『デス・レース2000年』:1975、アメリカ

西暦2000年。第10回全米横断ロードレースの開催日が訪れた。5人のドライバーが3日間に渡るレースで競い合い、優勝者には大いなる名誉が与えられる。生放送の実況を担当するのはジュニア・ブルースで、中継リポーターはグレイス・パンダーが担当する。参加するレーサーはフランケンシュタイン、マシンガン・ジョー、マチルダ、カラミティー・ジェーン、ネロ・ザ・ヒーローの5名で、それぞれにアニー、マイラ、ハーマン、ピート、クレオパトラというナビゲーターが付いている。数々の記録を塗り替えて圧倒的な人気を誇るのは、覆面を被った正体不明の男、フランケンシュタインだ。
全世界に映像が中継される中で、北京の地底にいるアメリカ大統領が挨拶する。第四次世界大戦から11年が経過し、世界は初めてアメリカ連邦国という1つの国家として統一されている。大統領は世界中の人々に対し、レースは世界平和の象徴だと話す。開会宣言と共に5台の車がスタートし、レースが開始された。ニューヨーク記念レース場を飛び出した5台は、それぞれのルートを選択し、最初の中継地点であるセントルイスへ向かった。
テレビを通じてレースを見ている人々の中には、ペインという老女が率いるレジスタンス組織の面々も含まれていた。実はペインの孫娘であるアニーも革命軍のメンバーで、彼女に好意を寄せるフューリーは不安で一杯だった。アニーはフランケンに話し掛け、覆面の中を見たがった。フランケンは過去のレースで体のあちこちに何度も重傷を負い、その度に復活してきた。アニーが覆面に手を掛けても、フランケンは拒絶しなかった。覆面を剥がすと顔には傷一つ無かったので、アニーは驚いた。
全米横断ロードレースでは人間をひき殺す度に、標的に応じてポイントが加算されていく。最初に得点を入れたのはジョーで、続いてジェーン、そしてフランケンもポイントを獲得した。解説者のハロルドも中継に加わり、ジュニア&グレイスと共に番組を進行していく。ヒュリーはペインに内緒で、レース妨害作戦を企てていた。ネロとクレオパトラは赤ん坊に見せ掛けた爆弾に騙され、爆死してしまった。グレイスは番組のゲストとして、ジョーの犠牲者となった男性の夫人であるロンダ・ベインブリッジを招いた。ロンダには豪華マンションと新型テレビのセットがプレゼントされることになっている。
レジスタンス組織はテレビ放送をジャックし、大統領の打倒とロードレースの粉砕を宣言するペインの演説を流した。しかしフランケンは、全く気にしなかった。4台が中継地点に到着すると、運営委員が「ネロの一件には触れるな。衝突事故として処理する。政府命令だ」と告げた。マッサージを受けながらグレイスの取材を受けたマチルダとジェーンは、激しく罵り合う。用意された部屋に入ったフランケンはアニーの前で服を脱ぐが、体のどこにも大怪我を負った形跡は無かった。
翌朝、4台はセントルイスをスタートし、中継地点のアルバカーキを目指す。フランケンはスタート早々、わざと手袋を落として取りに戻り、レース運営委員長のディーコンをひき殺してポイントを獲得した。フランケンのファンクラブ会員であるローリーは代表者に選ばれ、わざと彼の車にひかれてポイント獲得に貢献した。アニーは「ポイントを稼げる場所がある」とフランケンに言い、ペインたちが罠を仕掛けて待ち受けている道へ誘導する。だが、レジスタンス組織の罠は、あえなく失敗に終わった。
フランケンはアニーに不信感を抱き、運転を交代させた。ジョーは前日にアニーから吹き込まれたルートを選び、大幅に時間をロスした。ピートは故障したジェーンの車を整備するが、マチルダの車にひき殺された。激怒したジェーンの追跡を受けたマチルダは、レジスタンスが仕掛けた迂回路の罠に引っ掛かって崖から転落し、車ごと爆死した。アニーが少年をひき殺せなかったので、フランケンは彼女の嘘を確信した。尋問を受けたアニーは、自分の素性を明かした。レジスタンスはフランケンを捕まえて偽者を差し向け、大統領に最後通牒を渡そうと目論んでいた。大統領の友人であるフランケンを人質にして、脅しを掛けようというのがペインたちの計画だった。
アルバカーキに到着すると、ジョーやジェーンたちは運営委員に激しく抗議する。ネロやマチルダが妨害工作で死んだことを受けて、厳重な警備を付けるべきだとジョーたちは主張した。しかし運営委員は「テロやレジスタンスなど存在しない」と冷たく告げた。大統領はテレビに出演して演説し、「ネロとマチルダを殺したのはフランス人の仕業だ」と述べた。フランケンはアニーが車に細工していたのを知ったが、彼女を罰しようとはしなかった。フランケンが決して右腕の手袋を外そうとしないので、気になったアニーが理由を尋ねる。しかしフランケンは、その理由を話そうとはしなかった。そして3日目の朝が訪れ、参加者はゴールへ向かってスタートした…。

