『ドラキュラZERO』:2014、アメリカ

1442年、オスマン・トルコ帝国はトランシルヴァニアに住む千人の少年を奴隷にした。彼らは鞭で打たれて人殺しを仕込まれ、オスマン軍の殺人兵器として育てられた。その中の一人が比類なき残虐兵に成長し、名前を聞いた部族が逃げ出すほどだった。それが“串刺し公”ヴラドである。ヴラドは残虐行為を悔いて過去を葬り、トランシルヴァニアへ帰還した。民衆は君主として崇めたが、後世では吸血鬼と呼ばれている。
ヴラドはハムザ・ベイ将軍の斥候兵が潜入している形跡を川で発見し、オスマン軍が征服に来ると確信する。牙の山に軍隊が潜んでいると推理した彼は、配下のディミトルに城へ戻って見張りを倍にするよう命じた。彼は配下のニコラエとアンドレイを引き連れ、山の洞窟に向かう。敵がいると確信したヴラドは、松明を掲げて暗闇の中へ足を踏み入れる。すると魔物が襲い掛かり、ニコラエとアンドレイを殺害した。洞窟の入り口で倒れ込んだヴラドだが、構えた剣に日光が反射すると、魔物は退散した。
ドラキュラ城へ戻ったヴラドから話を聞かされたルシアン修道士は、その怪物が夢の中に登場したことを話す。彼はヴラドに古い書物を見せ、その魔物がヴァンパイアと呼ばれる存在だと説明する。かつて人間だったヴァンパイアは悪魔を呼び出し、闇の力を得た。悪魔によってヴァンパイアは洞窟に閉じ込められたが、代わりの人間を見つければ解放されるのだ。ヴラドは秘密にするようルシアンに指示し、妻のミレナや息子のインゲラスたちにも事実を話さなかった。
翌日、ヴラドが家臣たちと復活祭を盛大に祝っていると、ハムザが城へ乗り込んで来た。「貢物は揃えてある。関係は良好なはずだ」とヴラドが告げると、ハムザは「イェニチェリ軍団に千人の少年を差し出せ」と要求した。「その習わしは廃止されたはず」とヴラドは抗議するが、ハムザは「メフメト2世皇帝は服従を求めておられる」と命令に従うよう告げた。逆らえば大勢の犠牲者が出ることは確実であり、ミレナはメフメトに慈悲を請うよう提案した。
ヴラドは交渉に赴くが、メフメトは耳を貸さないどころか、インゲラスを預けるよう要求した。メフメトは約束を守るかどうか確認するため、帰還するヴラドにイズマイル将軍と家臣たちを同行させる。ヴラドはミレナから激しく責められるが、イングレスは「僕は行く」と力強く口にした。しかしイズマイルから「いささか失望した。もう少し骨のある奴かと思っていたが」と言われたヴラドは、彼と家臣たちを始末した。賢者のシミオンに「メフメトが黙っておらんぞ。お前には国を守りきれん」と言われたヴラドは、「あの魔物ならオスマン軍を滅ぼせる」と口にした。
洞窟を訪れたヴラドは魔物と会い、国を守るための手助けを求める。魔物はヴラドに、自分の血を飲めば特別な力が得られることを教えた。「代償として人間の血が飲みたくなるが、3日間を耐え抜けば人間の状態に戻れる」と告げられたヴラドは、彼の血を飲んだ。意識を失ったヴラドが川で目を覚ますと、吸血鬼の力を会得していた。攻撃を受けている城へ舞い戻ったヴラドは、たちまちオスマン軍の兵隊千人を全滅させた。
ヴラドは民を退避させるため、山の上にあるコジア修道院へ向かった。メフメトは十万の兵を率いて出陣し、自軍の兵士たちが串刺しにされている様子を目にした。ミレナに一日で傷が完治していることを見られたヴラドは、自ら望んで魔物になったことを明かし、血への渇望を説明した。ヴラドは偵察に向かい、ディミトルが修道院への行軍を指揮する。しかしオスマン軍の襲撃を受け、ディミトルは瀕死の重傷を負う。ヴラドが駆け付けて敵を蹴散らすが、ディミトルは彼に看取られて死んだ。
ヴラドは民を修道院に退避させ、敵の攻撃に備えて準備を整える。ルシアンはヴラドが魔物だと気付き、太陽の光を浴びせて家臣や民に正体を暴露する。人々は一斉に火を放ち、ヴラドを殺そうとする。しかしヴラドは死なず、「これが忠誠か。感謝の気持ちか。愚か者め。戦ったから命があるとでも思っているのか。生きているのは私が犠牲を払ったからだ」と激昂した。ミレナが「いつもの貴方じゃない」と声を掛け、ヴラドを落ち着かせる。オスマンの大軍が修道院に迫ると、ヴラドは無数のコウモリを操って攻撃させる。だが、修道院へ潜入した敵兵にインゲラスが拉致され、ミレナは塔から転落する…。

