『ダンシング・ハバナ』:2004、アメリカ

1958年11月、高校3年生のケイティー・ミラーは遊びに目もくれず、ラドクリフ大学へ進学することだけを考えていた。しかし彼女は母のジェニー、父のバート、妹のスージーと共に、キューバへ移住することになった。バートがフォード社で昇進し、海外勤務になったからだ。ケイティーは移住に乗り気ではなかったが、家族3人は喜んでいた。一家は会社が用意した豪華なホテルに到着し、そこで暮らし始める。スージーはすぐに現地の生活に馴染み、社長の息子のジェームズ・フェルプスたちと親しくなった。
ジェームズたちがプールサイドで寛いでいると、ケイティーが読書のためにやって来た。ジェームズは彼女に声を掛け、仲間のイヴたちを紹介した。そこへ給仕のハヴィエル・スアレスが飲み物を運んで来るが、ケイティーが誤ってぶつかってしまった。ハヴィエルがグラスを落として割ると、イヴが早く取り替えるよう命じて「田舎者」と罵った。ケイティーはハヴィエルが上司のアロンソに「弁償だな」と叱責されている所へ行き、「私のせいです。弁償します」と申し出た。ハヴィエルは「施しは結構だ」と言い、その場を去った。
バートは自分とジェニーが社交ダンスを踊る若い頃の映像を流し、ケイティーと部屋で観賞する。彼はケイティーを誘い、一緒に踊った。ケイティーはアメリカ人が通う学校でも優秀で、教師の質問に対して真面目に返答した。ジェームズは土曜の夜にカントリー・クラブへ行かないかと誘い、一度は断ったケイティーからOKを貰った。車に乗り遅れた彼女は徒歩でホテルへ戻る途中、広場でハヴィエルが仲間が楽しそうに踊る様子を目撃した。
ハヴィエルはケイティーに声を掛けて事情を知り、送って行くと申し出た。ケイティーは彼に、「あんなダンスは初めてよ」と興奮した様子で告げた。2人が街角で演奏しながら歌うグループを見物していると、パトカーが現れた。ハヴィエルは「もう行こう。歌はマズい」と言い、ケイティーを連れて立ち去ろうとする。しかし警官隊が人々を包囲して次々に拘束し、ハヴィエルもケイティーの鞄を預かったままま捕まった。ケイティーはハヴィエルに促されて逃走し、ホテルへ戻った。
ケイティーがダンス・ルームの鏡に向かって踊りを練習していると、解放されたハヴィエルがやって来た。彼は「君の退屈な本のおかげで助かった。政府派と思われた」と話し、「ただの歌なのに、なぜ捕まるの?」と訊かれて「この国には、ただの歌なんて無い」と答えた。ハヴィエルはケイティーが鏡を見ながらステップを覚えていると知り、「自分の体で音を感じないと」と助言した。「土曜の夜にローザ・ネグラに行こう」と誘われたケイティーは、ジェームズの先約を思い出して断った。
ケイティーは自分の服がカントリー・クラブへ行くには堅すぎると考え、メイドのヨランダに相談する。ヨランダは自分の真っ赤なドレスを着るよう勧め、ケイティーは困惑しながらも借りる。彼女は父に送ってもらい、カントリー・クラブへ赴いた。イヴはケイティーの格好を見て嫌味を飛ばし、ジェームズが彼女をエスコートすると不快感を露わにした。ジェームズがケイティーと踊っていると、「ポリーの家でパーティーするの。両親は留守よ」とイヴが誘った。
イヴから馬鹿にされたケイティーは、「私たち、ローザ・ネグラに行くの」と告げた。ジェームズも話を合わせ、2人は地元民が集まるクラブ「ラ・ローザ・ネグラ」へ出掛けた。店で踊るキューバの人々を見たケイティーは、「体で音を感じてる」と感動する。ハヴィエルはケイティーを見つけて声を掛け、ジェームズに挨拶する。彼はジェームズの了解を得て、ケイティーをダンスに誘った。ジェームズがカウンターにいると、ハヴィエルの兄のカルロスが来て「弟に女を取られるぞ。彼女を連れて出て行け」と高圧的に告げた。ジェームズが「外国人はお断りか」と言うと、カルロスと仲間のアルトゥーロ&ミゲルは「その通りだ」と馬鹿にする態度を取った。
次の曲が始まるとフロアの面々は動きを止め、ラウルとエスメラルダだけが踊り出した。ハヴィエルは2人のダンスを眺め、ケイティーに「ここのキングとクイーンだ。誰も敵わない」と言う。ハヴィエルがケイティーにカルロスを紹介すると、ジェームズはトラブルを隠した。ジェームズはケイティーを連れて店を出ると、車に乗せてキスを迫る。ケイティーは彼に平手打ちを浴びせ、車を飛び出して店に戻った。ハヴィエルが気付いて「僕が送るよ」と言い、2人は歩いてホテルに向かう。ハヴィエルは「従業員と客が関わるのは規則違反だ。仕事を失いたくない」と言い、ホテルの前で別れた。2人の親しげな様子を、スージーが窓から密かに見ていた。
次の日、ケイティーがダンス・ルームへ行くと、ダンス講師とパートナーの踊りを生徒たちが見学していた。講師は「アマチュア・ダンス大会に出る人は?」と問い掛け、ケイティーに気付いて出場するよう勧めた。ジェームズはケイティーに謝罪し、「酔っ払ってた。二度としない」と約束した。ケイティーがハヴィエルを捜していると、彼は「クビになった。スージーが君と彼を見た」と教えた。ケイティーはスージーを批判し、ハヴィエルの家を訪ねた。するとハヴィエルは不在で、カルロスが「弟がクビだけじゃ不満か」とケイティーに突っ掛かった。「お金なら稼げるわ」とケイティーが言うと、カルロスは弟が盗難車の偽装をしている自動車工場へ案内した。
ケイティーが自分とダンス大会に出場するよう持ち掛けると、ハヴィエルは「勝てないよ」と告げる。ケイティーは「優勝は5千ドルよ。アメリカにも行ける」と言うが、彼は「時間が無い」と断った。しかし考え直した彼は、翌日になってケイティーの通う学校へ出向いた。ハヴィエルが「社交ダンスは踊れない」と言うと、ケイティーは「ラテンの社交ダンスよ。協力すれば出来るわ」と述べた。2人は規定の演技に合わせた踊りの稽古を開始し、ケイティーはジェームズに協力を承諾してもらった。
ケイティーは2週間に渡って練習を重ねるが、なかなかうまく行かずに焦りを覚える。「彼は私が恐れてるって」と相談されたダンス講師は、「相手に身を任せるのは不安だが、考えずに踊れ」と助言して練習のパートナーを務めた。ハヴィエルはケイティーに「その通りよ。私は恐れてる」と言われると、「キューバのダンスは、元々は奴隷の踊りだ。踊る時だけ自由になれた。なりたい自分になれるダンスだ」と教えた。彼はケイティーに、父親が政府のスパイに密告されて連行されたこと、自由な発想が嫌われて処刑されたこと、カルロスが次は自分だと恐れるようになったことを語った。
ハヴィエルが「革命の時代に、僕は盗難車の偽装と子守だ」と自嘲すると、ケイティーは「家族を養うのは大事なことよ」と擁護した。ハヴィエルは彼女に、「優勝したら家族でアメリカに行ける」と述べた。ケイティーはスージーから「私が間違ってた」と謝罪され、和解してハヴィエルを紹介した。大会当日のクリスマス・イヴ。ハヴィエルは会場となるパレスへ行くため、兄のスーツを借りる。彼は「優勝して5千ドルを稼ぐ」と告げ、「アメリカ人を喜ばせてか」というカルロスの嫌味に「キューバ人もだ」と反論した。
ケイティーはバートから、「今夜は家族でパレスに行く。ジェームズも来るが、パパとも踊れよ」と言われる。驚いたケイティーが理由を尋ねると、元ダンサーだと知った社長に招待されのだとバートは説明した。パレスに着いたケイティーは化粧室に行くと嘘をつき、大会の参加者が集まる楽屋へ走った。ケイティーとハヴィエルはフロアに出て楽しく踊り、翌週の決勝に進む3組に選ばれる。ジェニーは2人の交際に強く反対するが、バートに説得されて決勝への参加を応援することにした…。

