『ドニー・ダーコ』:2001、アメリカ

高校生のドニー・ダーコは路上で目を覚まし、自転車で自宅に戻った。冷蔵庫のドアには、「ドニーはどこに?」と書かれたメモが貼ってある。ドニーは父のエディー、母のローズ、姉のエリザベス、妹のサマンサという5人家族だ。情緒不安定なドニーはカウンセリングを受けており、薬も服用している。彼は夕食の席で姉に悪態をつき、父に注意されても全く耳を貸さない。寝室に戻ったドニーは「毎晩どこに行ってるの?」と母に問われ、口汚く罵った。1988年10月2日。ドニーは深夜に「起きろ」という声で目を覚まし、「お前を見ていた。こっちへ来い」と言われて近くのゴルフ場に赴く。するとウサギ男のフランクが待っており、「あと28日と6時間と42分と12秒。それが世界の週末までの残り時間だ」と告げた。同じ頃、ダーコ邸は激しい衝撃に見舞われ、家族が動揺していた。
次の朝、ドニーがゴルフ場に来たフィッシャー博士と友人のジム・カニンガムに起こされると、左腕に「28:06:42:12」と書いてあった。ドニーが帰宅すると、大勢の野次馬や警官たちが集まっていた。ダーコ家の面々は連邦航空局のボブ・ガーランドから、ホテルを用意しているので内密に話を聞きたいと告げられた。昨晩の衝撃は、ドニーの部屋に航空機のエンジンが落下したことで起きていた。連邦航空局はエンジンを回収するが、それが付いていた航空機は判明していなかった。
次の日、ドニーがスクールバスに乗るためバス停へ行くと、フィッシャーの息子で友人のロナルドやショーンたちが話し掛けて来た。国語の授業を受けたドニーは、教師のカレン・ポメロイから少年たちが家を破壊する短編小説の感想を問われた。「家の破壊を体験した者としての弁を」と求められた彼は、「破壊は創造だ。お金を燃やしたのも皮肉さる破壊された世界を見たかったんだ」と答える。転校生のグレッチェン・ロスが教室に来て自分の席を訪ねると、カレンは「一番可愛い男子の隣よ」と言って選ぶよう促した。グレッチェンは教室を見回し、ドニーの隣を選んだ。
ドニーが父の車で家に向かっていると、道路の真ん中に老女のロバータ・スパロウが立ち尽くしていた。エディーが慌てて車を停めると、ロバータは郵便ポストを覗き込んだ。中には何も入っておらず、ドニーは「きっと明日だ」と声を掛けた。するとロバータは、「生き物はみんな孤独に死ぬ」と囁いて去った。ドニーは精神科医のリリアン・サーマンに、「フランクという友人が出来た」と話した。ドニーは「彼は何と?」と問われ、「彼は未来に来いと。そして世界は終わると言っていた」と答える。「世界は終わると思う?」という質問に、彼は「まさか。バカバカしい」と告げた。
次の日、ドニーは体育教師のキティー・ファーマーの授業で、ジムが推奨する恐怖克服セラピーのビデオを見せられた。その夜、ドニーはフランクに起こされて斧を持ち出し、学校の水道管を破壊した。1988年10月6日、あと24日。ドニーは同級生の女子たちから、学校が洪水で休みになったことを知らされた。学校ではコール校長たちが、犯行現場を確認していた。ブロンズ像の頭部が消えて斧が突き刺さっており、別の像の前には「彼らがやらせた」とメッセージが残されていた。
グレッチェンを見つけたドニーは、今日は休校だと教える。家まで送ってと言われた彼は、承諾して一緒に歩く。転校の理由を訊かれたグレッチェンは、「両親が離婚して、夫だった奴に追われないように。精神に問題が」と答えた。「僕もだ。どんな問題が?」とドニーが尋ねると、彼女は「ママの胸を4度も刺した。逃げて、それきりよ。ママも私も改名した」と話す。ドニーは彼女に、「僕も廃屋に放火して逮捕された。でも立ち直った」と語る。ドニーが回りくどい言い方で交際を持ち掛けると、彼女は「いいわ」と即答した。