監督はゲイリー・ショア、脚本はマット・サザマ&バーク・シャープレス、製作はマイケル・デ・ルカ、製作総指揮はアリッサ・フィリップス&ジョー・M・カラッシオロJr.&トーマス・タル&ジョン・ジャシュニ、撮影はジョン・シュワルツマン、美術はフランソワ・オデュイ、編集はリチャード・ピアソン、衣装はナイラ・ディクソン、視覚効果監修はクリスチャン・マンツ、音楽はラミン・ジャヴァディー。
出演はルーク・エヴァンス、ドミニク・クーパー、チャールズ・ダンス、サラ・ガドン、アート・パーキンソン、ディアミッド・マルタ、ロナン・ヴィバート、ウィリアム・ヒューストン、フェルディナンド・キングズリー、ザック・マッゴーワン、ポール・ケイ、トール・クリスティアンソン、アーキー・リース、ノア・ハントリー、ジョセフ・ロング、ヤクブ・ギェルシャウ、ジョー・ベンジャミン、ポール・ブリオン、ミシュ・ボイコ、ディラン・グウィン、フィル・ジマーマン、ドミニク・ボレッリ、トム・ベネディクト・ナイト、ポール・シーザー他。


ブラム・ストーカーの小説『ドラキュラ』のモデルである“串刺し公”ヴラド三世を主人公にした映画。
監督のゲイリー・ショアは、これが初めての長編映画。2006年に発表した映画学校の卒業制作である短編『The Draft』が高い評価を受け、それに続くメガホンが本作品である。
脚本のマット・サザマとバーク・シャープレスは、これがデビュー作。
ヴラドをルーク・エヴァンス、メフメトをドミニク・クーパー、洞窟の吸血鬼をチャールズ・ダンス、ミレナをサラ・ガドン、インゲラスをアート・パーキンソン、ディミトルをディアミッド・マルタ、シミオンをロナン・ヴィバートが演じている。

吸血鬼ドラキュラを善玉として描こうとした場合、そんなに難しいことではない。
モデルになった人物はいるものの、架空のモンスターだからだ。
ヴラド三世を善玉として描こうとするのも、そんなに難しいことではないだろう。
“串刺し公”の異名から残忍なイメージも強いが、正確な人物像は分かっていないので、脚色の余地は大きいはずだ。
しかし、「ヴラド三世を善玉として描きながら、最終的には恐ろしい吸血鬼として物語を着地させる」という条件になると、そんなに簡単ではない。

その条件を満たす大まかな筋書きを考えると、「ヴラドは優れた人物だったが、何らかのきっかけで残忍な悪玉へと変貌する」と形を取ることが思い付く。
っていうか、それ以外の筋書きなんて、たぶん無いんじゃないか。
ようするに、「アナキン・スカイウォーカーがダークサイドに堕ちてダース・ベイダーになりました」という話にするわけだ。
そんな風に書くと「簡単じゃねえか」と思うかもしれないけど、肉付けの部分が難しいのよ。

この映画は、まず冒頭部分からして失敗している。
ヴラドの息子によるナレーションで「オスマン・トルコ帝国が殺人兵器に育てた少年の中にヴラドがいて、残虐行為を悔いて過去を葬って、トランシルヴァニアへ帰還して君主になって」ということを説明するんだけど、それは本当に必要な説明なのかと。
そして、観客を引き付けるために、果たして効果的なナレーションなのかと。
それを考えると、答えはノーだと言わざるを得ないのだ。

君主になる前のヴラドの事情なんて、どうでもいいのよ。語りだけで「残虐行為を悔いて」とか言われても、ヴラドの心情は伝わらないし、感情移入させるための助けにならないし。
それに、過去を説明することによって、オスマン帝国とトランシルヴァニアの関係やヴラドがオスマン軍を離脱して君主になるまでの経緯に関して色々と疑問が浮かんでしまう。
そりゃあ歴史に詳しければ全て説明不要だろうけど、そこに詳しい観客なんて少ないと思うぞ。
だから、そんなことを説明するよりも、まず現在のヴラドを登場させて、周辺の人物を紹介したり、置かれている状況を解説したりする方が遥かに有益だろう。