監督はガイ・ファーランド、原案はケイト・ガンジンジャー&ピーター・セーガル、脚本はボアズ・イェーキン&ヴィクトリア・アーチ、製作はローレンス・ベンダー&サラ・グリーン、製作総指揮はアミール・マリン&レイチェル・コーエン&ボブ・オッシャー&メリル・ポスター&ジェニファー・バーマン、共同製作はジョアン・ジャンセン&ジュリー・カークハム&トリッシュ・ホフマン、撮影はアンソニー・B・リッチモンド、美術はヒューゴ・ルジック=ウィオウスキー、編集はスコット・リヒター&ルイス・コリーナ、衣装はイシス・ムセンデン、振付はジョアン・ジャンセン、音楽はハイター・ペレイラ、音楽製作総指揮はバッド・カー。
出演はディエゴ・ルナ、ロモーラ・ガライ、セーラ・ウォード、ジョン・スラッテリー、ジョナサン・ジャクソン、ジャニュアリー・ジョーンズ、ミカ・ブーレム、レネ・ラヴァン、マイア・ハリソン、パトリック・スウェイジ、メアリー・ポートサー、ローレンス・ダフィー、アンジェリカ・アラゴン、セザール・デトレス、イエセニア・ベナヴィデス、マリソル・パディラ・サンチェス、ルイス・ゴンサガ、リカルド・アルヴァレス、ウィルマー・コルデロ、ポリー・クスマノ、クリス・エンジェン、ヘザー・ヘドリー、ショーン・ケイン、デヴィッド・リッテンハウス、ギリェルモ・デ・クン、ジョアン・ジャンセン、ジェリー・D・メディーナ、デビー・カステネーダ他。


