『ドラゴン・ブレイド』:2015、中国&香港

紀元前50年、前漢時代の中国。シルクロードの中国側国境でフン族の鉄邪族が他の種族と揉めていると、西域警備隊が駆け付けた。隊長のフォ・アンが仲裁に入ると、族長の娘であるムーンが激しく反発する。ムーンから戦いを要求されたアンは、それを拒否した。ムーンが襲い掛かると、アンは攻撃をかわし続ける。アンが誤ってヴェールを取ってしまい、ムーンの顔が露わになった。そこでムーンは掟に従い、アンに嫁ぐことを一方的に決めた。アンは慌てて翻意させようとするが、ムーンの決意が揺るがないので逃亡した。
アンは妻のショーチンが待つ家へ戻り、給料を部下の治療代に使ったことを詫びた。しかしショーチンは全く怒らず、そんな夫の行動を称賛した。そこへ副官のインが訪れ、国境の外で金塊と通関手続きの書状が発見されたことを知らせる。書状には警備隊の署名があったため、アンたちは金塊密輸の嫌疑を掛けられる。アンが事情説明に向かうと、既に部下のクーガーやウルフたちが捕まっていた。アンは自分だけを罰するよう求めるが、警備隊の7人は西域辺境の雁門関へ送られた。
アンたちは雁門関へ到着し、大勢の労働者に交じって砦の修復作業に携わる。そこへローマのルシウス将軍が率いる黒鷲軍団が現れ、砦を落とそうとする。ルシウスは執政官の幼い息子であるプブリウスを護衛しており、軽く落とせると自信を示した。プブリウスは目の病に侵されており、かなり衰弱していた。アンは穏便に解決しようとするが、ルシウスは砦を落とす考えを曲げなかった。アンは刀を抜いて彼と戦うが、黒鷲軍団の兵士たちが疲弊して次々に倒れる様子を目にした。
アンはルシウスに砂嵐が迫っていることを説明し、砦に避難するよう提案した。部下がプブリウスを抱える様子を見たルシウスは、停戦を承諾した。アンは黒鷲軍団を休ませ、軍医のラオシュウはプブリウスに薬を与えた。ルシウスはアンに渡された酒を飲み、復讐心を口にする。その理由をアンが尋ねると、ルシウスは詳細を話そうとはしなかった。そこへ雁門関隊長のイエントゥーが現れ、15日間で砦を再建しろという指令が届いたことをアンに伝える。どれだけ急いでも半年は掛かる作業だが、無理なら死刑という指令だった。
ルシウスは部下たちをパルティアへ案内することを条件に出し、再建への協力を持ち掛けた。ローマの建築技術があれば、15日間での再建は可能だと彼は考えたのだ。アンは黒鷲軍団に手伝ってもらい、彼らのやり方を教わって作業を進める。西域警備隊が武術の稽古を始めると、黒鷲軍団も統率の取れた動きを披露した。互いの代表者が試合を行い、友好を深めた。15日間で砦は再建され、祝いの宴が開かれた。アンは平和を願う歌を披露し、プブリウスはローマ帝国の歌で黒鷲軍団の胸を熱くさせた。
ルシウスはアンに、砦へ来た事情を明かした。ローマのクラッスス執政官はパルティアに使者を送り、妻の妹である女王と同盟を結んだ。長男のティベリウスが冷徹な男だったため、クラッススはプブリウスを後継者に考えていた。ティベリウスは目の病に侵されたプブリウスの薬に毒を混入させ、クラッススを殺害した。そこでルシウスはプブリウスを守りながら、ここまで逃げて来たのだ。彼がパルティアに使者を送ったのは、ティベリウスの悪行を知らせて同盟を復活させるためだった。それを聞いたアンは、自分がフン族の孤児であること、両親は敵に殺されたこと、逃げる途中で泣き叫ぶ妹の口を塞いだら死んだこと、雁門関のフォ将軍に救われたことを語った。
ティベリウスの大軍が迫っていることを知ったルシウスは、迷惑を欠けぬよう雁門関を去ろうとする。しかしアンはティベリウスが中国の支配も目論んでいると睨み、ルシウスに協力を申し出た。彼は兵を借り受けるため、インの元へ向かう。ショーチンは逆賊の家族として、処刑のために兵隊に連行される。そこへアンが現れ、兵隊と戦う。ムーンや兄のサンたちが加勢に駆け付け、アンは妻と教え子の子供たちを避難させようとする。しかしショーチンは落とした本を取りに戻った子供を庇い、兵士の放った矢を受けて命を落とした。
ルシウスは兵の増援が到着したという連絡を受けるが、それはティベリウスの罠だった。黒鷲軍団はティベリウスの差し向けた兵隊の急襲を受け、ルシウスは捕まって連行された。ティベリウスはルシウスを暴行し、プブリウスを連れて逃げるよう仕向けたことを明かす。兵を進める口実を作るため、彼はインと結託して筋書きを練っていたのだ。西域警備隊に罪を着せる書状を用意したのも策略の内で、全てはシルクロードを征服するための罠だった…。