監督はポール・バーテル、製作はロジャー・コーマン、製作協力はジム・ウェザリル、原案はイブ・メルキオー、脚本はロバート・ソム&チャールズ・グリフィス、撮影はタク・フジモト、編集はティナ・ハーシュ、美術はロビンソン・ロイス&B・B・ニール、衣装はジェーン・ラム、カーデザインはジェームズ・パワーズ、音楽はポール・チハラ。
主演はデヴィッド・キャラダイン、共演はシモーネ・グリフェス、シルヴェスター・スタローン、メアリー・ウォロノフ、ロバータ・コリンズ、マーティン・コーヴ、ルイザ・モリッツ、ザ・リアル・ドン・スティール、ジョイス・ジェームソン、カール・ベンソン、サンディー・マッカラム、ポール・ローレンス、ハリエット・メディン、ヴィンス・トランキーナ、ビル・モーレイ、フレッド・グランディー、ウィリアム・シェパード、レスリー・マクレイ他。


B級映画の帝王、ロジャー・コーマンがプロデューサーを務めたカルト映画。
フランケンシュタインをデヴィッド・キャラダイン、アニーをシモーネ・グリフェス、ジョーをシルヴェスター・スタローン、ジェーンをメアリー・ウォロノフ、マチルダをロバータ・コリンズ、ネロをマーティン・コーヴ、マイラをルイザ・モリッツが演じている。
まだ監督デビュー作『シュロック』の1本しか撮っていなかった頃のジョン・ランディスが整備士役で出演している。
アンクレジットだが、フランケンの医師役でメガホンを執ったポール・バーテルが、ジェーンにひき殺される闘牛士役で映画監督のルイス・ティーグが出演している。

原案が『原始獣レプティリカス』のイブ・メルキオーで、脚本は『血まみれギャングママ』のロバート・ソムと『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』のチャールズ・グリフィス。
主演がTVシリーズ『燃えよ!カンフー』のデヴィッド・キャラダイン、共演には『ロッキー』でブレイクする前のシルヴェスター・スタローンや『残酷女刑務所』のロバータ・コリンズ。
B級映画の熱烈なマニアなら喜びそうな顔触れが揃っている。
ちなみに、ビデオ化された時の邦題は『デス・レース2000』。

一言で表現するなら、『チキチキマシン猛レース』のエログロ版だ。パツキンのネーチャンたちが無意味に脱ぎまくり、老若男女が何人も殺される。
参加したレーサーは、わずか5名。最初から5名しかエントリーしていないわけではなくて、もちろん選抜された5名ってことなんだろうけど、どう考えたって少なすぎる。興行的なことを鑑みても、せめて10名は欲しいところだ。
そりゃあ人数を多くしたら全てのキャラを描写できずに薄っぺらくなるという問題は生じるだろうが、そこは主要メンバーを絞り込んで、残りは名も無き雑魚キャラ&やられ役にしておけば済むことだ。
で、長々と書いたが、色んなマイナスがある一方で何のメリットも思い付かないのに5台しか参加させていない理由は簡単で、製作費が少なくて多くの車を用意することが出来ないからだ。