ドニーはリリアンから、催眠療法を勧められた。アンは催眠状態に入ったドニーに質問するが、彼がオナニーを始めようとしたので慌てて目覚めさせた。コール校長と警官は水道管を破壊した犯人を見つけるため、生徒たちに「奴らがやらせた」という文字を書かせた。コールは保護者を集めて緊急会合を開き、容疑者に生徒も含まれていることを説明した。キティーは授業で使われている教材に事件と同じ行動が描かれていることを話し、「この悪書は追放するべきです」と保護者に訴えた。
ドニーの前にはウサギ男か現れ、「大丈夫、捕まらない」と告げる。「なぜ僕にやらせた?」とドニーが訊くと、彼は「学校の危機だ」と答えた。「どこから来た?」という質問に、ウサギ男は「タイム・トラベルを?」と問い掛ける。しかしサマンサが来てドニーに「誰と話してるの?」と声を掛けると、ウサギ男の姿は無かった。キティーはジムを崇拝しており、また授業で彼の啓発ビデオを見せた。彼女は「感情線エクササイズには恐怖と愛という2つの極点がある」と解説し、具体例を読んで該当する箇所に印を付けるよう指示した。ドニーは「人間の感情は複雑で、2つになんか分けられない」と反論し、「O点にするわよ」と脅すキティーを罵った。キティーはコールに報告し、ドニーは両親を呼び出させて注意された。
1988年10月10日、あと20日。ドニーは物理教師のケネス・モニトフに、「タイム・トラベルのことを知ってます?」と質問する。ケネスがホーキング博士の提唱する説を教えると、彼は興味を示した。ケネスは「かつて尼僧だったが人格が変わり、信仰を捨てた女性の著書だ。彼女はウチの学校で科学の教師になった」と言い、『タイムトラベルの哲学』という本をドニーに差し出した。著書がロバータと知って、ドニーは驚いた。帰宅したドニーは、ロバータが本を書いていたことを家族に話す。両親は彼に、ロバータはボロ家に住んでいるが金持ちだと教える。ドニーはリリアンにもロバータのことを話し、「フランクが彼女の元へ導いたんだ」と言う。孤独について質問された彼は、「孤独は嫌だ」と述べた。ドニーは体から飛び出した時空の歪みに導かれ、クローゼットに入っている拳銃を手に取った。
1988年10月18日、あと12日。ドニーはグレッチェンにキスを迫るが、「最初のキスは感動できる時がいい」と断られた。ローズとエディーはリリアンに会い、ドニーについての相談する。アンは2人に、「彼の過激な言動は現実離れが進んでいる表れです」と話した。彼女はドニーが巨大なウサギのフランクについて語ったことを教え、幻覚を起こしているのだと述べた。ジムは学校に招かれて講演を行い、生徒から質問を受ける。ドニーは「今日のギャラは?著書を売るためにこんなことを?」と問い掛け、ジムをペテン師として糾弾した。すぐにコールたちがドニーを追い出すが、一部の生徒たちは喝采を送った。
ドニーはグレッチェンに、「僕は幻覚を見る。同じ内容がロバータの本に書かれていた。これは偶然じゃない」と語った。ドニーは時空を超える方法についてケネスに質問し、「運命が見えるなら、未来もタイム・トラベルの形で見えるはずだ」と主張する。ケネスが「君は矛盾してる。運命が映像として見えるなら、それに背く選択もあり得る。だが、その選択の存在自体が運命に背いている」と語ると、彼は「神の媒介なら別だ」と反発した。ドニーはジムの財布を拾い、彼の家を突き止めた。
グレッチェンと映画鑑賞に出掛けた彼は、隣に座るウサギ男に気付いた。ドニーの質問を受けたウサギ男が被り物を脱ぐと、フランクの右目は潰れていた。「いつ消える?」とドニーが尋ねると、彼は「知ってるはずだ」と口にする。フランクはスクリーンを見るよう促し、「入り口を見たことはあるか?焼き尽くせ」と指示した。ドニーはグレッチェンが眠っている間に映画館を抜け出し、ジムの家にガソリンを撒いて放火した。彼は映画館に戻り、何事も無かったように振る舞った。焼け跡から児童ポルノが発見され、ジムは逮捕された…。