脚本&監督はダニエル・リー、アクション監督はジャッキー・チェン、製作はジャッキー・チェン&スザンナ・ツァン、共同製作はアイ・ヤン&チャン・ビン&ワン・セン&リー・ショウジン&チャン・リャンウー、製作協力はバーナード・ヤン&ヘレン・リー&トニー・カオ&ディン・ヨン、製作総指揮はジャッキー・チェン&ワン・チョンジュン&レン・チョンルン&シュウ・マオフェイ&ジョー・タム&ワン・ジョンレイ&ロジャー・チュー&チャオ・レイ&パトリック・リウ、共同製作総指揮はチー・ジャンホン&ウェイ・ジエ&スン・ジョンファイ、撮影はトニー・チャン、美術はダニエル・リー&トーマス・チョン、編集はヤウ・チーワイ、衣装はトーマス・チョン、音楽はヘンリー・ライ。
出演はジャッキー・チェン、ジョン・キューザック、エイドリアン・ブロディー、リン・ポン、ミカ・ウォン、チェ・シウォン、シャーニ・ヴィンソン、ウィリアム・フォン、シャオ・ヤン、ワン・タイリー、サミー・ハン、スティーヴ・ユー、ロリー・ペステ、ヴァネス・ウー、カリーナ・ラム、シュー・シャンドン、シウ・チン、スティーヴ・ヨー、リー・シャオティン、リウ・チューティアン、ジョセフ・リウ・ウェイト他。


ジャッキー・チェンが主演&製作&製作総指揮&アクション監督を務めた作品。
脚本&監督は『三国志』『項羽と劉邦』のダニエル・リー。
アンをジャッキー・チェン、ルシウスをジョン・キューザック、ティベリウスをエイドリアン・ブロディー、ムーンをリン・ポン、ショーチンをミカ・ウォン、インをチェ・シウォン、クラッスス夫人をシャーニ・ヴィンソン、フォをウィリアム・フォン、クリスチャンをヴアネッサ・ウー、カリーナをカリーナ・ラム、、パルティアの女王をロリー・ペステが演じている。
中国公開版ではヴァネス・ウーとカリーナ・ラムが特別出演している(日本公開版では出演シーンがカットされている)。

紀元前53年、ローマ帝国の監察官を務めるマルクス・リキニウス・クラッススはパルティア征服を目論み、大軍を率いて遠征した。しかしカルラエの戦いで敗れ、パルティア側から申し出のあった交渉に応じた。
それは罠であり、クラッススはパルティア軍の攻撃を受けて死亡した。息子のプブリウスはカルラエの戦いの際、敵軍に包囲されて自害した。だが、プブリウスは部隊を率いて東方へ逃れ、前漢の捕虜になったという伝説がある。
その伝説から着想を得たのが、この映画だ。
ただしティベリウスは実在しない人物だし(2010年から2013年までアメリカで放送されていたTVドラマ『スパルタカス』ではクラッススの長男としてティベリウスが登場したので、そこから拝借したのかもしれない)、あくまでも史実は参考程度の扱い。
そういうことは無視して、架空戦記として観賞するべきだろう。

ローマ兵士は全員が英語で喋るし、どこで覚えたのか中国人のアンやインも英語を話している。
まあ国を完全に無視して登場人物が英語を喋るってのは、ハリウッド映画でも良くあることだ。だから、そこは大目に見るか、見なかったことにした方がいい。
アンが英語を話すのも、英語圏の人間と接する機会なんて絶対に無かったはずなので、ツッコミを入れようと思えば幾らでも可能だ。
でも、そういうのも多くの映画であることだし、言語の問題に関してはスルーしておこう。