そもそも、冒頭のナレーションだとヴラドは少年兵として殺人兵器に育てられた時代の殺人行為で「串刺し公」と呼ばれるようになったかのような説明だけど、そうじゃないでしょうに。
君主になってから大量の兵士や民を抹殺したから、そう呼ばれるようになったはずで。
もちろん、伝えられている事実が正確とは限らないし、そもそもフィクションだから脚色は盛り込んでも構わない。
ただ、さすがに「串刺し公」の由来を「少年兵だった頃の殺人行為が原因」とするのは、無理があるんじゃないかと。

そもそも、既に「罪なき者たちを何千人も殺して串刺し公と呼ばれている」という状態なら、吸血鬼じゃなくても、ある意味では怪物じゃないのかと言いたくなってしまう。
「立派な君主だった人間が恐ろしい怪物になる」という変貌だからこそ、ヴラドを吸血鬼にする意味があるはずで。
現在は立派な君主かもしれないけど、過去の所業で「大勢を惨殺した串刺し公」というイメージが確立しているのであれば、「もはや怪物になる意味が無くねえか。その頃の残忍さを取り戻すだけで充分に恐ろしくねえか」と思ってしまうぞ。

洞窟の吸血鬼から「なぜ何千人もの人間を串刺しにしたのか」と質問されたヴラドは、「敵は剣を恐れない。しかし魔物なら恐れて逃げる。村ごと串刺しにすれば十の村が恐れる」と説明する。
もはや自分でも、「当時の自分は魔物だった」と言っちゃってるようなモンだよ。ぶっちゃけ、洞窟の吸血鬼なんかより、村ごと串刺しにするヴラドの方が、人間であっても遥かに恐ろしい奴だぞ。
だから「国を守るための特別な力が必要」という言い訳があるにせよ、今さら「吸血鬼に変身する」という行動を取るのは、どうにもバランスが悪いなあと感じてしまう。
そうじゃなくて、単純に「吸血鬼になって大勢を串刺しにする」とか、「大勢を串刺しにする中で吸血鬼に変貌する」とか、そんな風に「串刺し公」の異名と「吸血鬼への変貌」を直接的にリンクさせた方がいいと思うけどなあ。

ヴラドがイズマイルたちを連れて帰還した時、ミレナは「息子を政略の道具にしないと貴方は約束した」と非難する。
だけど、もしも息子を引き渡さなかったら大勢の犠牲者が出ることは確実なので、そりゃあ君主としては従わざるを得ないってのが普通の考えだろう。
息子を愛する母親の気持ちは分かるけど、だからって苦渋の選択を迫られた旦那を責め立てるのは妻としていかがなものかと。
そういうキャラに描いていることが、正解とは到底思えない。
悲しんだり嘆いたりするならともかく、責めちゃいかんよ。

メフメトの元へ行くことをイングレスが志願した後、「いささか失望した。もう少し骨のある奴かと思っていたが」と冷笑されたヴラドはミレナの顔を確認した後、同行していた敵兵たちを始末する。
「理不尽な約束を破棄し、オスマン軍との戦いを選ぶ」ってのは、手順として大きく間違っているわけではない。
ただし、この映画の描写だと、「強い覚悟や深い苦悩の末に導き出した決断」ではなくて、明らかに衝動的な振る舞いだ。
だから、「つい殺しちゃったから戦わざるを得なくなる」という、あまり格好のいい形ではない。

ヴラドはルシアンからヴァンパイアのことを聞かされた時、「オスマン軍で手一杯だというのに」と口にする。
それは皮肉なことに、この映画が抱える問題を見事に言い表している。
そうなのだ、「ヴラドがオスマン軍に征服から国を守ろうとする」という話だけで手一杯なのに、「ヴラドが残忍な吸血鬼になる」という話は必須なので、その2つの要素を絡ませなきゃいけない。
そこで「ヴラドがオスマン軍を倒すために吸血鬼の力を借りる」という展開にしており、「悪くないアイデアじゃないか」と思うかもしれない。
そうかもしれないが、少なくとも膨らませ方が上手くない。

