『ドアーズ』:1991、アメリカ

1949年、ニューメキシコ州。家族と車に乗っていた幼いジム・モリソンは、ネイティヴ・アメリカンの交通事故現場を目撃した。1965年、カリフォルニアのヴェニス・ビーチ。UCLAの映画科に通うジムはパムと出会い、強引にアプローチして付き合い始めた。
映画を捨てたジムは詩や歌を作り始め、友人レイ・マンザレクに聞かせた。ジムとレイはロビー・クリーガー、ジョン・デンズモアと共にバンドを結成した。“ザ・ドアーズ”と名付けたバンドで、ジム達はナイトクラブでの演奏を開始した。
1966年、ザ・ドアーズはロサンゼルスのクラブで演奏するが、ジムが「オヤジを殺せ、お袋を犯せ」などと歌ったために店を追い出される。しかし演奏を聞いていたエレクトラ・レコードのプロデューサーに気に入られ、レコーディングをすることになった。
1967年、サンフランシスコを訪れたザ・ドアーズは、大観衆の熱狂に迎えられる。彼らは人気番組「エド・サリバン・ショー」に出演することになるが、放送に乗せられない歌詞の一部を変更するよう要求される。しかし、ジムは歌詞を変えずに歌った。
1968年、ニューヘヴン。酒に溺れるジムは、ライヴ会場で警官と揉めて逮捕される。ジムは若者達から熱狂的な支持を得る中で、その後もトラブルを起こし続ける。そして1970年には4件の罪で裁判にかけられ、有罪判決が下される…。

監督はオリヴァー・ストーン、脚本はJ・ランダル・ジョンソン&オリヴァー・ストーン、製作はビル・グレアム&サーシャ・ハラリ&A・キットマン・ホー、製作協力はクレイトン・タウンゼンド&ジョセフ・ライディ、製作総指揮はマリオ・カサール&ニコラス・クレイノス&ブライアン・グレイザー、撮影はロバート・リチャードソン、編集はデヴィッド・ブレナー&ジョー・ハッシング、美術はバーバラ・リング、衣装はマーレン・スチュワート、音楽製作はポール・A・ロスチャイルド、音楽製作総指揮はバド・カー。
主演はヴァル・キルマー、共演はメグ・ライアン、カイル・マクラクラン、フランク・ホエーリー、ケヴィン・ディロン、マイケル・ウィンコット、マイケル・マドセン、ビリー・アイドル、キャスリーン・クインラン、ジョシュ・エヴァンス、コスタス・マンディラー、デニス・バークレイ、ジョン・キャポダイス、マーク・モーゼス、ウィル・ジョーダン、ロバート・ルポーン、フロイド・レッド・クロウ・ウェスターマン他。


伝説的ロックグループ、ザ・ドアーズのヴォーカリストだったジム・モリソンの半生を描いた伝記映画。ジムをヴァル・キルマー、パムをメグ・ライアン、レイをカイル・マクラクラン、ロビーをフランク・ホエーリー、ジョンをケヴィン・ディロンが演じている。
タイトルは『ドアーズ』(原題も「The Doors」)だが、これはジム・モリソンを描いた作品だ。確かにジム・モリソンはザ・ドアーズの中で大きな存在だったが、別にザ・ドアーズは彼のソロ・ユニットではない。
だから、このタイトルは厳密に言えば正しくない。

ジムと音楽やバンド仲間との関わりよりも先に、彼とパムとの出会い&恋愛模様を描く。
しかし、だからといってジムとパムのラブストーリーが映画の中心になるわけではない。
それどころか、2人の関係はほとんど描かれず、パムは完全に附属品と化している。
附属品と化しているという意味では、バンドのメンバーにしても同じことである。
バンド仲間のそれぞれのキャラクターも薄いし、ジムとメンバーとの関係も薄い。
ジムとメンバーとの友情や確執によってドラマが進行するようなことは、全く見られない。

この作品は、「ザ・ドアーズが人気バンドとしての階段を駆け上がって行く」という様子を、マトモに描こうとはしない。
数々の有名曲が作られる経緯について、詳しく描く気も無い。
1960年代におけるザ・ドアーズの位置を示すこともやらない。
単純に「何かがあって、次にこうなった」という風にエピソードを順番に繋げばいいものを、急に幻想的なシーンを挿入したりして、テンポを悪くする。
いきなり砂漠にトリップしたり、小難しい哲学チックなセリフを並べ立ててみたりして、幻想的で芸術的な空気を作り出す。
ドラッグ感覚に溢れた映画にでもしたかったのだろうか。

ジムとアンディ・ウォーホルとの語らい&パーティー風景にしても、ジムがパトリシアと浮気してヘンテコなテンションになっている様子にしても、映画に厚みを与えることは無く、ただテンポを失わせているだけ。
パトリシアはジムを破滅への道に導く魔女のようにも描かれているが、その対比としてのパムが描かれているのかといえば、それは無い。

この作品は、ロック・ミュージシャンとしてのジム・モリソン、ヴォーカリストとしてのジム・モリソン、ザ・ドアーズの一員としてのジム・モリソンを描こうという気は全く無い。
ただひたすら、「破滅的な人生を歩んだジム・モリソン」を描くことだけに終始している。
この作品をザ・ドアーズやジム・モリソンを全く知らない人が鑑賞して、ザ・ドアーズやジム・モリソンに魅力を感じる可能性は低いだろう。
何しろ、この作品からはザ・ドアーズの魅力も、ジム・モリソンの魅力も、一向に伝わってこないのだ。

この作品で描かれているジム・モリソンには、カリスマ性が全く感じられない。
彼がイカれてしまった理由が描かれているわけではないので、何かに苦悩して酒やドラッグに逃げたのではなく、何の感情移入もできない単なるアル中でヤク中のキチガイにしか見えない。

 

*ポンコツ映画愛護協会