そして、そんなレースに使われる車のデザインが、ものすごくダサい。
ジェーンの車はフロント部分に鋭い角が付いており、眼が描かれていて、雄牛を模したデザインになっている。マチルダの車は迷彩色で鉤十字のマークが描かれ、後方に大砲が付いている。
ネロの車はライオンがモチーフで、前方に10本の牙が生えている。ジョーの車は前方の真ん中に巨大ナイフ、左右にマシンガンが取り付けてある。
そしてフランケンの車はハ虫類っぽいデザインで背ビレが付いており、前方からは牙が飛び出ている。
で、そういうのが武器として使用されることは、ほとんど無い。単なるコケ脅しの飾りだ。

この映画の面白さは、何と言っても「人を殺せばポイント獲得」というレースのルールにある。
細かく説明すると、女性は年齢に応じて男性より10点プラスされ、未成年なら40点、12歳以下の子供は70点。75歳以上の老人なら、男女問わずに100点が貰える。ターゲットが無抵抗であればあるほど、得点が高くなる。
ようするに、社会的弱者であればあるほど点数が高くなるという、ものすごく悪趣味なルールになっているのである。
こういうのを平気でやれちゃう辺りは、いかにもB級映画だ。

ただし、「人を殺せばポイント獲得」「標的によってポイントが異なる」のルールを効果的に活用できているのかというと、そこは不充分。
病院が老人の患者たちを殺させようとして外に放置するとか、フランケンが患者ではなく看護婦をひき殺すとか、調子に乗ってレーサーをからかった連中が惨殺されるとか、そういうダークな描写も色々と用意されている。
だが、低予算という事情もあってのことではあるものの、ディティールの粗さが目立っている。

そもそも「人を殺せばポイント加算」というルール設定があるのなら、大勢の人がいるような場所をコースに設定すべきでしょ。ほとんど誰も見当たらないような場所を走らせたら、レースが全く盛り上がらないんだからさ。
実際、人が見当たらないような場所を走らせているから、すげえテンポが悪くてダラダラしちゃってるし。
ここもレースの参加人数と同様、色んなマイナスがある一方で何のメリットも無いわけだ。
そうなっている理由は、製作費が安くて、大勢の人間を雇うことも都市部で撮影することも出来ないからだ。

人を殺せば殺すほどポイントが加算されるんだから、レースで早く中継地点やゴールに到着することを競っても意味が無くて、タイムロスしてでも大勢の人を殺した方がいいんじゃないかと思う。
だが、その辺りのルール設定が不明確なので、なぜ参加者が人殺しよりも早く中継地点へ行くことを最優先するのかサッパリ分からない。
あと、そのレースで優勝者に与えられる商品や報酬は何なのかと思ったら、「大いなる名誉」だけって、それはショボいだろ。

レジスタンス組織のシーンが滑稽なテイストに溢れているとか、レースに迫力や緊張感が皆無で緩和に満ち溢れているとか、そういうのは「製作費が安くて撮影期間も短い」ってのを言い訳に出来ない部分だ。
ひょっとすると、ブラック・ユーモアの味付けを意識しているのかもしれないけど、それにしたってレース映画なのに緊張感が無くてユルユルってのはマズいだろ。
それこそ『チキチキマシン猛レース』みたいなコメディー物ならともかく、そこまで純然たるコメディー映画ってわけではないんだし。
後半に入るとユルい雰囲気は一気に薄くなるけど、前半で背負ったマイナスを取り戻すことは出来ない。

政治批判や社会風刺を盛り込み、「実は強烈なメッセージ性を持っている映画」に見せ掛けているけど、それは「単純に人を殺しまくるレース映画では単純すぎるから、何か建て前を用意しよう」という程度なんじゃないかな。
で、最後はフランケンが大統領を殺して英雄視され、新しい大統領になるというデタラメ極まりない着地が待っている。
強大な権力を誇る独裁者であるはずの大統領を殺したのに、処刑されないどころか英雄扱いされるってのはメチャクチャだが(その場には政府の役人もいるのに)、どういう映画なのかってことを、その結末が顕著に示している。
ようするに、そういうデタラメな映画ってことだ。

(観賞日:2014年3月30日)

 

*ポンコツ映画愛護協会