『ドラゴンスレイヤー』:1981、アメリカ

中世のイングランドのクラゲンモア。魔術師であるウルリクの館を、ウルランドに住む人々が訪ねて来た。小間使いホッジは追い払おうとするが、ウルリクは弟子のゲイレンに「会ってみよう」と言う。彼は「お前にも重大なことが見えた。私の死だ」と告げ、訪問者の集団と面会した。ウルリクは一行がウルランドの代表団であることも、ヴァレリアンという若者が先頭にいることも分かっていた。代表団は村にドラゴンがいることを話し、退治してほしいと求めた。
かつてドラゴンを退治した他の者たちは死んでおり、残っているのはウルリクだけだった。村までは遠いことを理由にウルリクが難色を示すと、ヴァレリアンは王が春と秋に処女の生贄を1人ずつ選ぶことを語った。生贄と引き換えに、ドラゴンは村を荒らさないという契約を結んだのだ。代表団が持参した鱗を見たウルリクは、そのドラゴンがヴァーミスラックス・ペジョラティヴだと見抜いていた。ウルリクが代表団と共に出発しようとすると、カシオドラス王の使者であるティリアンが兵士たちを率いて現れた。ティリアンはウルリクの能力を疑い、腕試しを要求した。ウルリクは承諾し、ヴァレリアンに短剣を取って来るよう指示した。
ウルリクはティリアンに短剣を握らせ、自分の胸を突き刺すよう促した。ゲイレンはウルリクを火葬した後、ホッジを連れて旅立った。彼は代表団に追い付き、自分がウルリクの代わりに責任を果たすと宣言した。森の泉へ水浴びに赴いたゲイレンは、ヴァレリアンが女だと知った。ヴァレリアンは彼に、くじ引きで選ばれるのは自分のように貧しい家の娘だけだと告げた。ティリアンはホッジを見つけ、矢を放った。ホッジはウルリクの遺灰が入った袋をゲイレンに渡し、「湖を探し、その中に。燃える水に」と言い残して死んだ。
ゲイレンは代表団と共に船で海を渡り、ウルランドに辿り着いた。ヴァレリアンたちが村へ向かおうとすると、ゲイレンは巣穴が見たいと言い出した。彼は代表団の警告に耳を貸さず、巣穴に入った。ドラゴンの咆哮を聞いた彼は巣穴から脱出し、護符を握って呪文を唱えた。彼は崖崩れを引き起こすが、予想以上の岩石が落ちて来たので狼狽する。しかし巣穴の入り口が塞がれたのでヴァレリアンたちは喜び、ゲイレンは満足そうな笑顔を浮かべた。
村では祝いの祭りが開かれ、ヴァレリアンは女性の格好で参加した。ゲイレンは彼女の手を取り、一緒に踊った。そこへティリアンが現れ、ゲイレンに「王が偉業に礼を述べられる」と告げてカシオドラス王の元へ連れて行く。すると王は護符を奪い取り、「余計なことを。ドラゴンを馬鹿にした報いは村を脅かす」と怒りを示した。「私の考えたくじ引きでドラゴンはおとなしくなり、王国は栄えた」と彼が言うので、ゲイレンは「ドラゴンとは平和など望めない。殺すしかないんです」と訴えた。しかし王は同意せず、家臣に命じてゲイレンを牢屋に閉じ込めた。
ゲイレンは魔法で牢の扉を開けようとするが、何も起きなかった。そこへエルスペス姫が現れ、「父を責めないで下さい。公平な人です。きっと国民のためです」と言う。自分もくじ引きに参加していると思い込んでいる彼女は、ゲイレンが「くじ引きはデタラメだ。みんな知ってることだ」と批判すると動揺した。彼女は護符の力を使おうとしている父の元へ行き、くじ引きに自分の名前が入っているのか質問する。王は「もちろんだ」と言うが、その態度でエルスペスは嘘だと悟った。
激しい地震が発生する中、エルスペスはゲイレンを牢から逃がした。ゲイレンは兵士たちに見つかるが、馬で村から脱出した。ジャコパス神父は巣穴の前で神に祈りを捧げるが、地中から出現したドラゴンの火炎放射を浴びて死亡した。ドラゴンは村を焼き討ちにして、空へと飛び去った。ティリアンたちは村を捜索してゲイレンを見つけ出そうとするが、ヴァレリアンと父親が匿っていたので発見できなかった。ゲイレンが「武器は作れますか?」と尋ねると、ヴァレリアンの父は滝壺に隠しておいた槍を引き上げた。彼は「これならドラゴンを倒せる。一度も使う勇気が無かった」と言い、槍を鍛えることにした。するとゲイレンは、「護符が必要だ」と告げた。
王は改めて生贄を決めるくじ引きを行うが、エルスペス姫が細工を施して自分を当選させた。名札に彼女の名があったので、王の側近であるホースリクは読み上げざるを得なかった。王は慌てて「今のは無効だ」と言うが、エルスペスは「やっとくじ引きは公正になりました。皆さんの代わりに、同じ苦難に耐えたいのです」と民衆に語り掛けた。ゲイレンは護符を奪還するために城へ忍び込むが、王と兵士たちに見つかった。しかし王は娘を救うため、ゲイレンに頼ることにした。ゲイレンは王から返してもらった護符を使い、槍に魔法を注入して鍛え上げた。ゲイレンはヴァレリアンの作った盾と槍を持ち、ドラゴンの巣穴へと向かった…。