『配達人』『アフター・ザ・ストーム』のガイ・ファーランドが監督を務めた作品。
脚本は『フレッシュ』『しあわせ色のルビー』のボアズ・イェーキンと、これが初長編のヴィクトリア・アーチによる共同。
ハヴィエルをディエゴ・ルナ、ケイティーをロモーラ・ガライ、ジェニーをセーラ・ウォード、バートをジョン・スラッテリー、ジェームズをジョナサン・ジャクソン、イヴをジャニュアリー・ジョーンズ、スージーをミカ・ブーレム、カルロスをレネ・ラヴァン、ローラをマイア・ハリソンが演じている。

原題は『Dirty Dancing: Havana Nights』なのだが、1987年に公開された『ダーティ・ダンシング』の続編ではない。そしてリメイクでもない。
しかし全く無関係の作品というわけでもなくて、『ダーティ・ダンシング』に主演していたパトリック・スウェイジがダンス講師役で出演している。
しかも、それは『ダーティ・ダンシング』で彼が演じていたジョニー・キャッスルという設定らしいんだよね。
それなら素直に『ダーティ・ダンシング』の続編を作れば良かったものを、なぜ「リメイクのようでリメイクではないベンベン、続編のようで続編ではないベンベン」というフワッとした表現しか出来ない映画にしたのか。

『ダーティ・ダンシング』は1963年のアメリカが舞台だが、この映画は1958年のキューバが舞台となっている。
共同製作と振付師を務めたジョアン・ジャンセンが1958年に家族で暮らしており、その頃の出来事をモチーフにしているらしい。だから映画の冒頭には、わざわざ「BASED ON TRUE EVENTS」と出る。
でも、有名な出来事を下敷きにしているならともかく、プロデューサーの個人的な思い出がモチーフになっているだけであって。
しかも、事実であることに重要性があるような物語でもないし、わざわざ「これは事実が基になっています」ってのを強調する意味は無いぞ。

1958年ってことは、『ダーティ・ダンシング』も前の時代だ。だからパトリック・スウェイジは年を取ったのに、ジョニーというキャラは『ダーティ・ダンシング』も若いってことになる。
そこの整合性が取れないせいで、おかしなことになっているんだよね。
例えば「年を取ったジョニーが若いダンサーたちを育てる」みたいな話でもすれば良かったんじゃないの。
パトリック・スウェイジが出演をOKしてくれたんがら、続編を作れる環境は整っていたはずなんだし。

キューバが舞台ではあるが、現地で撮影することは出来ず、ロケーションは全てプエルトリコで行っている。だからキューバに詳しい人が見たら、「ちっともキューバじゃない」と気付くかもしれない。
しかし、それより遥かに大きな問題がある。
1958年のキューバが舞台になっているんだから、当時の曲を使って時代性を出すってのがベタな手法だと思うのだ。ところが、その頃の曲も幾つかは使っているが、新しい曲の方が多いのだ。
なんでだよ。
当時のキューバで流行していた曲でハヴィエルとケイティーを踊らせないと、1958年の設定にしている意味が無いんじゃないのか。