冒頭シーンでアンはムーンに戦いを求められ、「敵を友と成し」などと言い、徹底して拒否している。ムーンが襲い掛かって来ても、反撃せずに攻撃をかわし続けるだけだ。しかしルシウスが砦へ来た時は、刀を抜いて戦っている。
ルシウスが「砦は貰う」と口にしているので、砦を守るために戦うのは仕方が無いっちゃあ仕方が無い。
ただ、早々とアンの信念がブレているように見えるぞ。
そこも徹底して戦いを拒否し、説得しようと試みなきゃダメなんじゃないのか。

硬軟織り交ぜた内容にしてあるが、それが全く融合していない。
冒頭シーンでは、アンが誤ってムーンのオッパイに触れてアタフタするという、若い頃からジャッキー・チェンが良くやっているギャグが披露されている。
ヴェールを外してしまったアンがムーンに裸で迫られるというシーンも、やはりコミカルなノリだ。
アンがルシウスに強い酒を飲ませるシーンや、ルシウスの提案をイエントゥーに全く違う内容で通訳するシーンでは、軽妙なテイストがある。
しかし全体を俯瞰で見た場合に、そういうシーンが完全に浮いてしまう。

なぜ軽妙なテイストのシーンが浮いてしまうかというと、かなり殺伐とした内容であり、大勢の人物が死亡する話だからだ。 それも悪玉サイドや名も無き兵士たちだけが死ぬのならともかく、ショーチンやプブリウスまで殺されてしまうのだ。
映画の内容を考えればシリアスに描くのは当然だし、むしろコミカルな要素は完全に排除してしまった方がいいと思う。
ただし、ショーチンやプブリウスを殺すのは賛同しかねる。
融和を訴えているのに、無闇に人を殺し過ぎじゃないかと。

アンはインに兵士を借り受けるため雁門関を出発したのに、兵隊が家族を連行しようとする現場に駆け付けるのは都合が良すぎるだろう。
っていうか、ちゃんと物語が繋がっておらず、「途中のシーンをカットしたのか」と思ってしまう。
それと、まだアンが駆け付ける都合の良さを受け入れるとしても、ムーンが加勢に現れるのはメチャクチャだろ。
ずっとアンを尾行していたわけでもないんだし、アンの家族の居場所を知る方法なんて無いはずだし。

ムーンはアンの加勢に駆け付けた後、素性を気にする子供たちに「フォ・アンの妻だ」と真面目な顔で言う。慌てたアンは、「信じるな」と子供たちに告げる。
そこは明らかにコミカルなテイストで描かれているのだが、直後に「ショーチンが子供を庇って死亡する」という悲劇が待ち受けている。
そうなると、直前のコミカルな描写は場違いな要素になってしまうのだ。
それは「緩和からの緊張」という効果になんて、全く繋がってないからね。ただバランスを壊しているだけだからね。

おまけに、そのシーンの見せ方も雑なんだよね。
ショーチンが子供を庇って死んでも、その場で「妻の死でアンが悲嘆に暮れる」という様子を描いている余裕は無い。敵の攻撃は続いているので、アンはムーンやサンたちと共に逃げ出す。
で、逃げたところでアンが妻を悼む姿を見せるのかというと、そうではない。逃げ出した直後にカットが切り替わり、増援の連絡を受けたルシウスがティベリウスの兵隊に襲われるシーンが描かれる。
悲劇の余韻もへったくれも無い、ものすごく乱暴な処理になっているのだ。

後半、ティベリウスはルシウスに、インと結託してシルクロードを征服する策略を練っていたことを明かす。
だけど、中国へ到着してからインと会って手を組むようになったのならともかく、以前から結託していたという設定には無理があるだろ。
いつ頃、どういう状況で2人は会ったんだよ。
ティベリウスはローマ、インは中国と、ものすごく離れた場所で暮らしているんだぞ。本人だけじゃなく部下を含めても、接点を持つ機会なんて無いだろ。