監督はマシュー・ロビンス、脚本はマシュー・ロビンス&ハル・バーウッド、製作はハル・バーウッド、製作総指揮はハワード・W・コッチ、製作協力はエリック・ラトレイ、撮影はデレク・ヴァンリント、美術はエリオット・スコット、編集はトニー・ローソン、衣装はアンソニー・メンドルソン、特殊メカニカル効果監修はブライアン・ジョンソン、特殊視覚効果監修はデニス・ミューレン、ドラゴン監修はフィル・ティペット&ケン・ラルストン、音楽はアレックス・ノース。
出演はピーター・マクニコル、ケイトリン・クラーク、ラルフ・リチャードソン、ジョン・ハラム、ピーター・アイア、アルバート・サルミ、シドニー・ブロムリー、クロエ・サラマン、エムリス・ジェームズ、ロジャー・ケンプ、イアン・マクダーミド、ケン・ショーター、ジェイソン・ホワイト、ヨランド・パルフリー、ダグラス・クーパー、アルフ・マンガン、デヴィッド・マウント、ジェームズ・ペイン、クリス・ツイン他。


低迷期にあったウォルト・ディズニー・カンパニーが、パラマウントと組んで製作したファンタジー・アクション映画。
『続・激突!/カージャック』でカンヌ国際映画祭の脚本賞を受賞し、『コルベット・サマー』で監督デビューしたマシュー・ロビンスがメガホンを執っている。
脚本は『続・激突!/カージャック』から『マッカーサー』、『コルベット・サマー』と3作連続のコンビとなるマシュー・ロビンス&ハル・バーウッド。
ゲイレン役のピーター・マクニコルとヴァレリアン役のケイトリン・クラークは、これが映画デビュー作。ウルリクをラルフ・リチャードソン、ティリアンをジョン・ハラム、国王をピーター・アイア、グレイルをアルバート・サルミ、ホッジをシドニー・ブロムリー、エルスペスをクロエ・サラマン、ヴァレリアンの父をエムリス・ジェームズ、ホースリクをロジャー・ケンプ、ジャコパスをイアン・マクダーミドが演じている。

ILMがVFXを担当し、フィル・ティペットの発明した「ゴー・モーション」という手法が初めて使用されている。
ゴー・モーションとは、一言で表現するならストップモーション・アニメーションの進化形だ。
ストップモーション・アニメーションは、ミニチュアを1コマずつ動かして撮影する手法だ。ウィリス・H・オブライエンが生み出した技法であり、ハリウッドでは特撮の本流として数多くの映画で使われてきた。
しかしストップモーション・アニメーションは、ミニチュアの動きがカクカクしてしまうという欠点を抱えていた。

