『デルゴ』:2008、アメリカ

ジャモーラの地には、穏やかなロックニ族が暮らしていた。一方、遥か雲の向こうには、羽を持つノーリン族が不毛な大地と資源の枯渇に喘いでいた。民を案じたノーリンのザーン王は、新天地を求めて使いを発した。使いはジャモーラの地に辿り着き、ロックニ族の土地を貰い受けた。ザーンは民が安全に移住を終えるまで、国に残ることを誓った。新天地を統治するため、彼は野心家である妹のセデッサをジャモーラに派遣した。彼女の当地の下、ジャモーラはノーリン族に侵略されていった。
セデッサの部隊が村を焼き打ちにして住民に次々に惨殺したため、ロックニ族の我慢は限界に達した。ロックニ族は憎しみの炎を燃やし、ノーリン族との間で戦争が勃発した。ザーンに厳しく批判されたセデッサは、兄を暗殺しようと企む。しかし失敗に終わり、彼女は羽を切り落とされて無期限の流刑処分を受けた。それから15年後。セデッサは悪党と手を組み、ジャモーラを襲うための軍隊を作り上げていた。いよいよジャモーラを攻めると決めた彼女は、邪魔になった将校たちを始末した。
ロックニ族のデルゴは友人のファイロとレースに興じている途中、誤って木の枝に引っ掛かってしまった。そこへノーリン族のカイラが現れ、「手を貸すわ」と言う。相手がノーリン族なので断ったデルゴだが、枝が折れて墜落する。カイラは彼を救助し、地上に降り立った。そこへノーリン族のボガルダス将軍とライウス大佐が駆け付け、いきなりデルゴとファイロを取り押さえた。カイラがボガルダスたちを叱責すると、ライウスは「ここは境界条約の違反になります」と指摘した。
ノーリン族の面々が来ると、カイラたちは飛び去った。カイラは父であるザーン王から、境界を破ったことを注意された。「まだ憎しみを抱くロックニ族が大勢いる。事の重大さが全く分かっておらん」と叱責され、カイラは激しく反発した。デルゴは念動力で石を操る修行をマーリー老師から要求されていたが、「もっと役に立つことを学びたい」と不満を漏らした。するとマーリーは、「過去を変えることは出来んが、過去から何を学ぶかは自由だ。石にも自由を与えないと」と説いた。
ノーリンの兵士が子供を襲ったという噂が広まり、憤慨したロックニ族の有志たちはノーリンの土地を荒らした。ライウスはザーンに武力行使を訴えるが、ボガルダスは平和的な解決を提言する。ザーンは国民を守る名目で、国境に警備隊を配備するよう命じた。デルゴは大きなサークが背後からカイラを狙っているのに気付き、ブーメランを投げて追い払った。カイラは母のブローチを落としたので探しに来たことを話すが、見つからないだろうと半ば諦めていた。するとデルゴは「俺が見つけておくよ」と言い、翌日に洞窟の入り口で会う約束を交わした。
ライウスはザーンに内緒でセデッサと通じており、彼女に協力してロックニ族とノーリン族の関係悪化を企てていた。ギャンブル狂のボガルダスは多額の負債を抱えており、金貸しのゲディーに借金を頼んだ。するとゲディーは担保として、武器を用意するよう要求した。そのためには武器庫に入る必要があったが、それもライウスが邪魔なボガルダスを排除するためにゲディーを雇って仕掛けた策略だった。ボガルダスはザーンに将軍の座を剥奪され、牢獄に連行された。ライウスは自分が罠を仕掛けたことを不敵な笑みで明かし、ボガルダスを殴り付けて昏倒させた。
ライウスは深夜にロックニの聖地を荒らし、その場を去った。デルゴは激昂してノーリンとの戦いを主張し、マーリーの説得にも全く耳を貸さなかった。大佐から将軍に昇進したライウスはセデッサから、確実に戦争を起こすためカイラを拉致するよう要求された。カイラがデルゴと会うため洞窟へ向かうと、ライウスは密かに後を追った。デルゴはブローチをカイラに渡し、彼女とキスをした。カイラは幼い頃に母を、デルゴは両親を亡くしていた。
カイラが「国境だの条例だの、くだらない。過去を忘れて前に進まなくちゃ」と話すと、デルゴは「過去を忘れろだって?俺の親はなぜ死んだと思う。君らに土地を分けた挙句、殺されたんだ」と声を荒らげた。「それはセデッサが勝手に」とカイラが釈明すると、彼は「セデッサとノーリンの軍だ。だったら今はどうだ。ノーリンはロックニの聖地を破壊した。ロックニとノーリンの溝は絶対に埋まらない。それが分からないなら、君は愚かな子供だ」と述べた。カイラは「気付かせてくれて、ありがとう」と寂しそうに言うと、ブローチを残して飛び去った。
ライウスはカイラを吹き矢で眠らせて拉致し、ザーンに彼女がデルゴと会っていたことを報告した。デルゴとファイロはカイラの誘拐犯と断定され、ノーリンの兵士たちに連行された。もちろん何も知らないデルゴたちだが、ザーンは2人を檻に監禁した。ボガルダスはデルゴから白いレーザーウイングがカイラを追っていたことを聞き、ライウスの仕業だと確信した。デルゴはボガルダスに、「檻から出してやるから、俺たちを連れて飛んでくれ」と取り引きを持ち掛けた。ボガルダスが了承すると、デルゴは檻から簡単に脱出した。
ザーンは武力行使を宣言し、ロックニ族の評議会は会合を開いた。投票の結果、戦争を始めることが決定した。デルゴたちは洞窟で巨大ヤーグに襲われ、ボガルダスは剣を抜いて戦うが追い詰められる。デルゴは巨大ヤーグをおびき寄せて退治し、ボガルダスを助けた。洞窟を抜けたデルゴたちは、ライウスにセデッサの伝書を届けた鳥が飛ぶのを目撃した。カイラに関係があると睨んだボガルダスは、デルゴたちと共に後を追った。
セデッサは城に軍隊を集め、拘束したカイラを登場させる。城に潜入したボガルダスは、セデッサがカイラの羽を切り落とすつもりだとデルゴたちに話す。デルゴがカイラを助けに行こうとすると、ボガルダスは「王女は私が助ける」と言う。だが、そこへ見張りの兵士が現れるとボガルダスは相手を引き受け、デルゴとファイロにカイラの救出を任せた。しかしファイロがミスをしたせいで、身を隠していたデルゴは発見されてしまう。デルゴは襲ってきた兵士たちの攻撃をかわし、カイラを救出した。彼は「親父さんに知らせるんだ」と告げてカイラを城から逃がし、敵に追われて逃げ回る。彼は敵の鳥に飛び乗り、城から脱出した…。

