『ドノバン珊瑚礁』:1963、アメリカ

アメリカ海軍の退役軍人であるギルフーリーは、フランス領ポリネシアを航行する船に水夫として乗っていた。ハレアカロア島が近付いた時、彼は船長から寄港しないことを聞かされる。「立ち寄ると約束しただろ」とギルフーリーが抗議すると、船長は「すぐ近くまではな」と告げる。ギルフーリーは大笑いし、「この俺が騙されるとはな」と口にした。彼は油断している船長を掃除用モップで殴り倒すと、何の迷いも無く海へ飛び込んだ。
ハレアカロアで暮らす退役軍人のマイケル・ドノバンは、リーラニ、サリー、ルキという子供たちをカヌーで遊ばせていた。ドノバンは3人の父親ではなく、友人であるウィリアム・デダム医師から預かっているのだ。ウィリアムの妻は島の王女だったマヌラーニだが、既に死去している。ウィリアムは顔を見せに来るが、2週間ほど留守にすることをドノバンに告げた。デラージュ総督は使用人のミスター・ユウに指示し、「酷い島からの救出を願う」という転任願を代筆させた。島での原始生活を嫌う彼は以前も転任願いを出していたが、その希望は叶えられずにいる。
ドノバンがリーラニたちをカヌーに乗せて総督の敷地に来ると、デラージュは歓迎した。彼がドノバンに「誕生日、おめでとう」と言ったせいで、子供たちが内緒にしていた誕生日のサプライズが露見してしまった。ドノバンは子供たちに笑顔を見せ、「今夜はパーティーだ」と告げた。しかしギルフーリーが島へ戻って来ることが分かると、彼は険しい表情になった。リーラニは「喧嘩はやめて」と訴えるが、サリーは「口を出さないで」と姉に言い、ルキはドノバンに「やっつけて」と告げた。
ギルフーリーが上陸すると島の女たちは歓迎するが、警官のモンクと神父のクルーゾーは不快感を示した。ギルフーリーはモンクと共に、ドノバンが営む酒場『ドノバン珊瑚礁』へ入った。彼はドノバンが来ない内に、勝手に酒を飲み始めた。それから彼は奥の部屋へ行き、ドノバンのスーツを拝借して着替えた。ギルフーリーの恋人であるラフルールが店に現れ、「私と結婚するために戻ったんでしょ」と喜ぶ。ギルフーリーは困惑の表情で、「お前のことは愛してるが、女房がいる」と告げた。
ドノバンは子供たちを自宅へ送り届けた後、酒場へ赴いた。彼はギルフーリーに、「穏便にやろう。22年来の付き合いだろ」と告げた。しかし2人は喧嘩を始め、モンクは何もせずに傍観した。そこへウィリアムが駆け付け、ドノバンとギルフーリーを叱責した。2人は同じ誕生日で、その日は毎年必ず喧嘩をしているのだ。ウィリアムから不仲の理由を訊かれたドノバンは、「パナマで踊り子を押し付けられたことが始まりで、結婚指輪の代金まで払う羽目に」と語った。
ボストンのデダム海運では親族会議が開かれ、アメリア・デダムも参加した。彼女の大叔母であるプリシラが経営者だったが、死去したことを受けて遺言書が公開されることになったのだ。弁護士のオブライエンはアメリアに、想像人は父親のウィリアムだと告げられる。アメリアが「会ったことも無いし、名前も初耳よ」と言うと、オブライエンは「父親に会って株の相続を放棄してもらわないと」と告げる。遺言書には「品格に問題がある場合、相続権が剥奪される」と記されており、オブライエンは「もしも彼が南洋の島で現地の女性と生活していることを証明できれば、品格に問題有りとして遺産を巻き上げられます」と説明した。
デラージュはマーティン船長からの電報で、アメリアが島へ来ることを知った。そのことを彼はドノバンとギルフーリーに教え、「問題は、彼女がウィリアムの子供について知っているかどうかだ。いきなり父親と姉弟3人に体面なんて。しかも母親は島の女だ。誤解される恐れがある」と語った。ウィリアムが島を出ているので、ドノバンたちは対応策を考える必要に迫られた。するとユウはドノバンたちに、「私に名案があります」と述べた。
ドノバンはウィリアムの家へ行き、レラーニに「俺の子供のフリをして、ウチに来てくれ」と持ち掛ける。レラーニが「どうして?」と疑問を呈すると、ギルフーリーが「ウィリアムが自分で話せるよう、時間稼ぎをするんだ」と話す。レラーニは承諾するが、寝室へ戻って泣き出した。ドノバンは彼女を優しく抱き寄せ、「俺を信じてくれ。上手く行く」と告げた。アメリアが島に近付くと、ドノバンはカヌーで迎えに行った。アメリアはドノバンに対し、見下すような高慢な態度を取った。
