『ダンボ』:2019、アメリカ
1919年、メディチ・ブラザーズ・サーカスの面々はフロリダ州サラソータから汽車のケイシー・ジュニア号に乗り、全国巡業の旅に出た。ミズーリ州ジョップリンに着いた一行の元に、戦地へ行っていたホースショー団員のホルト・ファリアが戻って来た。娘のミリーと息子のジョーは、ホルトの左腕が無くなっているのを見てショックを受けた。ホルトは子供たちを預かってくれていたアイヴァンとキャサリンに、礼を述べた。
ホルトは団員と再会し、パックやミス・アトランティス、蛇使いのプラミシュたちに挨拶した。サーカスは規模を縮小し、芸人のロンゴたちは裏方の仕事も掛け持ちしていた。団長のマックス・メディチは、前の冬にインフルエンザでホルトの妻であるアニーを含む数名が死んだことを話す。ホルトはサーカスの仕事に戻るつもりだったが、マックスは馬を売却していた。ホルトが「仕事が必要だ」と訴えると、マックスは象の世話係が逃げたので代役を務めてほしいと持ち掛けた。ホルトは不満を漏らすが、仕方なく引き受けた。
マックスは「今回の公演の目玉として思い切って投資した。ミシシッピーのブルーゲルベッカーから買った」とホルトに言い、妊娠しているアジア象のジャンボを見せた。発明家志望のミリーはサーカスに出たがらず、実験を繰り返していた。ホルトは「俺たちはサーカスの人間だ。生きて行くためには現実的にならないと。一つでいいから芸を練習しろ」と苛立ちを示し、ミリーが「私はお父さんやお母さんとは違う」と反論すると「ウチのルールは俺が決める」と言い放った。
調教師のルーファスがジャンボを乱暴に貨車から連れ出すと、ホルトは腹を立てて殴り付けた。ジャンボがオスの子供を産んでマックスは喜ぶが、両耳が異常に大きいのを見て愕然とする。彼はロンゴに、「ブルーゲルベッカーに電話しろ。あいつに騙された。出来損ないの不良品だ」と告げた。彼はホルトに、「ここでテントを張っている間、可愛い赤ん坊の象を見せると触れ込んだ。明日の夜までに何とかしろ。調教して、あの耳を消してしまえ」と述べた。
ミリーとジョーは貨車に移された子象に優しく接し、芸が出来るかどうか試した。すると子象は両耳を翼のように羽ばたかせ、少しだけ宙に浮かんだ。興奮したミリーとジョーはホルトに知らせるが、全く信じてもらえなかった。翌日、ホルトは子象の耳を帽子で隠し、ショーに出演させた。しかしクシャミの勢いで帽子が外れ、帽子が脱げてしまった。観客が嘲笑と共に物を投げ込み、一緒に出ていた象たちが興奮して騒ぎ始めた。
ルーファスはジャンボに、「お前の子が笑われてるぞ。助けなくてもいいのか」と煽る言葉を投げ掛けた。ジャンボはショーに飛び出し、ホルトは何とか落ち着かせようとする。しかしルーファスが鞭を鳴らして「戻れ」と怒鳴り付けたため、ジャンボは激しく暴れる。観客と団員がテントから避難する中、ルーファスは倒壊したテントの下敷きになって死亡した。事件は新聞で大きく報じられ、マックスは警察の取り調べを受けた。彼はブルーゲルベッカーと交渉し、半額でジャンボを引き取らせた。
ミリーとジョーは母と引き離されて元気の無くなった子象に寄り添い、優しく励ました。ジョーは子象を「ジャンボ・ジュニア」ではなく、「ダンボ」と呼ぶことにした。ミリーは羽根を見せればダンボが空を飛ぶと気付き、「これをショーでやるのよ。サーカスのチケットが売れればメディチが儲かる。そのお金でお母さんを買い戻す。力を見せて」と話し掛けた。ミリーとジョーは公演が中止されている1週間を使い、ダンボの調査と研究を繰り返した。
公演が再開されると、マックスはホルトとダンボに道化のメイクを施してショーに出演させた。ショーのテーマは消防士で、ダンボは高い場所に移動させられ、鼻から吸った水でセットの火を消した。ショーの成功に観客は拍手を送るが、団員のミスで再び火が付いてしまう。しかも火は先程より大きく、ダンボは高い場所に取り残された。ミリーはダンボを救うために梯子を登り、羽根を渡した。ダンボはテントの中を飛び回り観客は喝采を送った。
空を飛ぶダンボの存在は新聞で大きく報じられ、サーカスは大人気となった。記事を見た大物興行師のV・A・ヴァンデヴァーはショーのスターであるコレット・マーチャント、ボディーガードのスケリッグ、秘書のサザビーを伴い、サーカスを訪ねた。彼はマックスの会社の株券を差し出し、パートナーになろうと持ち掛けた。ヴァンデヴァーが「君のやり方は古い。未来のショービジネスは客に出向かせるんだ。私は既に、そのゴールを築いている。君と全ての団員に家も提供する」と話すと、マックスは提案を快諾した。
