『ドラゴンハート』:1996、アメリカ

10世紀末のイングランド。悪逆無道なフライン王は圧制に反逆する農民達を鎮圧しようとしていた。そこに王に呼ばれたアイノン王子もいた。そんな中、フライン王は農民に刺されて死亡、アイノンも瀕死の重傷を負う。
アイノンを助けたい王妃アイリーンはアイノンの剣術指南役である騎士ボーウェン達と共に伝説のドラゴンが棲む洞窟へやって来た。ドラゴンはアイノンに慈悲深い王となることを約束させ、自分の心臓の半分を与えて命を救う。
だが12年後、王となったアイノンは父と同じく暴虐の限りを尽くしていた。ボーウェンはアイノンがドラゴンのせいで暴虐になったのだと考え、全てのドラゴンを殺してしまおうと決意。アイノンの元を離れ、ドラゴンハンターとして生きる道を選ぶ。
ドラゴンを殺し続けたボーウェンは、ついに最後のドラゴンと出会う。だが「自分を殺せば仕事がなくなるぞ」というドラゴンの言葉を聞き、彼はドラゴンと組むことにする。ドレイコと名付けたそのドラゴンを殺したと見せかけ、金を巻き上げるというイカサマ商売を始めるボーウェンとドレイコ。
一方、父親を殺されたカーラという女性はアイノンを殺そうとして捕らえられていた。王妃アイリーンの手助けで城から逃げ出したカーラは村の者達に王と戦おうと呼びかけるが、全く相手にされない。そこへボーウェンがイカサマ商売をやろうとやって来た。
ところがボーウェンの意図に反し、金を払わずにカーラをドレイコの生け贄に捧げてくる。ドレイコとカーラは親しくなる。ボーウェンがドレイコやカーラの元へ戻って来た時、そこへアイノン一行がやって来た。ボーウェンはアイノンに殺されかけるが、ドレイコに助けられる。
カーラはドレイコの協力を得てアイノンを倒そうとする。立ち向かおうとする気持ちの失せていたボーウェンだったが、共に戦うことを決意。農民達も彼らについて戦いに挑むことに。武器を手にアイノンの城に向かったボーウェン達だったが…。

監督はロブ・コーエン、原案はパトリック・リード・ジョンソン&チャールズ・エドワード・ポーグ、脚本はチャールズ・エドワード・ポーグ、製作はラファエラ・デ・ラウレンティス、製作総指揮はデヴィッド・ロットマン&パトリック・リード・ジョンソン、撮影はデヴィッド・エグビー、編集はピーター・アマンドソン、美術はベンジャミン・フェルナンデス、衣装はトーマス・キャスターライン&アンナ・シェパード、音楽はランディ・エデルマン。
出演はデニス・クエイド、デヴィッド・シューリス、ピート・ポスルスウェイト、ディナ・メイヤー、ブライアン・トンプソン、ジェイソン・アイザックス、リー・オークス、ウォルフ・クリスチャン、テリー・オニール、ジュリー・クリスティー、ショーン・コネリー(声のみ)他。


衣装は金が掛かってるんだろうなあ。エキストラもたくさん使ってるなあ。
だけどね、大金を掛けたからといって優れた映画が完成するとは限らない。

フィル・ティペットのデザインしたドラゴンが素晴らしい。特殊視覚効果は高く評価出来る。
で、それだけが救いの作品。

そりゃドラゴンの動きは凄いよ。やけに人間っぽい動きには賛否両論あるだろうけれど、ILMの技術の高さをアピールするには充分な出来映えだ。
でも、せっかくドラゴンの出来映えが良かったのに、それを生かす映画を作らないんだから勿体無い。

騎士が出てきてドラゴンが出てくるんだから、どう考えたってヒロイック・ファンタジーだと思うでしょ?
ところが、ボーウェンが勇者になるのが、ようやく映画もラスト30分辺りになってから。それまでは延々と、彼とドレイコのヌルい掛け合い漫才を見せられる。

もっと早い段階で英雄としての動きをしてくれないと、話が面白くならないんだよ。終盤までほとんど戦うシーンが無いし。
凝りすぎてヌルくなったシナリオでファンタジーの醍醐味を消すよりも、直球勝負の英雄物語を作ってくれた方が良かったのに。

全体的に雑すぎる。
カーラを助けた王妃が、アイノンのドレイコ退治には積極的に協力する。矛盾したような行動の裏には、「心臓を分け合っているので、ドレイコを殺せばアイノンが死ぬ」ということがあるんだろうけど、その部分が分かりにくいのね。
他にも雑としか思えない部分が多すぎる。

ところで、「ドレイコが死なないとアイノンは死なない」ということなんだけど、例えばアイノンの首を切り落としたらどうなるんだろうか。首無しのままで生き続けるってことなんだろうか。
くだらないことだけど、ちょっと気になってしまった。

 

*ポンコツ映画愛護協会