上陸したアメリアは、ドノバンの無作法な態度に腹を立てた。デラージュはアメリアに1800万ドルの資産があると知り、強い興味を抱いた。ドノバンはアメリアをウィリアムの家へ案内し、使用人のヨシとコシを紹介した。その夜、嵐が島を襲う中で、ドノバンはルキを連れてウィリアムの家を訪れた。アメリアが応対すると、ドノバンはルキの帽子を探しに来たこと、それが無いと彼が眠れないことを話した。ルキが帽子を見つけると、アメリアは彼を泊まらせることにした。
翌日、デラージュはアメリアを訪ねてドライブに誘うが、あっさりと断られた。アメリアは酒場でマーティンと会い、「父を捜す間、船をチャーターしたい」と申し入れた。すると話を聞いていたドノバンが「無理だ。他の島や珊瑚礁への航行で忙しい」と言い、自分が船の持ち主だと教えた。ドノバンは煙草を吸い、アメリアにも勧めた。アメリアが昨日の態度を詫びると、ドノバンも謝罪した。ドノバンは「家族に会ってもらえるかな」と言い、ウィリアムの子供たちをアメリアに紹介した。
ドノバンが水上スキーに行くと知ったアメリアは、同行を希望した。アメリアが水上スキーを楽しむと、ドノバンはボートのスピードを上げた。アメリアがバランスを崩して転倒すると、ドノバンは笑った。ドノバンの挑発的な態度にカッとなったアメリアは、泳ぎでの勝負を要求した。アメリアは岸までの対決に勝利し、得意げな様子を見せた。彼女はドノバンと子供たちに同行して山へ行き、記念碑を発見した。それはマヌラーニと海軍中佐だったウィリアム、ドノバン、ギルフーリーの名前が刻まれた栄誉名簿だった。
ドノバンはアメリアから「この島で実戦が?」と問われ、「我々は駆逐艦を攻撃され、この島に辿り着いた。しかし日本軍の基地があったため、洞穴に潜伏して戦った」と話した。彼は子供たちと共にクリスマス用の木を伐採し、町へ戻った。アメリアが子供たちに「いいことを思い付いたわ。ウチでクリスマスを」と持ち掛けると、リーラニは「ありがとう」と告げた。ドノバンは彼女からマヌラーニについて訊かれ、「島々を治めていた王の孫娘だ」と答えた。「彼女に何が?」という質問に、彼は「お産で死んだ」と告げた。
デラージュはユウから、「ドノバンは間違いなくアメリアへの下心があります」と吹き込まれた。彼はユウから「いい案があります」と言われ、ラフルールを呼び出した。デラージュはラフルールの労働許可期限が13ヶ月前に切れていることを指摘し、ユウがドノバンの寝室へ忍び込むよう指示した。ドノバンがアメリアを連れて自宅に戻ると、子供たちは就寝していた。ドノバンがキスすると、アメリアは抵抗せずに受け入れた。アメリアが去った後、ドノバンが寝室に入るとラフルールが待っていた。ドノバンが怒ったので、ラフルールは「ユウがやれって」と釈明する。しかしドノバンは耳を貸さず、ラフルールを庭の池へ投げ込んだ。
翌朝、ドノバンはウィリアムがカヌーで戻って来るのを確認し、ギルフーリーに指示して「娘が来ている。子供たちは俺の子供として家にいる。注意しろ」とモールス信号を送らせた。アメリアは海岸へ行き、ウィリアムの帰還を出迎えた。彼女は目に涙を浮かべ、初めて会う父に抱き付いた。アメリアはウィリアムの家に戻ると、ドノバンの子供たちを招待したことを話した。ウィリアムが「株はお前に譲る」と言うと、彼女は「持ってて。父親への敬意の念として」と告げた。
ウィリアムはアメリアに、「デダム海運にもボストンにも、関心が無い。母さんが死んだことは誰も教えてくれず、後から知った。島の人たちは、私を助けてくれた恩人だ。お前の父としての責務は果たせなかったが、島の子たちがいた」と話す。「でも代わりがいたはず」とアメリアが言った直後、ウィリアムは庭に来た子供たちに気付いた。しかし3人は家に入らず、庭での儀式を済ませて立ち去った。「お前に話すべき時が来たようだ」とウィリアムはアメリアに告げるが、そこへ急患が来たという知らせが入る。ウィリアムが診療所へ行こうとすると、アメリアは手伝いを申し出た。ウィリアムは治療の手伝いを頼み、2人は診療所へ向かった…。