ケイティーはキューバで現地人たちの踊りを見て、「体で音を感じている」と興奮して魅了される。
そこに充分な説得力があるのか、彼女と同じように観客を魅了するだけの力がハヴィエルたちの踊るシーンに備わっているのかと問われたら、答えはノーだ。
だが、その問題はひとまず置いておくとして、段取りだけを見れば「ケイティーがハヴィエルを通じて本場のサルサ・ダンスを学び、次第に上達していく」という流れを予想した。
ところが実際は、まるで立場が逆だったのだ。

ケイティーはアマチュアのダンス大会に出場することを決めて、ハヴィエルに「社交ダンスとしてのラテン・ダンス」を教える。規定演技に沿って踊らなきゃいけないので、ハヴィエルは普段のような踊りを封じられることになる。
いやいや、それは話の作り方として、明らかに間違ってるだろ。
それだとキューバを舞台にしている意味が無いでしょうに。
そしてケイティーが地元住民の踊りに魅了された導入部と、上手く話が繋がってないでしょうに。

そもそもケイティーは練習するシーンこそあったけど、社交ダンスの世界での実績が語られているわけではない。
その世界で上位ランクにいるかどうかも分からない奴が、なんで指導者の側に立ってるんだよ。
あと、彼女がダンス大会への出場を決めたのは、講師に勧められたことがきっかけだ。ハヴィエルとは何の関係も無い。
その後で彼女がハヴィエルを誘うので、ようするに「自分が出たいからハヴィエルを誘った」という形になってんのよね。
それも話の流れとしてはマズいでしょ。

ただ、それならハヴィエルの方に「いつもの踊りが出来ないから苛立つ」とか「規定演技に慣れようとして苦労する」というドラマが用意されているのかと思いきや、こっちは自分勝手にやっているんだよね。そしてケイティーが彼に「恐れている」と指摘されており、なぜか「2人の踊りが上手く行かないのはケイティーに問題がある」ということになってしまうのだ。
だったら、なおさら「ケイティーが指導役を務める」という設定は違うでしょ。
そもそも彼女が出る大会って、基本的には地元住民のためのコンテストであって。なので、そこで「規定演技がどうたらこうたら」という面倒な縛りがあるのは変じゃないかと。
それに、どうせ大会のシーンに入ったら、どういう規定があるのかなんてサッパリ分からない描写になっているし。

ケイティーが恐れていることを認めると、ハヴィエルがキューバ・ダンスの神髄について教え始める。今度は彼が指導者の側に回るわけだ。
そうやって途中で攻守交代することが、物語の面白さには全く繋がっていない。
途中で立場が逆転するってのは、ドラマの作り方として間違っているわけではない。だから「最初は受け身だった人物が成長し、あるシーンで相手を助ける」というような変化があったりすれば、そこが盛り上がる箇所になることもある。
でも、この映画では、2人の変化をドラマの中に上手く落とし込めていない。

ケイティーがダンス大会について「優勝すればアメリカにも行ける」と言った時、ちょっと引っ掛かるモノがあった。それまでハヴィエルがアメリカに行きたいと口にしたことなんて、一度も無かったからだ。
なので、「誰でもアメリカに行きたがってると思うなよ」という風に思ったのだが、後にハヴィエルが「優勝したら家族でアメリカに行ける」と語るんだよね。
そりゃあ、キューバの政治情勢は不安で市民は怯えていたかもしれないけど、「アメリカに行けばキューバ人も幸せになれる」ってのを確定事項として描くのは、いかがなものかと。当時の政治情勢に全く触れないのも変だけど、そこは恋愛劇の背景という程度に留めておいても良かったんじゃないかと。
なんか中途半端に掘り下げようとして、邪魔になってんだよなあ。

ケイティーとハヴィエルはダンス大会で決勝に残るが、最初からライバルとなるペアは設定されていない。なのでベタに優勝して終わるかと思ったら、潜入していたカルロスと仲間たちが銃を持ち出して暴れたせいで大会は中止になる。
で、そんな厄介な行動でハヴィエルの邪魔をしておいて、カルロスは「お前は最高のダンサーだ」と褒める。そして兄弟は、あっさりと仲直りする。
直後、バティスタ大統領の国外逃亡が発表され(つまりキューバ革命でカストロたちが勝利したってことね)、ケイティーは一家でアメリカへ帰国することになる。政権が交代したのでハヴィエルはキューバに留まることを選び、2人は別れる。
それは別にいいんだけど、大会は大会で普通に完結させておいても良かったんじゃないの。

(観賞日:2020年9月23日)


第27回スティンカーズ最悪映画賞(2004年)

ノミネート:【最悪の続編】部門

 

*ポンコツ映画愛護協会