監督はマーク・F・アドラー&ジェイソン・F・マウラー、原案はマーク・F・アドラー&スコット・バイアー&ジェイソン・F・マウラー、脚本はマーク・F・アドラー&スコット・バイアー&パトリック・コーワン&カール・F・ドリーム&ジェニファー・A・ジョーンズ&ジェイソン・F・マウラー、製作総指揮はマーク・F・アドラー、製作協力はジェニファー・ジョーンズ、アニメーション・ディレクターはウォーレン・グラブ、テクニカル・ディレクターはジョン・リトル、スーパーバイジング・サウンド・デザイナーはトム・オーザニッチ、アート・ディレクターはマーク・A・W・ジャクソン、音楽はジェフ・ザネリ。
声の出演はフレディー・プリンゼJr.、クリス・カッタン、ジェニファー・ラヴ・ヒューイット、アン・バンクロフト、ヴァル・キルマー、マルコム・マクダウェル、マイケル・クラーク・ダンカン、ルイス・ゴセットJr.、エリック・アイドル、バート・レイノルズ、ケリー・リパ、サリー・ケラーマン、ジェド・レイン、メリッサ・マクブライド、ジェフ・ウィンター、アーミン・シマーマン、ドン・スターリングス、ブラッド・アブレル、トリスタン・ロジャース、グスタヴォ・レックス、ニカ・フッターマン、ジョン・ヴァーノン、スーザン・ベネット、デヴィッド・ヘイヤー、メアリー・マティリン・マウザー、ルイス・K・アドラー他。


CMやMVの制作会社であるFathom Studiosが、初めて手掛けた長編アニメーション映画。
会社の創設者であるマーク・F・アドラーとジェイソン・F・マウラーが、初監督&初脚本を務めている。
共同脚本のスコット・バイアー&パトリック・コーワン&カール・F・ドリーム&ジェニファー・A・ジョーンズはFathom Studiosのスタッフで、初めての映画作品。
デルゴの声をフレディー・プリンゼJr.、ファイロをクリス・カッタン、カイラをジェニファー・ラヴ・ヒューイット、セデッサをアン・バンクロフト、ボガルダスをヴァル・キルマー、ライウスをマルコム・マクダウェル、マーリーをマイケル・クラーク・ダンカン、ザーンをルイス・ゴセットJr.セデッサの側近のスピグをエリック・アイドル、デルゴの父をバート・レイノルズ、カイラの侍女のカーリンをケリー・リパ、ナレーターをサリー・ケラーマンが担当している。