脚本&監督はリチャード・ケリー、製作はショーン・マッキトリック&ナンシー・ジュヴォネン&アダム・フィールズ、製作総指揮はドリュー・バリモア&ハント・ローリー&ケイシー・ラ・スカラ&ウィリアム・タイラー&クリス・J・ボール&アーロン・ライダー、撮影はスティーヴン・ポスター、美術はアレクサンダー・ハモンド、編集はサム・バウアー&エリック・ストランド、衣装はエイプリル・フェリー、音楽はマイケル・アンドリュース、音楽監修はマニシュ・ラヴァル&トム・ウルフ。
出演はジェイク・ギレンホール、ジェナ・マローン、ドリュー・バリモア、ジェームズ・デュヴァル、ベス・グラント、マギー・ギレンホール、メアリー・マクドネル、ホームズ・オズボーン、キャサリン・ロス、パトリック・スウェイジ、ノア・ワイリー、アレックス・グリーンウォルド、ゲイリー・ランディー、セス・ローゲン、スチュアート・ストーン、デイヴィー・チェイス、ペイシェンス・クリーヴランド、デヴィッド・モアランド、ジョリーン・パーディー、リー・ウィーヴァー、デヴィッド・セント・ジェームズ、アーサー・タクシエ、フィリス・ライオンズ、ジャジー・マハンナ、クリスティーナ・マロータ、マリーナ・マロータ、カーリー・ネイプルズ、ティラー・ペック、アシュレー・ティスデイル、アリソン・ジョーンズ他。


サターン賞の特別賞、サンディエゴ映画批評家協会賞の最優秀脚本賞、スウェーデン・ファンタスティック映画祭の観客賞などを受賞した作品。
当時26歳だったリチャード・ケリーが、初めて長編の脚本&監督を務めている。
ドニーをジェイク・ギレンホール、グレッチェンをジェナ・マローン、カレンをドリュー・バリモア、フランクをジェームズ・デュヴァル、キティーをベス・グラント、エリザベスをマギー・ギレンホール、ローズをメアリー・マクドネル、エディーをホームズ・オズボーン、リリアンをキャサリン・ロス、ジムをパトリック・スウェイジ、ケネスをノア・ワイリーが演じている。

公開された当時、この映画は「話が複雑で分かりにくい」と評された。
しかし難解だという評判が「何度も見て掘り下げたくなる」「後で感想を言い合いたくなる」というプラスの方面に作用して、今ではカルト作品として一部の熱烈なファンがいる作品になっている。
ただ、そもそも表面的な部分が難解に思えるだけで、実際はシンプルな話だ。
ザックリ言うと、「主人公が愛する人々を救うために大きな犠牲を支払う」という話だ。

リチャード・ケリーは本作品を青春映画として作ったらしいが、それも納得できる考え方だ。
ドニーには「精神疾患を抱えている夢遊病の患者」という設定こそあるものの、それを除けば基本的な部分は確かに青春映画と言ってもいい。
若者が学校に通い、仲間と過ごし、好きな女の子が出来て付き合うようになる。そういうのって、青春そのものだからね。そこに家族との関係が絡んで来るのも、やはり青春映画では良くあることであって。
だからSF的な要素はあるけど、青春映画としての側面があるってのは紛れも無い事実だ。

ドニーが意味ありげな言葉を色々と口にするが、その全ては「何か深い意味がありそうだけどサッパリ分からない」という状態のままで終わっている。
ドニーに限らず他のキャラも、何か後に繋がるんじゃないかと思わせる台詞を語ることがあるが、それらも全て意味不明のままで終わっている。
多くのキャラが登場するが、その大半は何のために配置されているのか良く分からない。
そこの問題に関しても、「そういう存在意義があったのか」と納得させられることは無いままに映画は終わっている。

この映画を複雑で難解な印象にしている要因は、大きく分けて2つある。
その1つは、タイム・トラベルの要素だ。
劇中ではドニーが時空を超えているのだが、それが明確ではないため、ものすごく難解に感じられるのだ。
複雑で難解な印象にしている2つ目の要因は、説明が乏しいってことだ。
それによって多くの謎が生じており、だからこそ「何度も見て確かめたくなる」「その意味を知りたくなる」という結果に繋がっているわけだ。

