『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』:2018、アメリカ&スペイン&フランス&ベルギー&ポルトガル&イギリス

トビーはスペインを訪れ、ドン・キホーテを題材にしたコマーシャルを撮影していた。自身の企画でスペインまで来たトビーだが、思うような作品を撮れないので後悔していた。彼がスタッフとレストランにいると、ボスが妻のジャッキを連れてやってきた。ボスはニースでロシアのウォッカ王のアレクセイ・ミシュキンと会議があることを話し、妻を預けるとトビーに告げる。トビーが「失敗だ。全て中止に」と言うと、ボスは「何かヒントになるかも」と売り子のジプシーを呼んだ。ジプシーはボスに、『ドン・キホーテを殺した男』というDVDを勧めた。驚いたトビーが「どこでこれを?」と訊くと、ジプシーは答えずに去った。
トビーはジャッキの部屋へ行き、誘惑する彼女を放置して、DVDを再生した。それはトビーが卒業制作で撮った自主映画で、出演者は全て現地の村人だった。トビーはジャッキとセックスを始めようとするが、ボスが戻って来たので慌てて逃げ出した。彼は自分の部屋に入り、改めてDVDを再生した。トビーがドン・キホーテ役に抜擢したのは、靴職人のハヴィエルだった。さらにトビーはアンジェリカという少女を口説き、ヒロインに起用した。
翌日、トビーが撮影現場にいると、ボスが現れた。ボスはトビーがジャッキの部屋にいたことに気付かず、泥棒が入ったと思い込んでいた。ボスはトビーに、『ドン・キホーテを殺した男』のアイデアを練り直して今っぽくしてはどうかと提案した。トビーは適当に誤魔化し、バイクを借りて近くにあるロス・スエニョスという村へ向かった。そこはトビーが『ドン・キホーテを殺した男』を撮影した場所だった。彼はハヴィエルが撮影していない時から完全にドン・キホーテに成り切っていたこと、アンジェリカの父のラウルが娘を巻き込んだことに不快感を示していたことを思い出した。
トビーはラウルが経営するバーに入り、パンチョ役だったペドロについて訊く。するとパンチョは、酒が原因で死んでいた。アンジェリカについて問われたラウルは、「アンタのせいで夢を追い掛け、マドリードに。娘は堕落した」と語った。店を出たトビーは、「キホーテは生きている」という看板を見つけた。彼が老女に看板のことを尋ねると、「本物のドン・キホーテに会いたいか?」と金を要求された。トビーが金を渡すと、老女はハヴィエルの家へ案内した。
ハヴィエルはドン・キホーテとして暮らしており、トビーを見ると「サンチョ、ワシを救うために戻って来たのか」と興奮した。トビーが逃げ出そうとすると、老女が来てハヴィエルにスタンガンを押し付けた。トラブルで火事が発生し、トビーはバイクで村から逃走した。彼が撮影現場に戻ると、ボスの通報でジプシーがパトカーに乗せられていた。警官は火事の知らせを受けており、放火の容疑でトビーも連行されることになった。
ハヴィエルはパトカーの前に現れ、トビーを助けるために警官を襲撃した。ジプシーは運転していた警官の首を絞め、車を奪った。トビーは車から投げ出され、警官と揉み合いになった。もう1人の警官が銃を構えると、ハヴィエルが殴り付けた。誤射によって、トビーと格闘していた警官は腹を撃たれた。ハヴィエルはトビーに「偉大なる冒険に出掛けよう」と言い、用意した馬に乗せた。トビーは「映画に起用してドン・キホーテを演じさせた」と説明するが、ハヴィエルには分かってもらえなかった。
風車を見つけたハヴィエルは「巨人だ。乙女が危険だ」と言い、槍で突っ込んで弾き飛ばされた。彼は剣を持って風車を攻撃するが、怪我を負って倒れ込んだ。そこへ女性が通り掛かり、トビーとハヴィエルを仲間が暮らす集落へ案内した。電話が無いと知ったトビーが去ろうとすると、女性の夫は「外は悪党がいて危険だ。ここなら大丈夫」と留まるよう促す。彼はトビーとハヴィエルを、屋根裏部屋に連れて行った。落ちている新聞のアラブ文字を見たトビーは、彼らがテロリストで人質にされたと確信した。
トビーが逃亡を図ると、中世の騎士団の姿をした面々が馬で現れた。団長が持つ手配書には、トビーとジプシーの似顔絵が描かれていた。ジプシーがトビーの前に現れ、集落から連れ出そうとする。しかし騎士団に見つかって逃亡し、残されたトビーは集落の面々から拍手を送られた。集落で暮らしていたのは、モロッコから来た不法移民だった。トビーとハヴィエルが去った直後、不法移民の取り締まりで集落にパトカーが雪崩れ込んだ。大量の金貨を発見したトビーは、岩場に隠そうとして深い穴に転落した。
トビーは女性と遭遇し、声を掛けた。女性が「私が分からない?変ったわね」と言うと、まるで覚えていないトビーは適当に誤魔化そうとする。女性がナイフを突き付けて「私に成功すると約束したでしょ」と告げると、トビーはアンジェリカだと気付いた。「仕事は?」と彼が質問すると、アンジェリカは「モデル。大抵はエスコートサービス」と答えた。「君の人生を壊した」とトビーが口にすると、彼女は「自惚れないで。一生、洗濯女は嫌よ。今は大切な人もいて順調よ」と述べた。
ハヴィエルが来ると、アンジェリカは彼をドン・キホーテとして扱った。見張りの男が写真を撮っているのに気付くと、アンジェリカは彼と共に去った。ハヴィエルは「彼女には助けが必要だ」と言い、後を追った。ドン・キホーテに勝利したと主張する甲冑の騎士と遭遇した彼は、自分が本物だと告げて決闘を要求した。ハヴィエルは決闘に勝利して槍で突き刺そうとするが、トビーが制止した。ハヴィエルから降伏を要求された騎士の兜が外れると、その正体はラウルだった。
ラウルはハヴィエルを連れ戻すため、仲間と共に芝居をしていたのだ。しかしハヴィエルは「妖術使いの呪文だな」と言い、馬で逃走した。トビーは「お前のせいだ」と殴られて意識を失い、アンジェリカと親密な関係になった過去を思い出した。目を覚ました彼は、姫の愛を得るため自らに苦行を課しているハヴィエルを発見した。トビーが止めようとすると、彼は「ワシが理由も無く、錯乱する姿を見れば、愛のためにどれほど狂うか分かってもらえる」と語る。トビーが「イカれてる」と漏らすと、ハヴィエルは喜んだ。
大勢の男を引き連れて馬で移動する女性を目にしたハヴィエルは、姫君だと思い込んで興奮した。トビーはハヴィエルから、自分のことを姫に伝えるよう指示された。トビーが仕方なく一団の元へ行くと、その女性はジャッキだった。ジャッキは「警察のことならアレクセイが牛耳ってるから大丈夫」と言い、聖週間のパーティーに来るよう誘う。トビーが「自分をドン・キホーテだと思い込んでる連れがいる」と話すと、彼女は「パーティーにピッタリ」と連れて来るよう促した。アレクセイの城に着いたトビーはボスから声を掛けられ、アレクセイに紹介される。アンジェリカはアレクセイの情婦で、トビーの眼前で屈辱的な扱いを受けた…。