制作費は4000万ドルだから、大手の長編アニメーションと比べれば遥かに安い。
ただし、同年にアメリカで公開された実写作品と比較してみると、ポール・ウェイランド監督の『近距離恋愛』が4000万ドル、トム・ヴォーン監督の『ベガスの恋に勝つルール』が3500万ドル、アン・フレッチャー監督の『幸せになるための27のドレス』が3000万ドル、マット・リーヴス監督の『クローバーフィールド/HAKAISHA』が2500万ドル。
それなりの金額を投じているわけだ。

この映画の製作が開始されたのは、2001年だった。
Fathom Studiosにとって初のアニメーション映画ではあったが、マーク・F・アドラーとジェイソン・F・マウラーは自信を持っていた。
ただしアニメーション制作スタジオではないし経験も無いので、そのためのスタッフは全く揃っていなかった。
そこで彼らは本作品を製作するに当たり、小さなスタジオから人員を雇い入れた。
それだけでは全く足りないので、大学やデザイン学校、果ては高校の生徒まで起用した。

学生だらけのスタッフで手掛けた長編アニメーション映画が、ピクサー・アニメーション・スタジオやドリームワークス・アニメーションのような大手の作品と勝負して、太刀打ちできるだろうか。
それは絶対に勝てないし、まるで相手にならないと断言できる。
個人や少数のグループによる勝負なら、1人の天才がいれば大手に対抗することも可能だろう。
しかし大勢のスタッフで製作するのだから、それが学生だらけってことになると、その段階で「無謀な挑戦」と断言していいだろう。

完成までに7年を費やしたのは、それだけ質の高いアニメーション作りに時間が必要だったということではなく、経験の乏しい人間ばかりが揃っていたのでスムーズに仕事が進まなかったという事情だろうと推測される。
ただ、とにかくマーク・F・アドラーとジェイソン・F・マウラーは絶対的な自信を持っていたようで、北米で公開する際には2160のスクリーンを押さえた。
これも大手の作品に比べれば少ないが、インディーズの第一回作品としては思い切った館数だ。
ちなみに、翌年に公開された『DRAGONBALL EVOLUTION』は制作費が3000万ドル、スクリーン数は2181だった。

6年の歳月を費やし、4000万ドルの制作費を投じ、2160のスクリーンで公開された自信満々の作品がどういう結果になったかというと、興行収入は69万ドル。
わざわざ言うまでもなく、惨敗である。
興行収入が振るわなかっただけでなく、評価としてもケチョンチョンだった。
こんな映画が遺作になってしまったアン・バンクロフトに対して(&ノーリン役のジョン・ヴァーノンも)、二重の意味で「御愁傷様」と言いたくなる。

映画が始まって早々に分かるのが、アニメーションの質の低さだ。
あえて擁護するなら、「経験の乏しいスタッフだけで製作したことを考えれば、それなりに健闘している」という風には解釈できる。
しかし、やっぱり細かい動きの1つ1つを見た時には、粗さが否めない。
技術や人員の多さで大手と比較にならないのは分かり切っていることだが、しかし2160のスクリーンで大々的に公開されているんだから、そこは言い訳に出来ないだろう。

ただし、質よりも気になるのが、キャラクター・デザインだ。
たぶんトカゲか何かのハ虫類がモチーフなんだろうと推測されるが、まるで魅力を感じないし、どことなく気持ち悪い。
子供向けのアニメ映画なのに、そのデザインはどうなのかと。
もちろん国や人種によって感覚に違いはあるだろうが、これに関しては「アメリカ人なら魅力的に見える」とかいう問題ではないぞ。
実際、アメリカでも酷評を浴びたわけだからね。

さらに問題なのが、映像面に輪を掛けてシナリオの質が低いってことだ。
冒頭からナレーションで進行され、「ノーリン族がロックニ族の土地を貰い受けて云々」という説明が入るのだが、この導入部が「前回のおさらい」「TVシリーズのダイジェスト」みたいな状態なのだ。
しかし、もちろん本作品はシリーズの2作目ではないし、TVアニメの劇場版ではない。だから本来なら、そのナレーションベースでザックリと片付けている部分は、ちゃんとドラマとして厚く描くべきなのだ。
それから15年後の物語が本編として用意されているから、過去のシーンは短く済ませたかったってのは、段取りとしては理解できる。
でも、結果として前述の印象になっているんだから、処理の方法に失敗したと言わざるを得ない。