その問題を克服するために改良されたのが、ゴー・モーションである。ミニチュアをモーターで動かし、それを撮影するという手法だ。
これにより、スムーズな動きを実現することが可能になった。
CGが当たり前となった現在では、特にどうということもない映像表現になってしまったが、当時としては最先端の技術だったのだ。
ゴー・モーション以外にも様々な技術が用いられ、特撮の部分に多くの予算が投入された。
ドラゴンの出演シーンがそれほど多くないのは、たぶん金額が掛かりすぎるだろう。

っていうか細かいことを言っちゃうと、この映画に登場するのは、実はドラゴンではないんだよね。
正確に言うなら、ヴァーミスラックス・ペジョラティヴ(なんちゅう名前だよ)はワイバーンだ。
これがB級やC級映画ならともかく、ウォルト・ディズニー・カンパニー&パラマウントという大手メジャーが製作し、タイトルにもハッキリと「Dragon」の文字が入っているのよ。
なのにドラゴンじゃなくワイバーンを登場させるってのは、それだけでも大きなマイナスになるぞ。

低迷期のウォルト・ディズニー・カンパニーが試行錯誤した挙句に変なトコへ行き着いちゃったのか、単純にマシュー・ロビンス&ハル・バーウッドの感覚が捻じれていたのか、どこに問題があったのかは分からない。
しかし、ともかく結果として仕上がったのは、普通じゃないファンタジー・アクション映画だった。
「普通じゃない」ってのが褒め言葉としての表現なら、それは何の問題も無い。
しかし、この映画の場合、「コレジャナイ感が強い」という意味である。

この映画は、観客を熱くさせるセオリーとか、感動させるパターンとか、そういうのを全て裏切っている。それによって、意外性は充分すぎるほどに生じている。
しかし、それは観客を喜ばる類の意外性ではない。単に期待を裏切っているだけだ。「そこは王道でいいのに」と、口を酸っぱくして言いたくなるような内容なのだ。
例えば恋愛劇で「最後は結ばれるんだろう」と期待させておいて結ばれないまま終わったら、モヤモヤするでしょ。復讐劇なのに復讐が果たされないまま終わったら、スッキリしないでしょ。それと同じようなモノよ。
この映画には、本来なら用意すべきカタルシスってモノが欠け落ちているのよ。

コレジャナイ感を抱かせる展開は、映画の序盤から容赦なく用意されている。それはウルリクがティリアンから腕試しを要求されるシーンだ。
ウルリクが短剣を渡して「やってみるがいい。アンタに出来るものか」と余裕の態度で挑発するように言うので、突き刺しても全くダメージを受けないのかと思いきや、あっけなく倒れて死んでしまう。
その前に「お前にも重大なことが見えた。私の死だ」と言っているけど、それは自ら招いた死であって、ほぼ自殺みたいなモンじゃねえか。
偉大なはずの魔法使いが序盤で簡単に死ぬって、そんな展開を誰が期待するんだよ。意外性はあるけど、それよりも強いバカバカしさと失望感があるぞ。

ウルリクが死んだ後、ゲイレンはホッジを連れて旅立つ。
師匠が死んだばかりなのに悲しみに暮れる様子は全く見せず、ホッジに悪戯を仕掛けて楽しんでいる。代表団に追い付くと、自信満々の顔で「頼まれたことは私がやります。直面する危機は私が制圧し、見事に責任を果たしてみせます」と言う。その表情も含めて、すっかりユーモラスな雰囲気が漂う。
そこにユーモラスな雰囲気が必要なのかというと、それは絶対に「ノー」である。
つまり、場の空気を全く読めていない演出ってことだ。

農夫の娘が生贄にされるシーンの後、再びゲイレンや代表団の様子に切り替わると、またノホホンとした雰囲気が漂う。
しかし、そこもやはり、「直面する危機と向き合っていない」としか感じない。
緊張に対する緩和ってのは、ある程度は持ち込んでもいいだろう。だが、この映画でゲイレンを使って醸し出している雰囲気は、「そういうのは要らない」と感じさせる能天気さだ。最初にウルリクやティリアン、ヴァレリアンたちが作っていたシリアスな雰囲気を、無造作に壊しているだけだ。
だから、それも「コレジャナイ感」になる。

