移入が容易なキャラクターは登場せず、そもそも人物としての肉付けが乏しい。
あと、ドラマ性を否定しているはずだが、民間船のパートでは微妙にドラマ性を盛り込んでいる。そのサジ加減も、どういうつもりなのか理解に苦しむ。
そもそもドラマ性を否定する方向性が正解だったとは思わないが、やるならやるで、徹底した方がいいんじゃないかと。

意図的に説明を出来る限り排除しているのだろうが、そのせいで詳しい知識が無いとダンケルクを巡る当時の背景が分からない。
当然のことながら脳内補完が出来ないので、「何だか良く分からない奴らが、何だか良く分からない戦いの中にいる」というボンヤリした物語になってしまう。
そんな中でトミーは、生きるために身勝手な行動も平気で取っている。
「それが戦争のリアル」と言いたいのなら、それはそれで構わないだろう。ただ、そういう行動を取らせておいて、最終的にはヒーロー的な描写になっているため、整合性が取れていないとしか感じない。

防波堤は序盤からずっと危機的状況にあるのだが、そこにいる兵士たちが打破するための行動を取ることは出来ない。彼らはひたすら救助を待つことしか出来ない。
そういう状況が続く中で、終盤に入ると「民間船が駆け付けた」ってことで、一気に変化が起きる。
だが、そこに高揚感は無い。「あれだけ多くの民間船が、どうやって一斉に防波堤まで到着することが出来たのか」と疑問を覚えるからだ。
ドイツ軍が、そんなにボンクラなわけでもないだろう。たぶん、民間船が到着するまでにイギリスとフランスの部隊が戦っていたんだろうと思うが、それに全く触れていないので違和感が残るのだ。

後半に入ると救助のための民間船が防波堤に到着するのだが、そこに高揚感が無い。
史実によると小舟900隻が到着したらしいが、どう見ても全く足りていない。史実では33万人が救出されたらしいが、「その船の数では無理だろ」と思ってしまう。
それと、本来なら救出シーンは大いに感動できるべきじゃないかと思うのだが、何しろカタルシスを拒否した演出をやっているので、心に響くモノは何も無い。
また、スケール感も全く伝わらないように仕上がっている。

スピットファイアが3機しか登場しないのは、数を限定することで何かしらのプラス効果を狙ったのではなくて、単に「それだけしか用意することが出来なかった」という事情ではないかと思われる。
VFXに頼っていたら、もっと大規模な空中戦を描けただろう。
それでも「本物の戦闘機」に固執して、それで得られた効果は何なのか。
結局のところ、この映画はクリストファー・ノーランの「本物のスピットファイアを飛ばしたい」という個人的な願望を満たすことが一番の目的だったんじゃないかと邪推したくなってしまう。

そもそも、空のシーンの必要性が全く見出せない。
防波堤では救助を待っていて、そこに民間船が駆け付けるという流れがあるので、この2つのパートは綺麗に繋がっている。しかし空のパートに関しては、無理に捻じ込んだように感じられるのだ。
ここでドッグファイトが繰り広げられようと、墜落しようと、「防波堤で兵士たちが救助を待っていて、そこに民間船が向かっている」という話には何の影響も及ぼさないわけで。
終盤では防波堤のパートに関与するけど、それも「別に無くても」という程度だし。

(観賞日:2018年12月15日)


2017年度 HIHOはくさいアワード:第7位

 

*ポンコツ映画愛護協会