『ディスクロージャー』:1994、アメリカ

ハイテク企業に勤務するトム・サンダースは、製造部長として新製品アーカマックスの開発に携わっている。会社では合併の話が進んでおり、そのためにはアーカマックスが絶対に必要だったが、製品には不具合が生じていた。
アーカマックスの製造を成功させることで、トムが副社長に昇進するという噂があった。トムも昇進は目前だろうと考えていた。しかし、ボブ・ガーヴィン社長は新任の副社長として、トムの元恋人メレディス・ジョンソンを連れてくる。
メレディスから副社長室に呼び出されたトムは、彼女から肉体関係を迫られる。妻も子供もいるトムは彼女を振りほどき、副社長室を後にした。しかし翌日、トムは会社から左遷を命じられる。メレディスがトムにセクハラされたと申し出たからだ。
トムは無実を証明するため、セクハラ訴訟を得意とする女性弁護士キャサリン・アルヴァレスに連絡を取る。トムは告訴の準備があると会社に脅しを掛け、スキャンダルを恐れた会社側は内部調停で決着させようとする。
トムはガーヴィン社長からの圧力を受け、メレディスは嘘を並べてセクハラを語る。しかし、当日のトムとメレディスの会話が留守番電話に録音されていたことから、事実は証明された。名誉を回復したトムだったが、さらなる陰謀が彼に襲い掛かる…。

監督はバリー・レヴィンソン、原作はマイケル・クライトン、脚本はポール・アタナシオ、製作はバリー・レヴィンソン&マイケル・クライトン、共同製作はアンドリュー・ウォルド、製作総指揮はピーター・ジュリアーノ、撮影はアンソニー・ピアース=ロバーツ、編集はスチュ・リンダー、美術はニール・スピサック、衣装はグロリア・グレシャム、音楽はエンニオ・モリコーネ。
主演はマイケル・ダグラス、共演はデミ・ムーア、ドナルド・サザーランド、キャロライン・グッドール、ディラン・ベイカー、ローマ・マフィア、デニス・ミラー、アラン・リッチ、ニコラス・サドラー、ローズマリー・フォーサイス、スージー・プラックトン、ジャクリーン・キム、ジョー・ウーラ、マイケル・チェフォー、ジョセフ・アタナシオ他。


例え淫乱女だとしても、デミ・ムーアに誘われたら普通の男は拒否しないだろう。少なくとも1994年当時のデミ・ムーアであれば、大抵の男はOKするだろう。
しかも劇中で誘いを拒否したのが、セックス中毒の男がマイケル・ダグラスだ。
この配役は、「映画はフィクションである」という事実を強く認識させてくれる。

マイケル・ダグラス演じるトムは、陥れられる人物だ。
だが、なぜだか全く共感することができない。
彼をそういう人物として見せるのは、「セクハラで訴えても、周囲からは共感されない」という現実社会の問題に警鐘を鳴らす意味があるのだろう。

デミ・ムーアが演じるのは、「私を抱きなさい」と命令するような女である。
にも関わらず、この映画で彼女はヌードにならない。
「デミの裸をセールスポイントにする」という分かりやすい作戦を拒否するのは、きっと映画の内容に対する自信があるからなのだろう。

ガーヴィン社長一派は、メレディスと共謀してトムをクビにしようとする。
しかし、その理由は見えてこない。
セクハラ騒ぎが起きるまで、トムは会社に反抗的だったわけではない。
彼は優秀なスタッフだし、彼を失うことは会社にとって大きな損失のはずだ。
ということは、映画の中では明確な理由は示されていないが、ひょっとすると社長は、生理的にトムが嫌いだったのかもしれない。
おそらく、この映画は「会社というのは、そういう理不尽な組織である」ということを表現したかったのだろう。だから、そこに明確な理由は用意されていないのだ。

では、メレディスがトムを陥れようとする理由は何だろうか?
これも、映画の中からは見えてこない。
セクハラ騒ぎの起きる前から陰謀は進められているわけだから、「セックスを拒否されたから」というのは理由にはなっていない。
ということは、映画の中では明確な理由は示されていないが、ひょっとするとメレディスは、よっぽどトムにフラれたことを根に持っていたのかもしれない。
おそらく、この映画は「女というのは、そういう執念深い生き物である」ということを表現したかったのだろう。だから、そこに明確な理由は用意されていないのだ。

結局、トムは自分を陥れようとした社長のいる会社に残る。
悪党のはずの社長だが、全く罰を受けずに居残ってしまう。
どうもスッキリしない終わり方だが、それは「会社では、それも仕方が無いのだ」という現実社会の問題を示唆しているのだろう。

 

*ポンコツ映画愛護協会