ゲイレンが代表団の警告を無視してドラゴンの巣穴に入るのも、あまりにも不用意な行動に顔をしかめたくなる。
前述したシーンも含め、ひょっとするとゲイレンを「お調子者で現実の厳しさを知らない未熟な若者」として描きたかったのかもしれない。だとすれば、それは上手く表現できていると言っていいのかもしれない。
しかし、そもそも、そのキャラクター造形が上手くないと言いたくなる。
そういう未熟な若者を登場させるなら、せめて傍らには「その未熟さを戒め、正しい道へと導く熟練者」を配置すべきだ。
そういう意味でも、序盤でウルリクを殺しちゃうのは、ホントに愚かなシナリオだ。

ティリアンがウルリクを見下して挑発的な態度を取った時点では、単に魔法を信じていないというだけなのかと思った。
しかしホッジを殺害した時点で、それだけじゃないってことになる。
だが、なぜホッジを殺す必要があるのか、それが良く分からない。
「ドラゴン退治という余計なことをやらかそうとするのを阻止する」という目的があったとしても、だったら殺すべきはゲイレンでしょ。ホッジは単なる小間使いなので、生かしておいたところでドラゴンと戦うわけではないんだし。

それに、まだドラゴンと遭遇する前にゲイレンの周囲で2人も犠牲者を出すってのは、どういう計算なのかと。
『ドラゴンスレイヤー』というタイトルなのに、ドラゴンと全く関係の無いトコで悪党を用意したり、死者を出したりするってのは、どう考えても選ぶべき道を間違ってるだろ。
ぶっちゃけ、ティリアンなんて存在を完全に抹消してもいいぐらいのキャラだぞ。「最初は反目していたが、最終的にはドラゴン退治でゲイレンと手を組む」というポジションならともかく、完全無欠の悪役キャラなんか要らないのよ。悪役はドラゴンだけでいい。
ティリアンがドラゴンとグルじゃないのなら、他のベクトルに悪役を置くことになるわけで、それは話が散らかるだけだ。

ドラゴンが巣穴から飛び出して村を焼き討ちにするのは、明らかにゲイレンが余計な真似をしたせいだ。
しかし、そのことでゲイレンが反省したり罪悪感を抱いたりする様子は全く無い。村人たちも、彼を責めることは全く無い。
で、ゲイレンは「武器は作れますか」と言い、ヴァレリアンの父が槍を鍛える。これがドラゴンスレイヤーだ。
しかしゲイレンは魔法使いの見習いなので、そこで魔法じゃなくて槍という武器に頼ろうとするのは、やっぱりコレジャナイ感が強いぞ。
幾ら鍛えるのに魔法を使っても、やっぱり違和感は否めない。槍を武器として使うのなら、戦士キャラを主役にしろと言いたくなるぞ。

槍を鍛え上げたゲイレンが巣穴へ向かおうとすると、ヴァレリアンが現れて「貴方は死ぬわ。ドラゴンはますます猛威を振るい、くじ引きは続く。そして私は男じゃない。まだ処女なの」と言う。
そしてゲイレンとキスを交わし、直接的な描写は無いがセックスする。
いや、そのタイミングで、今さら2人が深い関係になる展開なんて用意されても、話の腰を折るだけだわ。
そもそも、そういうことを言い出してヴァレリアンが処女を捧げるってことは、ゲイレンを信用してないってことにもなるだろ。

ゲイレンが生贄の儀式を阻止しようとすると、ティリアンが立ちはだかる。
ディリアンは「俺は王のような弱気じゃないぜ。この国にはくじ引きが必要だ」と言うが、ドラゴンを倒そうとせず、生贄に捧げる儀式を続行しようとしているんだから、充分に弱気だろ。
そんでゲイレンはティリアンを槍で倒すんだけど、ドラゴンスレイヤーってそういうことに使うための武器じゃないだろ。むしろドラゴン以外には全く効果が無い設定でもいいぐらいなのに。
ドラゴン退治と関係の無いトコで、雑に使うなよ。