謎めいた雰囲気、答えの見えない台詞やシーンで観客を引き付けるってのは、映画やドラマの世界では珍しくもない戦略だ。ミステリーであれば最終的に答えが出るが、最後まで謎を残したまま終わるような作品もある。
それを戦略として成功させるためのコツってのは幾つかあるが、その内の1つは「適度な塩梅」だ。
あまりにも謎が多すぎたり複雑すぎたりすると、それを解き明かしたいという意欲が湧かない。
それと、謎を除外した部分の物語に面白さが無いと観客を引き込めないので、そっち方面の塩梅も大切になる。

謎があって解き明かしたくなるタイプの映画は他にも色々とあるが、大抵の場合は「観客がそれぞれに解釈し、色んな答えが出る」という状態になる。
しかし本作品の場合は、ハッキリとした1つの答えが確定している。なぜなら、監督のリチャード・ケリーが丁寧に解説してくれているからだ。
どうやらリチャード・ケリーは、とても親切な人のようだ。
たぶんネットを検索すれば、色んなトコで答えが書かれているんじゃないかな。

「そんなにキッチリと理解してもらいたいのなら、最初から分かりやすく作ればいいだろ。あるいは、劇中で“解答編”を用意すればいいだろ」などと、辛辣な意見を持った人がいるかもしれない。
でも、「謎めいた映画は作りたいけど、でも分かってほしい」ってのは、いかにも人間臭い考え方でしょ。
そんな風に解釈すれば、リチャード・ケリーを愛すべき人、可愛い人として好意的に受け入れられるんじゃないかな。
ワシは無理してまで受け入れようとは思わないけどね。受け入れても何の得も無いからね。

で、完全ネタバレを書くと、「全ては未来人のせいで起きた出来事」ってのが真相だ。
時空を操る能力を持つ未来人は、飛行機のエンジンを過去の世界にに落下させてしまった。そのせいで宇宙に歪みが生じ、世界は消滅の危機を迎えることになった。
そこで未来人はドニーに時空を操る能力を与え、世界の消滅を阻止させようと考えた。そのために未来人は「グレッチェンがフランクに殺される」「母と妹が墜落する飛行機に乗る」という状況を用意し、それを防ぐためにドニーが行動するよう仕向けた。
そして、その行動が結果的に世界の消滅を阻止するという形を取ったのである。

さて、そんな風にザッと説明しても、たぶん「なるほど、そうだったのか」と納得できる人は稀だろう。
なぜなら、そんな解答編に繋がるような手掛かりは、映画の中に1つも用意されていないからだ。
答えが分かってから改めて映画を観賞しても、「あの時のアレは、そんな意味があったのか」と謎解きの醍醐味を感じられるような箇所は全く無い。何しろ、真相の鍵を握っている「未来人」という存在が、映画を見ても全く見えて来ないのだ。
真相を知った上で観賞しても、未来人に繋がるヒントは皆無なのだ。タイム・トラベルについての会話シーンは何度かあるが、そこから未来人の存在を感じ取れる観客なんて皆無だろう。

ものすごく辛辣な見方をするなら、「まるで面白いかのように見せ掛けている作品。ものすごく奥が深いかのように見せ掛けている作品」ってことになる。実はシンプルなストーリーなのに、難解に偽装することで、そのように見せ掛けているのだ。
しかも、その偽装は「全て狙い通りに運んだ」というわけではなく、上手く転がって好意的に捉えてもらえただけだ。何から何まで説明が必要ってことは、劇中の情報が著しく足りていないってことだからね。
それはもはや「謎めいた雰囲気で観客を引き付ける」という巧みな戦略ではなく、単に欠陥だらけの失敗作でしかないのよ。
で、そんな見方をされないためには、監督が詳しく解説せず「みんなで想像してね」と観客を泳がせておいた方が良かったんじゃないの。そっちの方が、カルト映画としてのブランド価値をキープできたような気がするぞ。

(観賞日:2021年7月25日)

 

*ポンコツ映画愛護協会