まず、トランシルヴァニアとオスマン国の関係性が全く描かれていないのに、最初に「洞窟の吸血鬼との遭遇」というエピソードを配置している時点で、ちょっとヤバそうな予感を抱いた。
すると映画が始まってから20分ちょっとで「ヴラドはオスマン軍と戦うために吸血鬼の力を借りようと決める」という展開が訪れ、「すんげえ性急だな」と感じることになった。
吸血鬼と絡むシーンを入れるのはともかく、自らが吸血鬼になるのは後半に入ってからじゃないかと思っていたが、そんな推測は見事に打ち砕かれた。早い段階で吸血鬼に変貌し、「血への渇望」というトコで話を膨らませているのだ。
早く吸血鬼に変貌させないと「圧倒的な強さで敵を倒す主人公」を描くことが出来ないってことかもしれないけど、そのアクションシーンに面白味があるわけでもないのよね。

後半、ルシアンがヴラドの正体に気付き、太陽の光を浴びせて人々に暴露する展開がある。
その時点で「それまでヴラドに仕えていた忠実な家来の一人だろうに、なぜ人々に暴露する前に、本人1対1で話して質問したり確かめたりする手順を取らないのか」と言いたくなる。
いきなり大勢に暴露して始末しようとするってのは、あまりにも酷い仕打ちじゃないのかと。
例えヴラドが魔物になっていたとしても、敵を倒して自分たちを助けてくれたのは確かなんだし。

それを考えると、いきなり人々がヴラドを殺そうとするのも違和感が強いのよね。
そりゃあヴラドが暴れていたら、殺そうとするのも理解できるのよ。だけど、「魔物だと判明した」というだけであって。怯えるのは分かるけど、自分たちを助けるために敵と戦ってくれた君主を始末しようってのは、「集団心理が働いた」と解釈するにしても強引さが否めない。
しかも、もっと引っ掛かるのは、そこで「民がヴラドを殺そうとする」という展開を用意しておきながら、ヴラドが死なずに済んだ後は、また元通りの状態になっちゃうのだ。ヴラドが民や家臣を見捨てるとか、民や家臣がヴラドから離れるとか、そんなことは無いのだ。
だからと言って、和解のプロセスがあるわけでもない。
だったら、そんな手順を入れた意味がゼロになってしまうでしょうに。

ヴラドがコウモリの大群を操って敵を攻撃している間に、数名の兵士が修道院へ潜入してインゲラスを拉致し、蹴られたミレナが塔から落ちるという展開がある。
そこから「ヴラドがインゲラスを助けたいミレナに頼まれ、彼女の血を飲んで魔物の力を持続させる」という手順へ繋げているけど、あまり格好がよろしくない。
まず「簡単に修道院へ潜入されているヴラドさん、すんげえダサいよ」と感じる。
コウモリで敵を襲うのもいいけど、なんで簡単に侵入されちゃってんのかと。まずは出入り口を固めるべきじゃないのか。

それと、ミレナがヴラドに「まだ間に合う。私の血を飲んで」と持ち掛けるのは、ようするに「もう元に戻れないけど、魔物として生き続けて」と言っているようなモノなのよね。
ヴラドが魔物になることを嫌がっていたはずで、それなのに息子を守るためなら「魔物になって」と頼むわけだ。
もちろん息子は大切だろうけど、そのためなら旦那は犠牲になっても平気なのかと。
そこはミレナが持ち掛ける形じゃなくて、インゲラスを助けたいヴラドが自らの意思で血を飲むべきじゃないかと。
ただし、「インゲラスを助けるために、絶対的に魔物の力が必要なのか。そこは考慮の必要があるんじゃないか」というトコでも、やや引っ掛かるモノはあるんだけどね。

で、魔物の力を持続させたヴラドがインゲラスの奪還に向かうのかと思いきや、そこから戦いで瀕死の状態に陥った自軍の面々に「復讐したいか」と問い掛け、自分の血を飲ませて吸血鬼に変貌させるという行動を取るのよね。
「いや自分を犠牲にした意味が無くなるだろ。バカなのか。トチ狂ったのか」と言いたくなるわ。
吸血鬼はヴラドだけにしておけよ。その一方、肝心のヴラドは弱点を突かれたせいで、メフメトとの一騎打ちでは魔物のくせに大苦戦を強いられちゃうし。
ラストで「質より量」を選ぶよりも、ヴラドがパワーアップする形にでもした方が盛り上がるんじゃないのかと。
で、敵を全滅させた後は、吸血鬼に変貌させた面々をヴラドが太陽光で始末するんだけど、なんちゅうカッコ悪いマッチポンプだよ。

(観賞日:2016年8月15日)

 

*ポンコツ映画愛護協会