製作&監督はジョン・フォード、原案はエドモンド・ベロイン、脚本はフランク・ニュージェント&ジェームズ・E・グラント、撮影はウィリアム・H・クローシア、編集はオソー・ラヴァリング、美術はハル・ペレイラ&エディー今津、衣装はイーディス・ヘッド、音楽はシリル・モックリッジ。
主演はジョン・ウェイン、共演はリー・マーヴィン、エリザベス・アレン、ジャック・ウォーデン、ドロシー・ラムーア、シーザー・ロメロ、ディック・フォラン、マルセル・ダリオ、マイク・マザーキー、ジャクリーン・マルーフ、シェリリン・リー、ティム・スタッフォード、エドガー・ブキャナン、ジョン・フォン他。


『騎兵隊』『リバティ・バランスを射った男』のジョン・フォードが製作&監督を務めた作品。
脚本は『最後の歓呼』『馬上の二人』のフランク・ニュージェントと『アラモ』『コマンチェロ』のジェームズ・E・グラント。
ドノバンをジョン・ウェイン、ギルフーリーをリー・マーヴィン、アメリアをエリザベス・アレン、ウィリアムをジャック・ウォーデン、ラフルールをドロシー・ラムーア、デラージュをシーザー・ロメロ、ショーンをディック・フォランが演じている。

西部劇映画で何度もコンビを組んで来たジョン・フォードとジョン・ウェインだが、これが最後の共同作業となった。
2人とも西部劇を主戦場としていた映画人なのに、最後のコンビは西部劇じゃなかったのだ。
1960年代に入って西部劇というジャンルは衰退していったが、まるで作られなくなったわけではない。ただ、1966年の『荒野の女たち』でジョン・フォードが長編映画の製作から引退してしまったため、コンビを組むことが不可能になったのだ。
決して不仲になったわけではなく、ジョン・フォードの遺作となったドキュメンタリー映画ではジョン・ウェインがナレーターを務めている。

ハレアカロア島はフランス領ポリネシアなのに、なぜか大勢の中国人が暮らしている。デラージュの使用人であるユウも、中国人という設定だ。
ただ、なぜかデラージュは和服を着ているし、ウィリアムの家出働くヨシとコシは着物姿の日本人だ(日本語も喋っている)。
1963年の映画なので、たぶん「大抵のアメリカ人からすると、日本人も中国人も一緒」ってことだったんだろう。
ただ、それはいいとして(ホントは良くないけど)、「フランス領ポリネシアなのに中国人や日本人が多い」ってのは良く分からんぞ。

デラージュは本国に転任願を出し、「この原始生活を見れば分かる。食事は不味いし、暑さは耐え難い。水道は不便極まりなく、お風呂はお湯も出ない」と訴えている。
しかし、その文言をユウに語っている時、彼は広大な庭でコーヒーを飲んでおり、ちっとも不自由な生活をしているようには見えないのだ。むしろ、穏やかで過ごしやすそうな環境だと感じさせる。
デラージュが「酷い暮らし」と感じているなら、実際に「水道から水が出ない」とか「飯が不味い」といった描写を入れないと全く伝わらない。
あと、ドノバンと子供たちが来ると彼は嬉しそうな様子を見せているので、余計に「すんげえ楽しくやってんじゃん」と感じるのよね。

ドノバンはギルフーリーが戻ったことを知っただけで不快感を示し、再会した2人はすぐに喧嘩を始める。
それは喜劇の要素として用意されていることなんだけど、かなり違和感が強くなっている。
ドノバンはウィリアムからギルフーリーと不仲になった理由を問われて、「パナマで踊り子を押し付けられたことが始まりで、結婚指輪の代金まで払う羽目に」と語る。
そのように、一応は理由があるんだけど、かなり無理のある設定だと感じる。
もっと問題なのは、「顔を合わせる度にドノバンとギルフーリーが喧嘩をしている」という設定が、そんなに面白くないってことだ。

そもそもアメリアが島へ来て、ドノバンが子供たちの父親を装う展開に入ると、「ドノバンとギルフーリーが喧嘩ばかりしている」という要素は邪魔になる。
ギルフーリーなんて、存在ごとバッサリと削り落としてもいいんじゃないかとさえ思ってしまう。
実際、アメリアが島に来ると、ギルフーリーの存在意義は一気に薄れてしまうのだ。
彼を登場させるにしても、「ドノバンの親友」というだけにして、芝居に協力する役回りを担当させておけばいいんじゃないかと。その方が、何かと使いやすいはずだ。

導入部の段階で、構成が上手くないと感じる。
後の流れを考えると、まずはボストンのシーンから始めて、「アメリアが弁護士から遺言の内容を聞き、父親の住む島へ行くと決める」という様子を描いた方がいい。その手順を片付けてから、ハレアカロア島に移った方がいい。
いずれにせよ、「ギルフーリーが船長を殴り倒して海に飛び込む」ってのは、オープニングに配置するシーンじゃないわ。
っていうか、冒頭にボストンのシーンを置いたとしても、ギルフーリーが船から海へ飛び込んで島へ戻る手順は、上手く話にハマらない。