ティベリウスはププリウスの助命を嘆願するルシウスに対し、弟への激しい憎しみを感情的に表現する。
で、助命を拒否するんだから、その後でプブリウスを殺すのかと思いきや、既に死んでいる設定だ。だから回想として、追い込まれた護の兵士がププリウスを抱いて崖から飛び降りる様子が描かれる。それを回想として処理するのは違うんじゃないかと。
で、もうルシウスを生かしておく意味なんて無いはずなのだが、なぜかティベリウスは拷問するだけで終わらせる。そしてアンが助けに駆け付ける中、ルシウスは炎に包まれて死亡する。
もちろん「アンの眼前でルシウスは自分の死を悟り、逃げるよう指示する」というシーンを描きたかったのは分かるけど、そのせいでティベリウスの行動が不自然になっちゃってるのね。
「プブリウスに私のルシウスを奪われた」ってなことを言っているので、同性愛的な要素を匂わせたかったのかもしれないけど、だとしても全く機能していないし。

21世紀に入ってからのジャッキーは年を重ねるにつれ、どんどん中国共産党の広告塔としての存在感を強めている。
そんなジャッキーが、『ライジング・ドラゴン』に続いて「中国の正当性」をアピールするために製作したプロパガンダ映画が、この『ドラゴン・ブレイド』である。
こういう映画が製作されたことが、最近の中国の映画会社がどれだけ大きな力を持っているか、中国市場がどれだけ世界で大きな位置を占めているかを顕著に表している。
以前であれば、ジョン・キューザックやエイドリアン・ブロディーが中国映画に出演することなんて有り得なかっただろう。そして中国の映画会社も、彼らに出演オファーを出さなかっただろう。

ジャッキーが中国共産党寄りの人間になった原因としては、2015年に息子のジェイシー・チャンが北京で麻薬を使用した疑いで逮捕され、減刑してもらうためという噂もある(本来なら死刑になる可能性もあったが、懲役6ヶ月で済んでいる)。
しかし、それより遥か以前から、ジャッキーは台湾や香港に関して中国共産党寄りの発言を繰り返していた。
だから、息子のことが原因で仕方なく本意ではない言動を重ねているという味方は間違いだろう。
あくまでもジャッキーは、本人の意思で中国共産党の宣伝マンとなったのだ。

この映画には、中国の素晴らしさや中国共産党の正当性をアピールする意味が込められている。
冒頭、2つの民族が揉めている現場に到着したアンは、「民族の違いを越えて団結しよう」と訴える。それは観客に対するメッセージでもある。
中国には多くの少数民族が暮らしており、それは共産党を悩ませている問題なのだ。
ただし、この映画が訴える団結ってのは、あくまでも「中国共産党の支配下での団結」である。
少数民族に自由や権限など何も与えず、「こっちの言いなりに動け」という意味である。

アンは冒頭シーンから、戦いを拒否している。「敵を友と成し、全ての民族と共に生きる。シルクロードの友をいかなる時も助ける」と語っている。
それは「中国共産党は少数民族を決して攻撃していないし、みんなで仲良く生きようとしているんですよ」というアピールだ。チベット問題などで批判されることも多い中国が、「それは間違いですよ」と否定しているわけだ。
それは海外に向けたアピールではなく、基本的には中国の人民に向けたアピールだ。
何しろ、これはアメリカやヨーロッパだと、ほとんどの国では小規模で短期間だけ公開されて終了しているのでね。

再建を祝う宴の席で、アンは「混乱と争いが続くこの世の中で、どんなに困難でも平和に導く。敵同士を友人に変えるんだ。武器なんか要らない。もう戦いは御免だ」と歌う。彼はフォ将軍に救われたことをルシウスに話す時、「戦は家族を壊す。シルクロードを救えるのは平和のみと教わった」と口にする。
ジャッキーが中国共産党の宣伝マンであることを考えると、「どの口が言うのか」とツッコミを入れたくなる。
でも、これは中国共産党のプロパガンダ映画なので、もちろんギャグや皮肉ではなくマジなのだ。
本気で「中国共産党は争いではなく平和を望んでいる。みんなで仲良くやろうと考えている」ってことを訴えているのだ。

ルシウスが迷惑を掛けないよう雁門関を去ろうとすると、アンは「シルクロードで起きることは、全て我が事」と言い、協力を申し出る。
そのセリフは、まさに習近平総書記が提唱した「一帯一路」の世界経済圏構想を感じさせる。
一度はアンをティベリウスに引き渡そうとした36の部族が、彼の熱弁を受けて共に戦うようになるのは、まさに中国共産党バンザイ映画って感じだ。
ご丁寧なことに、中国の部族だけじゃなく黒鷲軍団とも手を組んでおり、「中国は他国とも仲良くしますよ」というアピールも忘れない。

(観賞日:2017年9月16日)

 

*ポンコツ映画愛護協会