冒頭部分を厚く描かなかった弊害として、様々な問題が生じている。
まず、ロックニ族がノーリン族に土地を譲渡することをOKした時、使者はデルゴの家族と会っているが、「ってことはデルゴの父親は種族の偉い人なのか?」という疑問が湧く。でも、その答えは教えてもらえない。
また、ザーンが新天地を統治するため、なぜ野心家の妹を派遣したのかという疑問も湧く。妹が野心家なのは分かり切っているんだから、マズい行動を取ることも予期できたはずだ。
セデッサが次々に村を焼き打ちにしたのに、しばらくロックニ族が我慢していたのも理解不能だ。ナレーションで「穏やかな種族」と説明されているが、それだけで納得するのは無理だ。

ザーンはセデッサに「まず交渉すべきだった」と言うけど、それは既に終わったことでしょ。交渉の結果として、土地を貰い受けることが決まったんでしょ。だから、後は普通に移住を進めるだけだったはず。
一方、セデッサは「甘いわね。戦いに勝ってジャモーラを私たちの物にするのよ」と強気に言うが、「もう王家の人間ではない」と突き放されるとショックを受けている。
いやいや、そんなことになるのは容易に予測できただろ。
で、そう言われてから暗殺を企むけど、それは行動のタイミングとして遅いわ。

15年後に移ると、最初に登場するのがセデッサ。それは構成として、いかがなものかと。
普通に考えれば、15年後にワープしたら最初にデルゴを登場させるべきじゃないかと。
ただし、そもそも冒頭シーンにおけるデルゴの存在感が弱すぎるのよね。父親と遊んでいる様子は描かれていたけど、とてもじゃないが主人公としてのアピールは見えなかった。
もちろん幼い姿だから、戦争や交渉における中心人物として動くことは出来ない。だけど、その存在感を示す方法なんて、幾らだってあるはずで。
一方、ヒロインとなるカイラの存在感も、同様に薄い。こちらは誕生したばかりの赤ん坊ではあるが、それは言い訳にならない。
だったら、どうせ幼少時に2人は出会っているわけでもないんだし、いっそのこと15年後で初登場する形でも全く問題は無い。

追放処分となったセデッサだが、15年後に移ると悪い仲間と城で暮らしている。羽は無くなったものの、それ以外では特に不自由も無く平穏に暮らしている様子なので、ちっとも追放処分にした意味が感じられない。
そんな彼女は、軍隊や城を作るために協力してくれた連中を始末する。
そこはセデッサの非情さをアピールしたかったんだろうけど、幹部連中を始末する必要性が全く無いぞ。
軍隊を統率するには自分だけで充分と言っているけど、腕の立つ戦士は配下に揃えておいた方が何かと役に立つでしょ。始末するのは、ジャモーラを支配した後でもいいはずで。

カイラがデルゴを助けた直後、駆け付けたボガルダスは剣を抜いてデルゴを捕まえ、「王女様にロックニ族の友人は必要ない」と冷淡に言い放つ。その場を去る時、彼はデルゴを踏み付けて「お遊びはおしまいだ」と言う。
だから荒っぽい奴なのかと思いきや、ライウスとのギャンブルに負けて弱々しい姿を露呈する。その後には、武力行使を要求するライウスに「国民は平和を望んでる。もっと先を見据えねば、双方に血が流れます。また平和を壊すのか」と訴える。
それはキャラがブレているとしか思えんぞ。
平和を望むキャラにするのなら、前述のシーンはライウスだけが好戦的で、ボガルダスは穏便に解決しようとする動かし方にしておくべきだろ。

ライウスは作戦成功のためにボガルダスが邪魔だと考えているが、それは見当違いだ。重要なのはザーンをその気にさせることであって、そうなればボガルダスが幾ら反対しようが意味が無い。
ロックニ族が襲撃を繰り返すように仕向ければ、ザーンだって戦争に舵を切らざるを得ないわけで。
しかもライウスがボガルダスを排除するための作戦が「担保として武器を用意するようゲディーに要求させる」という内容なのだが、それに対してボガルダスが「武器を一夜だけ貸してほしいとザーンに頼む」ってのはアホすぎだろ。そんなの断られるに決まってる。
それに輪を掛けてバカなのがライウスで、牢獄に連行されたところで自分がハメたことをバラしてしまう。
まだ目的が達成されたわけでもないのに、自分から真相を明かすってアホすぎるだろ。