「逃げろ」という指示に従わずにエルスペスが巣穴へ入ったので、ゲイレンはティリアンを倒してから後を追う。しかしゲイレンが中に入ると、既にエルスペスはヴァーミスラックスの子供の餌食となっている。
つまりゲイレンは、彼女を救うことが出来ていないのだ。
ヴァレリアンが第一ヒロインであり、彼女は死なないので、「ヒロインを殺さない」というセオリーを守っているとは言えるかもしれない。
しかし、エルスペスを殺すのは、ヴァレリアンを殺すのと同じぐらい、やっちゃダメな行為だ。

そもそも、ヒロイン的なポジションのキャラを2人用意していること自体が上手くない。
そりゃあ2人ともキッチリと活用できれば話の厚みは出るだろうが、出来ていないんだから失敗と言わざるを得ない。
そこの問題を解決する方法は簡単で、ヴァレリアンを男性キャラにしておけばいいのだ。そしてゲイレンはエルスペスと惹かれ合う関係にして、彼女を救ってドラゴンを退治する展開を用意すればいいのだ。
それで万事丸く収まる。

っていうか、エルスペスが第一ヒロインか否かに関わらず、ゲイレンは王から「娘を助けてくれ」と頼まれてドラゴンの巣穴へ出向いているんだから、そりゃあ絶対に助けなきゃダメだろうに。
それは達成が義務付けられたミッションだぞ。エルスペスを救えなかったら、ドラゴンを退治してもハッピーエンドとは言えないだろ。
しかもゲイレンはエルスペスが死んでも大して気にする様子を見せず、さっさとヴァーミスラックスの元へ向かうんだぜ。
ハッキリ言って、エルスペスって完全に「無駄死に」だろ。

ゲイレンはヴァーミスラックスと戦うが、ドラゴンスレイヤーを使っても全く歯が立たない。
魔法使いに槍を使わせるというミスマッチなことまでやって、しかもドラゴンスレイヤーという名前なのにドラゴンを退治できないって、どういうつもりなのかと。
しかも、ドラゴンに敗れたゲイレンはヴァレリアンに「ここから出て行きましょう」と促され、村を出て行こうとするのだ。
つまりエルスペスを救えず、とドラゴンも退治できず、そのまま逃げ出そうとするのだ。
クソじゃねえか。

もちろん、そのままだと終われないので、ちゃんとドラゴンを退治しなきゃいけない。
で、どうやって退治するのかと思ったら、すっかり忘れていた「ウルリクの遺灰」の伏線がそこで回収される。遺灰を地底湖に撒くとウルリクが復活し、ドラゴンと戦うのだ。
だったら序盤で死なず、ずっと生きてろよ。
『指輪物語』のガンダルフみたいに「死んだと思っていたら復活して」という展開で盛り上げたかったのかもしれんけど、ちっとも盛り上がらんぞ。

しかも、じゃあウルリクがドラゴンを魔法で倒すのかというと、これまた歯が立たないのだ。
そして最終的には、師匠の指示を受けたゲイレンが護符を破壊し、ウルリクの体が爆発してヴァーミスラックスを巻き添えにするのだ。
つまり、せっかく復活したウルリクが、すぐに再び死んじゃうのだ。
だったら、そこまでは生きていて、「自分を犠牲にしてドラゴンを倒す」という展開で初めて死ぬ形を取りゃいいだろ。

そんなわけで、ドラゴンスレイヤーは役に立たず、姫君は殺され、ゲイレンは全く活躍しないどころか人間的にも全く成長せず、ドラゴンはウルリクの爆死によって退治される。
そんな展開を用意して、誰が喜ぶと思ったのか。
そりゃあ、よっぽど天邪鬼な人間なら、ニヤニヤして歓迎するかもしれない。だけど、そういう人間は、どう考えたって多数派じゃないだろ。っていうか、そういう「捻じれたセンス」を期待するような人間は、この手の映画を積極的に見ようとはしないでしょ。
この映画を見るのは、その大半が「ヒーローが活躍して悪を倒し、ヒロインを助ける」というベタ中のベタな王道ストーリーを期待する類の人だと思うのよ。だったら、その期待に応えるような話を作れよ。
吉本新喜劇の「分かっているけど笑っちゃうギャグ」と同じように、そこは変に捻っちゃダメなのよ。

(観賞日:2015年10月24日)

 

*ポンコツ映画愛護協会