ドノバンとギルフーリーの「喧嘩ばかりしているけど、腐れ縁で根っこの部分では通じ合っている」という名コンビぶりを軸にした物語を構築するのなら、ギルフーリーが船から海へ飛び込んで島へ戻る手順を入れてもいいだろう。
だけど、「アメリアを騙すためにドノバンが子供たちの父親に成り済ます」ってのが、この映画の本筋になっているわけで。
そうなると、ドノバンとギルフーリーの関係ってのは、おのずと脇に追いやられることになる。
それを考えると、ギルフーリーの扱いやポジションには大いに難があるのよ。彼は最初から島にいる形にしておいた方が望ましいのよ。

アメリアは島へ来た時、ドノバンに対して高慢で冷淡な態度を取っている。イライラした様子を見せて、声を荒らげている。
なので、彼女は「島の人間を見下すような高飛車な女」というキャラクター設定で、ドノバンや子供たちと触れ合う中で少しずつ変化していくドラマを描くのかなあと思っていた。
ところが酒場でドノバンと話して煙草を吸った後、彼女は「昨日は失礼をしてしまって。お詫びするわ」と唐突に殊勝な態度を見せるのである。
いやいや、どういうことだよ。中の人が急に入れ替わったのかよ。

ユウがラフルールをドノバンの寝室に忍び込ませる作戦が失敗に終わるのは別にいいのだが、ほぼ何の意味も無いシーンになっているのは頂けない。
まずドノバンがアメリアを連れて帰宅した時点で、観客はラフルールが寝室に潜んでいることを知らない。だから、「鉢合わせするかも」というハラハラ感は無い。その後、実際に鉢合わせするとか、鉢合わせしそうになるとか、そういう展開も無い。
つまりユウは、ラフルールが寝室にいることでアメリアにドノバンとの関係を誤解させようと目論んだのかと思ったら、そうではないのね。ただ単に、ラフルールにドノバンを誘惑させようという狙いだったのね。
その時点でヌルすぎるのだが、せめてドノバンがラフルールを見つけた後、少しぐらいやり取りがあっても良くないか。すぐに追い払って終わりってのは、すんげえ淡白だなあと。

ドノバンが子供たちの父親に成り済ますことを決めてアメリアを迎えるのだから、「嘘がバレないように必死で取り繕う」とか「嘘が露呈しそうになるのでアタフタする」とか、そういう方向で喜劇を作っていくのかと思っていた。
しかし、そこの要素は全く膨らまない。
子供たちは物分かりが良くて、バレそうになるような言動は全く見せない。また、意地悪で事実を教えようとするような連中も出て来ない。
デラージュがアメリアに「ドノバンは独身」とバラす展開はあるが、子供たちの父親がウィリアムってのは明かさないし。

ではドノバンとアメリアの恋愛劇を充実させるのか、子供たちも含めた疑似家族のような関係性を大きく扱うのかというと、そこも薄い。
途中でウィリアムが島へ戻って来るが、それも上手く機能しているとは言い難い。
ウィリアムが真相を話しそうな雰囲気になるが、急患が入って診療所へ行く展開になると、なぜか話さないままになってしまう。
いやいや、治療の後にでも言えることでしょ。アメリアが治療を手伝うってことは、ずっと一緒にいるんだからさ。

そこから夜のシーンになると、なぜか教会で開かれるミサの様子に8分ほど使ったり、英国海軍が酒場へ来て乱闘になる展開を描いたりする。肝心な物語を全く先に進めようとせず、脱線してダラダラと時間を浪費しているようにしか思えない。ミサや乱闘では、何の物語も進展しないんだから。
で、次の日になると、島の儀式に王女役で参加したリーラニを見たアメリアが急に全てを悟り、姉として子供たちに接するようになる。
だけど、そこにドノバンが全く関与していないので、「アメリアと家族の物語」と「ドノバンとアメリアのロマンス」は最後まで乖離したままなのよね。
そこを融合させないと、2つの要素を盛り込んだ意味が無いでしょ。

あと、そもそもアメリアが「父親の品格が無いことを確かめて相続権を剥奪しよう」という狙いで島に来たのか、そうじゃなくて別の思いがあったのか、その辺りが良く分からないんだよね。
だからウィリアムが帰還した時に涙で迎えるのも、「父親の品格の無さを確かめてやろうと思っていたけど、実際に会ったら嬉しくなった」という変化なのかどうかが分からない。
それと、彼女が父親の生活を調べる目的で島に来たのだとすれば、「現地の子供がいると知ったら娘がショックを受けるんじゃないか」という考えで嘘をついたドノバンたちの作戦とは、上手く噛み合っていないように感じる。
っていうか、この映画、色んな要素が噛み合っていないんだけど。

(観賞日:2017年4月4日)

 

*ポンコツ映画愛護協会