ヴァンデヴァーは経営する巨大娯楽施設「ドリームランド」にサーカスの面々を案内し、豪華な住まいを用意した。彼はホルトに、「公演が成功したらホースショーの芸人として復帰してもらう」と約束した。彼はホルトやマックスたちに、「金曜日にはダンボをお披露目する。コレットを乗せて飛んでもらう」と説明する。コレットが渋ると、ヴァンデヴァーは「昔みたいに戻りたくないだろ」と脅した。「人を乗せて飛んだことは無い」とマックスが困惑すると、彼はホルトに調教を指示した。
コレットはテントに移動し、空中ブランコの曲芸をホルトたちに見せた。ダンボはミリーに促されて空を飛ぶが、コレットとぶつかってしまった。マックスは副社長として会社に迎えられ、部屋を与えられてヴァーナという秘書が付いた。ダンボはミリーとジョーの協力もあり、コレットを背中に乗せて飛ぶことが出来た。ショーの直前、マックスはヴァンデヴァーから銀行頭取のJ・グリフィン・レミントンを紹介された。
ショーが始まり、ダンボとコレットは高所のステージに移動した。ヴァンデヴァーの指示で防護ネットは用意されず、ホルトは危険だと感じた。コレットはバランスを崩して落下しそうになり、ホルトが投げたロープのおかげで難を逃れた。ダンボはステージから落ちて空を飛ぶが、そのままテントの外へ出てナイトメア・アイランドへ赴いた。そこでは多くの動物が檻に閉じ込められており、その中には鎖で繋がれたジャンボの姿もあった。ダンボはジャンボと再会するが、すぐにスケリッグと部下たちが来て連行した…。監督はティム・バートン、脚本はアーレン・クルーガー、製作はジャスティン・スプリンガー&アーレン・クルーガー&カッターリ・フラウエンフェルダー&デレク・フレイ、製作総指揮はティム・バートン&ナイジェル・ゴストゥロウ、撮影はベン・デイヴィス、美術はリック・ハインリクス、編集はクリス・レベンゾン、衣装はコリーン・アトウッド、視覚効果監修はリチャード・スタマーズ、音楽はダニー・エルフマン、音楽監修はマイク・ハイアム。
出演はコリン・ファレル、マイケル・キートン、ダニー・デヴィート、エヴァ・グリーン、アラン・アーキン、ニコ・パーカー、フィンリー・ホビンス、ロシャン・セス、ラース・アイディンガー、デオビア・オパレイ、ジョセフ・ギャット、ミゲル・ムニョス・セグラ、ゼナイダ・アルキャルディー、ダグラス・リース、フィル・ジマーマン、シャロン・ルーニー、フランク・バーク、ラジヴァン・ヴァザン、マイケル・バッファー、サンディー・マーティン、トム・シーキングス、ヘザー・ローム、スコット・ヘイニー、エリック・ヘイデン、グレッグ・カネストラリ、クリス・ロジャース他。
1941年の同名アニメーション映画を基にした実写作品。
監督は『ビッグ・アイズ』『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』のティム・バートン。
脚本は『トランスフォーマー/ロストエイジ』『ゴースト・イン・ザ・シェル』のアーレン・クルーガー。
ホルトをコリン・ファレル、ヴァンデヴァーをマイケル・キートン、マックスをダニー・デヴィート、コレットをエヴァ・グリーン、レミントンをアラン・アーキン、ミリーをニコ・パーカー、ジョーをフィンリー・ホビンスが演じている。1941年のアニメ映画『ダンボ』は、実はストーリーらしいストーリーが薄い作品だった。そのため、実写化するに当たっては大幅に脚色する必要がある。
その結果として、アニメ版からは大きく離れた内容に仕上がっている。
オリジナル版のダンボにはネズミのティモシーという相棒がいたが、今回はそういうキャラクターも登場しない。
しかし、アニメ版と全く違う内容になるのは理解できるが、人間をメインに据えたのは大きな失敗だったと言わざるを得ない。ルーファスがジャンボを乱暴に扱うのは、シンプルに「動物を虐待するタチの悪い調教師」ってことでいいだろう。
しかし、ルーファスがジャンボを煽ってショーに乱入させたり、追い打ちで威嚇して暴れさせたりするのは、どういうつもりなのかサッパリ分からないのよ。何かサーカスを潰したい裏事情でも無ければ、腑に落ちないような行動なのだ。
ところが、不必要なまでにヴィランとして動かしておいて、その騒動でルーファスはあっさりと死んじゃうんだよね。
だから、その行動に何の意図があったのかは分からないままで終わっている。
それって、ものすごく消化不良でモヤモヤするぞ。これまでティム・バートン監督は、「フリークスへの愛」を形にした映画を何本も手掛けて来た。両耳が異常に大きいダンボも、ある種のフリークスと言っていいだろう。
