『ドラキュラ』:1992、アメリカ

1462年、トランシルヴァニア城の騎士ドラクルはトルコ軍との戦いに勝利した。破れたトルコ軍は城に矢を放つ。そこに結ばれていた「ドラクルが戦死した」という内容の手紙を読み、ドラクルの妻エリザベートは自害してしまう。ドラクルは神を呪い、闇の力でこの世に復讐することを誓う。
年月は過ぎた。弁理士ジョナサン・ハーカーは発狂した前任者レンフィールドの後を引き継ぎ、ロンドンの土地取り引きをまとめるため、トランシルヴァニア城へ向かう。取り引き相手はドラキュラ伯爵。彼こそは闇の力を手に入れて生き続けているドラクルであった。
ジョナサンの婚約者ミーナ・マーレイの写真を見たドラキュラ伯爵は、彼女に亡き妻エリザベートの面影を感じ取る。ドラキュラの要請で滞在期間を延ばしたジョナサンは、女吸血鬼達に誘惑され、淫らな宴に身を任せてしまう。ドラキュラ伯爵はロンドンに向かい、ミーナに近付く。
ミーナはトランシルヴァニアから戻らないジョナサンを心配しながらも、ドラキュラにどうしようもなく惹かれていく。それでも城から逃げ出したジョナサンが尼僧院で保護されたことを知り、ミーナは彼と結婚する。しかし、ドラキュラとミーナの関係はそれで断ち切られたわけではなかった…。

監督はフランシス・フォード・コッポラ、原作はブラム・ストーカー、脚本はジェームズ・V・ハート、製作はフレッド・フュークス&チャールズ・ムルビヒル&フランシス・フォード・コッポラ、製作総指揮はマイケル・アプテッド&ロバート・オコナー、撮影はミヒャエル・バルハウス、編集はアン・ゴールソウ&グレン・スキャントルバリー&ニコラス・C・スミス、美術はトーマス・サンダース、衣装はエイコ・イシオカ(石岡瑛子)、音楽はボイチェフ・キラール。
出演はゲイリー・オールドマン、ウィノナ・ライダー、アンソニー・ホプキンズ、キアヌ・リーヴス、リチャード・E・グラント、ケイリー・エルウェス、ビル・キャンベル、サディー・フロスト、トム・ウェイツ、モニカ・ベルッチ、ミカエラ・ベルク、フロリーナ・ケンドリック、ジェイ・ロビンソン、I・M・ホブソン、ローリー・フランクス他。


ブラム・ストーカーの原作小説を映画化した作品。
ウィノナ・ライダーがコッポラに企画を持ち込んだそうだ。
この作品を見ることで、ベラ・ルゴシやクリストファー・リーが、どれほど偉大なドラキュラ俳優であったということを再確認することができるだろう。

荘厳な美術と華麗な衣装が全て。
映画としては駄作。
表面的な飾り付けは立派だが、骨組みがヒョロヒョロなので似合わないのだ。
フランシス・フォード・コッポラ監督は、素晴らしいゴシック・ホラーの基盤を持つ物語を、なぜか陳腐なゴシック・ロマンへと変貌させてしまった。

これはドラキュラとミーナのラブ・ロマンスである。
怪奇映画としての面白味はほぼゼロに近い。
ウィノナの持ち込み企画ということで、彼女が目立つように内容を変更したのかもしれないが、恋愛劇が描きたいのなら他の題材を扱えばいいのである。

キアヌ・リーヴス演じるジョナサンは影が薄く、中盤では完全に姿を消す。
ウィノナ・ライダー演じるミーナは、デクノボウのお嬢様にしか見えない。
ドラキュラを演じるゲイリー・オールドマンの怪演も、見事に上滑りになっている。

とにかくピントを外している。
ドラキュラがミーナに正面からアプローチを開始するのはピントを外しているし、ミーナがドラキュラに惹かれていくのもピントを外している。やたら「誰それの日記」と称してナレーションで説明してしまうのも外している。

ドラキュラの顔を特殊メイクアップで変形させてみたり、単なるクリーチャーとして変身させてみたりするのも大きくピントを外している。女吸血鬼の登場する場面を始めとして、官能的な雰囲気を醸し出したのもピントを外している。

場面の繋ぎ方も上手くない。
例えばミーナの友人ルーシーが獅子のような化け物(この造形も外している)に襲われるシーンと、ドラキュラがロンドンの街に姿を見せる場面とは、順番を逆にした方が良かったのではないだろうか。

「ルーシーに精神的な病の兆候がある」とセワード博士達が言うのだが、それほど突飛な行動をするわけでもないので、今1つ彼女の変化が分かりにくい。もっと血を欲しがるとか、いかにも吸血鬼っぽい変化を分かりやすく見せた方が良かったのでは。

レンフィールドの出番がほとんど無いのは勿体無い。
せっかくトム・ウェイツがレンフィールドを演じているのだし。
1931年のクリストファー・リー主演作『魔人ドラキュラ』ではレンフィールド役のドワイト・フライの狂演がイイ味付けになっていただけに、今作での扱いの悪さには不満が残る。

物語の展開はスローだが、別に間の使い方が上手いわけではない。
ただダラダラと垂れ流しているだけ。
さすがフランシス・フォード・コッポラ、滅多なことでは傑作は作らないのである。

 

*ポンコツ映画愛護協会