監督はテリー・ギリアム、脚本はテリー・ギリアム&トニー・グリソーニ、製作はマリエラ・ベスイエフスキー&ヘラルド・エレーロ&エイミー・ギリアム&グレゴワール・メリン&セバスチャン・ドゥロワ、共同製作はパンドーラ・ダ・クーニャ・テレス&パブロ・イラオラ、製作総指揮はジェレミー・トーマス&ピーター・ワトソン&アレッサンドラ・ロ・サヴィオ&ジョージア・ロ・サヴィオ&ハヴィエル・ロペス・ブランコ&フランソワ・トゥーワイデ、撮影はニコラ・サンチョ・ペコリーニ、美術はベンハミン・フェルナンデス、編集はレズリー・ウォーカー&テレサ・フォント、衣装はレナ・モッサム、音楽はロケ・バニョス。
出演はアダム・ドライバー、ジョナサン・プライス、ステラン・スカルスガルド、オルガ・キュリレンコ、ジョアナ・ヒベイロ、ジョルディ・モリャ、オスカル・ハエナーダ、ジェイソン・ワトキンス、セルジ・ロペス、ロッシ・デ・パルマ、ウィル・キーン、パロマ・ブロイド、ウィリアム・ミラー、マリオ・タルドン、カルロス・エステヴェ、インマ・ナヴァロ、ホセ・ルイス・フェラー、イスマエル・フリッツィー、ホルヘ・カルヴォ、ブルーノ・シアッパ、ヒッポリト・ボロ、ジミー・カストロ、フアン・ロペス・タグル、ブルーノ・セヴィラ、フアン・マシン他。


