『ドクター・ドリトル』:1998、アメリカ

ジョン・ドリトルは医師。勤務する病院では、ジョンの同僚マーク・ウェラーが中心となって大病院と合併する話が進んでいる。ジョンには妻リサとの間に、マヤとシャリースの2人の娘がいる。マヤは動物好きだが、家に閉じこもってばかりで友達はいない。
ある日、ジョンは車で家へ帰る途中、犬をひきそうになってしまう。慌てて車を止めたジョンは、むっくり起き上がった犬が言葉を喋るのを聞く。さらに翌日、ジョンは様々な動物の言葉を耳にする。彼は動物の言葉が理解できるようになったのだ。
それはジョンが幼い頃に持っていた能力だった。彼は幼い頃は動物と会話をしていたのだが、父親アーチャーは息子が異常だと考えたのだ。それがきっかけでジョンは動物が嫌いになり、動物と放す能力も失われていたのだ。その能力が復活したのだ。
ジョンは自分の変化を素直に受け入れようとしなかったが、彼の噂を聞き付けた多くの動物が彼の元を訪れ、治療を求める。仕方なく、ジョンは動物の診察をすることにした。だが、ジョンが動物と話しているのを見た周囲の者は頭がおかしくなったと考え、彼を精神病院に入れてしまう…。

監督はベティー・トーマス、原作はヒュー・ロフティング、脚本はナット・モールディン&ラリー・レヴィン、製作はジョン・デイヴィス&ジョセフ・M・シンガー&デヴィッド・T・フレンドリー、製作総指揮はスー・バーデン=パウエル&ジェンノ・トッピング、撮影はラッセル・ボイド、編集はピーター・テッシュナー、美術はウィリアム・エリオット、衣装はシャレン・デイヴィス、視覚効果監修はジョン・ファーハット、音楽はリチャード・ギブス、音楽監修はピラー・マッカリー。
主演はエディー・マーフィー、共演はオジー・デイヴィス、オリヴァー・プラット、ピーター・ボイル、リチャード・シフ、クリステン・ウィルソン、ジェフリー・タンボー、カイラ・プラット、レイヴェン=シモーネ、スティーヴン・ギルボーン、エリック・トッド・デラムス、ジューン・クリストファー、チャーリー・フランクリン、マーク・アデア=リオス、ドン・カルファ他。
声の出演はノーム・マクドナルド、アルバート・ブルックス、クリス・ロック、レニ・サントーニ、ジョン・レグイザモ、ジュリー・カヴナー、ゲリー・シャンドリング、エレン・デジェネラス、ブライアン・ドイル=マーレイ、フィル・プロクター、ジェナ・エルフマン、ギルバート・ゴットフリード、フィリス・カーツ他。


すっかり毒もアクも失ってしまったエディー・マーフィーが、今回は動物を手下に従えて、子供向けの甘ったるいコメディー映画に主演した。
ヒュー・ロフティングが書いた原作小説の、「動物と会話ができる」という要素だけを拝借したオリジナル・ストーリー。原作の持つ良さは、完全に失われている。

マーク・フォーブスを主任とする多くの動物トレーナーの尽力によって、動物の名演技が引き出されている。そこにジム・ヘンソンズ・クリーチャー・ショップの技術、ジョン・ファーハットのSFXが加わり、動物の動きは素晴らしいものになっている。

だが、その動物キャラクターに深みが無い。
犬のラッキーやモルモットのロドニーあたりは主要キャラとしてのポジションを与えられているのだが、その個性を充分に発揮しているとは言い難い。
動物の話している内容にも、面白味が足りない。

ジョンが自分の元を訪れる動物を家族から隠そうとする様子や、動物の言葉が理解出来ることに戸惑う様子によって笑いを生み出そうとしているのだろう。
が、完全にポイントを外している。
動物達の下品な会話も、笑いのポイントなのだろう。
が、笑えるほどの練り込みは感じない。

ストーリーに強い一貫性が見えず、しっかりした組み立てが感じられない。
クライマックスに向けた大きな展開も存在しない。
一応は、虎を治療するエピソードが見せ場なのだろう。
だが、もっと強い流れを作っておかないと、そのエピソードが光らない。

通り掛かった犬を車でひきそうになったことで、ジョンは長きに渡って失っていた「動物と会話する」という幼少時代の能力を取り戻すことになる。
そのきっかけとなる出来事には、もっと印象的なものにする工夫が欲しかった。
その場面に意味を持たせることで、物語に深みが生まれたはず。

「動物との会話能力を持ったことがきっかけで、ジョンは大切なことに気付く」という筋書きがあるみたいだが、ジョンの心情の変化があまり強く感じられない。
というのも、登場した時からジョンは野望も無く、金への執着も見せず、家族も大事にする男だからだ。能力を持つ以前から、特に問題の無い男に見えるのだ。

ジョンの父親のポジショニングが曖昧だ。
父親はジョンが幼い頃に動物との会話をやめさせようとする。しかし、大人になったジョンが動物と会話しているのを知った時には、擁護する発言をする。
そこは、いずれか一方の考え方に統一した方が良かった。

周囲の人間のジョンを見る目が、ちょっと大げさではないだろうか。
確かにジョンに行き過ぎの部分はある。
しかし、「動物と話しているから精神異常」という考え方は、どうにも解せない。
大体、動物と話している人間なんて、世の中に山ほどいるぞ。

娘のマヤが、幼少時のジョンと同じぐらい動物好きという設定がある。
それを、もっと生かす方向で考えてほしかった。
例えば、ラストでマヤが動物との会話能力を身に付けるといった展開を用意しておけば、それを軸にして続編を作るということも出来ると思うのだが。

ジョンは動物との会話を嫌がるのだが、それは失敗ではなだろうか。むしろ、動物と会話できる能力を持ったことを楽しむ姿を描いた方が良かったのではないだろうか。
ちなみに、エディー・マーフィーは実際には動物が嫌いだったという話を耳にした。
ホントにそうなら、この作品のオファーを受けたらイカンよな。

 

*ポンコツ映画愛護協会