だからウォルト・ディズニー・ピクチャーズは、彼が適任だと思ってオファーしたのだと思われる。
さらにティム・バートンが仕事をしやすいようにってことなのか、ホルトも片腕を失ったフリークスに造形している。
ただ、ダンボやホルトがフリークスであることに物語の主眼が置かれているのかというと、そこは大いに疑問なんだよね。まずホルトに関しては、片腕が無いことは重要な問題として扱われていない。それよりも、明らかに親子関係がメインだ。
ホルトは子供との接し方が下手で、頑固な態度を取る。特にミリーとの関係が、大きな扱いとなっている。ミリーは発明家志望で、夢を叶えるために生きている。しかしホルトは「現実的になれ」という考えで、ミリーに全く寄り添わない。ダンボが飛んだと聞いても信じず、苛立った様子で子供たちを拒絶する。
ただ、それならダンボが空を飛ぶのをホルトが見た時に、それを利用して「ホルトとミリーの関係に変化が起きる」とか「ホルトの考え方に変化が起きる」みたいなドラマを描くのかというと、そこは上手く連動していない。
それに比べれば、「ミリーが母親と引き離されたダンボに自分を重ねて寄り添う」という要素は、まだマシだ。
ただし、あくまでも「比較すればマシ」という程度であり、充分とは言い難い。オリジナルのアニメ版では、ダンボが空を飛ぶ理由は特に何も無かった。「酔っ払って幻覚を見ている間に、無意識で飛べていたらしい」というのが最初の飛行だ。
それに対して今回の実写版では、1回目と2回目では羽根を見て空を飛んでいる。
ちょっと良く分からないが、たぶん「羽根の真似をした」ってことなんだろうと解釈しておこう。
で、3回目はショーのシーンで、ここでは明確に「転落死を避けるための飛行」だ。
『ダンボ』で最も有名な空を飛ぶシーンだけを取っても、その内容は大きく異なっている。ショーでダンボが空を飛ぶシーンは、大きな見せ場として用意されている。ただ、大勢の観客が笑顔で喝采を送るんだけど、これって結局は「見世物」として喝采を浴びました」ってことなんだよね。
道化のメイクで火を消した時にも拍手は浴びていて、ようするに「見世物としての価値が上がった」ってことに過ぎないわけで。それを考えると、素直に「良かったね、ダンボ」とは言えないんだよなあ。
そもそも「ショーで空を飛べばマックスは金が儲かり、それでジャンボを買い戻す」ってのは、ミリーが勝手に言っているだけであって。
ダンボが「自分がショーで金を稼いでママを取り戻そう」という意識で、頑張っているかどうかは分からないわけでね。ダンボの記事を見るシーンでヴァンデヴァーが登場した段階では、こいつが何者なのかサッパリ分からない。
サーカスを訪ねるシーンではサザビーが「娯楽の帝王にして夢の創造主。コニーアイランドのコロンブス」などと紹介するけど、これも具体的な職業の説明じゃないし。
マックスが提案を快諾した後、ドリームランドに案内される展開になり、ようやく「そこの経営者がヴァンデヴァー」ってことが分かる。
だけど、そういうのは先に示しておいた方がいいでしょ。サーカスの団員を「ダンボとジャンボを助けよう」ってことで行動する善玉にしている一方で、「サーカスで動物を見世物にする」という行為に関しては最終的に全否定されている。
メディチがラストで復活させるサーカスでは、ホースショーなどで動物は使われているものの、「檻に閉じ込めるなどの酷い扱いはしていません」ってことをアピールする。
そしてネタバレになるが、「ダンボはジャンボと共に群れに戻って暮らし始める」ってのをハッピーエンドにしている。
これはティム・バートンの考え方と合致している。
ただ、『ダンボ』という作品を再映画化するに当たって、そういうのが大きなテーマにされるのは、果たしてどうなのかと思っちゃうけど。「ヴァンデバーの会社がウォルト・ディズニー・カンパニーを連想させる」ってのは、多くの人が感じることだろう。ドリームランドはディズニーランドだし、買収した企業の人間を冷たく解雇するってのも「どこかで聞いたような話」だよね。
こんな痛烈な皮肉を、良くディズニーが許可したよね。まさか、「自分たちの会社への皮肉だとは全く感じていない」ってことなのか。
だとすれば、かなりの厚顔無恥だけどさ。
ともかく、そんな皮肉めいた描写の部分が、それこそ皮肉なことに、この映画で最も引き付けられる要素になっている。
「いっそのこと、もっとそこを強調してもいいのに」とか、明らかに主眼から外れたことを思ってしまうわ。(観賞日:2024年10月26日)