ミゲル・デ・セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』をモチーフにした作品。
監督は『Dr.パルナサスの鏡』『ゼロの未来』のテリー・ギリアム。
脚本はテリー・ギリアムと『ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド』『わたしは生きていける』のトニー・グリソーニによる共同。
トビーをアダム・ドライバー、ハヴィエルをジョナサン・プライス、ボスをステラン・スカルスガルド、ジャッキをオルガ・キュリレンコ、アンジェリカをジョアナ・ヒベイロ、ミシュキンをジョルディ・モリャ、ジプシーをオスカル・ハエナーダ、ルパートをジェイソン・ワトキンスが演じている。

テリー・ギリアムが『ドン・キホーテ』を映画化するまでに、どれだけの時間と金が費やされたのかは、映画ファンなら良く御存知だろう。
最初の企画は1998年で、ジャン・ロシュフォールやジョニー・デップを起用して2000年に撮影が始まった。しかし度重なるトラブルのため、制作は中止された。
この顛末については、ドキュメンタリー映画『ロスト・イン・ラ・マンチャ』で描かれている。
その後もテリー・ギリアムは何度にも渡って『ドン・キホーテ』の映画化を目指したが、ことごとく失敗に終わった。
ドン・キホーテを撮ろうとした監督が、自らドン・キホーテになってしまったのだ。

この映画が無事に完成したことで、ようやくテリー・ギリアムは念願を達成したことになる。
ただ、実は予定通りに公開できたわけではなく、訴訟問題で配給会社が変更になるというトラブルが起きている。
そんな映画をテリー・ギリアムは、ここまでの自身を投影したかのような作品に仕上げている。
主人公は映画ではなくコマーシャルの監督だが、「ドン・キホーテの作品を撮ろうとするが、なかなか思い通りに行かない」ってのはテリー・ギリアムと同じだ。そしてトビーはドン・キホーテと関わることで悪夢のような時間が長々と続き、肉体的にも精神的にも疲弊する。

だけど「悪夢のような出来事が長く続いて主人公が疲労困憊になる」ってのを見せられると、こっちも疲れてしまう。決して気持ちの良い体験とは言えない。
主人公がイカれた男に振り回されても、明るく楽しい弾けたコメディーであれば、受ける印象は全く違っていただろう。だけど、これはコメディーになってないからね。
いやジャンル的にはコメディーに属するのかもしれないけど、だとしても素直に笑える類ではないからね。そもそもトビーは決して好感の持てる男ではないので、そこもマイナスになっている。
あと、何しろ人は死んでるし、辛気臭くて重いし。

たぶん「ドン・キホーテに成り切っているハヴィエルのマイペースな言動」を笑えれば、それで一番だろう。
だけど、ただボケ老人の面倒な世迷言に付き合わされているだけになっているのでねえ。
だからと言って、トビーが本気でハヴィエルを心配したり、彼が屈辱的な扱いを受けることに憤慨したりする様子をマジに描かれても、そこで心を揺さぶられることも無いし。
ドラマに入り込むには、それを遮る余計な仕掛けやツギハギが多すぎるのよね。

前述のように、最初に企画を立ち上げてから映画が完成するまでに、長い年月が掛かっている。だからと言って、その時間の長さが面白さと比例するわけではない。
何十年も経過しているので、その間に何度もシナリオを練り直すことも出来ただろう。ただ、推敲する回数が、映画の面白さと比例するわけでもない。
これだけ時間が掛かっても諦めずに完成にまで漕ぎ付けたのだから、テリー・ギリアムの情熱は冷めなかったということになる。
ただ、情熱があるからと言って、作品の質が良くなるとは限らない。

むしろ年月の経過によってテリー・ギリアムの情熱だけが燃え残り、周囲は冷めてしまったのではないか。
ずっと作品を待ち望んでいたファンですら、気持ちは落ち着いてしまったのではないか。
そして完成に至る事情を知らない新参者からしてみれば、『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』とか言われても、って話だろう。そこで興味をそそられる人は、そんなに多くないんじゃないか。
監督の名前を邦題の冠に付ける映画って、ダメなケースが少なくないし。

不法移民のエピソードが描かれる辺りを見ても、テリー・ギリアムのことだから、映画全体に様々な風刺が込められているのかもしれない。
だけど、「そういうの、要らないなあ」と感じてしまうんだよね。
「最終的にトビーがドン・キホーテになる」と趣向も、「なんそれ」としか思わないし。
『ロスト・イン・ラ・マンチャ』の題材になった「ドン・キホーテの映画を作ろうとして苦労の連続に見舞われる」というテリー・ギリアムの実体験を、脚色を施しつつも劇映画にした方が面白くなったんじゃないかと思ってしまうわ。

(観賞日:2023年9月6日)

 

*ポンコツ映画愛護協会