『ディープ・ブルー』:1999、アメリカ

太平洋上に、海洋医学研究施設アクアティカがある。そこでは、キマイラ製薬の投資によって、3匹のマコシャークの脳組織を摘出し、新薬を製造するという研究が行われている。だが、マコシャークが逃げ出す事故が発生し、キマイラ製薬の株価が急落する。
キマイラ製薬の社長フランクリンはマーケットの状況を深刻に受け止め、研究責任者のスーザン・マカリスター博士に研究の中止を命じた。スーザンはフランクリンに、48時間後には必ず研究成果を出すと告げ、彼をアクアティカに連れて行く。
アクアティカではスーザンの他に、飼育員のカーター、海洋生物学者ジャニス、エンジニアのスコギンス、研究者ジム、コックのプリーチャー、タワーの管理者ブレンダといった面々が働いている。スタッフは誰1人として、フランクリンを歓迎していない。
スーザンは予定を早めて、実験を行うことにした。実験は成功したかに思えたが、マコシャークが急に暴れて、ジムの腕を食いちぎる。成果を出すためにスーザンが行った遺伝子操作によって、マコシャークは高度な知能を持った殺人鮫になったのだ…。

監督はレニー・ハーリン、脚本はダンカン・ケネディ&ドナ・パワーズ&ウェイン・パワーズ、製作はアキヴァ・ゴールズマン&ロバート・コスバーグ&トニー・ルドウィグ&アラン・リッシュ、製作総指揮はブルース・バーマン&ダンカン・ヘンダーソン&ジョナサン・B・シュワルツ、撮影はスティーヴン・F・ウィンドン、水中撮影はピート・ロマーノ、編集はデレク・ブレッチン&ダラス・ピュエット&フランク・J・ユリオステ、美術はウィリアム・サンデル、衣装はマーク・ブリッジス、特殊効果監修はジョン・リチャードソン、音楽はトレヴァー・ラビン。
出演はトーマス・ジェーン、サフロン・バロウズ、LL・クール・J、サミュエル・L・ジャクソン、マイケル・ラパポート、ステラン・スカルスガルド、ジャクリーン・マッケンジー、アイダ・タートゥーロ、クリストス、ダニエル・バヒモ・レイ、ヴァレンテ・ロドリゲス、ブレント・ローム、アイアル・ポデル、エリン・バートレット、ダン・シール、サブリナ・ギーリンクス他。


破壊の帝王レニー・ハーリン監督が、ワイフのジーナ・デイヴィスと別れて撮った作品。
カーターをトーマス・ジェーン、スーザンをサフロン・バロウズ、プリーチャーをLL・クール・J、フランクリンをサミュエル・L・ジャクソン、スコギンスをマイケル・ラパポート、ジムをステラン・スカルスガルド、ジャニスをジャクリーン・マッケンジーが演じている。

やってくれました、レニー・ハーリン。
鮫が人を襲う映画だが、ちっとも怖くない。
いや、しかし、それは「怖さを追及しようとしたのに怖くない」のではない。
たぶん、レニー・ハーリンは分かっているのだ。動物で怖がらせることなんて、よほど上手くやらないと無理だってことを。ヘタをすると、ギャグにしかならないことを。
どうせ正体を明かさずに恐怖を煽ろうとしても、姿をハッキリ見せないことで観客を怖がらせるのは無理だろう。CGのサメは軽すぎて、怖がらせるのは無理だろう。
だからハーリンは、あえて恐怖描写にこだわらず、これをバカ・アクション映画に仕立て上げた。

開き直ってしまえば、もう怖いものは無い。
サメは恐怖の対象ではなく、アクション映画の悪役だ。
破壊が大好きなハーリン先生なので、もちろん大爆発もあるし、セットはボロボロに壊される。とにかく派手なアクションを見せるのが得意で、細かいことは苦手な人なので、そういうバブリーな映画にしたのは正解かもしれない。

恐怖を演出しようとするなら、サメの襲撃までにジワジワと盛り上げたり、食われる様子を残酷に見せたり、襲撃後の余韻を残したりするだろう。だが、この映画では、サメがパッと出てパクッと人を食べてスパッと消えるという、潔いパターンが多い。
サメに襲われる恐怖よりも、サメによって引き起こされるトラブルからの回避の方に、重心が置かれているかもしれない。暴風雨の中でヘリコプターが墜落して施設が爆発する下りや、水没する施設からの脱出などは、サメの恐怖とは全く関係が無い。

この作品は、おそらく「まずセオリー破りありき」という考えに基づいて、シナリオが作られているのであろう。例えば、普通なら生き残りそうなキャラクターが死亡し、ポジションを考えればあっさり死んでもおかしくないキャラクターが生き残ることなどだ。
人間が襲われるシーンに入る前に、サメの恐ろしさを存分にアピールするのは、ホラーのセオリーからは外れているだろう。襲われるかと思って肩透かし、しかも、その直後にやっぱり襲われるということも無いというシーンが何度もあるのも、同じくだろう。

「ヘタをするとギャグにしかならない」と前述したが、この作品は、それを逆手に取っている。
つまり、無理をするのではなく、開き直ってギャグにしちゃっているのだ。
サメがジムをくわえて持って来るシーンなんて、完全にギャグだ。演説をぶっていたフランクリンが後ろから来たサメにパックンチョされるシーンも、どう考えてもギャグだ。
アニマトロニクスのサメとCGのサメが完全に別物になっていて(まあ当たり前だが)、そのことがCGのサメが登場するシーンをコミカルな印象にしている。また、一緒にいた連中が死んでるのに、最後に生き残った奴らが笑うなんてのも、バカ満開だ。

そんなわけで、「ああ、こいつも死んだよ」と、人間がサメにパックンチョされるシーンを、ニヤニヤしながら観賞しよう。
いっそのこと、全員が食われて、最後にサメがゴックンとツバでも飲んで終わってくれたら良かったかもしれんが、さすがに、そこまでの悪ノリは無理か。

 

*ポンコツ映画愛護協会