デルゴは檻から脱出する際、ボガルダスに「檻から出してやるから、俺たちを連れて飛んでくれ」と持ち掛ける。彼は檻から出て、そこからボガルダスの檻へ飛び移る。
ここでカットが切り替わり、ザーンたちのパートになって、次にデルゴたちが登場すると洞窟を移動している。
つまり、「ボガルダスがデルゴたちを連れて空を飛ぶ」というシーンが無いのだ。
それはダメだろ。
省略する箇所があってもいいけど、そこをカットしたらボガルダスの約束が果たされていないことになっちゃうでしょ。

デルゴとボガルダスは檻で遭遇しても、ずっと仲が悪くて言い争っている。洞窟を移動する際も、些細なことで言い争う。ところが巨大ヤーグと戦う時にデルゴがボガルダスを助けると、互いに自己紹介して握手を交わす。
反目していた2人が和解する手順を用意するのは誰でも予想できる展開だけど、それ自体はベタで一向に構わない。だけど、それは展開が拙速でしょ。
せめて、ボガルダスが嫌味を交えて礼を言うとか、感謝の言葉は口にするけど態度は悪いとか、その程度で留めておくべきだよ。
ただ、その後のシーンではデルゴとボガルダスが互いに嫌味っぽい言葉やトゲのある言葉を口にするので、ってことは全面的に仲良くなったわけでもないんでしょ。
それなら、洞窟で握手を交わすのは変だわ。

洞窟を抜けたボガルダスがカイラを捜しに行こうとすると、デルゴは「俺も行く」と言う。するとボガルダスは「ロックニの助けは要らん。飛べもしないのに、何が出来る?」と言って飛び去るが、近くにいた見張りの連中を倒して戻り、「安全は確保した」と言う。
台詞と行動が全く合ってないぞ。そもそも、そこがどういう場所なのかサッパリ分からん。
で、その直後には「デルゴたちが伝書鳥を追う」という展開があるのだが、この時に彼らは大きな鳥に乗っている。
だったら、ボガルダスが空を飛べる設定は無意味になるでしょ。それこそ、ボガルダスがデルゴたちを連れて飛べばいいんじゃないのか。
彼がデルゴたちを連れて飛ぶシーンを描かないのなら、前述した取り引きなんて最初から示さなきゃいいのよ。

デルゴは念動力を学んでいる設定だが、これが見事なぐらい無意味なまま終わっている。
一応、セデッサの城で敵に追われた時、物を浮遊させて目を逸らし、その間に逃げるというシーンは用意されている。だけど、そこはようするに「敵から上手く逃げる」という目的さえ果たせればいいわけで。
だから念動力を上手く活用しているとは到底言い難い。
しかもマーリーは「石にも自由を与えないと」などと説教していたけど、その言葉も全く伏線として回収されないまま放置されているし。

それ以外でも、色々と食べ掛けて放置されている要素が多い。
例えばカイラがデルゴの元へブローチを残して飛び去るが、それが何の意味も無い行動になっている。ブローチがあろうが無かろうが、デルゴはカイラの誘拐犯として監禁されるのだ。
ボガルダスがギャンブル狂という設定も、ライウスが彼を罠に陥れる時には使われているけど、これまた上手く活用しているとは言えない。むしろ、ギャンブル狂という部分でボガルダスに余計な欠点を付けているマイナスが遥かに大きい。「ギャンブル狂だったけど更生する」という展開があるわけでもないし。
彼が持ち歩いており、担保にしようとするアクセサリーも、やはり無意味なアイテムになっている。

クライマックスは両方の種族による全面戦争が描かれており、そういう派手でスケールの大きいシーンで盛り上げたいってのは理解できる。
だけどストーリー展開だけを考えると、それは要らないんだよね。むしろ全面戦争が勃発する前に、デルゴたちが食い止めるという展開にした方がいい。
戦争が始まれば大勢の犠牲者が出るわけで、だからセデッサの一味を倒しても「殺された者の遺族は怒りや憎しみを抱き続けるだろう」ってことが予想されてしまう。
そんなことを感じさせるのは、どう考えても余計でしょ。問題が全て解決して大団円という、完全無欠のハッピーエンドにしておいた方がいいに決まってるでしょ。

(観賞日:2017年8月17日)

 

*ポンコツ映画愛護協会